ぬらぬらと生白い蛇の群れが蠢いている。折り重なる姿はまるで大樹の根で、逃げ惑う人々を絡めとろうと囲い込んで退路を塞ぐ。文明の領域に無数の白蛇がはびこる光景は、奇妙なアンバランスさで人々を戦慄させた。
蛇が赤い口を開いて怯えた人々に迫る。
一刻も早く! 急ぎ現場へ向かって来た八神 翼(
jb6550)は今にも誰かに食らいつこうとしている蛇を捉えた。
「一般人に被害は出させない。その前に、天魔どもを殲滅してやるっ!!」
紫水晶に似た瞳が強い信念に煌く。翼は素早く阻霊符を発動した。
ビルの壁に群がり、好き勝手に建物内へ出入りしていた白蛇たちは、それを封じられ、状況を理解しないまでもわずかに惑う。
敵を注視していた天風 静流(
ja0373)は、そこを見逃さなかった。蒼白い閃光が走り、負傷した警官に鎌首をもたげていた蛇が後方へ吹き飛ぶ。弐式「黄泉風」をまともに食らった蛇はそのまま動かない。白蛇たちは一斉に、静流たち新たな来訪者に警戒を向けた。
「天魔ども、永遠の眠りにつきなさい!」
翼の声と共に冥夜の誘いが、死神の鎌で敵に睡眠を与えて、追い詰められた人々に退路を作る。
「今のうちに早く逃げるんだ」
彼らを振り返った静流の、流れる黒髪が風に乗る。その後ろで鋭い剣が宙を斬り演舞した。三善 千種(
jb0872)が現れ様に使った闘刃武舞だ。白蛇はそこに絡み付こうと這い回ったが、叶わず攻撃を受けて怯む。
「みなさんー、私たちが開放したところに集まってください。しっかり守りますよぉ」
一際明るい声色が現場に響き、恐怖にあえぐ心を解きほぐす。
通りで襲われていた人々は、撃退士の登場に恐慌から立ち直り、避難を始めた。だが、湧いて出るような白蛇はなおも彼らを追い、足元に這い寄られた若い女が悲鳴を上げる。
どこからともなく、変身っ! という声が響き、避難する人々と蛇の間に割って入ったのは赤いマフラー姿の千葉 真一(
ja0070)だ。
「天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!!」
ゴウライソード、ビュートモード! 真一の剣が鞭状になり敵を叩く。そうしながら建物に目を走らせると、傾いて壊れかけた階段に群がる無数の白蛇が見えた。
「階段があの有様じゃさすがに難しいか。上の親子の事、頼むぜ!」
真一の上を影が過ぎっていく。谷崎結唯(
jb5786)は翼を広げ、真一や白蛇たちの頭上から微かに頷く。敵に光の矢を放ちながらビルに向かって来ていたもう一人の飛行部隊スピネル・クリムゾン(
jb7168)も、それに少し遅れて翼を広げ飛び立った。
「ニンゲン襲っちゃう悪い子ダメなんだよ〜?」
緋色と闇色の二対の翼が羽ばたく度、炎と暗黒の残像が宙で翻る。その翼はスピネルを一気に上空へ運んだ。虚空では、結唯が銃を構えている。階段から三階への侵入を目論む蛇を、ストライクショットで冷静に撃ち抜いた。
スピネルは窓に近付く。ヤニにくすんだガラスの向こうで、デスクに隠れた人影が揺れた。期待を込めてノックするが返事はない。
