●考え事の副産物として生まれる最低の思いつき
辛いものが好き。誰はばかること無く、胸を張って応えよう。今日はカレー。漬物代わりに唐辛子、七味をふりかけて完成だ。舌鼓をする。嗚呼、辛いことは素晴らしい。
冬である。否応がなく年は暮れ、肌寒さは痛みに変わる。そんな季節。気を抜くと心の芯まで冷えかねないこの流れに、逆らうならば。やはりというかなんというか、温かい食事がものをいうのだろう。
見た目が大熊猫であれ、中身は人間である。下妻笹緒(
ja0544)と言えど、冬には鍋という情緒は勿論持ち合わせていた。
「ただの鍋で無いところもまた良し」
そうだ。普通の鍋ではない。普通の闇鍋ですらない。阿鼻叫喚の灼熱鍋。だが、それが良い。この飽食の時代に、味としての優劣を超えた何かがそこにあるのかもしれない。全ては挑戦。それでしか見えない先がある。
「なればこそ始めよう、辛味の極致、赤き鍋の祭典を」
桐村 灯子(
ja8321)は悩む。
「私甘党なのに……」
嗚呼、地獄の未来しか見えない。しかし、それだけ辛いというものへの関心もあるということだ。それを理解しているだけ、コンセプトには携われるのかもしれない。苦み渋みはなかろうし。
「激辛限定の闇鍋パーティたぁ、洒落た事を考えるじゃねーか」
テト・シュタイナー(
ja9202)がにやりと笑う。辛い。甘い。それらは共存しつつもやはり極端ではあるものだ。それ故に、それを好む側からすればこの上なく楽しみな時間と言えた。
「正に、俺様のような人間の為のイベント!」
しかし好むが故の不安も見受けられる。彼女が手にしたその大きなトランクはなんだろう。
「全力で楽しませて貰うとするぜ?」
「鍋だ〜! 闇鍋だ〜!」
一条 朝陽(
jb0294)が底抜けの明るさを見せる。
「辛いモノかぁ〜、これは地獄鍋かな〜!」
しかしそれは、そうしなければしかたがないというような空虚さにも感じられて。
「……多分普通の味覚の人はこの場にいないんだよね、きっと」
気を抜けば、押し込めていたそれが漏れ出していた。辛い。辛い。その味自体は好きなのだが、過剰なものを甘受できる程得てとはしていない。それこそ、辛いのだから。
「鍋食べるというから瀬戸物でも食べるのかと思ったぞ」
不破 怠惰(
jb2507)から人間社会での常識のなさが伺える。それならば、丼ものも同じジャンルになってしまうだろう。しかし、面倒がりの彼女が興味を示す当たりは珍しいことでもあるのかもしれない。これも、趣味が高じたひとつの結果だろうか。
「うむうむ、人界勉強にて参加だ。人の子の食べ物を学習したいと思ってな」
残念ながら、これが一般的な食物とは言いがたい。
「やみなべ? ってなんだろ? おなべの変異体?」
レイティア(
jb2693)が首を傾げてみせた。じゃあホイル焼きには何が入っているんだろう。なんか同じ事言ったなさっきも。だが、主旨の説明は受けている。ようは辛いものだ。それを集めて、煮込んで、食べるのだろう。なんだ、簡単じゃないか。もう一度言っておこう。簡単じゃないか。
「辛いものは激辛カレーなら食べた事あるけどあれくらいなら問題なし!」
ここまでフラグな。
デジャブをもう一度。ニグレット(
jb3052)が不思議そうにしている。
「やみなべ……やみなべって何だ? ……鍋を食べるのか。君は凄いな」
じゃあ鉄板焼きは……否、やめておこう。三度も似たようなことを言うわけにはいくまい。しかしなんだ、ないのか。天魔の世界には具材よりも先に器具名が来る系の料理は一切ないというのか。
首を捻る彼女らを不思議そうに横目でみやりながら、火村が口を開いた。
