●心情吐又決意所寄表明
少々ばかり、食い過ぎたのか。その日の理性はほんの少しだけ長かったので、いつもより多くの思考に耽ることができた。今現状への憂いはない。思い起こすのであれば、全ては生い立ちに過ぎないのだ。家族と、友人と、環境と。それから。
過ごしやすくもなった昼間の気温から下り、少々肌寒さも感じる頃。そこには明るみがなく、太陽がなく、活性がなく、生命がなく、源がない。それだ。それをこそ夜というのだ。誰はばかること無く、何度となく断言し、宣言し、甘言してきたものだが。これのそれの何も、間違いがない。間違いがなく、間違いがない。悲劇とは、夜に起こるものなのだ。
人食い。人食いなのだそうだ。人食。捕食者。人類の天敵。それでも、それだとしても、女の子。少女の姿をしているのだと、瑠璃堂 藍(
ja0632)は聞き及んでいた。自分達と何も変わらない。少なくとも、見た目のうち。外見容姿風貌だけは自分達と何も、変わらない。それに向けて、そんなものに向けて。自分は刃を振り下ろせるのだろうか。やや冷気も孕んだ風は、心の迷いに答えてなどくれない。それどころか、助長もさせるだろう。
人食い。人食い。人食い。チープな表現だが、うわ言のように。ジェーン・ドゥ(
ja1442)はその独白を繰り返した。人食い。人を、食うのだそうだ。ふいと腕を上げて、眺めてみる。二の腕、肘、手首、掌、指先。自分のものだ。それ以上は感じない。これを食べて、美味しいのだろうか。口に含みたいとは思わない。これも、作り変えられたということなのだろうか。ああでも、しかし。そういった思考。嗜好。心当たりがなくもない。
そんなに何か食べたいっていうなら大食い選手権にでも行けば良いのに。真に飢えたらそんなことしてる余裕もないだろうに、鈴原 りりな(
ja4696)の感想はどこか現実離れしていた。なに、それを行ったとすれば、皿の上として並び運ばれるのは人と人と人の群なのだろうが。だってそれは人食い。人を食うから、そう呼ばれているのだから。だから、だから。そうなってしまわないように。ここできちんと壊してあげなければ、ならないのだと。
人食いとか。ディアボロとか。被害とか。人里の中だとか。早急の案件だとか。そんなことよりも、鴉(
ja6331)には気にかかることがあった。それは人間の形をしているらしい。中身はどうか知らないが、わかりもしないのだが、少なくとも外見は人間のそれ。少女。女性のものなのだと伝えられていた。見上げた空。闇夜。深く、深く。月も星も見えない位ばかりの夜。思い起こされるひとつの顔。声。それと、引鉄の感触。
ニオ・ハスラー(
ja9093)は嘆く。自分にではない。罪のない民草に向けてでもない。それは正しく、これより打倒すべき件のディアボロへと向けられていた。人食い。人を食べるから。人しか食べられないから。人食い。人を食べなければ生きていけないのだから、人食い。なんと、なんと悲しいのだろう。あろうことか、人間しか口にすることが出来ないのだとは。涙もしよう。嘆きもしよう。嗚呼、甘いものが食べられないだなんて。そこかよ。
空腹。空虚。何もない。その状態。焦燥と後悔に駆られ、胸を掻き毟りたい衝動。求めても、求めても、求めても求めても解決しない。失われていく感覚だけが、間隔だけが。助長し、増幅し、蹂躙していく。他から取り入れる以外に、取り込んでしまう以外に。それを解決する手段などないのだ。それに望み敵う瞬間などないのだ。だから、鍋島 鼎(
jb0949)は思う。それが例え人を食う行為でも、満たされるなら。羨ましいのかもしれないと。
肌寒いそれが、衣服の隙間を縫い撫でていく。少しだけ身を竦ませながら、蒼瀬 透(
jb0954)は己の得物を入念に確認していた。誰かを守る仕事をしたい。そう思い、引き受けたのがこれだ。人を食い、腹に収め、更なる悪意へと進化する天魔。ディアボロ。それの討伐は、それの打倒の生業は。人を守る仕事と成りうるだろう。なれば、自分は。せめて足手まといにならぬよう努力するまでだ。視線は闇の奥。敵の居うるその先へ。
物見 岳士(
ja0823)が準備を終えたことで、撃退士達は互いに頷きあった。吸い込む息、喉に冷たい風。それでも、吐き出したそれが白く濁る程ではない。虫の声はなく。遠くにわずか、人のざわめきが聞こえていた。前情報に記された通り、まだ人がいるのだろう。願わくば、そのどれかが。悲鳴ではないことだけを祈って。祈る。祈って。誰にだろう。天も魔も悍ましいのに。わからないまま、不要なまま。彼らは夜へと、足を踏み入れた。
●準備時々遭遇所寄死中
自分のことを、未だに人間だと錯覚しているほど愚かではない。自分は最早、ヒトとカテゴリされるそれからは遠く離れ、離れ、かけ離れたものだ。ではなんなのだと問われても回答することは出来ないのだが。嗚呼、勘違いされても困る。わからないのではない。それまで意識が続かないのだ。