「あ〜け〜て〜?」
更にノックを重ねようとしたところで、甲高い音と共に隣の窓が粉々に砕ける。驚くスピネルに、表情一つ変えずにあっさり窓を蹴破った結唯が何事もなかったように視線を返した。
蛇の折り重なった姿は聞いていたよりも大きく蠢いているように見える。少しでも早く敵を討伐しなくては――華桜りりか(
jb6883)はビルの一階へ入り、我が物顔で這い回る白蛇と対峙する。
「早くしないと……心配なの、です」
オーラを纏うりりかの周りに桜色の花弁が散る。
「一気にいくの……縛れ、呪縛陣」
りりかと共に建物内の敵を相手取りに入ってきた九条 静真(
jb7992)は、壁際で武器を構えた。通りのサーバントと救助活動は仲間に任せ、建物内の敵を討つことに専念するつもりだ。
(白蛇て……神さんの使いみたいやなぁ。縁起悪いわぁ……)
干支であれば巳年は間もなく終わり。その最後の名残のようだと静真は思う。
(数多いみたいやし、はよ御帰り願おうか)
声なき青年の穏やかな瞳が鋭く輝く。静真は指でくっとストールを口元まで引き上げた。
外からは避難を促す翼の声が聞こえてくる。
「みなさん、落ち着いて! 私達は久遠ヶ原学園から来た撃退士です。天魔は私達が倒しますから、落ち着いて避難してください」
通りでは翼と静流が襲われていた人々を誘導していた。怪我人もいるが、多くもない。翼は行く手を阻もうとする白蛇に、冥夜の誘いを再び使用して眠りを起こさせる。眠っていない敵が更に追って来るのではないか警戒して中距離程度まで後ずさると、雷帝霊符を構えた。
避難誘導が済んだのを見て、真一は狙いをビルに群がる白蛇に移す。鞭状の蛇腹剣で狙いを定め、ヒーローはタイミングを計って息を整えた。
静流も真一と同じ場所に視線を向ける。即ち、根のように絡み合った白蛇の只中だ。鉄をも曲げる蛇の動きに注意しながら間合いを一気に詰め、時雨で鋭い一撃を放った。刃が閃き、敵を寸断する。尾を断ち切られた白蛇が悶え、怒りを露にしゅーしゅーという音を出した。
「ゴウライ、ソニックウェェェェイブっ!!」
そこで真一がすかさず剣を振るう。インペイルで直線上の白蛇を薙ぎ払った。毒を飛ばしてきたが、飛び下がって避ける。ようやく分が悪いことを悟った蛇たちが、散り散りになり始めた。
今に味方が来てくれるから安心しろ。任務だからここにいるんだ。
鉄の軋む音、人の悲鳴。孤島と化したビルの三階に取り残された男は、我が子を抱き、何も聞こえないように言葉をかけ続けていた。
これは嘘か? もちろん嘘だ。きっと妻は怒るだろう。でも、我が子にここに逃げ道はないのだと、父は敵より強くはないのだと告げることが彼には出来なかった。
幸い息子は父の言葉を信じて怯えずにいる。助けはまだだろうか。本物の撃退士は――。
内心で極度の緊張にあえいでいた男は、ノックの音に心臓を跳ね上がらせた。突然のことに動けないでいると、窓が砕ける音が響く。
「久遠ヶ原の撃退士だ。救助に来た」
そんな声と共に結唯が入ってくる。スピネルもそれに続いて屋内へ舞い降りる。
……助けだ!
