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後の世に吟遊詩人は、その旅人達をこう語る。
一人目の旅人は赤い首巻きの青年。目は鋭く力強いが、まだ若く幼ささえ残る。
彼はかつて千葉 真一(
ja0070)と呼ばれていた己の名すら知らなかった。誇り高き二つ名も。
ある戦いが彼に不死の呪いを与え、記憶を封じた。流離い人となって、この国に行き着いたのは偶然か。だが、
「襲い来る悪意の前に流れた多くの血と涙を感じた」
それを知って立ち去る選択はないと、青年は言った。
「今の俺は名無しの旅人、身の証を立てる術はこれだけだが」
そして示すは神秘の力――アウル。その輝きに、王は彼らの神がかり的な力の意味を知る。
二人目の旅人は武者修行中の騎士。
月詠 神削(
ja5265)という名を隠し、救出に馳せ参じる。しなやかな体躯は鎧で覆うが、その振る舞いの気品までは隠せない。けれど、今は誰も気付かぬまま――それが王子の父王の側室が生んだ子、即ち王位継承争いを嫌い出奔した異母兄、その人であることを。
三人目の旅人は元宮廷魔術師だというハーフエルフ。黒衣に身を包み、名をルナ・ジョーカー(
jb2309)と名乗る。
そして、その魔術師のポケットの中で様子を窺う小さき者。華澄・エルシャン・ジョーカー(
jb6365)――エルシャンという名のシルフ、彼女が四人目の旅人であった。人の役に立たんとルナと主従契約を交わし、以来ルナの懐を居所とする。抜け出ると金色の柔い髪が翻り、人と変わらぬ姿となる。その睫には少しの憂慮が宿っていたが、精霊の加護の心強さに王は喜んだ。
五人目の旅人は流れの傭兵。
只野黒子(
ja0049)と名乗り、それ以上は何も知れぬ。何の奇妙もない風貌で、ただ粛々と名乗り、行動したという。ただ一つの奇妙として、目元は防具に覆われていて確かではないが、この時代には魔術で染まる以外で珍しい、赤い瞳をしていたと伝えられている。
六人目の旅人も知られている話は少ない。
「あたしはアサニエル(
jb5431)……しがない旅の魔術士だよ」
目深にフードを被り、口元だけを覗かせて微笑む。どうやら美しき女人であることはわかるのに、どのような声であったか、どのような姿であったか、一人として覚えてはいないのだ。
民の歓声に見送られようともせず、暗いうちにひっそりと旅立つ彼らの背を、月の女神が眩き光で照らしていたという。
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今は廃墟となった城に旅人達は辿り着いた。
ヒュドラの痛ましき犠牲者達を抜けていくと、彼らは他の犠牲者達と同じく、物言わぬ姿となった姫らを見つけた。手遅れだろうか。
否。ヒュドラを倒せば望みはある。魔術師ルナが彼らを励ました。
二人の向く方向を見れば、いずこへ続くとも知れない暗き竜の塒がある。旅人達は各々が武器を静かに手に取った。
同士として力を合わせよう、と真一が真っ直ぐな瞳を向ける。種族や立場が違うことなど彼には関係ない。あるのはヒュドラを倒すという意志だけだ。アサニエルが頷いて答える。
「さて、ちょいとヒュドラとやらに挨拶しにいくかい」
生き物の近づく気配がした。
神削は弓に矢を番える。
そうしながら、ちらりと姫、そして弟である王子を見た。表情は恐怖に歪んでいるが、腕は姫を守るように抱いていた。
(あの病弱な弟が……な)
愛は人を成長させる。それを感じながら、必ず弟とその愛する人を助けようと決意を固める。
殺気に気付いたのだろうか。ヒュドラが唸る声が響く。
