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小道に陽光が降り注いでいる。
「中等部の黒井です。よろしくお願いします」
黒井 明斗(
jb0525)は礼儀正しく礼をした。依頼主の老婦人、西園寺キクエはよろしくねと微笑み、使用人も礼を返す。
深森 木葉(
jb1711)が着物の袂を翻し、明るく笑った。
「お婆さまの護衛ですぅ。がんばりましょう〜」
隣でRobin redbreast(
jb2203)――ロビンも依頼内容を反芻してこくりと頷く。
「思い出の岬まで護衛する任務だね。了解、がんばる」
地面はしっとりと湿って、土埃もなく車椅子の車輪を回す。老婦人は気持ち良さそうに深呼吸した。
歩き出しながら、星杜 藤花(
ja0292)は彼女の祖母を思い出す。
(もっとも、うちの祖母は矍鑠とした方ですが)
その祖母がいたから今の自分もある。そう思う横顔に、柔らかな栗毛が揺れる。
撃退士達は年若く、しかしどこか深いものを瞳に抱えているようだった。
遠くから見れば遠足や林間学校のようだが、そこにはあくまで依頼だというプロの表情が見られる。
明斗は仲間と連絡先を交換し、一足先に岬までの道の安全を確認しに発った。
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)が一行の少し前をのんびりと歩き、百目鬼 揺籠(
jb8361)は同じくらいの距離を開けて後ろをついてくる。
森の中に小鳥のさえずる声が響いていた。
●藤花の物語
「わたしは幼い頃に好いた方がいまして。その方のことはけれど事情あって忘れてしまっていて……」
始めに車椅子を押すのは藤花だった。澄んだ瞳が伏せた睫から覗く。貴方のお話を聞かせてという老婦人に、藤花は答えた。声は葉擦れの音の中、控えめに流れる。
「学園で会った時は、気づかなかったんです、お互い。でも、その人がいたからこそ今の自分がいて……」
一応、これでも婚姻済みなんですよ? と笑うと、老婦人はアラと明るく驚く。
「それに、天魔に親を殺された幼い子を引き取って育てていて」
「まあ……そうなの」
「きっと撃退士でなければ、こんな人生とは無縁だったでしょう。だから、大変なこともあるけれど、撃退士になったことに後悔はしていません」
「立派ね」
藤花は僅かに首を振り、微笑んだ。
「人の生き死にを決めるような、そんな辛いものは見たくないですけど。わたしは人を『生かす』ために撃退士をやっている、そう思っていますから」
藤花は柔らかい筆致の書家だが、そもそも彼女の家系が女系の書家だった。夫の家は小さな料亭を営んでおり、彼女の祖母の掛け軸が縁で家族ぐるみの付き合いとなった。
初めて会ったのは七五三。
初恋だった、と藤花は思う。
だが、彼の両親が天魔に殺され、彼は施設をたらい回しに――幼い少女は、ショックから彼らのこと忘れてしまった。
そんな経験があるからだろうか。
「将来は……ええ、天魔の影響で身寄りの無い子どもを引き取ったりして、家族として暮らしていきたいな、と」
もともと祖母は今の夫と彼女を許嫁にしようとしていたらしい。二人をえにしが繋いでいるのかもしれない。
「それは、とっても素晴らしいわね」
老婦人は感じ入ったように、何度も小さく頷いてみせた。
●ロビンの物語
貴方の話を聞かせて、と言うと、ロビンは車椅子を押しながら少しぼんやりと黙った。
翡翠の瞳が言葉を探して揺れる。
「例えば、嬉しかったことって何かしら。学園に入って変わったこととか」
老婦人に促され、少女は首を傾げた。
「嬉しかったこと……うーん、何だろう……? 依頼が成功した時とか、かな」
