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『皆さん、大変長らくお待たせしました。これより大笹登りを開始いたします!』
スピーカーから流れた音声に、拍手が起こった。
そう、今日はこの商店街の七夕祭り――そしていよいよ毎年恒例の大笹登りが始まろうとしている。
実行委員長は四方幕のテントに目をやった。中には敷物と毛布が置いてあり、優勝者以外は後にそこで寝ることになるが、今は参加者の控え室だ。
そこから最初に姿を見せたのは歌乃(
jb7987)だった。
『まず入場してきたのは歌乃選手です! 黒と赤のゴスロリ浴衣が七夕感を演出しています! 草履ではなく厚底ブーツで動きやすさアップか!?』
髪飾りの鈴がちりんとなる。
「願いはさておき参加するのだ。一位以外ありえん」
続いて龍崎海(
ja0565)が現れる。
『お次は龍崎海選手! 医療系志望ということで、もしも怪我人が出てもこれは安心だーっ!?』
海はわくわくした様子で、そびえ立つ大笹を見た。楽しそうな競技だが、さて。
陽波 透次(
ja0280)は平和で活気に溢れた祭りの様子を眺めながら、入場する。
『陽波透次選手! 手元にあります情報によると特技は家事で手芸が趣味とか!?』
そんな放送に透次は少し苦笑いだ。
豊満すぎる胸を浴衣に包んだ月乃宮 恋音(
jb1221)に、男性客はどよめく。
『こちらは月乃宮恋音選手! 薄桃色の浴衣でセクシーさの中に可愛さが光る! 帯の商店街の団扇にも注目です!』
恋音は大笹の側まで来ると、さらし代わりの光纏で動きやすいように体型をおさえた。
黒百合(
ja0422)は滑り止め用のチョークをはたきながら歩み出る。
『続いて黒百合選手! ロッククライミングの装備で準備はばっちりだ! 荷物が多いが、果たして吉か凶か!?』
金色の目が煌き、黒百合は楽しげに微笑む。
「きゃはァ……さて、どんな手段でやってしまいましょうかねェ……♪」
そして最後に登場したのは、小柄なアルティミシア(
jc1611)だ。
『最後は今回のダークホース、アルティミシア選手! 小等部生徒だがどう立ち回るか!? コメントをどうぞ!』
アルティミシアはマイクを向けられ、無表情だが少し困ったように首を竦めた。
「大人の人が、多いです、けど、やるからには、勝ちに行きます」
『さあ、これにて参加者が出揃いました! 実況は久遠ヶ原生徒、鵲助がお送りいたします!』
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鵲助に実況を、と提案したのは歌乃だった。
それは撃退士達が、実行委員会に事前に話し合った取り決めの内容を説明しに来た時だ。
「実況? 俺でいいのかな」
「実況があれば盛り上がるかもしれないし、お願いできると嬉しいです」
と透次も言う。
「それから、龍崎さんも言ってたんですが、落下対策にマットを広めに敷いて頂けますか」
その言葉に、海が頷いた。
「撃退士でも頂上付近で落ちれば無傷とはいかないからね」
委員長はすぐに用意するよと委員会に連絡を入れる。
「ええと、それで取り決めは……一般スキル以外の使用不可と……」
鵲助に、黒百合の声が重なった。
「『一般スキル以外の使用禁止、殺傷性のある道具・及び観客に被害を及ぼす小道具使用禁止』ってとこねェ……」
その手にはカラーコーンが抱えられていた。落下物などで一般客が怪我しないよう区画してきたらしい。万一に備えて消火器や水バケツ、救急用品も用意したというから、委員長は感謝しきりだ。
「スキルありにして飛んじゃったりしたら趣旨と違っちゃうし」
と言い添える海に鵲助はうんうんと頷いた。
歌乃が緑の目を細める。
「祭りが盛り上がれば神々も喜ぶだろう」
かくして、大笹登り対決が始まることとなった。
それぞれ準備する中、始まる前に透次は大笹の全周を観察する。
「少しはお祭りの役に立てる、と良いけど……盛り上げる、とかはよくよく考えるととても苦手だな……」
どうしようかと考えるが、前向きに首を振った。
「一先ずは、頑張って参加してみよう」
足場が多く登り易そうなルートを見つけ、開始まで脳内シミュレーションとイメージトレーニングを繰り返す。
一方、黒百合はリストバンドで短冊を手に固定していた。反対の手にはダミーもつけ、リュックサックを背負い、風船も沢山装備している。
その間に放送は今回の特別ルールを説明し、危険はないことを強調した。
『さて皆さん、準備はいいですか!? 大笹の頂上を勝ち取って下さい!』
参加者達の返事より大きく会場から歓声が上がる。
委員長はスターターピストルを高く掲げた。
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鳴り響く乾いた空砲に、撃退士たちは一斉に走り出した。
『まず華麗なスタートダッシュを決めたのは……透次選手だ!』
