●始
蝋燭が灯る。底冷えのする深い闇を抱えた部屋に、点、々、々、々。
「工事中に不発弾が見つかるという話を時々聞きませんか……人骨が出るのは当たり前だそうです……」
糸魚 小舟(
ja4477)の声が、静やかな小雨のように流れた。
●夕刻
そこから遡ること数時間前、パルプンティ(
jb2761)は一人、小山を歩き回っていた。仲間たちは今頃、警察から地図やライトを借り、情報の聞き込んでいるところだろう。その間、まだ明るさの残るうちに、例の小屋の周辺を少しでも確認しておく。
パルプンティには依頼の百物語というのが一体何かわからなかったが、情報の断片から恐ろしい話を百話する民間の召還儀式だと推察している。そんな話知らないし、聞かなくても、覚えなくてもいい。
「別に本気で怖いワケじゃありませんよ。でも百物語に参加はしません。待機する係りです」
作戦会議でそう宣言し、だから彼女は今、山中にいる。そう、本気で怖いワケじゃない。ただ……――。
ふと気配を感じ、角がぴくりとくねる。件の女という可能性もある。彼女はさっと身を隠した。少なくとも小屋の位置はわかったので、今出来る調査はここまで、と、パルプンティは静かに下山した。
●百物語
木々の間、朽ちゆく墓が、点、々、々、々。
夜が更け、本格的な探索が始まった。
雫(
ja1894)やインヴィディア=カリタス(
jb4342)ら待機し探索に回る撃退士たちの影がそれぞれ夜のしじまに遠ざかっていく。カティーナ・白房(
jb8786)曰く、
「何だかんだで危険な代物を引き込んでいるんだ。どっかしらに、いざって時の逃げ道を作ってあるはずだよ。用意周到な人間なら尚更ね」
ということで、彼女たちは脱出口を探しに行った。
スマートフォンの明かりを頼りに、佐野 輝久(
jb9015)も小屋の周囲を見渡した。仲間と廃墟巡りとか超リア充じゃん! と意気込む。とはいえ、一人になったら恐怖が心に入り込んできそうだ。
「ヒャクモノガ、タリ……。度胸試しの一つだったかし、ら? 試しで殺される方は堪ったものじゃないわね」
防寒着を着たLaika A Kudryavk(
jb8087)が、輝久の横で呟く。辺りは静かで、声がよく響いた。
「あのさ、怖かったら……」
話しかけた輝久の頭上で、不意に木々がぱきっとしなる。びくりと心臓が飛び上がり、思わずLaikaに抱きついた。こ、これじゃ逆だ……!
「ええ……頼りにするわ」
淡々としたLaikaの声が、けれど笑いを含んだような柔らかい雰囲気で答える。
代わりに、にははと人好きのする笑い声を九鬼 龍磨(
jb8028)が上げた。脱色した髪を、今は黒に戻している。
「……そろそろ、時間ですね……」
その後ろで、懐中電灯を持つ小舟が控えめに口を開く。
龍磨が頷く。
「手口と噂の拡散範囲からみて、手にかけた人数は一人二人じゃきかないだろう」
きっちり怖い思いをさせてから、獄に繋がないとねぇ……呟いて、怪談の登場人物を引き受け私服の龍磨と小舟は小屋へと向かった。
小屋に明かりが灯っている。まるで、鬼火のような明かりだ。
噂の通りに手順を踏むと、戸は二人の前に開いた――……部屋の奥に蹲る暗闇の中、着物の女がいる。
「あの、僕たち大学のオカルト同好会なんです。噂を、調べていて」
光纏を隠し紳士的対応を使用する龍磨に、女は紅い唇で弧を描いた。
「では、おもてなし代わりに百物語はいかが? お座りになって……」
二人が小屋に入ると、Laikaは探索班とも別れて一人、身を潜める。用意した数台の携帯電話と充電器を取り出し、一つを耳に当てた。龍磨の声が聞こえる。行く前に繋げておいたのだ。小舟の電話とは、カティーナが繋いでいるはずだ。
