●砂漠で落とした胡麻
「伝わらない愛情を総して自己満足と呼ぶ」
「伝わる愛情ってなんですか?」
感情の共有性。常識や風土、しいては人間らしさと言い換えてもいいが、つまりはそういうもの。これは、容貌面を均一とした上で人間が仲間意識を持ちうる最大の譲歩点だ。これが違えば仲間ではない。これが違えば同じではない。これが違えば、人間ではない。例えどれだけそうふるまっていても、根本が別のものなのだと。そういうものなのだと結論付けるだろう。
「…………愛が重い?」
魔女の呼び出しと聞いて、多少は警戒していたのだが。なんとも、別の意味でらしい仕事だと、レイラ(
ja0365)は胸中で頷いた。悪魔らしい。皮肉めいている。少なくとも、共通認識としてそう思える相手。件の彼女が、生前どのようであったかは知る由もない。そして、彼女のためとしてやれることもないのだろう。ならば人間側として為すだけだ。この悲しみを終わらせるために、その妄執を断つとしよう。
傷ついてはいけないから。何者からも、守ってやらねばならないから。そんな愛情。そんな愛情。リチャード エドワーズ(
ja0951)には認められない。認めるわけにはいかなかった。傷つくのは恐ろしい。それは、そうなのだろう。欠損は生命の減少だ。減るものだから、減って失われるものだから。それは恐ろしい。しかし、傷を負おうと、負うからこそ、出来る事もあるだろう。
「黙ってみていては……私の道が貫けないのでね」
「Sっけのあるディアボロですか……最悪極まりないですねえ」
その過剰な庇護欲が、加虐精神に因るものかは不確かな所ではあったけれど。エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)の抱いた感想は、そういうところだった。過剰な。過剰で、異常な庇護欲。保護欲。守りたい。守りたい。守ってやらねばならない。その為に、それが傷ついたって構いやしない。ちぎれ飛んだって構いやしない。想像して、思わず自分の首を抑えていた。
「何とも哀れな輩じゃのぅ……」
愛情。その言葉に、ザラーム・シャムス・カダル(
ja7518)は敏感だ。愛されなかったと思うから、愛して欲しかったと飢えていたから。心が沈めば沈むほど、その対象は自分へと切り替わっていく。与えられなかった自分。欲しかった自分。だから、奪おうとした自分。もしかしたら、与えようとしたかもしれない自分。想像して、気持ちが悪くて。奥歯を強く、噛み締めていた。痛いほどに。
「うっわ、ぐろ。痛い愛とかちょっと勘弁して欲しいわ」
伝えられた前情報に、牧野 一倫(
ja8516)は露骨な嫌悪感を示していた。否、当然の事なのだろう。伝わらない愛は悲しいが、受けとりたくない愛は邪魔でしか無い。愛。愛。愛だそうだ。なんて、なんて、薄気味悪いものなのだろう。背筋に変なものが走るかのようだ。理解できない。分からない。そんなもの、入れこむ必要もないだろうに。ただ、肩をすくめていた。
「善意とやらもここまで来るとただの害悪だな。下劣な存在め。見ているだけで虫唾が走る」
下劣、と。不動神 武尊(
jb2605)はそれを一刀の言葉で切り捨てる。天使である彼らからすれば、珍しくない思想、観念であるのかもしれないが。彼のそれは、少なくとも選民思想的なものではない。どれもこれも、数列的な線引においては同じ事だ。同じように、マイナスであるのだ。それでもその感情は、加虐を憎むものなればこそ。
「ディアボロって感情があるのかなぁ」
ソーニャ(
jb2649)の疑問に答えるとすれば、不感ということはないのだろう。笑い、泣き、猛るのだろう。一見、人間と何も変わらないものもあれば、他者には理解できない異常な執着を見せるものもある。だがそれが、生来のものであるかはわからない。作り変えられたものであるのかもしれないし、増長させられただけかもしれない。それでも。不気味で、恐ろしくても。何か、気にかかる。
人間への執着。聞き取れはしないが、話しかけているような仕草。動作。前情報として与えられたそれに、ルーノ(
jb2812)は興味を抱いていた。愛情。保護欲。庇護欲。そういうものなのだと、あの魔女はくだらなそうに言っていた。否、面白そうに言っていたのだろうか。常識。一般的。そういった大衆性から大きく外れた行動。その理由。それが気になっている。これを同情に過ぎないのだと、どこかで自分を見下ろしながら。
かくして日は沈む。日常は非日常へと浸かっていく。足場が急に崩壊するかのような唐突感。それを、甘美とも恐怖とも知りながら。それでも彼らは目的へと歩を進めていく。
この非日常に、誰かが泣いて壊されていく。