怯えるエルシャンをルナは後ろに庇った。エルシャンは従僕だが、無理に戦わせる気はない。本人の意思を尊重しようという思いもあったが、別の理由もあった。今の彼女は戦えないのだ。戦いの中、自らの失敗でルナが負傷して以来、その恐怖に囚われている。
「エルシャンに無理はさせられないな……」
久々に本気だすか、とルナは力を発動する。するとその瞳に神秘の力で紅が宿った。
それを合図とするかのように、ヒュドラは一気に広間へと迫る。その八つの口から放たれる声が空気を震わせた。
そして、姿を現す。
彼らは思わず息を呑んだ。黒き竜は足の竦むほどに巨大で、小さな蛙でも見るかのように旅人達を見据えている。
だが、彼らは蛙ではない。まず動いたのは神削だった。炎や吹雪の被害を最小限とするためには、一塊になってはいけない。アサニエルもその意図を察し、仲間達を促して散らばる。
まずは不死身の首を倒さなければ。彼らは視線を交し合った。
「ゴウライ、反転キィィィック!」
真一が宙返りからの痛烈な蹴りを放ち、ヒュドラの意識を向けさせた。
神削も牙や爪では届かない距離から弓矢で攻撃し、炎や吹雪を誘う。何も吐かないらしい不死の首を見極めるために、他の首に吐かせる作戦だ。
狙い通り、ヒュドラは口を開け、その喉奥から燃え滾る炎を放つ。アサニエルがその標的となるも、魔術士はその軌道を予測していた如くに素早く避ける。反撃に転じるが、倒してしまえば首が増える。牽制だけだ。
だがヒュドラの攻撃は思いのほか激しく、炎から逃れたところを吹雪に追い立てられ、思うように分散が出来ない。もしも一塊にされて逃げ道を塞ぐように攻撃されたなら、ひとたまりもないだろう。
「ほ……本気出すもん……人間も助けて……我が君の役に立つの。もう一度戦う勇気を……」
そこで飛び出したのは、怯えていたはずのエルシャンだった。
矢を放ちながら全力で移動し、決して仲間と同じ範囲に留まらないようにする。駆け抜ける彼女の周りには桜色の光が流れていた。
「怯えながらも張り切ってるみたいだな……ありがとう」
微笑み、敵に立ち向かうシルフの姿をルナは見つめる。
「さて、女が頑張ってくれてるのにここで頑張らないわけにはいかないな。君が頑張ってくれるのなら、俺は風で障気を払い、焔で不死身の首の切断面を焼き尽くそう!」
魔法書から作り出した剣を構えた。
「黒き剣を以って君の援護を! 魔の業を……とくとご覧あれ」
その瞬間、鮮やかな光が放たれ、凄まじい爆発を起こした。敵が怯んだ隙にエルシャンは追い詰められないよう、素早く反対側へ回り込む。爆発を食らったヒュドラは怒り、吹雪を撒き散らした。
神削がそこへ矢を射る。その先端には小袋が下げられており、首にぶつかって弾けた。中は青い塗料だ。激しく動き回る首を見失わないよう、目印とする。炎には赤。
黒子はその中で、防具に隠された目元から、ヒュドラをじっと観察する。生え変わらない不死の首は、古傷が多いことが考えられる。よく見れば実際に傷の多い首と少ない首がいた。少ない首と塗料のついた首を除外すれば、かなり絞れてくる。
動き回りながら、その中の味方が攻撃していない首を狙い、軽度な攻撃を加えていく。他の首が庇うか、ブレスで反撃して来るかを冷静に見極める。
激しくのたうつ大蛇のような首が人影に次々と襲い来る。その眼には姫らの石像さえ見分けがついていないようだった。真一は懸命にヒュドラを引き付けていたが、石像が打ち倒されそうになり、思わずその前に飛び出す。
「やらせはしない!」
竜の口から雷が放たれ、真一の肩を掠った。
「……っ!」
像は無事だったが、肩を焦がされ、真一は痛みをこらえて唇を噛む。
細かく攻撃を加えるルナに援護され、黒子が真一の元へ走る。戦力を欠けさせまいと、小さなアウルの光を送り込み、回復を図った。