男は息子の手を握り、救助を求めてゆっくりと立ち上がった。
「げきたいし?」
子は二人の姿をまじまじと見つめた。救助者のはぐれ天魔を、無垢な眼差しが捉える。
「パパもげきたいしだよ! いっしょにたたかうの?」
フロアにまだ敵の侵入はないのを確認し、一先ず三階からプルガシオンでまた光の矢を放って地上組の援護しようか考えていたスピネルは、子供の声に振り返る。そして、救出対象である父親がぎょっとしてうろたえたのを見た。事情は飲み込めないが、しばし逡巡し、言葉を選ぶ。
「今日はパパはキミを護るのがお仕事なの。ねっ、ユイちゃん〜」
嘘であろう父親の言葉に同調はしない。かといって否定もせず、子に笑いかける。
呼びかけられた結唯は答えなかった。スピネルの意見に反対なのではない。扉の方一点を見つめて耳を澄ませている。
ガンッという音が扉から響き、結唯は身構える。次の瞬間、扉についた小窓を打ち破って、とうとう白蛇が三階に侵入してきた。
一方、地上の敵は数を減らしつつあった。うろこ状の皮膚は比較的防御力が低く、一打では死ななくとも二打三打と入れれば確実に仕留めることが出来る。
千種は路上の白蛇が少なくなったのを見て、階段の方へと走った。傾いでいても、今すぐ倒れるということはないだろう。階段にはまだ蛇が絡み付いて、ぎしぎし不気味な音をたてている。闘刃武舞で階段の足元を這う蛇を蹴散らし、千種は階段に足をかけた。そこに絡み付いてやろうと、階段の上からも赤い口を開けて蛇が下りてくる。
窓ごしにそれに気付いたのは、静真だった。りりかに視線を送り、顎で階段を指す。りりかはそれを小首を傾げて見つめた後、意図に気付いてこくりと頷いた。
「ここは大丈夫なの、です。三善さんの方へ……」
静真は頷き、身振りですぐ戻ると示すと、窓を飛び越えて千種の元へ向かう。走り様に飛燕で衝撃波を飛ばし、階段に群がる蛇の間を切り開く。そのまま特攻して蛇の間に道を作った。上階から襲い掛かる白蛇を間一髪で避け、千種が上階へ上がれるように手を貸す。
静真を見送ったりりかは、蛇たちに向かい合った。風花護符を手に接近戦をしていたが、舞うように軽やかな足取りで一歩退き炸裂陣を繰り出す。
「さぁ、爆ぜるの……炸裂陣」
激しい爆発が起こり、かつぎが揺れる。
壁の向こう側では真一がビルに群がる蛇にゴウライソニックウェイブの掛け声と共に一直線の攻撃を放ったのが聞こえる。大方を片付けたところで、翼の冥夜の誘いによる睡眠から脱した蛇たちが、追い詰められた獣の敵意をもって襲い掛かって来ていた。翼は正中線の急所を腕でガードしながら、間合いをとる。
「まとめて薙ぎ払ってやるわ。くらえ、雷帝虚空撃!!」
轟音と共に電撃が落ちる。食らわずに済んだ蛇たちも逃げ出すほどの衝撃が地面に走った。
その衝撃を屋内でも感じながら、りりかも再び爆発を伴う攻撃をした。だがそれが最後の一発だった。残った敵が迫ってくるのを見ながら隙を窺っていると、千種を三階に送り届けた静真が窓から戻ってきた。即座に薙ぎ払いで敵を遠ざけ、その間にりりかをかばうようにして壁を背にする。
おかえりなさいを言おうと顔を上げたりりかはさっと青ざめた。静真を追ってきたのか、窓から蛇がぬるりと入ってこようとしている。
「九条さん、あぶな……!」
(! しもた……)
蛇の口から液が噴射される。避けきれず、静真はガードした腕に毒液を受けてしまった。しかし、武器は手放さない。己を仲間の盾として、正面から白蛇に向かい、直刀を振り下ろした。
静真が作ったその時間はりりかが次の攻撃の準備をするのに十分だった。
「切り裂け……鎌鼬」
空気を裂く音のような白蛇の叫び声が壁にぶつかって消える。
スピネルは素早く敵と親子の間に身を滑り込ませて、牙を剥いて飛び掛かる蛇の攻撃を受けた。第一撃をこらえたら鎌に持ち替え白蛇の首を狙う。
「おねえちゃん、だいじょぶ?」
「大丈夫! 危ないから、そこでパパの言うこと聞くんだよ〜?」
父はいい子だからと息子を宥めて、手を握り直す。侵入してきた白蛇はその一匹だけではない。結唯も前へ出る。
そこへ、最後の闘刃武舞で外の敵を払った千種が突入してきた。親子の姿を見てにこっと笑う。
