●ちらつきマウス
嘘をつく子だと、小さい頃はよく叱られたものだ。何度も、何度も。それこそ、鞭を打たれても同じ事を唱え続けた。嘘ではない。嘘ではないのだ。いつだって。どんな時だって。私はそれを願っていたのだから。
恐怖というやつは、いとも容易く人の心を縛り付ける。それは死への否定だったり、あるいは憧れ、美意識からくるものでもあるのだが。しかし、考えようによっては賛美されるものでもあるのだという。恐ろしいと思う心は、即ち回避にも直結するのだとか。だが、それが萎縮になっているのも事実である以上、意見の分かれるところであるだろう。
「助けが必要なら、誰だって助けに行く……それがガンマンなのだ!」
怖い。恐ろしい。そういった報告のあった中でも、フラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)の声は溌剌としたものだ。この場にあたって悲壮感を漂わせないその振る舞いが、彼女が避難させる民間人らにも活力を与えていた。助けが必要だ。助けを求められている。天が地が呼ばなくても、自分は馳せ参じよう。参じてみせるとしよう。ただ、もっとも救難の声をあげているのが。得体のしれないそれではあるのだが。
隣を歩く尹 央輝(
ja6770)も、同じく民間人の避難を行動に数えつつも捜索を行なっていた。突然現れた非日常。ほとんどの者はその事態に精神が追いつかず、中にはパニックを起こす者も少なくはない。そうなれば、大小の怪我人が出ているのもやむなしと言えた。軽い応急処置を済ませ、元気づけていく。と。
「助けてください」
声が聞こえた。その声にふたりは見合わせ、頷き。そちらへと足を向ける。それが目的の何かとは限らない。しかしどうであれ。敵か、助けなければならない誰かには会えることだろう。
「天使達の大規模な侵攻……一体何が起こっているの……?」
目的、理由。現時点ではわからないことばかりだ。相手の行動に対応するため、捜査もほどほどに作戦を開始したのだから仕方が無い。考えを巡らせようとも、東雲 桃華(
ja0319)には見当もつかなかった。ともあれ、捜索と救助である。襲撃から間もない状況だ。未だ逃げ切れていない市民も多い。サーバントを探しだす傍ら、そういった救助活動にも当たることを優先だとするのなら、複数班にわかれて行動していることは正解だと言えた。
もちろん、戦力としての不安材料は残っている。八人派遣された。その意味は、人数として過不足無く完遂するであろうとされているからだ。つまるところひとりふたりで立ち向かえる相手ではない。桃華と同じく、リゼット・エトワール(
ja6638)も無理をするつもりはなかった。
「助けてください」
そんな言葉はどこからでも聞こえてくる。その殆どは逃げ遅れた一般人だ。だが、無用心に近づいて万が一もあれば自分も某方の木乃伊になりかねない。その行動ひとつにしても、慎重さが求められていた。
「許せませんねぇ……なんというか……あまりこういう輩は好きでは有りませんねぇ……」
助けを呼ぶという行為は、本能的なものへの訴えにも等しい。良心を、正義を、真っ当さを裏切る行為。騙して、追い詰めて、食い殺す。なんとも卑劣なものだ。受け入れがたいのはもとより、古河 直太郎(
ja3889)にはそれが極めて下劣なものであるのだと感じられた。気持ち悪い。受け付けない。そんなものを、そんなことをするものを、一分一秒刹那の瞬間でさえ生かしておけないほどに。
「助けてください」
それに嫌悪を。加えて合川カタリ(
ja5724)は歯がゆさも感じていた。同じような懇願の声は何度も聴いたが、そのどれもが民間人。無論、救えたことは価値あることではあるのだが、この場この空間における根源がいまだ見つからないままだ。
「集中です……」
はやる気持ちはあるものの、それを必死で抑えつけた。相手は人を騙すサーバント。心を落ち着けていなければ、何をされるやもわからない。 自分に言い聞かせ、大きな呼吸をひとつして精神を整えた。
「うわぁ……またこの手の天魔なの? 気持ち悪いなぁ……でも、壊すなら関係ないかなぁ?」
眼球だらけのディアボロ。それと戦った記憶は、まだ鈴原 りりな(
ja4696)の中でも新しいものだ。感染。嘔吐。眼球病。口がよっつあるのだと聴いて、その思い出が蘇る。記憶の掘り起こしでも嫌悪さを撒き散らすあの化け物。これも同じだろうか。それでも、潰してしまえば違いもわかるまいが。さておき、春の北海道はまだ冷え込むものだ。緊急の手前、装備ももとない。早々に片付けてしまわねば。
「助けてください」
何度目だろう。その言葉を聴いたのは。だが、博士・美月(
ja0044)には今度のそれにどこか違和感を感じていた。
「助けてください」