ツーマンセル。二人一組。四班構成。住宅地、と一言にしてもその範囲は個人で探索できるものとして困難に過ぎる。不可能ではないのだろうが、早急を求められる今において寄り添い固まり歩くなど時間の無駄でしかなかった。だからこうして、チームをわけてそれに当たるようにしたわけで。
公的機関や管理組合への協力要請を考えなくもなかったのだが、お役所仕事のそれとでも言おうか。間に合いそうにはない。避難を促すまでに食いつくされてしまうだろう。諦める他なかったのだ。
ならば、見つけて。見つけ出して。誰も口にされない内に、討ち滅ぼしてしまうしかないだろう。元より、その為に出向いてきたのだから。
夜闇。夜闇。しんしんと。透き通る空気に。銃声。響き渡る余韻。それの方へと振り向く前に、足は自然と動き出していた。連絡はまだない。奇襲でも受けたのだろうか。嫌な予感だけが、脳裏で囁いていた。
●決戦且血沸肉踊所寄間
こうなった経緯。そういうものを思い出すことはできない。単に失われているだけか。それともその部位が組み替えられているのか。それを思い出さないように作られたのか。バブルヘッド。考えても仕方のないことだ。集団意識。倫理観。そういった神を鞍替えさせられただけに過ぎない。
少女の姿をしているのなら、何を持って敵と断言すれば良いのだろう。それは時により移ろうだろうが、今回に関して言えば。匂いであった。こちらのそれではない。相手のそれだ。生肉を、食って食って食って食ってそのままの悪臭。鼻を突く臭い。それを感じた瞬間、鴉は見つけたそれに向けて銃弾を撃ち込んでいた。
不意打ち、だったのだろう。確かと命中した鉛弾。痛む素振り。だが、次の刹那には目前へと近づいていた。
見目に反した膂力。剥き出しの牙。顎が閉じられる瞬間、咄嗟に手にした銃を噛ませていた。だが、それで留められるわけもなく。力のままに押し倒される。コンクリートに打ち付けられた背に走る衝撃。だが、痛みは肩に感じていた。噛み付かれ。引き千切られ。今や怪物の口腔にあるそれの元から感じていた。
理解と共に激痛。頭部への衝撃。そのまま、深い底へ。心臓の音を聞きながら。
鴉が倒れたのと。藍ら他の仲間達がそこへようやく辿り着いたのと。致命にならず、という点においては絶妙と言わざるを得ない。敵対の意志を感じ取ったそれが、刈り取ることよりも姿勢を戻すことを選んだのだから。
「八人。武器。殺意。うん、まあこういうのが来るだろうと予測はしていたのだけれど」
遅かったくらいだ。とも、測ってはいないのだけれど、とも。それは言う。人間。人間だ。人間の姿をしている。それでも何故だろう。どうして、こんなにも違うのだと確信させるのだろう。
口についた血に目が行くが。きっと、その口ぶりのせいだ。人間ではない。人間ではないのだと。自分がではなく、この化け物自身が自覚している。そのせいなのだろう。同じ姿でありながら、こんなにも遠く感じてしまうのは。
「人の姿をしてるから、傷つけるのが辛いとか怖いとか……そんなこと言っていられないのね……」
ディアボロが言葉を止めたと同時に、透は手にした自動小銃を横薙ぎに撃ち込んでいた。横薙ぎの弾幕。幸いにして、周囲に人影は見当たらない。ある程度は広範囲に攻撃しても、被害は無機物だけに収まるだろう。
直接撃ちこむよりも、移動の先や頭上を狙って吐き出している。足手まといにならないように。そう思考する彼だからこその攻撃手段だろう。元来砲弾であるはずの後衛攻撃。それが逆に、接近して戦う仲間を援護するそれとなっている。
だが、有効だ。先程から感じている獣の気配。獣性。銃声。飢えによる凶気を孕んだ野生の意志。食欲。ならばこれが正しい。これで正しい。このまま何もさせなければ、衰弱していくのだと知っているから。飢えは、この化け物にとっての飢えは、自分達よりも遥かに生命を削り取るのだと知っているから。
これ以上、誰も食わせない。食わせやしない。鉛のカーテンが、獣を阻む。
人食いの俊敏性。それを見るや否や、岳士は武器を持ち替え、横薙ぎに弾幕を張る。正しい判断である。自分より速度の勝る相手であれば、己のそれを容易く避けられるのであれば。そうはできない攻撃を行えばいい。幕での裂波は、単一線であるそれよりも確かに網となる。
狙うは腰よりも下だ。それが少なくとも人間ではない以上、有効部位を狙うことは難しいが。それでも生物であるのだから、その形であるのだから。移動は足を使ってのものだろう。素早いのならば、捉えられぬのであれば。それを削ぐ動きもまた対抗打として効果的である。