殺人を行う機械とされてきたロビンは、一人の人間として扱われるのに慣れていなかった。感傷もなく、例えば依頼も、岬にどんな思い出があるのか、家族との思い出の場所なのかと思うこともなく、ただ仕事として護衛するだけだ。
そんなロビンにとって、自分のことを尋ねられるのは戸惑いを孕んだ。
「変わったことは……叩かれたり痛いことされなくなったことかな? 自分で考えなさいって言われるのが難しいよ」
ましてや、その答えに悲しげな声を漏らした老婦人が「じゃあこれから沢山、自分の気持ちを見つけていかないとなのね」と優しい眼差しを向けるのにも、家族の記憶も意識下に追いやり、老人と接する機会もないロビンは、どうしていいのかわからないように困った表情を浮かべる。
ただ、それが心の中に温もりを灯すのを微かに感じた。
「撃退士になって良かったかどうか……? うーーーーん、どうだろう。でも、前より色んなことをするようになったかな。……こうやって、おばあさんとお話できたり……?」
ロビンは少し照れたように答えた。
「そのおかげで私もロビンさんとお話出来るのね」
老婦人は嬉しそうに手を合わせる。
(おばあさんになると、友達がみんな死んでしまって寂しいのかな……)
ふとそう思い、おばあさんも、どこかの学校に入ったら、友達がたくさんできるかもしれないよと言うと、老婦人はアラそれはいい考えね! とにこにこ笑った。
車椅子を押す役を交代すると、ロビンは使用人に歩み寄る。
「おじさん、荷物重い? あたしが持つ? 撃退士は力持ちなんだよ」
優しい申し出を、いえ、このくらい……と使用人が遠慮しようとすると、老婦人から「お願いしたら? 体力が落ちたってぼやいていたじゃない」と声がかかる。
「奥様っ」
ロビンはあどけなく小首を傾げた。
「おじさんは、おばあさんのことが好きなの?」
使用人はどぎまぎと黙りこくり、老婦人は言いづらいわよねえとまた笑った。
結局荷物を持つことになったロビンは使用人の繰り返しの「ありがとう」にまた少し戸惑うこととなる。
●竜胆の物語
「さ、これから暫くは僕のエスコートだよ」
竜胆はにっこり微笑む。
それは少しばかりふざけて軽い態度にも見えたが、車椅子を押す手つきは丁寧で、揺れないよう優しく注意を払っている。眼鏡の奥からはオッドアイが、万が一の天魔出現に備えて視線を巡らせていた。
「僕が学園に入ったのは、特に理由はなくて」
老婦人の質問に竜胆は答える。
――実際にははとこを護りたいってのが理由だけど……。
それは本人にも誰にも言わない竜胆の秘密だ。代わりに気楽な様子で肩を竦める。
「ま、家出て自由になるのもいいかなーと? なので独り暮らしを満喫中」
但し(坊ちゃん育ちで)家事一切出来ないので、はとこや友人等に頼りまくりだけどと笑うと、わかるわぁと老婦人も笑った。
「僕、ハーフなんで外見こんなだけど、日本生まれ日本育ちのめっちゃ日本人で。だから地元で普通に公立校とか通ってると悪目立ちしてた。久遠ヶ原だと僕みたいな没個性? な人種は目立たなくて良いね、皆個性的」
「あら、砂原さんよりかっこいい人ばかりじゃ大変だわ」
老婦人がくすくすと笑い、竜胆も笑う。
目的地からだろう。潮風の匂いが微かに鼻を掠めた。
観光地でもない岬。思い出の場所らしいが、どんな思い出なのか。けれど、詮索する気はない。レディから話してくれる分には聞かせてもらう、というスタンスだ。
無論レディとは老婦人のことであり、女性は幾つになってもレディだという竜胆らしい物言いである。
「撃退士になって良かったと思うよ。……大切なモノの為に出来る事、増えたし」
