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「攻撃を受ける訳にはいかないようだね。ちょっとばかり慎重に行こうか」
胞子が足元を重く漂っている。どの程度足をとられるか自ら確認しながら、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が呟くと、その声は森の奥まで響くようだった。
南條 侑(
jb9620)の溜息がその声の残響に重なる。
「このサーバントを作った奴、撃退士の心理的な弱点を突いてきたな……撃退士をよく観察してるよな。そこだけは感心する」
迷惑極まりないけどな、と声に力が篭った。
足場の悪さを考え、先に空から偵察に出ていた義覚(
jb9924)と両儀・煉(
jb8828)がそこへ舞い戻る。
舞い戻る、という表現に相応しい華踏を使った義覚の足元には花弁の如き燐光が漂い、煉も普段は不可視の翼を音もなく畳んだ。
「どうだった? ええと……」
ヴォルガ(
jb3968)の声に煉が答える。
「両儀・煉っていいます。よろしく。木々で視界が遮られましたが……」
敵の配置、それに周囲の地形から救助成功の場合即座に避難させられる場所の見当をつけ、宙に指で地図を書いて説明する。どうでしょう、と手分けしていた義覚に親しさのこもる声を向けると、義覚も頷いた。被害者の位置をそれに補足する。
「敵は、今は大人しいようだ。こっそり近付いていく方がいいだろうね……此方が引き付けようか」
「なら、誘き出す方向はこっちだね」
空中の地図にソフィアが付け加え、撃退士たちは頷き合う。
「童を取るは、親の怒りを買うと良い……」
子を持つ身の葵(
jc0003)は気分悪げに呟く。親は今どんな気持ちか。
ヴィオレタ=アステール(
jb7602)もまた母の立場であり、味方を守り、早急な被害者の保護への決意を胸中に宿す――子供を守るのが母の務め、たとえその子が自分の子でなくても。味方を守るのがあたしの役目、誰も傷つけさせない、と。
現場へ向かって慎重に歩き出しながら、じゃあ、と侑が作戦を再確認する。遠距離攻撃班が敵の気を引くべく遠距離攻撃。その間に近接・救助班が被害者を救助。ゲイリーに子供達を任せて、後は敵を攻撃、という流れだ。
「やれやれ……撃退士も捕まっているのかい? それは、大変だ……」
苦笑しながら、義覚は胞子をかき分けるように歩く椿鬼(
jc0093)を抱き上げる。
「虫に生えるきのこ、とうちゅうかそう……」
父の腕に抱かれながら、椿鬼はよく似た菌類を思い出した。図鑑では薬になると書いてあったけど、天魔はどうなのかと小首を傾げてみる。
「トウチュウカソウ、か……」
葵の息に胞子が踊った。
●
クモは禍々しいその姿を晒し、尊大に森の奥へ居座っていた。
動く度、軋む様な音が響く。
「随分と可愛いじゃないか。ペットにしてみたいものだな……ああ、うちはペット禁止だったっけか……」
ヴォルガが肩をすくめる。彼を含む救出班は、気配を殺し、クモに接近しつつあった。
ヴィオレタは注意を払いつつ、椿鬼をヴォルガとの間にかばう。
ぴくり、とクモが動いた。空気が張り詰める。
気付かれたか。
「は。こっちだよ、木偶の坊」
その瞬間、声と共にクモの側頭部に向かって矢が放たれた。潜行によって気配を殺し、射程ぎりぎりに潜んで様子を見ていた煉の攻撃だ。クモは完全に泡を食って、煉に射るような殺意を向ける。印象づけは完璧のようだ。
更にそこへ敵の気を引くべく、ソフィアが銃弾を撃ち込む。
「救助の邪魔をさせる訳にはね。こっちに来てもらうよ」
要救助者から引き離そうとじりじりと後退する。
