●便宜的クライムクリーム
最初は、ただ綺麗になりたいだけだった。最初は、ただ綺麗になりたいだけだった。無垢でありたかった。純真でありたかった。清廉でありたかった。潔癖でありたかった。そうだ。ただ、そうありたかっただけなのだ。
火炎。火炎。それは生命を殺すものだ。それは生命を生かすものだ。危険な隣人であり、暖かな武器だ。文明の利器であり、全知の破壊者だ。何もかもを燃やし尽くすほどに魅了し、何もかもを包み込むほどに食らうだろう。火炎。火炎。夜に。この寒空に。このどこかに。それがあがっているのだろう。まだ、見えないけれど。見つけてはいないけれど。どこかに。
そろそろ、冬に向けた上着のひとつでも用意するべきだろうか。鳳 覚羅(
ja0562)が地に足をつけ、一息吸い込んだあとのそれは。存外に白かった。夜の、町。それは、本来活動性の死んだ場所だ。夜明けの羽化を前に眠る場所だ。それを燃やす。火炎は燃やし尽くす。まだ目に届かないどこかで、それは何かを燃やして回るのだろう。回って、いるのだろう。
「やれやれ、火遊びはいけないと教えられなかったのかい……お穣ちゃん?」
それの身体は、半分が炎で出来ているらしい。右か、左か。上か、下か。出会ってみなければわからないけれど、見つけてみなければ答えられないけれど。雨野 挫斬(
ja0919)はそこに興味があった。炎と、生身。物質も透過するそれを生身というのかはわからないけれど。その間は。繋ぎ目は。どうなっているのだろう。うち曲がって、ぶち捩れて。津津と。等々と。思いを馳せる。そうだ、
「解体して調べてみよっと!」
火。炎。焔。それを、恐ろしいと感じるのは正常な心だ。そうして。それに、魅入られるのもまた正常の心持ちである。怖いとは、恐ろしいとは。ヒトを惹きつけるのである。沙 月子(
ja1773)も例外ではあるまい。半身炎上のディアボロ。何もかもを火付け、燃やすのだろう。想像するだけで、背中を嫌なものが走る感覚。鳥肌が立つ。身を震わせ、その感触に。笑みが零れた。それは、精神を支える苦肉などではけしてなく。
「火の用心、ですね。心して臨みましょう」
牧野 穂鳥(
ja2029)のいうそれは、元来の意味とは多少異なるものだ。これから向かう先にあるものは、燃え上がる惨状への予測などではなく。既に猛り盛る煉牙の群であるのだから。とうについたものを、広めぬように。油を注がぬように。土を被せ、泥を着せるために行くのだから。火の用心。火の、用心。災の感染らぬように。厄の流行らぬように。そういう意味での、火の用心。
綺麗好き、だそうだ。綺麗にしたいのだそうだ。綺麗にしたいから、燃やすのだそうだ。燃やし尽くすのだそうだ。考えの足りぬことだと、高峰 彩香(
ja5000)は思う。
「燃やした後は炭や灰で汚れるようになる、なんてことも浮かばなさそうなのにこれ以上好き勝手させる訳にはね」
それらをまさか、美しいと形容するわけでもあるまいし。それはともかくとして、この行為を消毒と形容してしまいそうになるのは、趣味に毒されているだろうか。
汚い。汚い。汚らしいと、エリアス・K・フェンツル(
ja8792)は悪態づく。瓦礫に、燃えカス、煤だらけ。燃やしてしまえば、それらが生まれ残るのもわかるだろうに。美しいというのは、綺麗だというのは。調和の中にこそあるべきだ。自分だけ、己以外。そんなエゴイズム、見苦しくて。醜くて。観るに堪えない。個体の行き過ぎた独自性。均衡の和を乱す。ならば、排されるのも道理だろう。さ、火遊びの時間はお終いだ。
