●
依頼人の待つ宿泊施設へと向かいながら、礼野 智美(
ja3600)は白い息を吐いた。
「寝かしつけ、の物語か」
妹が小さい頃寝る前に本読んでやった事あるけど、短いのだと「次のお話読んで」だったしなぁ、と思い出す。
そもそもこの依頼を智美に持ってきたのは妹だ。撃退士として依頼参加の多い智美なら、依頼人の望みに適っていると考えてのことだったろうか。
「何だか千夜一夜物語みたいだね」
Camille(
jb3612)が依頼書を見て小さく呟く。紫の瞳にはシャハラザードを彷彿とさせる妖艶さがあるが、その雰囲気は優しく、柔らかさを纏っている。
夜の風は冷え込み、心にまで入り込んで来そうだ。
彼らはアリー=ジャンヌの待つ場所へと足を早めた。
●
訪れた撃退士たちの顔を見て、少女はぱっと顔をほころばせた。
「ありがとう、きてくれたのね」
ネグリジェ姿で出迎える。暖かい部屋の中には大きいのソファーが一つ。隣が寝室で、すぐに眠れるようになっている。
「アリーちゃん、ばんちー☆」
アリーが眠りやすいように自分も夜間着姿で就寝の雰囲気を漂わせ、ユリア・スズノミヤ(
ja9826)が明るく微笑する。
「えへ、私も夜行性なんだぁー。一緒だねん」
無邪気に笑いながらユリアに「いっしょ」と返すアリー=ジャンヌの姿を見て華宵(
jc2265)は目を細めた。
――記憶もなく独りぼっちだったハーフ天魔。
どこかで聞いた話ね、と苦笑めいたものが浮かぶ。華宵自身、自分のことが分からずに、ずっと山奥で独り暮らしていた過去がある。不安で眠れない夜だって勿論あった。何だか他人事には思えない。
透き通る蒼の瞳を細め、アリーと視線を合わせる。
「こんばんは、アリーちゃん。良い夜と、優しい眠りを届けられたらいいと思うわ」
美しい口元が緩い弧を描く。
ふとアリー=ジャンヌが小首を傾げた。
「なんだかいいにおい……きのせいかしら?」
華宵はああ、と頷いた。
「白檀のインセンスを持ってきたの。好きな香りだといいんだけど」
部屋の中を安眠効果のある仄かな香りが漂っていく。
「うん! ねるのにぴったりね」
でもちゃんと眠れるかしらと心配げに呟くアリー=ジャンヌを安心させるように、Camilleが声をかけた。
「まだ学園に来たばかりなんだよね。部活に入ったりして、日中にたくさん運動したり、友達と遊びまわったり。疲労感があれば、すぐ眠れると思う」
「ぶかつかぁ、いいかも」
「あとは、苦手な科目の教科書を読んでみたり?」
クスと笑うと、アリーも「うーん?」とわざとらしく誤魔化す。Camilleは「でも、せっかく来たから今日は何か楽しいお話をしていこうかな」と優しく言った。
「だけど毎日は来れないから、明日からは日中にたくさん活動してみるといいと思うよ」
Camilleのアドバイスに少女は真剣に首肯した。
――眠れないから色々と考えてしまうのか。色々と考えてしまうから眠れないのか 。
卵が先か鶏が先か、みたいな感じだけれど、色々と考えてしまうから眠れないのかなと少女を見ながらCamilleは思う。
それを呟くと白衣を着た鴉乃宮 歌音(
ja0427)がそうだね、と答えた。中性的な声で小柄だが、落ち着いた態度が彼を幼く見せない。
「見知らぬ人がたくさん周囲にいて、楽しい話なんか聞いていたら。緊張したり興奮したりで、余計眠れなくなりそうだね」
と、Camilleは微笑む。
しかし、それこそが今アリーには必要なものなのかもしれない。
「さて、そろそろ始めましょうか」
小宮 雅春(
jc2177)がショーを始めるように、明るく幕開けを告げた。
●
「じゃあ、私から始めようかな」