まあ大切なモノ自体も増えちゃったけど、と戯けると、本当に素晴らしいことだわと老婦人は頷く。
「ずっと大切に出来ますよう」
祈りにも似た彼女の言葉に、竜胆は目を細めた。
●明斗の物語
先に岬までの道を確認しに行った明斗から「森の出口付近に木が複数本倒れている場所があります」と連絡があってからしばらくして、彼は皆の元へ戻ってきた。
「倒木は不安定で、下手に触ると崩れそうな状態です。確認してから対処を考えた方がいいかもしれません」
背筋を伸ばして報告し、その言葉にやや不安げな色を浮かべた老婦人と使用人に問題ありませんと誠実な視線を向ける。
天魔を発見したらすぐ対処をと考えていたが、幸い森は静寂そのものだ。倒木の問題はあるが、その他はたまに枝が落ちているくらいで、それも先行中に片付けた。
一通りの確認を終え、明斗が車椅子を押す役につく。
その上空にはずっと彼のヒリュウがおり、引き続き森の様子を確認していた。
老婦人はそれを少女のような目で見上げる。
「それで、黒井さんは学園に入って良かったことって何かしら」
「……友達が出来た事ですね。アウルなんて持ってると普通の人は気味悪いみたいで」
「そうなの……そういう人もいるのねえ」
眉を寄せる老婦人に、明斗は穏やかに微笑む。
辛いこともあった? という問いにも、
「こういう仕事ですから……色々ですね」
と、優しい表情を浮かべる。
「そうね……色々、あるわよね。――この先は、どんなことをしてみたい?」
「みんなと、ゆっくりお茶でも飲めたら良いですね」
明斗は黒い目を遥かに向けた。
「みんな?」
「ええ、みんなとです」
彼の心に浮かぶのは、天使や悪魔、信者、あまねく全ての存在。
「素敵な夢ね」
老婦人はそう答えながら、明斗の敬虔な横顔を見ていた。
●木葉の物語
「さて、あたしの番ですねぇ〜。お婆さま、行きますよぉ〜って、あれ? ま、前が見えませんよ……」
小柄な木葉に、老婦人は「大丈夫?」と言いかけて口を噤んだ。立派な撃退士である彼女に、労りであろうとそれは失礼に思われた。
何とか横から覗き込むように前を見る彼女の髪を風が躍らせた。
慎重に車椅子を押しながら、木葉は老婦人の問いに快く答える。
「学園は、楽しいですよぉ〜。最初は色々あって恨んだり憎んだりしてたけど、たくさんのお友達に出会えて、変わっていきましたぁ〜」
そう、と老婦人は静かに頷いた。言葉からその境遇が何となく察せられて、胸が痛む。大切なものを失ったのだろう。
だが、老婦人の気持ちとは逆に、木葉はにっこりと笑う。
「あたしのこと、妹とか愛娘とか呼んで可愛がってくれる人たち。新しい『家族』も出来ましたぁ」
「まあ……それは本当に良かったこと」
「天魔の人たちとも仲良くなれて……。だから、みんなで仲良くなれれば、素敵かなって」
紫の瞳が木漏れ日を受けてきらきらと輝く。
「お空の父と母も、あたしが復讐に生きるより、笑って幸せに生きてる方が安心して眠れるかなぁって。えへへっ、勝手な思い込みだけどねぇ〜。でも、そう思うの」
「そうね……私もそう思うわ。木葉ちゃん、本当に」
老婦人は横から顔を出す木葉に、愛情深い視線を向けた。
「出来るかどうかわかんないけれど、あたしは天魔と人間が共に生きていける世界を作りたいなって……」
もう自分のような思いをする子供達を作らないように。
「貴方は、撃退士になって、良かったと思う?」
問われると、木葉は笑顔で答えた。
「はい」
そのただ一言に、全ての想いを込めて。
●揺籠の物語
「俺は百目鬼揺籠でさ。実を言うとその正体は妖怪で、西園寺サンが生まれるずっと前から生きてるんですぜ。なぁんて、信じるか信じないかはお任せしますね」
ゆっくり丁寧に揺籠が車椅子を押す。
「妖怪!」