火災。それを実際に目の当たりにしたことがなくても。それを知識で、映像で、文献で。知らないものは非常に稀であるだろう。アレクシア・V・アイゼンブルク(
jb0913)にしても同様だ。彼女が過去、実際にその体験を得ていたかどうかは。記し手としては知り得ていない。だが、わかっている。それが非情のものであることを理解している。だから、護らねばならない。誰かが住まい、笑い、帰るべきここを。護らねばならないのだ。
消防署。そう呼ばれている特殊施設。その壁に触れて何秒か後、ラグナ・グラウシード(
ja3538)は皆の方を振り向いた。火災を起こすのだ起こしているのだと聴いている以上、それに関する装備でもあればとの考えで立ち寄ったのだが。やはりというべきか、空き巣に入れるような隙間を用意してくれている筈もなかったのだ。強行的に行くにも、これ以上は時間がない。こうしている間にも、あの潔癖症は感染して回っているのだから。
頷いて、それぞれが動き出す。それぞれの役割を果たすために。能力のある者としての責務を全うするために。
●意識的トリノトリニクル
ある時、洗うという言葉と燃やすという言葉が逆転した。どうしてそうなったのだろう。何もかも燃やし尽くしてしまわなければならないという衝動に駆られたのだ。汚物は醜く、埃は悍ましく、塵は恐ろしかった。どうしてだろう。どうして、燃やしてしまわねばならないのだと感じたのだろう。
物理的な法則として、火の手は上にあがるものなのだから。高いところから捜索しようという考えに間違いはなかったのだろう。例え高低移動でのロスがあるにせよ、闇雲に探して回るよりは遥かに効率が良い。
その成果もあってか、赤い赤いそれはすぐに見つかった。アレクシアは地図上の位置を味方に連絡すると、仲間と共にそこへと走る。横に並ぶのは四人。残りの半分は、作戦のために準備をしてくれている。彼らの元まで敵を引きつけ、地形的・戦闘プラン的に有利な展開へと運ぶのだ。
ちりちりと、季節に似合わない熱が照りつけるようになってきた。予想の通り、角を曲がったその先では。少女の形をした人間ではないものが、恍惚の表情で燐と踊っている。
●極地的センスセンテンス
人間は汚い。生命は汚い。存在は汚い。世界は汚い。狂った今でさえ理解できる、成り立たない論法。それを、正しいと思う自分がいる。そうでなくてはと考える自分がいる。それに疑問を思う度、心は潰されていく。濁されていく。失われていく。
「はっ、貴様の汚らわしい炎など……私の輝きにはかなうまいッ!」
それを、その少女の姿をした何かを。見つけるや否や、ラグナは目前にてポーズを決めた。
巫山戯ているわけではない。これは彼の持つ能力である。妙に注目を浴びる姿勢。異様に嫌悪感の際立つ表情。纏う空気。それらが総合し、この放火魔の視線を惹きつけるのだ。だが。
熱い。熱い。近づいただけで容赦なく奪われる体力。最早この身を炙る程に猛る業火は、作戦のために近づいたラグナ自身を容赦なく焼き付けた。
そして、伸ばされる腕。てのひら。咄嗟に身を捩るも、交わせるような距離ではない。掴まれて、押し倒されて、覆いかぶさられて。
熱い。熱い。距離が近づくほどに感じるそれは、熱気で済まされるものではない。叩きつけられる火炎を纏った拳。肉の焼ける嫌な臭い。叫んだ。叫んだ。熱い。熱い。熱い熱い熱い痛い。
打ち付けられる度に正気を失いそうなほどの激痛が走る。意識が飛ぶまで。何度も、何度も。
二度の銃声。彩香の意志で作り上げられた銃弾が、ディアボロの半身。炎のそれを突き抜けた。こちらを振り向く放火魔。ダメージはないようだ。二度、三度と撃ちこむが、功を奏した様子はない。燃え盛るそれが、照準を狂わせるのだ。