煉は再び翼を広げ、植物のツルの射程を観察して、ソフィアと共に十分な距離をとって、挑発を繰り返した。
届きそうな攻撃は義覚が凧型の盾で弾く。
足元は再び燐光を纏って空を踏みしめ、振り回されたツルを軽やかに避けるが、糸を警戒して背後に回らぬよう注意する。
救助が終わるまで引き付けねばならない。しかし、負傷してはならない。
防衛意識の手綱を再びしっかりと握り直し、侑は胡蝶扇を金緑の光と共に具現する。
その間にヴォルガは剣の腹を盾代わりにすべく構えながら、身を低くして死角に入り、早急に救出すべく被害者に接近した。その頭上を闇雲に振り回されたツルが時折掠めひやりとする。
まだ十分にクモとの距離は開いていないようだ。
侑の胡蝶扇が炎を纏い、救助班に届きそうなツルを叩き落す。そのまま意識を逸らすべく積極的にクモから生えた大木に攻撃を加える。
クモは布地を裂くような声を上げ、侑に向かって顎を開いた。攻撃は可能な限り避けたいと、防衛意識を高めていた侑は何とか第一撃をかわしたが、同時に複数のツルに襲い掛かられ、やむを得ず乾坤網を展開する。避ければ、誰が誤爆を食らうかわからない。
「やれやれ、どこまであやつの手中じゃ、面倒じゃのう……」
そこで盾で防御の姿勢をとっていた葵が防御を手助けした。風が濡烏の髪を揺らし、蝶を模る燐光が葵の傍らに舞う。
すかさず、ソフィアがそこへ援護射撃を撃ち込む。救助を終えるまでは攻撃を受けないことが優先だ。
だが、よほど大木部分に攻撃されたのが頭にきたかなおも侑に迫るクモに、葵は清廉のリングに持ち替える。
「そうか、なれば此方も……」
鞭のように踊るツルに狙いを定めた。
だが、ツルは無数に繰り出される。植物本体を叩くのが先か。透明な玉をクモから生える大木に撃ち込んだ。
クモは怒りのまま遠距離攻撃班を追う。
その隙に、救助班が動いた。
敵の注意が逸れている間に、一気に行動に出る。
椿鬼は斧を構えると、被害者たちを捕らえた植物の蕾部分をまず一つずつ切り飛ばした。ぐったりとした子供の一人が僅かに顔を上げる。
「目、閉じてて……だいじょうぶ」
小さく頷いてやると、泣き腫らした子供の目が安堵に揺れた。
ヴォルガが剣で植物から被害者を取り込んだ部分を切り出すと、ヴィオレタが繊維質に変貌したクモの糸だったものを引き剥がす。煉が空から確認した胞子から離れて一旦身を隠せそうな場所へ、ヴィオレタは盾を出して救助した子を素早く運んだ。途中、ツルが掠りそうになるが、余計な注意を引かないように攻撃はしない。
次に救助した子供は腕に裂傷を負い、衰弱が激しい。取り込まれている部分も多く、椿鬼が石火で根元から醜悪な植物を切り倒してから、ヴォルガが救助する形となった。
椿鬼が支えて連れ出そうとするのを、いつの間にかクモの視界を外れて傍に立っていた母の葵が引き受ける。報告にあった子だろう。急ぎ、ヴィオレタに追いつく。
「すまぬ、そなたの癒しを必要とする者がおる……!」
ヴィオレタははっとして頷いた。母たちは子供を岩陰に隠す。
「大丈夫、大丈夫よ……安心して、ね?」
痛みに泣く子を落ち着かせるように光を送り、応急処置をする。瞳に宿る不安を飛ばすように、ヴィオレタは微笑んだ。
「誰もやらせないわ、これでもお母さんなんだから」
そこへ最後の子とゲイリーを連れ、椿鬼とヴォルガが退避を試みる。
しかし、獲物を奪われたことにようやく気付いたクモが巨体に似合わぬ素早さで彼らの方へ向きを変えようとした。
胞子の沼の動き難さでは攻撃が間に合わない、とソフィアは飛翔し、バレルロールして胞子を一瞬振り払いながら、クモに接近する。何が何でも注意を向けさせようと、攻撃を撃ち込んだ。
その間に侑もヴォルガと椿鬼に駆け寄り、ゲイリーたちを避難させる。