神削が今の首に黄の塗料を塗りつけ、雷の目印をつける。真一を回復させながらも敵から目を離さなかった黒子は、そこでとうとう見極めた。
中心に位置する首。それが、不死の首だ。
神削は大剣に持ち替えて、その首に立ち向かう。
その邪魔はさせまいと、黒子は白い印をつけられた首に猛攻をしかけて注意を引く。それは一度で戦闘不能に陥らされてしまう最も警戒すべき石化の首だった。囮となり、本丸への攻撃を通すべく、危険な首の前に立つ。――彼女には絶対にヒュドラを倒さねばならないわけがあった。しかし、感傷に浸るでなく、あくまでの冷静に、思い定めた役目を全うせんと動く。
回復した真一もその間に不死の首に攻撃を仕掛けた。
ヒュドラは苛立ちを覚えたかのように咆哮する。
空気を薙ぐヒュドラの首は小柄なエルシャンくらい一呑みにしそうだ。それをきゃあと避けながら、エルシャンはルナに視線を向ける。
「あんなおっきなヒュドラよ。我が君……本当にやるの? 怖いよぅ。えーい! 喰らえ! 矢は一箇所じゃないよぉーだ」
攻撃を妨害するべく、動き回りながら全ての首に波状攻撃を仕掛ける。ヒュドラはまごついたが、それでも押さえ込みきれない複数の首を、一瞬アサニエルが引き受ける。火球を炸裂させ、激しい炎を撒き散らした。エルシャンはその間に剣をとり、不死の首に攻撃を重ねる。
攻撃を受けたヒュドラは弱りつつあったが、手負いの凶暴さで怒り狂い、広間を埋めるかのようにブレス攻撃をかけ始めた。首は八つだが、こちらは六人。耐えきれるか。
黒子はそこでむしろがむしゃらに石化の首へ攻撃を仕掛けた。押されるが、そこには差し違え覚悟の気迫がある。それは他の首をも引き付け、黒子は囲まれる。
その間にエルシャンがロゼ色の閃光を放った。真紅の水晶の如き光が煌き、不死の首を裂く。
神削の両腕に光と闇が宿った。神削は大剣を構え、一度屈んで跳躍する。その切っ先は迷うことなく、やり違えることなく。
――太い首を一息に切断した。
それを確かに確認しながら――黒子は自身が痛みと共に石になっていくのを感じていた。
古城を揺るがすほどの鳴き声が響き渡る。
ヒュドラの首はうねり、炎や吹雪を吐き散らして、今起きた事を必死に否定しようとするかのようだった。
石化した黒子に味方が寄ろうとすると、ヒュドラはそこにまとめて怒りをぶつけようと口を開いた。ルナが散開の声を上げ、黒剣でヒュドラの首を逸らす。
「流石は腐ってもドラゴンということか、タフで、なんとも忌々しいブレスよ」
七つ首となったヒュドラを見据える。
「だがこの俺はお前ごときにやられるほど落ちぶれてはいない!」
翻した黒剣に、陽炎が揺らめいている。ルナは炎の首に討ちかかった。攻撃をかわされても、そのまま懐に飛び込み、不死の首の切り口を焼き付ける。
その横を駆け抜け、攻撃しては移動を続け、エルシャンはヒュドラを撹乱する。
「ブレス? ふん! 紅き風の力よ邪なものを打ち砕け!」
シルフの緑の瞳に力強い光が戻っていくのを主の魔術師は見る。
その間、アサニエルは黒子の下へ残り、回復を試みていた。魔法では回復できないはず――という味方の視線に、アサニエルは答えない。
黒子が石化の首を長く相手どっていたおかげで、神削は石化の首が攻撃に転じる動きを視界の端に捉えていた。大剣を構えて吹雪の首を相手にしながら、石化の首にも意識を向ける。そもそも攻撃させたくはないが、それも難しい。
石化の首がふっと頭を引いた。来る、と気付いた神削はその瞬間吹雪の首に痛烈な打撃を加えて石化の首へ向かって吹き飛ばす。
思惑通り、吹雪の首は石化の首と衝突した。そして、そのまま石化し、自重で床に叩きつけられて粉々になる。
石化の首と二つの炎の首が憎悪に眼を見開き、神削を囲い込んだ。さすがに受けきれないか。大剣を構えていると、石化の首を後ろから矢が射抜く。