酷い陽炎。景色が歪んで、禄に姿を見れもしない。視線が再び倒れた仲間の方を向く。焦燥感。焦燥感。用意した水風船を投げつけようかとも思うが、この炎勢では焼け石に水を注いだ結果にもならないだろう。
何度引鉄を絞ったか。仲間の悲鳴を聞こえなくなった頃。ようやっと、ディアボロの動きがぐらついた。当たった、のだろう。視認できるほど鮮明ではない。これだけ撃ってやっと。そんな思いが拭い去れない。
だが、それでも銃幕を下ろすわけにはいかないのだ。苛立ちを感じながらも、銃弾を吐き続けた。
景色が歪む。その顔が、笑ったように見えて。馬鹿にされたように見えて。歯がゆさが加速する。錯覚かもしれないとはわかっている。それでも。
アレクシアの槍が、虚しく空を突く。牽制目的のそれではあったのだが、熱気に歪み、捉えづらいこの相手。加えて、本力で貫くつもりのないこの一撃が当たるはずもなく。
熱気に思わず目を伏せた。得物ひとつぶんの距離はとっているはずだが、熱い。悲鳴をあげる程ではないのだが、それも距離を詰められれば関係のない話だった。
両の頬を、掌に包まれる。この熱さでは冷たいとすら感じる人肌のそれと。剣山を脳に押し付けたかのような激痛と。綯い交ぜになって、襲いかかる。顎骨が外れるのではないかというくらいに、口を開いて絶叫していた。
炎を直接その身に押し付けられるという未知の体験。不知の苦痛。照らされているのではなく、炙られているのでもなく。丸焼きにされているのだという実感。
痛みが思考を掻き乱す。掻き回す。ぐちゃぐちゃにされている。ぷつりと、何かが切れて。ようやっと駆けつけた仲間の声も、彼女には届いていなかった。
嫌な予感しか、しなかった。何時まで経っても現れない味方。敵影。誘導に失敗したのだとすれば、その惨状や如何程か。一刻も早く、その思いで現場に辿り着いた挫斬らは、迷うこと無く手にした消化器を吹き付けていた。
陽炎で、火炎で。禄に敵の姿など見えやしない。だが、多方向から吹きつけられる消化霧であれば、関係がない。当たりづらいという概念では、不可避というシステムを覆すことなど出来ない。
「ボーボー燃えてると解体できないでしょ! ちょっと落ち着きなさい!」
物騒な言葉を当てられながら、火の手は緩む。和らいでいく。感じ取れる激情。だが、それこそがこちらの狙いであった。
「アハハハ! アナタの血は炎と同じ真っ赤で綺麗ね!」
近づいて、斬り裂いた。斬り裂くことができた。最早揺らぐほどの陽炎は鳴りを潜め、彼女の刀身は商之女姿をしたそれを立てに引き裂いていた。
見えるのは憤怒の表情。だが応えるは狂気の沙汰。相反し、殺し合いは加速する。
月子の呼んだ無数の長針が、ディアボロの身体に突き刺さる。見た目に反し、痛みを、傷を負わせることを目的にした攻撃ではない。
狙いは上々。敵もすぐにその異変に気づいたようだ。針は罪人を大地に繋ぎ止め、その自由を許さない。
「何かを燃やす。それ自体は罪でなくても、他人のものを燃やす行為は古くから大罪とされてきました。火付けは極刑……覚悟はよろしくて?」
人体を縫い止めるほどに大きな針の群。だが、もう一度呼び出したそれらは、前の物とは毛色が違っている。そこには、明確な殺意の意志が見て取れた。
「私、ヒトガタの方が殺る気、出るんですよね。これも『燃える』って言うんでしょうか?」
その大多数は幻であるのだが、この状況。例えひとつであれ逃げられるものではない。
「私が、突き落として、落として、踏みにじって、穢して、貶めて、イジメつくしてさしあげます」