まず声を上げたのは歌音だった。ソファーに座るアリーの前に椅子を引いて座り、向かい合わせになる。
「おそらく君の疑問にぴったり寄り添える物語を書くのは君自身だ。それは覚えておいてね」
考え事に眠りを押しやられている少女に、医者のように歌音は話す。アリーが頷くと、彼は満足げに話し出した。
「では君の物語を思い描けるように材料を与えよう。――そうだね、こんな物語がある」
寝かしつけの物語の一つ目。歌音の話はこうだった。
「天使と悪魔が対立し地上で覇権を争う人間の世界に、仲の良い人間が三人いたんだ。彼らは意見こそ違えど世界をよりよくする為にはどうすればいいのかと考えを巡らせるところは一致していた」
一人は規律を愛し、一人は自由を愛し、もう一人は何が正しいかを見定めるべく彼等と共に行動した。天魔に襲われる人間を助け、天魔に組する人間を倒し、ある日彼等は決別した。――当然というところでもあるがね、と言い添える。
「一人は天使に従い、統制の元で平和を掴むべきだと嘆いた。一人は悪魔を友とし、あらゆる束縛のない自由な世界を望むべきだと嘆いた。彼らはここまで歩んできたもう一人に共にこいと声をかけた。もう一人は何を選んだだろう?」
アリー=ジャンヌは真剣な面持ちで話に聞き入っていた。
「とある物語を簡単にしたものだ。本当はもっと複雑なんだけどね。世の中、勧善懲悪とはいかないことがある」
「もうひとりは、なにをえらんだの?」
「君はどう思う?」
少女はしばらく考え、やがて首を振った。
「……わからないわ」
答えを求めて歌音を見つめる。
「色んな意見があっていいと思う。伝えたい事というのはだ。君は君自身が思う通りにやればいいという事だよ」
歌音はあえてアリーの疑問には答えず、言葉を続けた。
「君が良いと思ったものを誰も咎めないし、誰もが咎めるだろう。そういうものだよ。色んな知識を取り込んでほしい。色んな知識を得た結果導き出した君の意見を主張すればいい。人間とは我儘なのだから」
アリーは目を瞬かせた。
「そんなふうにかんがえたこと、なかった」
「君の物語の執筆を誰もが楽しみにしているよ」
そう最後に言って、歌音は席を立った。
考え込んでいるアリーの向かいに、今度は歌音と代わって智美が座る。
――ある程度長い依頼で印象に残ってる……あれかな。
心の中で頷き、話し始めた。
「夏に入ってきた普通のディアボロ退治。だけど追加で救出依頼が入ったんだ。依頼人は見世物小屋の団長さん、団員は皆、覚醒者や天魔やハーフ……『ワケアリ』のはぐれ者が食ってくために作られた一座<居場所>だったんだよ」
導入から引き付けられ、少女は頷きながら話を聞く。
それは戦うことが出来ず撃退士以外の道を選んだ天魔や覚醒者が絡む、一寸長い依頼の話だった。
アリー=ジャンヌはその興行のレトロで眩惑的な光景を思い描いて話に聞き入る。
未だ入ったばかりなら、いろんな事情で学園に入らない人もいるって考えまで至らない人もいるだろうし、と考えてのことで、実際は素直に驚いた様子だった。
その依頼には「恒久の聖女」の話も絡むが、記録を調べれば出てくるので、さらっと流す程度にしておく。この話に限っては、重要な点はそこではない。伝えたいのは、戦闘の風景ではなく、「色んな意見の人がいる」ということ。そして戦闘以外にも解決の方法はある、ということだ。もっとも、それはある程度の知能がある人に限られるけれど。
アリーは一喜一憂しながら、智美の話を聞いた。そして最後にほっと息をつく。
「いろんなひとや、かんがえかたがあるのね。わたし、ちっともしらなかった」