「お父さんに守ってもらっていてね☆蛇は私たちがやっつけちゃいますから」
「わあっ、おねえちゃんもげきたいしなの? すごいね、パパといっしょだね!」
蛇への恐怖も忘れてはしゃぐ息子に、父は頭を振った。
「あのな、パパは本当はな……」
本当は……息子にそう言いかけて淀む。それを聞いて、事情を察した千種が小声で遮った。
「よかったら、子供のために演技しましょう」
「いえ! そんな……」
「私こうみえて(自称)アイドルですから、歌って踊って演技できる撃退士です☆」
千種がそっと耳打ちする。父親が撃退士に見えるように、アイドルが黒子になろうというのだ。思いがけぬ申し出に戸惑う男に、千種は微笑む。アイドルも虚構。ならば、この世にはついていい嘘もある。
スピネルは同調も否定もせず、ただそっとそれを見守る。
結唯も同じ立場だ。ただ、嘘は時に己の首を絞める事になる、とも思いながら彼らを見つめる。嘘ゆえに逃げ隠れするどころか立ち向かわねばならぬ事もあるだろう。
(そうなれば結果は見えている)
無様なものだな。好き勝手やって死んでいったら、残された者はどうすればいいのだ――と。
「パパ、すごかったねえ!」
愛しい者の笑顔を守るために必要なものは、嘘と真実どちらだろうか? 千種の力を我が物のようにして打ち倒した白蛇が、メビウスの輪のように転がっている。
大部分の蛇を掃討し終え、真一は更に傾いた階段が揺らがないよう、応急処置をする。親子はそこから助け出された。千種が前に立ち、残党があれば鎖鞭ですぐに魔法攻撃が出来るよう準備する。
まだ表には敵がわずかに残っていたが、静流が注意を引き付け救助のための時間を稼いでいる。間合いを詰めようとしたところで、白蛇が口を開けて彼女の方へ首を持ち上げたのを見て、静流ははっと横へ飛んだ。予想通り、毒液が飛んでくる。その兆候を掴み、発射時の隙をついてチャクラムを放つ。そこに静真とりりかも加わり、一匹も取り逃すことのないよう打ち倒した。
「げきたいしってすごい! ぼくもげきたいしになる!」
大体の事情を千種から聞いて、真一は興奮する子供に笑いかけた。
「良く頑張ったな、怪我はないか?」
ばれた時を思えばおすすめ出来ないが、子供を護ろうと思っての嘘。夢を壊さないよう、真一はニッと微笑む。
「そうか、お父さんが護ってくれたのか。良かったな」
「おかげで私達も助かりました」
翼も、聞こえるように言う。りりかも二人の会話から察して、それに頷いた。
静流が子の母親を連れて来る。家族全員の無事が確保されていたことに安堵する。結唯が父子を連れてくると、子は母に抱きついた。
「こわかったけど、パパがまもってくれたからだいじょうぶだったよ!」
千種がお父さん頑張ったよねと大きい声で言うと、嬉しそうに頷いた子の笑顔に反比例するように母は難しい顔になる。
怪我人の治療をしようと準備していたりりかは、そっと親子の再会を見つめた。記憶という真実を失って、自分に嘘をつかねばならない自分自身について考えながら。
(あたしはこのままで良いの……です?)
男は、無邪気に笑う息子と、助けてくれたばかりでなく嘘に付き合ってくれた撃退士たちを見た。
「……」
息子を呼び寄せると、その肩に手を置く。
「ごめん。本当はパパ、撃退士じゃないんだ……何の力も持ってないんだよ。本当は、あの人たちが強くて、助けてくれたんだ。ありがとう言おうな」
誰かが息を飲む。子はきょとんとして父を見た。父が言おうとしたことがわかったのか、素直に撃退士たちの方を振り返る。
「うん! ありがとございますっ。げきたいしは、ほんとにみんなをまもってくれるんだね」
そしてまた父を見上げた。
「パパもありがと! ずっとぼくをまもっててくれたからね、だからね、パパもげきたいしだとおもうよ」
嬉しそうにぴょんぴょん飛び回る。
「だから、ぼく、パパみたいになるの!」
勢い余ってぶつかりそうになった幼子の頭を、静真が屈んでそっと撫でてやった。笑みを浮かべて頷き、すごいな、という形に口を動かすと、子ははにかんでにっこりと笑った。
他愛ない嘘も、嘘は嘘。けれど、優しい嘘にこめられた父の愛情は、確かな真実として子の胸に宿る。偽りにも意義を見出せたなら、その意味は――ある。