付近の地図を広げライトで照らす。じきに仲間たちが何か掴むだろう。囮班の状況を確かめつつ、情報を取り纏める。
程なく、携帯が着信を教える。雫だった。
『……山中に、聞き込みの通り防空壕跡があります。佐野さんも幾つか見つけたそうなので、位置に番号を振ってデータで送りますね』
データ送信のために途切れた電話と入れ替わるように、別の携帯が光る。
『小屋の北に古井戸を見つけたよ。でも、しっかり塞がれているね』
カリタスだ。Laikaは詳しい場所を尋ね、手元の地図に書き加えた。
――私たちは先祖の骨を踏みつけ、見なかったことにして暮らしている……無縁仏として葬られるならまだしも、恐ろしいことです……報いを受け、ゴミの日に道端に出される時代がくるかもしれません……人の命や尊厳を無視することはしたくありませんね……。
小舟の声が電話から響いてくる。学校の怪談のようだ。
カティーナはその声を聞きながら、地図にLaikaから送られてきた情報を書き込んだ。
「怪談、人の子が好きな物語だね」
彼にも聞こえたのだろう。居合わせたカリタスが微笑んだ――人の子は自分に害の及ばない恐怖が好きだから、と。カリタスの得た情報とも合わせ、カティーナは脱出口を推測する。
「井戸に防空壕、か。まさか、いざって時に井戸を登るだなんて事はあるまいさ。となると、怪しいのは防空壕かね?」
翼で舞い上がると、彼女は小山を見下ろした。山の南側は比較的開けており、出入りに向かないだろう。可能性の高い北側の防空壕跡を、雫が割り振った番号を見て連絡する。
「小屋から通じる通路があれば塞いでおこう」
カリタスはそう小さく頷き、踵を返した。
程なく、カティーナの話から付近を探る輝久が足跡を見つけた。そっと防空壕を覗くと風の流れを感じる。他の出口と繋がっているのか。輝久は方位磁石を握り締め、気配と息を殺してその中へ足を踏み入れた。
●百話目
また一つ灯が消え、闇が這い寄る。
百物語は、八十九話目から始められた。先日の客の続きで、と、女が笑う。録画は、断られた。なら多分、女は正気だ。
小舟は不安の態を装い、龍磨の袖を握る。怯えに泳ぐような視線で、部屋を観察していた。蝋燭は壁際に並び、その火が時折揺らめく。風の流れを辿り、彼女は床の僅かな切れ目を捉えた。落とし穴か。
九十九話目が終わる。闇はいよいよ濃厚になる。
「とっておきの話があるんです! 百話目を語らせて頂けないでしょうか?」
龍磨がここぞと前に出た。女は興味深げに促す。
「ある女に惚れた、男の話です」
小舟とどちらかが使うと決めていた阻霊符を密かに起動し、龍磨は口を開く。
男が惚れた相手は怪談狂いの女。夜毎の怪談に夢中で、哀れ男の恋は果敢無く破れる。男は、己が真の怪異になろうと自害した――。
小舟は体が小刻みに揺らしている。恐慌をきたしている、と女は思っているだろうか。
「――そうして、悪鬼と化した男は調伏されました。けれど彼は、今も彷徨っているそうです。惚れた女を、捜して」
最後の蝋燭を手にとる。龍磨は火を吹き消した。
完全な暗闇。小舟は浅く息をして、気の触れたかのような気配だ。
女が笑う。
「百物語の終わり。どうなるかご存知? ……真の怪が現れるのよ」
笑い声は段々と甲高くなる。これが、この都市伝説の終幕。
だが、龍磨はそれを遮った。
「真の怪……そう。だから、君を捜していたんだ。見つけた、よ」
隠していた光纏を出し、暗闇の中に薄く龍磨の姿が光る。女は驚いて仰け反った。黒目の消えた龍磨の顔が愛憎に歪み、女に縋る。
怪談狂いに惚れた男。百話目の主人公。これは、ちょっとした意趣返しだ。