歌音の話に続いて考えるところがあり、少し難しげな顔をしていると、華宵が「どうぞ」とそっとホットミルクを差し出した。ハチミツを少しだけ入れた優しい甘さがふわりと湯気と一緒に鼻をくすぐる。
「ありがとう」
温もりがじんわり体を満たしていく。
「じゃあ、もう少し簡単な、ありふれた話を一つしましょう。」
そう言って雅春が立ち上がる。
「あるところに一人の撃退士がいました。そいつは口癖のように愛と平和を謳っていました。けれどもそいつ自身はどこかよそよそしくて、周りとは距離を置いていました」
舞台のように、けれど口調は寝かしつけの物語らしく終始穏やかに、雅春は言葉を紡ぐ。
そいつは撃退士だというのに戦うことが苦手でした。だから、なるたけ戦わなくていい依頼をいつも選ぶのでした。
「逃げ回ってばかりのくせに、何が愛と平和だろう」
そいつはそんな自分があんまり好きではありませんでした。いつもの夢物語みたいな言葉とは裏腹に、心は空っぽでした。
そいつは依頼を通していろんな人に会いました。
ご主人様に振り向いてほしいヴァニタス。
ディアボロを愛した子供。
訳あって撃退士を辞めてしまった人、その人に助けられた青年。
なんだかそいつには縁遠い人ばかりです。
「そいつは依頼ではなくて、そこにある人のつながりを見ていることに気が付きました。いつかは彼らのように、この空っぽの心も本当の愛情でいっぱいになるんじゃなかろうか。そんなことを期待していたのかもしれません。それでもそいつの心は空っぽのままでした。空っぽの理由も知らないのです。いくらいっぱいにしても、隙間からこぼれ落ちていることに気付こうともしないのですからそれは仕方がありません」
本当の愛情がなんだか分からないまま、そいつは今日も愛と平和を謳うのです。
おしまい。と、雅春は話を締めくくる。
「生きている限り、行き着くところなどどこにもないのかもしれません」
そう言って話し終えると、雅春は席に腰を下ろした。
「からっぽは、きっとさみしいわ……それは、だれのおはなしなの?」
「さあ、誰の話でしょうね」
雅春は穏やかに、けれど少し遠くを見つめるように微笑んでいた。
●
ユリアがアリーのすぐそばに座る。
「今度は私のお話ね」
美しいロザリオが揺れ、ユリアの胸元を彩っている。
「次の日をハッピーな気持ちで迎えられるように、眠れない夜は飛んでけー! だよん」
明るくおっとりとしたユリアに、アリーも安心したように耳を傾ける。
ユリアが話すのは自作の物語。
「むかしむかし、片目がお星様のパンダがいました。そのパンダはいつもカボチャのパンツを履いていました。大好きなお母さんが縫ってくれたからです」
パンダは森の中でいつもひとりぼっち 。
おめめが気持ち悪いと森の動物達は一緒に遊んでくれません。
今日もひとり湖に映る自分を眺めては溜息をついていました。
「ぼくの目はどうして星なんだろう。こんな目なくなってしまえばいいのに」
その時雨が降ってきました。
木の下で雨宿りをしていると、枝にぶら下がっていたてるてる坊主がパンダの頭に落ちてきました。
「おや失礼。助かったよ」
何故かてるてる坊主にはフードがついています。
「ほう。変わった瞳をしているね」
てるてる坊主はいいました。
「まるで流れ星が落ちてきたみたいだ」
パンダがぽかんとしていると次にやってきたのは青い鳥。
雨宿りをしにパンダ達の頭上の枝へ羽を休めにきました。
珍しい色の青い鳥は元気いっぱい。
「お星様は空だけにあるんじゃないんだね! きらきら光ってたから飛んできちゃった!」
パンダはまたもやぽかん。
そんなパンダにてるてる坊主と青い鳥は言いました。
「綺麗なお星様だね」
と。