彼らと敵の間に入るようにして救助班が離れるのを見届けていた煉が、仲間たちに救助完了の声を上げた。そのまま立ちふさがるようにクロスボウを構える。
疲れきった様子ですまない、と声を漏らすゲイリーの肩を侑が叩いた。子供たちの護衛はゲイリーに踏ん張ってもらう、と作戦を遂行すべく告げる。――我ながらオニだなと思うけどな、と内心呟くが、ゲイリーははっとして力強く頷いた。
ヴィオレタの指示を受け、ゲイリーは子供たちを連れ、あるいは抱えて、胞子の沼から遠ざかっていく。
それを見送ると、ヴィオレタはスキルをレイジングアタックに入れ替え、キッとクモを睨んだ。
●
「さても卑劣なる者よ、もう手加減はいるまい……?」
葵の声が静かに注がれる。
クモは奇妙な声を上げながら、撃退士たちに殺意の目を向けた。
ソフィアがIl Tuono di Soleを放つ。振りかぶったツルが焼き落とされるが、すぐにまた別のツルが伸びてくる。近接攻撃に武器を持ち替えたヴィオレタが、幹に向かってレイジングアタックの効果を得た攻撃を仕掛けた。
「くたばりなさい!!」
僅かに幹に傷がつく。
「母は負けない、くじけない、諦めない、お前なんかに負けられない!」
クモは憎々しげに牙を剥き出しにする。椿鬼は盾を構え、念のため攻撃を受けないように努めた。仲間の間を沼に足をとられながら飛び回る。このような天魔がいる以上、救助しても絶対の安心ではない、というように。
義覚が鎖鞭に持ち替えて、死角から攻撃を仕掛ける。畳み掛けるようにヴォルガが一瞬で逆側へ回り込み、闇を纏わせた剣でツルをまとめて切り落とした。
すると、クモは逃げようとでもいうかのように方向を変える。はっと気付き、ヴォルガは身をかわした。彼の警戒が一瞬勝り、糸がさっきまでヴォルガのいた位置に吐き出される。だが、逃げた先で更に背後からツルを振るわれた。
「そなた……卑劣に頭は回るようじゃな」
葵が透明の玉の攻撃を盾として、ツルを弾いて軌道をぎりぎりで逸らす。その間に再び斧に持ち替えた椿鬼が、葵に弾かれたツルを切り落とす。
侑がまた糸を吐かれては面倒と、クモの糸を吐き出す尻に扇を投げた。動き回るクモに、扇は微かにだけ腹部後端を掠めると、持ち主の手に戻る。
怒りを露にして目に入った椿鬼に突進して来たクモの動きを冷静に見極め、椿鬼は横に避けて更にクモの足に斧を振り下ろした。
だが、クモはまるで意に介さぬ様子で、かさかさと残った足で移動を図る。
「植物は……伐採、かな」
クモから突き出した植物の根に、足と同じように狙いを定める。
武器を鞭に持ち替え、正面から攻撃を仕掛けた煉は、次の瞬間クモの響き渡るような悲鳴を聞いた。根を切られたクモがのたうちまわっている。やはり植物部分を攻撃すべきなのか。
一瞬逡巡しているうちに、苦しんだクモが四方八方にツルを振り回す。
「キミ!! 危ない!!」
ヴィオレタが声を上げ、煉ははっとして射程距離外へ逃れる。しかし、注意を促した数秒の隙に、クモは緑色の糸をヴィオレタに放った。避けきれず、足をとられる。
「くっ……このくらいなんってことない……」
幸い侑に攻撃を受けていたためか糸の量は少なく、成長も早くない。糸の攻撃に気を配っていた葵が素早くヴィオレタの元へ走り、義覚もそれに続く。
「悪いが、木になる趣味はなくてね……」
俺にも仲間にも、と義覚は糸を切り開き、ヴィオレタの救出を急ぐ。だが、体を引きずりながらも、嘲笑うかのようにクモはツルをそこへ振り下ろした。
救出作業を守るべく葵が盾でそれを受ける。
ところが、鞭のように振るうのみだったツルを、苦し紛れかここに来てサーバントは葵に巻きつけ宙に締め上げた。
「……悪い子だね」