老婦人は思わず声をあげてから両手で口元を隠し、恥ずかしそうにごめんなさいねと言った。けれどその頬は少し紅潮し、嬉しげだ。
「前から仕事なりなんなりしてたんで。そんなには変わんねぇんですけどね。こんなに長く一つの場所にいるのはあんまりねぇかもしれません。住処にも学園にも人が沢山いますし賑やかです。時間の進むのが速く感じまさぁ」
揺籠の話は商人らしく軽妙で引き込まれる。飄々とした語り口に、老婦人はすっかりと聞き入った。
「齢の小せぇ子まで戦地に行くのを見るのは、自分が決めたこととはいえまだちいと慣れねぇんですが、ね」
そうでしょうね、と、老婦人は神妙に頷く。学園には幼くして撃退士になった者も少なくない。僅かにかぶりを振り、揺籠は話を続けた。
嬉しかったことを問われると、少し考えて、金色の目を細める。
「……それが結構いっぱい、あるんですよね。ああ、この間ガキに誕生日プレゼントを貰いましたぜ。なんだか人間みてぇでしょ」
短く笑ってみせる。素敵だわ、と老婦人も笑った。
「揺籠さんは、撃退士になって良かった?」
問うと、揺籠は一瞬片手で腕に触れ、また逡巡する。
「俺はずっと長いこと、自分が生きる為に戦ってきました。それは何にも悪いことじゃねぇ。戦わなきゃ生きてけなかったんでさ。撃退士ってぇのも、最初は実入りのいい仕事くれぇの気持ちではじめたんですがね。思えば誰かの為に……人の子の為に戦うってぇのははじめてでさ。妖なのに妙な話なんですけどねぇ、これもなかなか悪くねぇ。――俺ももしかしたら人間に成れるんじゃねぇか、なんて思っちまうんですよ」
小さく相槌を打っていた老婦人は、最後にもう一つ大きく頷く。
「貴方の言う『人間』がどんな意味かはわからないけれど――きっと生まれながらの人間はいなくて、皆どこかで人間になっていくのね」
揺籠は目を閉じ、長い瞬きをした。
「ひとつ聞いても良いですかぃ?」
「何かしら」
「西園寺サンは、この世界が好きですか」
思わぬ問いに老婦人は少し驚く。そしてしばらく答えを探した。
「……ええ、好きだわ。いいことも、辛いこともあるけど、私みたいにおばあちゃんになるまで生きると、きっと全部帳尻が合うようになっているのじゃないかしら」
そうですか。揺籠は明るく答え、残りの道程を行くべく前へ進んだ。
●岬
車椅子に危険がないか先を気をつけていた藤花が顔を上げた。明斗が言っていた倒木が見える。ということは、これさえ越えれば目的地ということだった。
倒木は話の通り、不安定に重なり合ってどこかを触れば大きく崩れそうだ。
「ぜんぶ吹っ飛ばしちゃう? それとも思い出の場所は壊さないで、そうっと退かした方がいい?」
ロビンが小首を傾げる。竜胆も「魔法で吹き飛ばしちゃダメ?」と倒木の様子を見た。
しかし倒木は広範囲で、結局は乗り越えるのに一部分だけ除去することとなった。腕の目を隠しながら光纏した揺籠が慎重に崩れてきそうな部分を支え、藤花とロビンが倒木をどかす。木葉はもしものために、老婦人を庇える位置に立つ。
やがてそれが済むと、老婦人を竜胆が「お姫様抱っこ」して、乗り越えた。娘に戻ったみたいと微笑む老婦人の後を、使用人を背負った明斗が追いかける。
その向こうにあったのは、美しい岬だった。
「孫がこの岬を好きだったの。撃退士になるはずだったのよ。入園前に、事故で亡くなってしまったのだけど」
車椅子で岬に佇み、老婦人は海の彼方を優しく眺めた。
荷物から花を出し、海に捧げる。
「生きていたらきっと、貴方達のように感じていてくれたわね」
「良かったら歌を贈らせて?」
竜胆の言葉に老婦人は是非と頷く。
どこまでも青い水平線に、澄んだ竜胆の歌声がよく似合っていた。