透次はイメトレ通りに迷わず登り始める。妨害や防御は脇へ捨て、シンプルに登ることだけに集中して、先行を狙う作戦だ。それこそが透次の最大の攻撃で防御となる。
海は透次に一瞬遅れ、飛び上がって枝を掴んだ。楽しみに来ている海としては、策は弄さず、妨害よりも登るのが優先だ。
『海選手、まずはジャンプで一気に距離を稼いだ! 流石、撃退士の身体能力を存分に生かしております! ……おっと、歌乃選手もご覧下さい!』
苦無を差し込み登攀していた歌乃は、どこに差し込めばパイプにダメージが少ないか素早く見極め、束ねられたパイプの隙間に深く差し込むとそれを足場にした。身軽な彼女は、そこから大道芸のように枝へと飛び移る。
おおっと観客から声が漏れる。
跳躍と舞台芸術の覚えが、彼女の動きをよりパフォーマンスらしく見せていた。苦無には縄がついており、引っ張って手元に戻すと、再びパイプの隙間に投げ差す。まるで踊っているかのように優雅ささえあった。
『ショーを見ているようです! さて、ここでいつの間にか食い下がってきているのは、アルティミシア選手だ!』
長期戦は不利と判断したアルティミシアは気配を消し、全力で頂点を目指していた。無駄のない動きで、周囲への警戒も怠らない。
「今回は、勝ちに行きます。今のボクの力が、どこまで通じるか、確かめるため、全力で、行きます」
やはり表情はないが、どことなく楽しそうな空気を纏っている。緋色の瞳は真っ直ぐで、淀みない。
――ここの人達は馬鹿ではないから、純粋に勝負を楽しめる。
無邪気に対決の行方を見つめた。
『一方、恋音選手も着実に登ってきているっ! やや遅れているものの巻き返しをはかっています!』
どちらかというと身体能力に恵まれておらず、運動面で不利になりやすい――何せ押さえていてさえ豊満な胸を抱えている恋音は、遅れを覚悟で他の参加者が選んでいないルートに移動して登っていた。
妨害よりも防ぐ方が大事な課題だ。運が良ければ巻き込まれないうちに、人数が減っているかもしれない。枝が多い安定した場所を選び、危なげなく上を目指す。
だが、そこで手にぬるっとした感触があり、恋音は掴んだ枝を慌てて離した。
「……あ、油……?」
見上げた先でカラフルな風船が割れた。
『あっ、黒百合選手が油入りの風船を投げているようです! これは登りにくい!』
ロッククライミングの要領で大笹を登っていた黒百合が、油を充填した風船を相手の登る先に投擲している。黒百合は悪戯っぽく笑った。彼女自身はゴム手袋もつけて抜群の安定感を保っている。
『大幅なルート変更が余儀なくされそうですが、これには各選手どう対処するのか!?』
油がパイプを流れ落ちる。透次は一瞬逡巡した。だが、先ほどまでの勢いを止めることなく、そのまま大笹を登っていく。
「僕はただ男らしく突き進むのみ」
策は捨て、迷うことなく前へ進む。
誰よりも強いその思いが、透次を切り抜けさせた。思い切って登ったことで、油があまり広がらないうちにそこを越えることが出来た。彼が迷っていたなら、油が広がってルート変更をしなければならなかっただろう。
『これは英断だったー! 透次選手、そのまま油を切り抜けました! 前へ進むという信念で猛火となって登り続けます!』
愚直に頑張る姿を見せる……これで少しは盛り上がらないかなぁと思う透次の耳に、観客の歓声が届いた。
会場はかなりの熱狂ぶりだ。
『他の選手はどう動くか!? 油はかなり広がってきています! あーっと恋音選手が危ない!』
油を触った手では滑りやすく、恋音は枝を掴み損ねた。バランスを崩し、転落しかける。
「……きゃっ……!」
恋音は咄嗟に鎖鎌を活性化した。
『恋音選手、魔具を活性化し、枝に巻き付けました! 危ないところでしたが、隠密の鎖鎌で間一髪だ……!』
が、しかし、転落しかけた拍子に浴衣の裾が少し破れてしまい、陶器のような足がそこから覗く。そして、それ以上に……。
『あ、あ! いけない! 胸元がセクシーなことになってしまっております! 誰かタオルを投げてあげて下さい!』
はだけた胸元がサービス満点のお色気シーンとなってしまっている。彼女の願いは「常識的なサイズ迄で良いので胸が小さくなるか、せめて胸のサイズが気にならないようになりますように」だったのだが、チラリズムな胸の谷間にお父さん方は大盛り上がりだ。恋音は男性陣の熱のこもった視線には気付かず、恥ずかしそうに胸元を押さえて、身動きがとれなくなってしまった。
そんな盛り上がりの中、周囲を警戒していたアルティミシアも油に触れるのを避け、別のルートを模索する。
海は横に回避できそうな枝があったため、そこで難を逃れた。
今の間にトップに躍り出ていた黒百合は、油の撹乱から次第に自分のペースを取り戻し始めた参加者達を見下ろし、楽しそうに次の手を考える。
「じゃあお次はァ……♪」
『ここで黒百合選手、ネビロスの操糸を繰り出します! 直接攻撃は禁止されていますが、どう使うのか!? なお、撃退士達は特殊な訓練を受けておりますので、絶対に真似をしないで下さい!』
そもそも真似しようもないが、ついつい実況にも力が入る。