そんなものを、認める訳にはいかないのだから。
●現住所不明の古い友人
「欲しいものは手に入らない」
「満足しているから手を差し伸べる」
夜闇に佇むそれを、ハンドライトの明かりが照らしだした。
女、女だ。黒い髪が、暗がりに溶けている。扇情的な衣装は、平時であれば気恥ずかしさを覚えただろうが、このおかしな夜にはどこか奇妙に正確な凹凸にも思えた。
口を開く。慈愛に満ちた笑顔で、それは語りかける。
ぎちぎちぎちぎち。ぎちぎちぎちぎち。
虫のような、ノイズ。
気持ち悪い。興味よりも嫌悪感が先立って。武器を抜く。相入れず、相容れない。だから。
だから。戦いは始まっていた。
●打倒北京原人
「好き、大好き」
「大好き、愛してる」
エイルズレトラの初手、怪女の前で堂々と名乗りをあげた彼の思惑通り。ディアボロの注意は彼の方に向いていた。
「セクシーなレディに求めてもらえるなんて光栄の極みですね。あなたが僕のタイプでないのが残念ですが」
言葉が通じるのか、通じないのか。分かりはしないが。自分に向けられたそれを逸らさせぬよう、全身全霊を込めて道化を演じてみせる。
こちらに向かうアガペスト。距離を取ることはできぬと知りながら、後へ飛ぶ。仲間のいない方へ。その背を刃に晒させる為と。
肩を掴まれて、抱きしめられた。優しい包容。だが、次の瞬間には目に映るそれが一転していた。変容、ではない。移動。見れば大きく距離を離され、自分は重い籠の中。
「おやおや、今まであれだけ求めてくれたのに、自分のものになった瞬間にポイですか……悪いひとだ」
内心の安堵。だが、風に乗ったノイズが、焦りを生む。
「もう苦しむ姿を見たくないのよ」と、聞こえた気がしたのだ。
このディアボロにとって、檻は愛情の形だとでも言うのだろうか。そこにそれがないのなら、迷うこと無く包み込もうとする。ふたつ。生み出そうとする。
狙いが自分と知り、逃亡を試みたソーニャ。しかし逃れきれる距離ではなく、息もつかぬ間に後ろから抱きしめられていた。
それは優しい。それは暖かい。だからこそ、酷い圧迫感を伴って、檻のようだと感じた時には真実、その中に自分が居た。
距離が離れているせいか、戦闘の喧騒はどこか別の出来事にも思えてしまう。閉塞感。辛い。怖い。鳥籠が、怖い。
押し込められているという束縛感。籠の鳥。自分を閉じ込め、苦しめるだけの。檻。そう感じてしまう。対話とは常に相手の感受性に委ねられるものだ。それこそが常識なのだろう。一般的と言われるもの。そこにチャンネルが合わないのであれば、ただの自己陶酔。
違うのだ。根本から。違うのだ。そう感じる。これも主観的なものだと知りながら、理解とは、その押し付け合いであるのだから。
一見、攻撃とは思えないような行動を取るディアボロ。その背後から、レイラは思い切り切りつけた。真後ろからのクリティカル。敵の注意が他の仲間にいっていたからこそできた芸当である。
悲鳴は上がらない。痛覚がないのか、そもそもそういうふうにはできていないのか。刀傷でぱっくりと開いた奥の、肌と変わらない色をした内側の肉は、僅かに吐き気を擽った。
反撃はない。それを、己の技が成果だと確信する。ならば気を逃すわけはなく、ただただ切りつけた。切って、切って、切って、ずたずたにした。
ささくれだった傷跡。血の一滴も流れず、内臓の色もしていない内側のそれ。本当に威力が通っているのだろうか。不安になるなと自分に言い聞かせる。
生死の制限から解き放たれた化物など存在しない。同じだ。誰だって、殺せば死ぬ。だから、不信を振り払うかのように、握りを強めていた。
「愛と自惚れの区別すらつかない哀れな獣……もう 、お還りなさい」
夜の槍が飛来し、アガペストの身体を貫いた。
ぐらり、と。わずかに傾いたその動作を、リチャードは確認していない。その前に、物陰へと姿を隠していた。
余裕はない。以前の任務で負った怪我はまだ癒えていない。本来ならば養生しなければならないはずの我が身。無理を承知で戦地へと足を踏み入れて入るものの、我が身を省みず、というわけにもいかなかった。
ずきずきと、痛む身体。だが、それを受けて確信する。最前線にさえ出なければ、自分は十分に戦えるだろうと。最も、それは万全の戦力とは言えないのだから、弱冠の不安もありはしたが。
用心に越したことはない。今先ほどのそれでは自分の位置がばれてやしないのだと自惚れてはいなかった。
移動する。攻撃してからこちら、敵の挙動など視界に入れてもいない。結論から言えば、それは正解だったのだろう。敵へのダメージから慢心することもなく、それを受けて一層慈しみに微笑んだ、凶相を見ずに済んだのだから。
「……わらわが皆を全力で護ってやろう」