何と言われれば上手く口にはできない。撃退士特有の勘のようなものだ。声に対する微細な違和感。違う口で交互に話しているような。その妙な具体性が、彼女の中で確信の根拠として根づき始めていた。
「助けてください」
声の主を発見する。近づくような真似はしない。嗚呼でも、見えた。見えてしまった。雪のような肌の頬に、ぷっくら浮かんだ魅惑の唇を。
●かなぐりドロップ
泣き喚いて。涙を枯らせて。すがりついている。すがりついている。ずっとそれだけを願っていて。ずっとそれだけを思っていて。いつしか、その理由も忘れてしまったのだけれど。私は泣いていた。ずっと、ずっと。誰かに忘れ去られても、何かを忘れ去ったとしても。私はそれを請う。
それは、軽快な音楽であったり。有名人の声であったり、あるいは意図不明の効果音であったりした。着信音。通話のそれとは区別しているから分かる。電子メールが届いたという報告だ。確認を、しながらも駆け出した。内容は開かなくてもわかっている。誰からであるのかを確認できればいい。あとは衛星探査で見つけるだけだ。
覚悟を決めよう。聴くにすれば、それは正しく化物だ。正真正銘、人間とはかけ離れた。他の何ともかけ離れた異常だ。相対する。さあ、怖いものを見よう。精神を戦闘へとシフト。誰も彼もひとつの刃へ。
●戸惑いステップ
誰も私をわかってくれない。誰も私を信じてくれない。誰も私と同じではない。誰も私と共有しない。誰も彼もこれもそれもあれもどれもなにも何処もそうもこうもみんなみんな私を私を私を私を私を私を私と。
「っ……キミは……悪魔なのだ? ヒトなのだっ……!?」
「助けてください」
フラッペの語りかけにも、サーバントの言葉は変わらない。戸惑いながらも、彼女の健脚は躊躇への抗いを見せる。踊るような動きで繰り出されるそれは、蹴打というよりもひとつの弾頭だ。繰り出される。繰り返される。銃を持たないガンマンの高速連射。
「助けてください」
歯噛みする。その声は何を意味するのだろう。人を誘うだけだというのだろうか。それとも、本当は、本当に何か。助けを求めているのだとすれば。考えを巡らせるフラッペの前で、女の口が開く。開いた。並ぶみっつともが。
「助けてください」
「Help me.」
「助けて助けてねえ助けてよ助けてってば聴いてよねえ助けて助けて助けて」
耳を塞ぎたくなる。聴きたくないのだと背けたくなる。それでも弾丸を撃ち続けた。
サーバントの口腔に、美月の魔矢が放たれる。貫通。突き抜けて、爆ぜて。唇の端から血の筋が流れた。見えているみっつともが、それでも笑ってみせた。艶のあるように。いやらしく。いやらしく。唇を舐めた。
「助けてください」
繰り返す。何度も何度も繰り返す。血を吐いても、歪にひしゃげても。
「減らない口なら……あたしが減らしてやるわッ!」
顔中に穴が開いて、衣服が裂けて。首が、肩が、顕になる。見てしまう。見せつけられてしまう。口。口。口口口。口口口ロ口口口口□口口口ロ。見える限りどこの肌にも口ばかり。それがそれらがそれら共が口をそろえて口をひらいて呟いた。
「助けてください」
全部全部同じ声。気持ち悪い。理解出来ない。なんだこれは。
「大丈夫、気持ち悪いなんて言ってられないわ。アレを倒さないと……!」
喉を焼くそれを、なんとか堪えながら。
「助けてください」
繰り返される耳障りなそれに対し、桃華は黙殺と決め込んでいた。サーバント。元々は自分たちと同じであったもの。だけどそんなものは認めない。認められない。こんなものを、こんなものに成り果てたものを、人間だなんて思わない。
重斧を最上段から叩きつけた。頭頂が右目が唇がその下の唇が口が口が口が口が斬りつけられる。真一文字。アラビア数字のそれ。衣服は切り裂かれ、その下が見えた。嗚呼、畜生。やっぱりだ。どいもこいつも綺麗な口をしやがって。
「助けてください」
嘘か本当か。どちらであろうと桃華はそこに疑問の余地を挟まない。美しい身体に、歪というには余りにも歪に並び続ける口と口と口と口。
「これが私の全力……受けなさいっ!!」
大地を揺るがす震撃と、上空からの超重力。もうひとつの傷が、禍々しいそれに刻みつけられた。
「うるさい口は……チャックして黙らせないといけませんねぇ……!」
直太郎の鞭が風を切り、サーバントを襲う。可能であれば急所を狙いたい所ではあるのだが、元人間とはいえ自分たちとは全く異なるもの。そのウィークポイントを、彼に知り得る術はなかった。鞭で狙い得る身体表面に至っては、自分達との違いなどほんの僅かではあるのだが。それでもそれは、その口は。決定的な違いであり、ヒトとそれとの境界線を明確に正確に定めていた。
「助けてください」
何度打ち据えてもそれは懇願を止めやしない。ひとつ傷つけては他のそれが、ふたつ傷つけては他のそれが、みっつ傷つけてはそれら全てが。何度も何度もそれを口にする。