愛する妻への攻撃に、義覚の角が僅かに節くれだつ。
炎で槍を作り出すと、義覚は一瞬の躊躇いもなくクモの眉間にそれを叩き込んだ。クモから憎悪を催す色の体液がこぼれ、クモはひっきりなしの叫び声を上げる。
「葵さん!」
煉が葵を助けようと駆け寄る。受け止めようとした瞬間、別のツルが頬を掠め、煉の眼鏡を吹き飛ばした。
一秒の沈黙。煉はゆっくりと笑いを浮かべた。
「……そんなに死にたきゃ、殺してやるよ!」
その表情は先程までの温厚な少年ではない。葵を助けると、そのまま鞭で鋭利に空気を裂き、クモの足をもぐ。
義覚もまた怒りを湛え、鉄槌を構える。
「……俺にも許せない事というのがあってね……!」
全力の殴打を加えた。
クモに知能があればここで気付いただろうか。もう一つ、恨みをもった気配がすぐ傍まで来ていたことに。
「はは様を傷つけた……絶対、ゆるさない……!」
椿鬼の攻撃が植物とクモの結合部に向かって石火で一閃する。深い切れ目が見てとれた。
なおもしぶとく向かってくるツルは侑が胡蝶扇で叩き落し、そこで一気にヴォルガが一刀両断で渾身の一撃を上段から振り下ろす。
もはやぴくりとも動かないクモが、別の意思が働いているかのように糸を吐く胴体だけをぐぐぐと不自然に持ち上げようとする。
「これ以上撒き散らされたりする前に、倒させてもらおうか」
敵の注意の外にいたソフィアが一気に飛び上がり、I Frammenti di Soleを使用する。太陽のような眩しさの欠片が降り注ぎ、大爆発を起こす。
クモも植物もまとめて、爆風に包まれた。
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幸い、味方に負傷者は出ずに事は済んだ。
それを確認すると、ヴィオレタは被害者たちの元へ向かった。子供たちはゲイリーに伴われ、森の入り口まで何とか辿り着いたところのようだった。
他に救出すべき捕らえられた人がいないかは、葵が調べているところだ。だがゲイリーの話から考えても恐らく、全てやり遂げたのだろう。
やっと胞子の沼を逃れてやってきた椿鬼が子供たちに近付き、怖がらせないように顔を覗きこんでそっと頭を撫でる。
「がんばった、ね……偉い、偉い」
不安に強張った表情が落ち着いていく。
「おうち、かえろ?」
花が咲くように、椿鬼の周りの空気が和らいだ。
そんな椿鬼の頭を今度は煉が撫でる。前線で依頼をやり遂げた椿鬼を労わるように。いつの間にか眼鏡をかけ直しており、先程の様子が嘘のように優しく微笑んだ。
義覚は椿鬼と煉の無事を確認し、追いついてきた葵に怪我がないかも確かめる。
「愛し君に、傷が付くなんて耐えられないからね……」
けれど、葵はそっけなく義覚の手を逃れる。
義覚を無視して、娘である椿鬼の怪我を確認しながら抱き上げた。
「さて、屋敷に帰り湯でもかかろうぞ?」
だが、目の端では夫の無事を確認した。
「はは様と……おふろ」
椿鬼は小さく微笑む。
「君も無事かい?」
義覚は残された煉に声をかけた。煉が頷くと、愛しげに目を細める。
「……そう、強い子だね」
森に大量に残された胞子の処理は、ソフィアとヴォルガが請け負った。
ヴォルガが探究心から事前に問い合わせたところ、今回のサーバントの胞子には火がある程度有効だろうという。時間はかかるが、それで処理するしかないようだ。
残されたサーバントの死骸を見つめ、ヴォルガはそれを切り刻んだ。死んだふりでもされていてはかなわない。特に冬虫夏草のような厄介なものは、どこが終わりかわからないのだから。
粉々になったクモと植物の残骸を目を落とし、ぽつり呟く。
「ペット……欲しかったのだがな……」
どこか寂しそうな横顔を、ソフィアはきょとんと見つめていた。