「ねえ、逃げないで! ほら、僕、君好みになれたでしょう!?」
女はひっと息を呑んで床を探った。
突然、床が大きく抜ける。罠だ。だが、龍磨は素早く小天使の翼で浮かび上がり、なおも女に迫る。女が慌てて自身の下の床を開くと、そこは明かりの灯る地下に繋がっていた。女の脱出口だ。けれど、女は逃げ込む前に気付く。恐怖に狂っていたはずの、小舟の姿がない。落ちた音もないのに。
背後の壁に、小舟が壁走りで立っている。髪芝居で束縛を与えようとするが一歩足りず、女は悲鳴を上げて地下へ逃げ込む。
だが、そこには防空壕内を探索していた輝久が待ち構えていた。挟み撃ちの形になり、輝久は乱心する女の帯締めを解いて腕を拘束する。
その時、ずしんと音がして小屋全体が揺れた。
●真の怪
そのディアボロは黒いのっぺりとした体躯で、小屋にかじりついていた。
Laikaの連絡を受けて戻ってきた探索班は身構える。ぬめらかで、顎の下に巨大な目玉。それは小屋の明かりが消えて程なく、どこからともなく現れたのだ。
「……小屋の中で襲われたら悪夢ですね、きっと。正直キモいですが、負けませんよーぅ」
大鎌を頭上で回し、先陣を切ったのはパルプンティだ。阻霊符の効果で中へ入れない敵に、一気に切りかかる。
その横を、雫の放った風の刃が抜けてディアボロに食らいついた。驚き、首を縮めたディアボロにデビルブリンガーを振り下ろす。
大山椒魚の如き口がばっくり開き、パルプンティを飲み込もうと突進してきたところを、カリタスが純白の翼で一直線に降り立ち、その勢いのまま打撃を加える。
龍磨と輝久、龍磨のロープで縛り直された女を押さえる小舟が出てきた。
「――危ないッ!」
敵の尾が援護に踏み込んできた雫を薙ぎ払おうとするのを見て、輝久が矢を前足に撃ち込む。雫は身を翻し、闘気解放を使用してその尾を叩き切った。
だが敵は怯まない。龍磨は防壁陣に切り替え、味方の防衛に走る。
「やってしまいなさい、私の化け物!」
その時、突然女が叫び、小舟を突き飛ばして闇の中に駆け出した。
『小屋へ引き返したわ』
今どこから見ているのか、すかさずLaikaの声が龍磨の電話から響く。
雫が響鳴鼠で近くにいた小鳥に女を追わせる。カリタスは視線を巡らせ、それを、翼を広げて追った。
●結末
迷路のような防空壕を、松明を持った女が走る。ロープは焼き捨てた。幾つかある出口のほとんどが何故か崩落していたが、一つあれば十分だ。防空壕から飛び出す。あとは山を下りるだけ。
だが女は気付いていなかった。それを見ている者がいることに。
「怪談は十分に堪能したかい? ――安心しな、殺しゃしないさ。ただ、出る所にゃ出て貰うよ。縛に就きな!」
ここで潜み、待機していたカティーナだった。強引に取り押さえ、ロープできつく縛り上げる。女は暴れて何とか引き返そうとしたが、小鳥を手に抱いたカリタスが立ち塞がる。
「……君は何を望むんだい? 生き延びる事、それとも君の死を、怪談として広めようか」
カリタスの声が優しく響く。
女は逃げ道を探し、暗闇の中に何とか逃れようと這うように悪あがいた。
だが、不運か天罰か。女は撃退士たちに追い込まれたディアボロの懐に飛び込んでしまう。化け物が口を開く。捕食、の文字が女の頭に過る。
惨劇を間一髪で防いだのはLaikaのフォースだった。ディアボロが激しく吹き飛ばされる。女には何が起きたのかわからない。
カティーナは松明を拾う。逃走するのに目立つ火をつけていたということは、敵は火や光が苦手なのか。推測し近付くと、ディアボロは明らかに逃走を始めた。
敵を追ってやってきた輝久は、カティーナの意図に気付くと、回り込んで星の輝きで敵の退路を塞ぐ。