「ん、あつまったわね。それじゃあ、始めましょう」
楽しそうに。楽しそうに。それじゃあ、地獄を始めよう。
●どこまでいっても赤い赤い赤い彼女
別に、甘いものが嫌いなわけではない。というより、好き嫌いなどそこまでありはしないのだ。否、この言い方、ではなく言葉そのものに語弊があるか。そのあたり、奇妙な言葉ではある。昔の某は、好悪をわけることをそんなにも嫌ったのだろうか。
それなあに、と聞いてみれば。「鍋の出汁よ」と彼女は答えた。
その答えは率直極まりないもので、比喩だとかそういったものに置き換えられはしないはずだったが。はじめは、その意図を掴みかねた。
だって鍋の中身が、真っ赤だったから。
トマトのような色、とでも形容すれば甘味を想像できるかもしれないが。こと火村飛鳥という人物においてそのような期待は淡くも抱くべきではない。
果肉のそれではなく、粘泥のような赤である。
キルソース。そうラベリングされた瓶をひとつ空にすると、彼女は鍋に火をかけ。電灯のリモコンに手を伸ばした。
「揃ったわね、それじゃあ始めましょう」
確認を取りはせず、開始される。
消灯。
●辛い 痛い ヤバイ←今ココ
尊敬する人物。ウィルバー・スコヴィル。
「そうだ、罰ゲームを決めよう」
そんな、封都にでも旅行こうかというくらいの気軽さで提案したのは笹緒である。
「持ち込んだ具の内容が被ったら、特性の辛ジュースを飲まなければならない」
つまるところ、辛いものひとつにつけても独自性を求めねばならぬということだ。
ぐつぐつ煮えたぎる鍋の中に、暗くて見えはしないが赤いであろう出汁の中にパンダが肉をひとつ、投入する。
ジャークチキン。ジャークシーズニングを染み込ませた鶏肉は、本来鍋に入れるものではないのだが。今回の主旨が主旨だ。仕方があるまい。
無論、これにも理由はあるのだ。辛いと言われて思い浮かべるほとんどは、香辛料の類であろう。そうなれば、鍋物のメインと言える肉や魚類が不足するのではないか。そう危惧した上での選択である。
「大人の辛さで、闇鍋を華麗に演出したいところ。誰が何と言おうと鍋の主役は肉と魚。こればかりは譲れん」
このパンダ。主食は笹ではないようだ。
「……このくらいでしょうか」
エナ(
ja3058)が紙コップ7杯分に及ぶ一味を投入した。無論、周囲にはその姿が見えていない。それでも、この暗闇で気配ぐらいはわかるわけで。
「少し入れ過ぎましたね……主に勿体ないの意味で」
どさり。どさり。投入されていく大量の香辛料。皆口には出さないが、何をどれだけ入れているのかと気が気ではない。
「前菜代わりです……」
大量のハバネロパウダーがぶちこまれていく。何を言っているのかわからねえと思うが以下略。その後も。
「これは中菜で……」
とか。
「メインにしましょう……」
とか言いながら次々に放りこまれていく。嗚呼、せめて固形物であれ。祈りは届かない。全てが全て、調味料である。
ハバネロ。胡椒。茄子の辛子漬け。激辛麻婆春雨。
灯子は、自分でもそのままでは食せやしないだろうそれらを鍋に放り込んでいく。その顔に躊躇いはない。嗚呼、死なば諸共。やけっぱちの精神であった。
ところで、彼女にとってこの暗闇はあまり意味をなさない。僅かな光源でもあれば十二分に周囲を見通せる彼女にとって、ここは電灯の下も同然であるからだ。
だが、才能が良いものだけを授けてくれるとは限らない。鍋の中身。見えているだけに。嗚呼。
灯子の目は、段々と死んだ魚のように沈んでいった。
「厳選されたマイスパイスを持ち込んでこそ、真の激辛党ってヤツよ。OK?」