黒百合は目に見えないほど細いフレキシブルワイヤーを操り、他の参加者の手の短冊を奪い取ろうと動かす。傷つけないように細心の注意を払ってだが、それでも閃く金属の糸は、十分脅威だ。
まず標的となったのは海だった。
『ネビロスの操糸が海選手を襲います! ――いやしかし、海選手、避けた!』
身動きのとれない場所で、しかも上をとられた不利な状況、それでも何とか短冊を守る。その握り締められた短冊には「明日は今日より少しだけいい日でありますように」と書かれていた。
もし捻じ曲がって夢に出てきても、そこまで悪いことにはならないだろうという期待も込めた願い事だ。
(それに、叶えば叶ったで、損はないし)
そんな短冊を、黒百合が狙う。
『目に見えないほどの糸が海選手を狙っております! どこまで耐えるか、海選手!』
かなりの健闘を見せる海。このまま耐え凌ぐか――観客がそう思った瞬間、海がバランスを崩す。咄嗟に手を伸ばすが、それはちょうど、油を被った枝だった。
しまった、と思うより早く、海の体が落下する。
下にはマットがあるが、海は陰影の翼で落下を回避した。
『残念ー! スキルを使ったので、海選手、ここで失格となってしまいました!』
「さすがに怪我をするのはね……」
海は肩をすくめ、手を伸ばした先の枝に短冊をつけた。
『さあ、勝負の行方はどうなるのか!? 透次選手と歌乃選手が怒涛の追い上げを見せていますが、依然トップは黒百合選手……いえ、アルティミシア選手です! アルティミシア選手がトップに躍り出ました!』
仕掛けるより仕掛けられる方への注意に重きを置いていたアルティミシアは、他の相手が狙われている間に短期決戦で勝負をつけようと全力を注いでいた。だが、そこを逃す黒百合ではない。ワイヤーがアルティミシアに向かう。
アルティミシアは素早くそれを避けるが、しかし狙いはあくまで短冊だ。体がワイヤーを避けている隙に、短冊を掠め取る。
あ、と思った時には既に、アルティミシアの短冊は黒百合の手の中にあった。
『アルティミシア選手惜しかった! 黒百合選手、アルティミシア選手の短冊を笹につけます!』
勢いそのままに黒百合は歌乃を狙う。
もはや会場の興奮はピークに達している。
しかし歌乃は胸元に短冊を隠していた。短冊の場所がわからなければ、奪いようがない。
『透次選手か、歌乃選手か、黒百合選手か!? この勝負わからなくなってきた、勝つのは誰だ!?』
歌乃はワイヤーを跳躍で回避する。それは登るのと同じ優雅さで、まるでワイヤーまでもが予定調和のパフォーマンスのようだった。
あくまでも回避に徹するのは日頃の訓練の成果を試したい気持ちと、神事の一部だと考えているからだ。ワイヤーを避けて体を捻り、三角飛びをして、枝に足をかける。
しかし、それでもあと少しで追い詰める……そう思った時。
『終了ー!! 今年の大笹登りの優勝者は……歌乃選手です!!!』
鵲助の声が響き渡った。
見ると、歌乃の手が大笹の頂点にかかっている。歌乃は黒百合のワイヤーを回避しているようで、同時に笹登りを続けていたのだ。
拍手が会場を埋め尽くす。
黒百合はその盛り上がりを眺めると、満足そうにロープでパイプに体を固定した。もとより、勝ち負けは彼女にとって重要ではない。それよりも、観客が楽しんでくれることが一番大切なのだから。
黒百合が背負ってきたリュックサックには花火が入っていた。
空に咲いた大輪の花に、観客達の歓声が重なった。
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透次と海が、怪我人がいないか確認する。幸い、皆無傷だったようだ。
「いい運動になった。たまには他者と張り合うというのも悪くないかもしれない」
歌乃が最後に笹から下りてくる。
「やはり、勝てませんか。でも、今のボクの力が、わかりました。勝負してくれてありがとう」
アルティミシアは参加者達と握手を交わした。
「さ、リラックス飲料を、飲みに、行きましょう。……今までが、悪夢の様な、悪魔生、でしたから、 悪夢を見ても、まぁ……問題なし、でしょう」
ボクの周りから、馬鹿(知識が低い事とは別)がいなくなります様に、と願いを書いていたが……。
「僕は『お祭りが盛り上がりますように』です」
特に叶えて貰いたい願いというのも思いつかず。でも、それはもう叶ってしまったなと思う。
「悪夢は、そう気にしなくてもいいかもしれないぞ」
歌乃の口元がにやりと笑った。
彼女が頂上につけてきた願い事。それは「参加者が悪夢を目覚めた時覚えていない事」――。
「願いは自分で叶えるが、こればかりはどうしようもないからな」
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その後、テントで眠る参加者達は一様に眉根を寄せていたということだが、きっと起きた頃には全てを忘れていることだろう。
――ただそんな中、恋音だけはほんの少し満足そうだった。
「……ああ、全体的に大きくなってしまったけれど……これはこれで……」