●甘い香り漂う廊下
「よく似合っているよ、後で皆で記念写真を撮りたいくらいだ」
ギルバート・ローウェル(
ja9012)がくすりと笑う。彼の視線の先には、白熊の着ぐるみパジャマを着た藤井 雪彦(
jb4731)と、ジェリオ・ランヴェルセ(
jb9111)、同じく羊のパジャマを着た緋流 美咲(
jb8394)の姿。そして、ギルバート自身も、余った方でいいよ、どちらも変わらず可愛いものだからね、と言って、もこもこの羊パジャマに身を包んでいた。
「皆、来てくれて本当にありがとう!」
悲壮な顔で何度も頭を下げる白彦に、ジェリオが肩を竦める。
「しょうがないなあ、今日のおやつ代わりに引き受けてあげるよ」
急ぎの依頼に集まってくれた彼らに白彦は感謝しかない。しかも、着ぐるみパジャマで正体を隠して、二人ずつ来てくれ、だなんて。二枚ずつあるので、最初の二組はすでに着替えてくれている。
でも、仕方ない。そうでもしないと、作り続けられるチョコレート菓子に対抗出来そうな気がしないのだ。
もっとも、最終組に自ら志願した里条 楓奈(
jb4066)などは、小窓から中の様子を見つめて、首を振った。
「この程度の量で音を上げるとはな……やれやれ、だ。まぁ、そのお陰で甘味を堪能できるんだがな」
楓奈とペアで参加の紅織 史(
jb5575)が、そんな最愛の人の様子を見て微笑む。
「ふふ、楓が嬉しそうで私も嬉しくなるよ」
「史と一緒に山のような甘味を堪能できるとはな……至福の時だな」
二人の雰囲気は甘いが、廊下に漂う甘い香りも尋常じゃない。まるでお菓子の国だ。
食事を抜いてきた伊達 時詠(
ja5246)も、持参した胃薬とラッパのマークのアレを握り締め、婚約者の藍沢 葵(
ja5059)を心配そうに見つめた。
同じく食事を抜いている美咲が白彦を励ます。
「会話が噛み合うようにフォローして下さい。あと、無理になったらこっそり私にチョコを渡して下さいね」
そろそろ行かなくては。
こうして甘い甘い聖戦(「セント」バレンタインデイだ。まさに聖戦じゃないか?)が始まった――。
●アイスとオペラ
――白井白彦……なんだろう? 名前的にも親近感湧いちゃうな〜☆それに女の子の為に頑張ってるところがいい!
全力で力になるっすよ♪と、一組目の雪彦は席についた。共に戦うは神の子羊――ならぬ、本日は羊パジャマのギルバートだ。曰く、甘味に関しては底なしの鉄の胃袋とのこと。
テーブルの上できらきら輝くは魅惑のドルチェ。更に大皿を両手に持って、チョコラータが新たなゲストの到来をようこそ、と喜ぶ。
フードを目深に被り、ギルバートは微笑んで返した。チョコラータに白彦の依頼内容がばれないためには、声色のことを考えてここは話さないでおく。後の方が、口数が多くなるだろうから。
というのも、理由がある。
依頼内容はチョコレート菓子の完食。けれど、事情を聞いた一同、白彦が贈り物の相手を気にしているのを知って、それとなく探ろうということで一致した。水面下で結ばれた協力体制を遂行中というわけだ。
「ボクの大好きなオペラがあるじゃーん☆」
雪彦はさっそくコアントローの香り漂うケーキを食べ始め、チョコラータに声をかける。
「これならプレゼントされたら超喜ぶよ〜♪VD用だよね〜?」
これも作戦。後に話題を誰に渡すかに繋げやすくするための関連付けだ。
「そう願うわ! その通り、VD用ですもの」
チョコラータが調理室へ戻ると、黙々とチョコレートアイスを食べていたギルバートはホットチョコレートをアイスにとろりとかけた。アフォガートになれば冷たいアイスも口あたりと胃に優しくなる。とはいえ、アイスが溺れるのはキリッとしたコーヒーでなく、甘いホットチョコだが。彼は大量のアイスをみるみるうちに消費していった。