「ほらほら、姿を見せてみろよ!」
眩い光にディアボロは悲鳴を上げて逃げ惑う。照らされたその姿は怪談にふさわしい醜悪さだった。
「うっわ、きめぇ……」
「化け物の正体見たり……ってホントに化け物だね。まぁいい、やる事は一つさ!」
カティーナが炎焼を撃ち込むと、天魔は発狂した。撃退士たちがディアボロを囲む。体を広げ襲い掛かろうとする敵を雫はLEDランプで御す。更に、逃げ場を小舟の苦無で塞いだ。カリタスが薄紫の光の矢を巨大な目玉に放つ。
「灰は灰に、塵は塵に。怪談の悪夢は怪談へ帰りやがれです!」
そして、パルプンティが大鎌を振り下ろす。視界を失ったディアボロに逃れる術はなく、ごろりとその首が地面に転がった。
警察を待つ間、小舟は自白を誘うために女に髪芝居をした。まだ呆然とする女はあっさり幻影の圧力に屈服する。
雫は畳み掛けるように、警察から借りた写真を参考に、雫衣で被害者の服を着ているように見せかけた。顔は伏せたまま親しげに声をかける。
「だ、誰……?」
「……忘れてしまいましたか? 色々と話したじゃないですか」
女の幻影混じり視界は、ゆっくりと顔を上げる『その人』を血みどろのライターだと捉えた。女は絶叫する。
「違う! 私の化け物で殺したはずよ! 私が、私が怪談になるために……」
女は視線を巡らせて、周りを囲む撃退士を数えた。騙されるもんですか、私が語り部なのよ……。ぶつぶつ呟く女の視界に、ゆっくりと起き上がるもう一つの影が見える。
「え、え?」
人影はライターと並ぶように、そっと近付いてくる。女は混乱した。撃退士の数はさっき見てわかっている。これじゃ一人多い。多い?
捕食、血みどろのライター、もう一人の誰か。
――恐怖。
「さあ、生か、死という怪談か、君の望む結末を、僕に教えてくれないかな」
カリタスが囁く。
「し……死にたくない」
恐怖に嗚咽しながら、女が答えた。
「その願い、聞き届けたよ」
女はカリタスの甘い声を聞きながら、失神した。
「気づかれなかったかし、ら……? これで私も真冬のヒャクモノガタリ、の仲間入り、なんてね」
雫の隣に並んでいたのは、寒さの中じっと身を潜めていたLaikaだった。彼女の手には龍磨と繋いだままの電話が録音状態で握られている。先程の女の告白は、裁きの場で役立つだろう。
「我ながら悪趣味ではありますが、良い薬ですね。自分が何を仕出かしたかを深く反省しなさい」
雫は女を見下ろす。
「夢から醒めた後の現実ほど、怖いものなんて無いよ」
輝久の声が同情の色を纏って静かに流れた。
●終幕、或いは序幕
真相を明らかにするため地下を調べた小舟が見つけたものは、ディアボロに捕食の真似事をされた無数の人間の骨だった。小屋には古井戸に繋がる落とし穴があり、恐らく女は遺体をここに捨てていたのだろう。あまりに凄惨な現場に小舟はただ悲しい顔で手を合わせた。ライターの遺体を探しに来たカリタスは、先程雫が纏っていたのと同じ服を引っ掛けた骨を探り、手帳と壊れた携帯電話を見つけて手にとる。
「朽ちる前に持っていこう。きっと、彼の死を悼む人の子もいるだろうから」
外では龍磨が警察に女を渡すところだった。
「人の命を玩具にした罪、償ってもらいます」
警察を空から誘導していたカティーナは女を見下ろした。
「怪談に身を投じた時点で、死ぬか償うかしか無かったのさ。あんたにはね」
一人呟き、墓山に目をやる。百物語は終わったが、確かに女の怪談はこの山に残り続けるのだろう。計らずも、その語り部は自分たちなのかもしれない。
まだ明けぬ暗闇の中、女とディアボロの残した爪跡が――点、々、々、々。