アサニエルによって回復した黒子が弓を構え、ヒュドラを見据えていた。
神削が同時に、一頭の炎の首を貫き、ヒュドラは呻く。
竜はもはや不死ではない。一気に打ち倒すなら、今。
黒く輝く霧を身に纏い、エルシャンはヒュドラの雷を受け流す。
「弱くても……ふぇぇ……破邪の力は我が手に!」
霧に身を隠したエルシャンは、恐怖を押し殺してヒュドラに食らいつく。懸命な想いが彼女の心に勇気を与え、エルシャンはもう迷わなかった。
「どこ見てるの? 乙女の渾身の一撃とくと味わえ!」
先ほどよりも眩しく美しいロゼの光が放たれ、真っ直ぐに竜の首を貫く。それはまるで朝焼けの光のようだった。
「そうだ……思い出した」
残る首と胴体を見据え、真一がヒュドラと対峙する。
戦いの総毛立つような空気と、それに立ち向かう人々の勇気が、彼に呪いでは決して挫きえない信念を思い起こさせた。
「人の世を脅かす怪異を退ける、この手にあるのはその為の力だ!」
赤い首巻きが翻る。
「変身っ! 天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!!」
かつての英雄が一人。紅の勇者と呼ばれたその人が、再臨する。
「ゴウライ、流星閃光キィィィック!!」
真一の足元に宿る光は太陽の如く、そして打ち据える様は流星が如く。皆、それぞれに真一を援護して矢を放ち、魔法を放ち、それは一筋の輝きとなる。
――そしてヒュドラは、敗れ去った。
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ヒュドラの死により、石化されていた犠牲者達は全て元の姿に戻ることが出来た。その中にはもちろん姫と王子の姿もある。
ルナは彼らを全員外へと導き、竜を瘴気と共に地の底に封じることにした。古城は静かに崩れ去り、ヒュドラの墓標となる。これで瘴気に倒れた民も目覚めるだろう。
ルナは助かったことを喜ぶ人々に目を向けた。彼らの無事が討伐の証となろう。いつの間にかエルシャンがルナに寄り添う。
「人間は私よりずっと怖かったのね……大丈夫。目覚めた彼らに我ら主従の祝福を」
彼女の姿はまた小さき者となり、ルナの懐――エルシャンだけの居場所に納まった。
姫と王子は互いの無事を喜び合い抱き合った。
それを見届け、真一は何も告げずに旅立つ。彼の行くべき場所へ。
それに気付いた神削が自分もその場を離れようとすると、そこではっと王子が顔を上げた。
「あの……何処かでお会いしませんでしたか?」
初対面です、と微笑み、極めて迅速な逃亡を図った兄は、そのまま地平の彼方へ姿を消す。
黒子もただそっと、その場から姿を消した。人々の熱狂の中、姫だけがしばらく、誰かを探すように視線を巡らしていた――石榴のような赤い瞳で。
黒子は国境を越える頃、一度だけ振り返る。変装用の防具をとると、姫と同じ金色の髪がさらりと流れた。黒子は王の妾の子、姫の姉だった。王を恨む気持ちはないが、面倒なことにならぬよう、その正体を隠した。
妹の幸せがどうか叶いますように。祈り、黒子の行方もまた伝承の中へと消えた。
こうして、クオン王国には再び幸福が舞い戻ったという。
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崩れた古城に一人佇む影――。
アサニエルが、瓦礫の中に立っている。
「育ち過ぎたヒュドラの始末と、アウルを持つ者達の調査、どうなるか見ものだと思ったけれど……これは予想以上さね」
ヒュドラの死体を回収し、愉快げに笑む。
「あいつらも思いのほかやるものだね……次はもっと楽しくなりそうだよ」
ニヤリとした口元だけ覗かせて、その姿は古城の床に沈み込んで消えた。