早くも青い顔の白彦をトイレと称して雪彦がさり気なく休憩を勧めてあげると、空席となった白彦のところからギルバートはひょいと皿をとる。
「アイスに飽きた舌も他のものを食べれば喜ぶだろうから」
残っていたケーキをぺろりとたいらげる。甘いモノは甘いモノでもまた別の味だからとこともなげにホットチョコレートで流し込んだ。まさに鉄の胃袋だ。
二人同時に交代するよりも一人ずつの方が見破られにくいかな、というギルバートの言に賛成して、オペラを食べきることに専念した雪彦は後のことを考えて先に席を立った。
ノルマは果たしたし、それに……一つ、考えがある。
●トリュフとブラウニー
雪彦から話を聞き、同じ白熊パジャマを着たジェリオが一足早く次なる刺客となる。
「僕もチョコラータにチョコの贈り先……せめてヒントに近づけるように会話を繋げるよ。まずくなってきたら、……フォローもお願いするかも」
「うん、頑張りましょう♪」
待機中も腹筋をして更に空腹作りに余念がなかった美咲が起き上がる。ジェリオはフードをきゅっと下ろした。
「僕こういう頭使う会話とか好きなんだよね。いや……と、得意ではないけどさ」
むせ返るような甘い香りに迎えられ、ジェリオが準備室に入る。それを見てギルバートが様子を見ながら入れ替わるように外へ出た。
最終目標は皆で協力して完食! ついでにチョコラータに探りを入れられれば……と思いつつ、ジェリオは山盛りになっているブラウニーに少しばかり圧倒された。とにかく、これだけでも頑張ろうと思いつつ席につく。
少し遅れ、美咲もいざという時手伝えるよう位置に気を付けて白彦の隣に座った。
それと同時にチョコラータが調理室からやってくる。着ぐるみパジャマの中身が違うのに、本当に気付いてないようだ。上機嫌で空になった皿を引き上げ、美咲の目の前にトリュフが置かれる。
「VD、今年も盛り上がってるよね」
頬張ったトリュフを飲み込んで美咲が口を開く。もちろん、チョコラータに聞こえるようにだ。ギルバートが会話を控えたおかげで声色は気にしなくていいが、後のことも考えて会話は少なく済むよう考える。
「じゃあ、皆貰ったりあげたりしてるんだろうね」
ついで、とは言いながらジェリオも会話が繋がるよう懸命に言葉を探した。
「カップル成就率って、相手の競争率にもよるよね」
と返し、そこで世間話というように美咲はチョコラータに水を向ける。
「チョコラータの相手は競争率高そう?」
白彦がぴくり、とする。が、チョコラータに気付かれたくないのか下を向いている。
「競争率……。あんまり考えたことなかったわ、そんなの」
きょとんとしてまじまじとこちらを見つめるチョコラータに、美咲はオーブンが鳴ったみたいと声をかけて追求を避けた。
彼女が去った後も動揺と満腹で呆けている白彦の背中を、気合を入れる為にどんと叩く。そして、今のうちに後ろ手でこっそりと白彦の分のトリュフとブラウニーを受け取った。チョコラータの前ではあくまでも白彦にしっかりと食べる姿を演じてもらい、その健気な愛情が伝わるように援護しよう、というのだ。
飲物はホットチョコ以外、水が一本きり。それを少しずつ飲んで、次の一口の食欲を引き出す。
そんな美咲の優しさを見て、ブラウニーと戦っていたジェリオが白彦から受け取った分に手を伸ばした。
「これくらい、手伝ってあげるよ」
ジェリオは今まさに思春期。正直言ってもうお腹は気持ち悪いが、女子の前で格好悪いところなんか見せられない。例え彼の飲物が甘いジュースしかなくとも。