パンダの目から大粒の涙が零れました。
その涙は星のように光り輝いていました――。
これぞ寝かしつけのお語というように優しい物語だ。
アリーは心が安らぐのを感じながら想像する。
「ながれぼしみたいに、きれいなめ」
どんなかしらと考えた瞬間、目の端で星が瞬いた気がして、流れ星? と急いでそちらを見る。
視線の先ではアリーを見つめるユリアが「どうかした?」と首を傾げて笑っていた。
●
夜がゆっくりと更けていく。
いつもなら考え事が止まらなくなるけれど、今は悩みではなく物語がアリー=ジャンヌの頭を巡り始めていた。
そして今度は華宵の話。
「ある山奥に、自分のことを全く知らない子供がいました」
それをアリーは華宵の膝に抱かれて聞いていた。
体温や心音も眠れる要素の一つだからという華宵の提案に、温もりを知らない少女は少しはにかんでいたが、ゆったりと体重を預けている。
「獣の目、尖った耳は人とは違って、子供は人に怖がられ、独りぼっちでずっと山奥で暮らしました。独りぼっちが寂しいのだと分からなくなるくらい長い時間」
心配そうな顔のアリーに、華宵は優しく笑った。
「けれど大人になった子供はふとした切っ掛けで、人と心を通わせられるようになり、寂しいを思い出し、嬉しい、楽しい、哀しい、愛しい気持ちを覚え、たくさんの想いをくれた人を護りたいと思うようになりました」
温もりに包まれ、アリーはこくんこくんと頷く。
「護れる術を知りたいと撃退士になって、それが力だったり、言葉だったり、それ以外のものだったりと、日々色々な事を学んでいます、皆が笑顔だと幸せだから、護れますように……と」
「すごく、すてきなおはなし……」
華宵はアリーの声が眠気を含んでいるのに気付いて、そのまま彼女をそっと抱き上げた。
「対立する陣営で大きな戦いもありそうだけど、私は信じたいわ。心を通わせられる切っ掛けはあると」
華宵はそう優しく話しながら、アリーを寝室へと連れて行く。
寝室では淡いネロリの香りがふっと漂う。ユリアの用意したアロマランプだ。
華宵にそっとベッドに下ろされると、枕元にポプリが置いてあることに気付き、アリーは何だか嬉しくなって微笑んだ。
Camilleが眠りの波を遠ざけないよう、そっと横になるアリーの手を握り、父母のように優しく頭を撫でた。アリーの瞳が揺れる。寝るにはリラックスすること、そして不安感を取り除くことが大切だ。Camilleは安心させるように笑う。
「俺が最後のお話をするよ。これは知り合いの子のお話――」
物語は、人見知りする新人撃退士の女の子が、異種族の友達ができたり、ライバル関係の子が現れたり、少し気になる男の子の存在ができたり、学園生活や依頼を通じて、絆を深めていく。
毎日、色んなことがあって楽しくて、日々がすぐ過ぎ去っていく。
そんな、希望に溢れたお話だった。
「きっと、まだ見ぬアリー=ジャンヌの友達もアリー=ジャンヌとの出会いを待って眠れぬ夜を過ごしているんじゃないかな」
目を閉じたアリーの額をそっと撫でる。
「寝ちゃった?」
智美が覗き込む。
「眠ったみたいだね。良かった良かった」
歌音が頷くと、「私も何だか眠くなっちゃった」とユリアがアリーのそばに寄り添った。
頭の中の大量の疑問符は、彼らの言葉と、そして温もりの中にゆっくりと溶け、今アリーに安らかな夢を与えていた。
そしてこの記憶が、眠れない夜をきっとこれからも救ってくれるだろう。
「明日からもきっと大丈夫よ」
華宵が優しく微笑む。
夜のしじまに意識をたゆたわせるように、眠りの影が柔らかく部屋に下りていた。
撃退士たちの「今まで」と、「これから」を、暗く優しい帳の中に包み込んで――。