檻から救出された仲間を、ザラームの癒光が優しく包む。切断。破壊。そう言った段階にまで達していないことを確認し、安堵する。完全に失われたものを、治すことなどできないのだから。
檻を壊されたことへの不平だろうか。ディアボロが口を開く。ぎちぎちぎち。ぎちぎちぎちぎち。大きな甲殻虫が羽ばたいているかのようなノイズ。音。音。音。耳障りで、気色の悪い。
「なんじゃ、何を言っておるのかわらわにはトント分からぬが……何とも虚ろな言葉じゃのぉ。与えることでも奪う事でもないわい……分かち合う喜びも知らぬモノが、愛などと軽々しく口にするでないわ!」
それに、反論があったわけでもなかろうが。目前に移動したディアボロ。それに、抱きすくめられていた。
一瞬、反応が遅れたのは攻撃の意思が見えなかったせいだろうか。自分を閉じ込める檻。
「何じゃ……こんなモノが貴様の愛か。浅いのぅ……強さを感じぬ」
銃声。銃声。銃声。人気の無い街に、悪音が響く。平時であれば騒ぎに発展しようものだが、そのあたりは下準備の良さに舌を巻くしか無い。
味方が抱擁されるのを確認するや否や、一倫は周囲へと視線を走らせる。前触れ無く出現した檻を見つけ、そちらへと駆けた。
膂力、という面ではさほど脅威でないこの相手であはあるが。こと、檻に関しては放置すれば厄介なものであった。問題点は、集約してひとつ。一撃では破壊できない。それにある。
つまりひとりでは脱出が困難であるのだ。加えて強制的な一時離脱。なるほど、厄介な能力だ。もっと上位の悪魔が持っていれば、嗚呼、面倒なことになっただろう。
檻への射撃。内外からの攻撃には耐え切れず、即席の鳥籠は崩壊する。急いで踵を返し、何故か魔女の顔が頭に浮かんだ。
「よくはわからんけど、一般的って言葉を外してしまえば、異常なんて言葉もあやふやになるな。線引きは大多数の意見によって為っているだけなんだし」
空中から射撃を続けていた武尊であったが。ふと、己の使い魔が動きを見せていないことに気がついた。
戦闘開始となる際、確かに命令を下しておいたはずではあるのだが。どうにも、停止しているようだ。外部からの干渉も考えたが、事前情報として敵にその類の能力は無いはずだ。ではどうしてと考えて、思い至った結論に嘆息した。
ようは、複数の命令に硬直してしまったのだろう。独自判断できるほどの知性はないということか。
だが、如何に優勢であるとはいえ、現状からこちらで逐次判断している余裕はない。武尊は得物を剣へと切り替えると、星の引力に任せるまま、怪女の下へと降下した。
GM/RRに身を委ねた渾身の一撃。それは敵の腕を切り飛ばし、人体としての完全性を失わせる。
確かな手応え。敵の陥落も目前だろうと確信し、この場を上へと離脱する。ヒットアンドアウェイ。正面から切り結ぶつもりはない。
すれ違いざまに見えた微笑みが、嫌悪感を引き立たせた。
前線で戦う味方を回復させながら、ルーノは注意深く敵を観察する。
もう少しだ、と思う。思うというより、確信めいている。身体のあちこちに穴を開け、刀傷を広げ、片腕まで失ったヒトガタ。人間の形。これでまだ万全だと判断できる何かがあるのなら、正真正銘の化物だ。自分達ではとても手に負えやしないだろう。
最早、美麗であると表現された要素はなにひとつ残っていない。ずたずたの、ぼろぼろ。あるとすればひとつ、この期に及んでまだ形を崩さない慈愛溢れた微笑みであろうが。この場においてはもう、気味の悪さ以外の何物でもない。
洋弓を引き絞る。ここまでくればもう、治癒よりも攻撃手を増やすほうが効果的だろう。矢先に光が灯る。逃亡を試みるかは知らないが、どうであろうとここで仕留めるしか選択肢はないのだ。
これ以外に、彼女を。彼女になってしまった誰かを、救う手立てなど持ち合わせていないのだから。
「……もう、眠れ」
●昨日から本気を出したかった
「気持ちはわかるが」
「気持ちがわるい」
ぼとりと、残された腕が落ちた。
続いて膝が崩れ、その場にへたり込むアガペスト。
決着、である。自分の形を維持することも叶わないのだろう。このまま、何もせずとも消滅するだろう。
嗚呼、だというのに。この悪魔が手先の顔からは、未だ死への恐怖など微塵にも見受けられない。何を持ってすればここまでに。何を持ってすればこれほどに、異常になるのだろう。異常と鳴るのだろう。
ぎちぎちぎち。ぎちぎちぎちぎち。
虫の羽みたいな声。最早両眼球も溶け落ちて、口以外の相貌を失わせながら。それでも囁く。きっとあれは、愛を囁いている。
それが気持ち悪くて、堪えられなくて、夢に出そうで。誰かがではなく、誰ともなしに。その首を、跳ね飛ばしていた。
了。