その攻撃に、理性が消えていても鬱陶しいと感じたのだろうか。獣の視線が自分へと向けられたのがわかる。血塗れの口元。殺意。それに圧されてなお、引鉄を緩めることはない。
「血塗れの接吻なんて、趣味じゃありません」
食欲では、ロマンティズムに遠すぎる。
りりなの放った衝撃波が、人食いの怪物に叩きつけられた。ディアボロがよろけ、蹈鞴を踏む。怪力であるはずのそれが、人のそれを遥かに上回る膂力を持つはずのそれが。やはり、弱まってきているのだろう。食えないこと。満たされないこと。それらは確かにこの天敵を蝕んでいた。
それでも、油断の許される相手ではない。気を抜けば食われてしまうだろう。人間、ひとり。万が一にそれだけ食われてしまえば、全てが水の泡だ。いずれは手の付けられないものに成り果ててしまうだろう。
「私がキミを壊すのと、キミが私を食べるの、どっちが先か競い合ってみようか! あはははっ!」
狂乱。狂咲。戦狂いを見せつけておきながら、りりなの動きは冷静なものだ。白兵の距離に密接しながら、その食欲を警戒している。苛烈を。もっともっと苛烈を。食われる前に、叩き潰せ。
「私なんて食べても美味しくないかもよ!」
盾。シールド。ガードナー。ニオの役割はそれだ。身を呈して仲間を庇い、アタッカーの持続性に貢献する。だが、この場合。今回のような場合において。それは敵をも助長させるひとつとなっていた。庇うことは受けることであり、延長上。食わせることにもなるのだから。
首に痛み。血が流れているのは、触らなくてもわかる。持っていかれたのだろう。幸い、動脈を裂かれてはいないようだ。この分であれば、癒してしまうことができる。
「小さき精霊達よ回復の力を……」
だが、前にいながら。最前線にいながら。最も危険な立ち位置にいながら。癒し手も兼ねるにはあまりに危険過ぎた。食は怪物に強靭を差し伸べ、次の一撃は重く。重く。癒しきれるものではなくなっていく。
衝撃。堪え切れない痛みが腹へ。脂汗をかきながら。急ぎ、顔を上げた目前には。少女の口と、血の匂い。自分の一部が、噛み千切られる音。
人食いの脚に巻きつけ、行動を阻害していた糸を。ジェーンは解き、手元へと戻す。必要がなくなったのではない。寧ろその真逆。抑えきれなくなったのである。仲間を食したそれはさらに戦闘としての性能を向上させ、押さえつけていられるものではなくなっていた。
それでも、失った生命を取り戻すものではない。確かに衰弱し、打倒の底が見え始めていた。だが、それはこちらも同じ事。ふたり、倒れているのだから。
化物。人を食らう、化物。肉体はおろか、精神性も。最早ヒトのそれではないのだろう。幸いなことだ。幸いなことだとジェーンは断定する。そうなってしまったのならば、そうなってしまわなえば壊れてしまうのだから。自分のように。自分が見て取れるように。
自前のものか、他介のものか。その内心構造。後者であれば、それは酷く妬ましい。
「ええ、ええ、だから、愛おしいから、その首を刎ねてしまおう」
口腔に、発破。ヒトであれば顔面を失っていたであろう小爆発。それに怯んだ隙をついて、鼎はディアボロから距離を取っていた。もしも。もしも噛み付かれていたら。食われてしまっていたらと思うとぞっとする。
倒れた仲間。すぐにでも処置を施したいところではあるのだが。ひとつ欠けた状態を、見逃してくれるほど甘い相手ではない。幸い、即座に生命の危機を感じるレベルではないようだ。これを下し、急ぎ医療機関に駆け込めば。問題はないだろう。
そう、下す。下してしまう。下してしまおう。息は荒く、肩は上下し、それでも薄れない獣性。手負いの獣。瀕死の獣。それでも逃げないのは、それでも身を翻さないのは。食わねば死ぬという、短絡的な本能によるものだろう。
それでも少女。見た目は少女。ヒトの姿をしたそれ。頬は痩け、ふらついたその姿。次の攻防が。終りとなるだろう。生み出した炎弾が、獣を焼いた。
●晴天繰返晴天所寄々々
それで結局、私をこうしたのは誰だったのだろう。
獣が、前のめりに倒れた。
荒い呼吸。焦点の定まらない瞳。自重すら支えきれない四肢。瀕死を通り越して、致死。誰にでもわかる。それを見さえすればわかる。これが死に伏すということなのだと、否が応にでも思い知らされる。
そこに人間らしさはない。人間らしき死は存在しない。過去を憂い、笑い、はにかむような。人間らしい死がそこには存在しない。当然だ。人食いは、人食いとして死ぬのだから。獣性の沼に頭まで浸かり、空腹と食欲で濁りきった脳を動かして死ぬのだから。
だから。だから。それは最後まで人食いだった。人類の敵であった。僅かにも人間らしさの残滓など見せず、微かにも人間らしさの錦糸など見せず。それはそれのまま。それはそれとして。人間の敵だから。人間に滅ぼされたのだ。
嗚呼、お腹が空いた。
了。