「助けてください」
「うるさい!」
足を絡めとり、転ばせた。転倒して、打ち付ける。それでも繰り返す。繰り返される。それが、それらが、ひどく耳について離れなかった。
「助けて欲しいの? 良いよ、私は優しいから天魔も助けてあげる。ただし、壊すと言う形でだけどね! あはははっ!」
繰り返されるサーバントの願いに、りりなは狂気を伴った笑い声で答えた。復讐心で動いているのだ、と。彼女に問えばそう言うだろう。燃え上がるそれは彼女の精神を焦がし、燻り、日常という真空の中で燃料が投下されるのを待ち構えている。そうして、爆発する。暴発する。精神性のバックドラフト。それが彼女をつき動かしていた。
「口割け女みたいにもっとその口を広げたらどうなるのかな!」
サーバントの口を、横一線に切り開く。頬の肉が裂け、みっつの口はひとつのそれに重なった。
「助けてください」
それでも、それは懇願する。口にする。
「Help,help,help.」
「私を私を私を私を私を私を」
ひとつのそれで、みっつの懇願。それすらも、狂笑にかき消された。
人間で言えば心臓があるあたりを、カタリの銃弾が貫いた。命中はしたものの、ダメージこそ与えた様子はあるものの、絶命する気配はない。やはり、人間のそれとはまるで異なっているのだろう。外よりも大きく、中が。
「……元々は、人間だったんですかね」
おそらくは、そのサーバントに当てたものであろう。ひとつひとつの口に向けたものではあるまい。こうなってしまうまでにどれほど食ったのか。どこまでが元々は人間だったのか。
輪郭だけをなぞれば人間だ。蠱惑的な肢体も、破れた衣服から除く肌も、目鼻立ちも人間のそれだ。だからこそ考えてしまう。人間だったのだろうか。そしてそれは正しくそうなのだろう。ヒトであったのだ。自分と同じであったのだ。それを、意識しないようにする。ただ戦闘に徹せよと。自分に命じて、引き金に力を込めた。銃声が、懇願を上塗りしてくれる。
仲間に向けて口を開いたその中へ、リゼットは洋弓の狙いを定めた。それは空気を裂いて、貫き、首の後ろからその向こう側へと顔を出す。
その攻撃に痛みを感じたか、はたまた助けを求める矛先を変えたのか。サーバントは、その女はこちらへと振り向いた。その行動を、ひどく恨むことになる。それはけして、見ていて気分のいいものではなかったからだ。
最早、見られたものではない。否、初めからそういうものではあったのだが。今や自分達によって引き裂かれ、その肢体を扇情的に露出させた化物は。ただただ不快感を煽るだけの何かに変貌していた。人間のフォルムを取っているだけに、襤褸布のような姿はひとめで目眩を起こさせる。
「助けてください」
それでも。この期に及んでなお、それは言う。口々に口にする。嫌悪で目尻に浮かんだそれを、必死にこすり拭った。
戦闘の終りが近い。央輝はそれを感じていた。サーバントは最早、満身創痍といって相違ない姿を晒している。全身が傷だらけ。人間であれば致命傷であろうそれらが随所に刻まれている。それでもなお立っているのは、やはりヒトとは違うものである故か。
しかし、そんな化物でも限界が近いのだろう。動きは目に見えて鈍っているし、ふらついている。姿が姿だけに、良心の咎めるものでもあった。その口がなければだが。
「助けてください」
それでも、それは言う。涙を流しているようにただ願い請う。本当に流しているわけではないけれど。嘘だからか、とうに枯れ果ててしまったからか。
「助けてください」
「もういい……とりあえず、その口を閉じろ!」
ややヒステリックであるとも感じながら、叫ばずにはいられなかった。歪なそれが、ひどく拗じ曲がったもののように思えたのだ。
●囁きヘルプ
ひとつになろう。さあ、助けあおう。
サーバントの動きが止まった。誰もそれを、異常なことだとは感じない。当然だ。ここまで傷をつけて、ここまで攻撃して。なお立っていることこそ異常であるのだ。それもここまで。もう立ち回る力は残っていまい。そう感じて武器を下げる撃退士達。それでも、警戒心から距離を詰めることはしなかったが。だが、敵意は感じられなくなっていた。限界を振り切っているのだろう。止めをと、誰かが得物に再び力を込める。と。せき止められていたものが決壊したかのように。禍々しさは溢れ、飛び出した。
「助けてください助けてください助けてください助けて助けて助けてもう嫌だ助けて誰か助けて私を助けて助けて助けてどうして助けて誰か誰か私を助けて嗚呼助けてください信じてください助けてください助けて助けて助けて助けて」
思わず耳を塞いだ。全ての口が、全ての声帯を震わせて。助けを助けを助けを助けを請うている。乞うている。やがて。
それもぴたりとやんだ。顔を上げれば、それは倒れていて。今にも塵に帰るところであった。
了。