テトの主張に、鍋を囲んだ闇の奥で飛鳥が感心の表情を見せた。きっと、辛党にしかわからない常識があったのだろう。
かと言って、単に辛味だけを求めているわけではないようだ。単純に辛いだけのものは元より、一般的な調理にも使えそうな風味深いタイプの香辛料も取り出し、並べていく。
しかし、それらを鍋に入れる様子はない。どうやら、個々人の好みに合わせた味付けをと、メイン具材とは別に持ち込んだもののようだった。既に味付けでどうこうできるレベルではなくなっているのはこの際置いておこう。
その後に取り出したタッパー。それこそが食材なのだろう。そこに詰め込まれたひとつひとつをテトは出汁に漬けていく。
「闇鍋つっても、食える事が前提って話だからな。俺様の好物の中から、鍋に使えそうなものをチョイスしてきたぜ」
せめても食感は味わえそうだと、何人かが胸を撫で下ろした。
朝陽が持ち込んだものは、少し堅めの餅である。無論、ただの餅ではない。京都産のジョロキアペーストを練りこんだものだ。
「辛さは控えめで食べやすいらしいよ」
あくまで辛党の基準で、である。
「ちょっと反則気味かな〜、大丈夫だよね〜?」
朝陽が何を入れたのかは当然、一部を除いて見えはしない。ただ『反則』という言葉に嫌な予感を募らせるばかりだ。
ぽちゃぽちゃと音を立てて投入されていく。その数は9。各人にひとつづつ、という配慮なのだろう。暗闇では分からないが、そのここのつの中にひとつだけ、あからさま色の違うものがあった。
有り体に言うと、赤い。他より明らかに色濃く赤い。見えない中で鍋をかき回し、そのひとつを口にする。ならば、誰かひとりはこの色違いを口にしなければならない。つまるところはロシアンお餅。運がなければ辛味が待っている。いや、他のも調味料ブレンドでえげつないけれど。
「……この顏ぶれなら大丈夫だよね〜」
怠惰が自分の帽子から取り出した「30倍! 激辛カレーパン」と銘打たれたそれを鍋に放る。
「うん、そこの購買で買った」
物臭な彼女は、基本的に半径100メートル程度しか移動できないのだと豪語する。
「此処まで来るのも一苦労、長い長い旅路だった」
目と鼻の先である学校敷地内。冗談かと思え、彼女の顔は真剣そのものである。
「あと、鍋は出汁を吸うものが旨いと聞いた」
だから、と続くのだろうか。いや、きっと続くのだろう。だから、カレーパンをぶちこんだのだと。
「随分奇怪な様相だな。これは本当に、料理なのか?」
見えないとはいえ、視覚以外の情報は伝わってくるものだ。鼻を刺す刺激臭。人間の世界における料理の数々。その多彩さにはまだ見知らぬものもあるのだろうが、これをそこに加えていいものかどうか。
「なに、少々辛いとはいえ食べられるものなのだろう? 大丈夫大丈夫……」
悪魔も不安になる。そんな激辛闇鍋。あなたの味覚破壊、プライスレス。
「煮えたぎる〜♪ ちの〜いけじごく〜♪ って、感じだね☆ いやそれ以上かな……蒸気が目に痛いー」
けして天使が口にしてはいけないような詞を歌いながら、レイティアは初めて見る闇鍋なるものへの期待に目を輝かせている。
「どうせなら辛くて美味しいものがいいよねー♪ 投下投下ー♪」
沈み込んでいくチキン。最早赤を通り越して黒くすらある。ハバネロ好きだなお前ら。
どこかのお店で売っていたものだと彼女は言うが、きっと一般的なものではないのだろう。後で口にした飛鳥が、まず店名を尋ねた程なのだから。当然、関心の態度で。
「……火村君ーこれってどうやって使うの?」
「それって……見えないけど、お箸のこと? だったら―――」
「突き刺せばいいのかな……てやっ!」