「大丈夫大丈夫、なんてことないね!」
自信溢れる物言いに元気付けられ、美咲も白彦も何とかトリュフを食べきる。
が、やっと廊下に出てきたジェリオは
「う、うーん、チョコ……チョコ……」
その瞬間、目を回して倒れることとなった。
●マフィンとクッキー
葵は羊のパジャマを着て、本当にばれないか心配そうに自分を見た。だが信頼する伊達時詠がいれば、多少の不安はどこかへ吹き飛ぶ。長身に白熊パジャマを纏った姿を見て、葵は笑った。
「ふふ、似合ってるわよ」
さて、バトンタッチだ。いざ、戦場へ。
それと同じ頃、姿のなかった雪彦が女子生徒達を引き連れ戻って来た。何と、料理のスキルと日頃の交友を活かして、ここの調理室でチョコレート教室を開くのだという。そう、これが雪彦の考え。
美味しくなるコツは、喜ばせるコツは、とチョコラータが気になりそうなフレーズで作業効率を落とすという彼ならではの支援だ。そして彼の考えでは、プレゼントの相手は恐らく――白彦。ならば伝えたい。味でもなく量でもなく。
「とっておきの一個に気持ちを込めるのが一番だよ」
まあ、大変。
想像以上のチョコレートに、入室した羊の葵はしばらく呆気にとられた。けれど、面食らっている場合ではない。時詠と共に席につくと、葵は気を取り直して、出来立てのマフィンを担当する。
「美味しそう……」
甘い物は大好き。糖分は脳の栄養になるから……という医学的な理由は置いて、マフィンにはむっとかぶりつく。
「! 美味しい……」
ちょうどチョコチップクッキーを運んできたチョコラータがまあ、と喜んだ。
実際、それは葵にとって文句なしの美味しさだった。ノリや勢いですぐに作れるような味じゃない。きっとしっかり作り方を調べてきたのだろうし、ちゃんと心がこもっている。――でなければ、こんなに美味しいお菓子は作れないわ。
そして、それなら多分、その相手は。
「とても美味しいわ。まるで本命のチョコレートのよう」
さり気なく話題を振る。
「ふふ、そうかしら。あんたはどう?」
余裕があれば、例え無くとも、葵のマフィンを手伝おうと目の前に置かれたクッキーを只管口に運んでいた時詠は、前任者達から聞いた情報を思い出し、後に引かないように短く、けれど角が立たないように穏やかに、美味しい、と答える。正体がばれないよう細心の注意を払ってのことだ。
「そういえばVDで本命チョコを渡した人のカップル成就率は高かったみたいよ。知ってた?」
葵が尋ねると、チョコラータはロマンチックじゃない、素敵ねと微笑んだ。照れるようではないが、その視線の先を追ってやはり葵は確信する。
それって白彦さんじゃない? なんて、聞いたりはしないけれど。
チョコラータの目が外れると、ストイックにクッキーを食べ続けていた時詠が小声で葵に囁いた。食べ始めてからずっと、時詠は葵のペースを気遣っている。
「羊さん、まだ食べられる?」
「少しお腹一杯になってきたけど、何とか。白クマさんは?」
「白クマさんは大丈夫」
ともすれば口の乾くクッキーを数少ないお茶で舌を流しながら答える。出来れば葵が満腹になる前にクッキーは片付けておきたい。
しかし頑張っていた葵も、段々と苦しそうになってきた。それでも美味しいのだからと懸命に口に運んでいたが、とうとう満腹になる。
「白クマさん、私、もう……」
時詠の袖を引く。それは限界という合図だった。時詠は葵にだけ聞こえるようにわかった、と小さく返し、皿を受け取る。時詠ももう限界が近い。だが、お茶は残しておいた。これで一気に流し込む。
作戦勝ち、といったところか。時詠は何とか葵を連れて戦場を逃れた。