そこに張り付いているのもまた、笑みだ。笑っている。殺しあいながら、笑っている。
火傷を負った仲間の顔に、穂鳥は保冷剤を当てていた。目を覚ます気配はない。よしんば、意識を取り戻したとして。この傷では、戦線への復帰など不可能だろう。せめて、痕が残らなければ良いと思うばかりだ。
手当をしてばかりもいられない。消化器の残量には未だ余裕がある。敵自身と、周辺の火災に向けて噴霧した。
例え攻撃性を増そうと、当たらず、近づけぬほうが恐ろしい。そう判断してのものなのだろう。抑えこまれた火力の中ではあの異常な鎧も十全には発揮できないようだった。
それにより、凶暴となっていることは否めない。だが、その程度は覚悟の上だ。半端にどっちつかずを続けるほうが、問題である。こうしていれば少なくとも、二面性を絞った上で全力を注いでいける。
無差別の攻撃。故に、距離を取っていても矛先はこちらにも向いてくる。視線。殺意。恐ろしく早い。来るであろう衝撃に歯を食い縛りながら、魔を唱え。自らを守る盾を作り出していた。
束縛から解き放たれ、再び放火行動へと思考を傾けたディアボロへと、エリアスの光弾が放たれる。
「はいはい、暴れないの。ちょっと頭冷やそうか?」
口調は高圧的だが、敵を過小評価しているわけではないのだろう。その攻撃に身を晒しては危険と判断したか、一定以上の距離を取ることには注力していた。放れて、射放つ。魔術者としてのオーソドックスな姿勢と言える。
燃え盛るそれの時ほどよりは回避性能が落ちているものの、人間外としての強靭さはなおも健在である。本当のところは、魔弾を操り、死角の内でも狙いたいところではあるのだが。しかしながら、それを見定める策を用意してはいなかった。
風の刃を放つ。当たりはしなかったが、それでいい。斬り裂くことが目的ではない。それの役目は遂行している。思惑通り、生み出したそれは風の流れを作り、火の手が燃え広がらぬように手を加えていた。
「きみは獲物。狩場に飛び込んだきみに、逃げ場なんて無いんだ」
はじめ、何をされたのか分からなかった。
覚羅は、気づけば空を見上げていた。否、見上げさせられていたのだ。炎の明るみのせいか、晴れているはずが星のひとつも見えない夜。一瞬の呆け。その直後に、地獄が手招いていた。
痛覚の信号に身を捩る。思わず胸を抑え、その痛みでまた転がっていた。胸骨を、砕かれたのだ。その事実を客観的に感じ取れたのは、実際の戦闘よりも後のことである。
それでも、彼とて戦闘者。痛みは継続しても、地べたに這いずり回ってばかりはいられない。呼吸ごとに痛みを感じながらも、身を起こす。震える己は自然と、自らに課した決意を吐き出していた。
「我が身体は鋼……我が心は刃……我、天を断ち魔を斬る剣也……その歪んだ感情ごと―――」
再撃。見えたのは、憤怒の表情。有象無象のすべてを、汚いものだと信じてやまない嫌悪の色だ。痛みは堪えれても、精神で立つには限度が過ぎていて。覚羅はその顔を最後の敵影として、意識を闇に閉じた。
●壊滅的ラックライラック
誰が。どうして。こんな。
「―――逃げて!!」
覚羅が倒れたのと同時、誰かが叫んだ。総合での戦力低下。戦いを続けて行くには、限界が訪れたのである。
対応は早い。ひとりが消火霧をぶちまけ、それを煙幕とし。残りが意識のない仲間を抱えあげた。敵は早い。間違いなく、自分達よりも遥かに。それでも走れ、走れ。誰も死にたくなければ走っていけ。
気がつけば、追ってきてはいなかった。殺戮よりも、火災を選んだのだろうか。苦い思いを噛み締めながら、灰と化すであろう町をあとにした。
了。