何故目を瞑って……否、暗闇の中では些細な違いか。しかしそこはレイティアである。誤射の代名詞たる彼女にかかれば。
このとおりだ。どのとおりだって、以下のように。
誰かの悲鳴が上がった。
何となく響きが格好いい。
そんな感じでニグレットが選んできたものは、鷹の爪だった。気持ちは非常によく分かる。あれだ、いいよな。ブラックタイガーとかさ。
「大丈夫だ、齧ったら辛かった。 スーパーにずらっと並んでいたが、世界の鷹は大丈夫なのか?」
いやそれ赤唐辛子ですおねえさん。確かに最近画像検索してもほとんど某珍集団しか出てこないけど。
しかし、これだけでは具とは言えまいと、チョリソーなるものも持ち込んだ。普通のソーセージだと思って、痛い目を見たのは最近の記憶である。
「別に酒のつまみにしようとして買って失敗したとかそういうことはないぞ……本当だぞ?」
いざ投入。その段階になってはたと気づく。その刺激臭。美味への予感とはまた別に、生唾が口の中で溢れてくるそれ。見えないが、きっと赤いのだろう。赤くて赤くて赤いのだろう。
「……ひょっとして、私はとんでもないところに来てしまったのかもしれない」
●手を合わせ、感謝をして、ご馳走様でした
何が言いたいかと言われれば。
辛味は素晴らしいという一言に尽きるわけで。
いざ、実食。
ずんぐりむっくりした毛皮ハンドで持って、器用に箸を使いそれを口に運んでいく。
「ほう、これはなかなか……なか…なか……」
明かりのない中でまず、パンダが死んだ。
「美味しいですよ……? 皆さんも早く食べましょう♪」
それを、悪魔の囁きと取ったとして、何の非があろう。しかしエナはそれらを涼しい顔で平らげていく。
「普通、ですね……」
「んー……ちっと辛さが足りねーな」
そんな馬鹿な。
しかし、電気を灯せば真っ赤であろうそれらにも、エナ、テト、飛鳥の三名は平然そのものだ。
「ん、これはちと中華っぽいか?ラー油でも足してみるか」
足す。その言葉に仲間達が目を剥いた。
「赤毛の魔女が〜」
「お願いだからあのオレンジと足さないで……」
飛鳥から非難の視線を受けつつも、朝陽が復活し、また鍋へと果敢に立ち向かっていく。まだまだ口の中は辛いが、箸を置くわけにもいくまい。
「これは……うむ、なんだろうなぁ……」
怠惰の眠気は他人よりも訪れが早い。既にまどろみの中に居る彼女は、それもあれもと鍋の中身にパクついていく。だが次第に、辛味は脳へと辿り着き。盛大な早鐘を掻き鳴らした。
のけぞり、もんどりうって、涙を流しながら。転がった器。零れた出汁。それを水文字に、ダイイングメッセージを残して、怠惰は意識を閉ざしていった。
『ひむら』
「なんでよ……」
「ひゃ、ひゃらい! 凄くひゃらい!!? ひゃにこれ!? ひゅいふぇいき!?」
辛い。凄く辛い。なにこれ。∨兵器?
天使にも通じるのだから、案外そのカテゴリなのかもしれない。あくまで冗談であるため、実戦に導入されないよう気をつけられたし。
それでも、にこにこと笑顔を維持しているあたり、レイティアも根性があるものだ。
汗は滝のように流れ、涙はだばだば流れていたが。
天使の対称は、やはり悪魔なのだろう。ニグレットは口にするまで何であるかもわからないそれらを、平気な顔で食べていた。
辛いもの、それへの耐性があるということだろう。しかし、物事には限度がある。
顔には赤みが差し、次第に汗で濡れていく。だくだく、だくだくだくだくと。あ、むせた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせた飛鳥に、全員が倣う。
「とても美味しかったわ。またやりましょうね」
半分は、頷かなかったとか。
了。