●フォンダンショコラとオランジェット
羊のフードで隠しても、楓奈の口元から歓喜の表情が零れる。
そんな幸せそうな楓奈の様子を嬉しそうに見ながら、白熊の史も自分のペースでオレンジピールチョコレートを食べ始めた。
この戦いもとうとう終わりが見えてきた。と、同時にすでに後がない状態である。
だが、すでに屍と化している白彦を尻目に、楓奈は片端からお菓子を片付けていった。決してがっついてはいないのに、次々と消えていく。甘いものなら限界も胸焼けもないらしい。
「本当にどれも美味いな。これならいくらでも入ってしまうな」
素直に褒める楓奈に、史も続ける。
「うんうん、本当に美味しい。菓子作りって難しいのにこれだけ作れるのはすごいなあ」
何度も賛辞を浴びて(本当は複数人からだが)喜んだチョコラータが、マシュマロ大増量のホットチョコを持ってきたが、楓奈の場合はそれも全く問題ないらしい。しかも、
「楓、ちょっと貰っていいかい?」
と、二人で分け合って飲む。別の意味でも甘い。
廊下でゆっくり待機していた時も二人は寄り添っていたが、ここでも楓奈は史にずっと肩が触れ合うくらいに甘えている。自分でも食べる合間に、楓奈が一口史に差し出すと、史は嬉しそうにそれを唇で捉えた。代わりに史も、オレンジピールチョコを楓奈の口に運んであげる。ごく当たり前のように。
それはチョコラータが意中の相手を言い易くするための楓奈達の雰囲気作りでもあった。
時詠が詳細に記憶して伝えてくれた会話を思い出しながら、史は慎重に会話を運んでチョコラータに真意の水を向けた。
「チョコは人を幸せにするよね。好きな人や親しい人と食べたり、食べて貰ったりしたら尚更さ」
「そうね……そうかも」
見せつけるように史の咥えたオレンジピールチョコを口で受け取る楓奈を、流石に少し赤くなりながら見つめてチョコラータが答える。
「チョコラータさんはこの後、誰かにあげたりするのかな?」
「ええ、もちろん。そのために一番好きなレシピを探してるんだもの!」
ここで史もまた確信した。さて、どうやら……目的は達成できそうだ。
次第に満腹になってきた史と、最早限界の白彦に、楓奈はさり気なく合図を送る。
「無理そうなら此方に回せ。私が喰い切ってやるから」
こんなに美味い物を残すのは失礼だしと言わんばかりだ。
「じゃあ、少し楓に甘えさせてもらおうかな」
そして確かに楓奈はその言葉通り全て食べ切り、この聖戦にピリオドを打ったのだった。
●そして終わりに
「ありがとう、全部食べきれたよ!」
白彦は一人一人に何度も深々と頭を下げた。事実、白彦にとって彼らは英雄だ。
「それで、チョコの贈り先だけど……多分、身近な人だと思うわ」
全員の会話の総合。葵がそう告げる。
「えっあっ、やっぱり聞いて、くれてたんだ。うわ、そうなの、ありがとう」
身近な人、と探ってくれただけでも十分という動揺の仕方だが、事実を告げようと美咲が口を開きかけると、チョコラータが白彦を呼ぶ声が聞こえた。
「今行くよ、チョコラータ! じゃあ、本当、皆ありがとうっ」
あ、と思ううちに白彦は中へ戻っていってしまった。
今度は一緒に食べましょう、とチョコラータが話している。
即ち、彼女は今日、学んだのだ。味や量でなく、気持ちを込めてチョコをあげたり一緒に食べたりすることが、幸せなのだということを。そして少しばかり――無邪気な彼女も、バレンタインの恋愛事情や甘い雰囲気にあてられて恋というものを知ったのだろうか。ほんのりと、頬が色付いている。
やれやれ、と戦い終えた生徒達は、あのヒントで白彦が事実に気付くことを願い、調理準備室を後にした。