●斡旋所
「せっかく梅園貸し切って企画したんなら悪天候対策しとかなきゃだぜ。でも、サンキュ! おかげで俺は梅見ってやつが出来てラッキーじゃん!」
依頼人の部長は花菱 彪臥(
ja4610)の的を得た苦言に全くその通りだと苦笑いしつつ、嬉しげに来てくれた感謝を述べる。彪臥は八重歯を覗かせて笑った。
「さてと、寒さ対策だよな。風邪引いたら元も子もないじゃん」
厚着は必須。上着と帽子と手袋と、携帯カイロと……指折り数える。
「梅園って、たき火はダメだよな? んーっと、じゃあ、コタツ持っていこうぜ?! 長いコード引けばいけるんじゃね?」
第一には、部員に風邪を引かせないように。彪臥は白い空を見上げた。
●茶道部の前
「どうかお願いします」
只野黒子(
ja0049)はもう何度目になるか、頭を下げた。土下座せんばかりの勢いに、茶道部は困り顔だ。事情は聞いたが、「野点傘と毛氈を貸して欲しい」という彼女の願いに応えて道具を雪に晒すのは気が進まないようだ。それでも黒子は依頼を遂行すべく、誠意を尽くす。天気予報を見て現状も確認したが、傘なしではすぐ雪にまみれる天候だ。
パラソルやシートで代用するしかないだろうか。そう思ったところで、ようやく黒子の控えめで健気な姿に茶道部の心が動いた。確かに雪見なら必要でしょう、というわけである。
野点傘と毛氈と呼ばれる敷物を抱え、黒子ははらはらと降る雪の中を梅園に走る。彼女の長い前髪を一片の白が飾った。
●梅園
ダウンジャケットを着た佐藤 としお(
ja2489)が白い息を吐いた。
「寒くても景色が楽しめるのは平和の証ですね」
心穏やかにすっかり柔らかな雪布団を被せられた梅園を眺める。平和を仲間とゆっくり楽しむ時は得がたいものだ。こんな時間に感謝ですねと呟くと、彼は今日の催しのための準備を始めた。
梅園にはこの俳句部の副部長と、することはないかとちらほら現れている部員達がいる。依頼に応えた協力者達もそれぞれの用意をしながら、続々と集まりつつあった。
「ふむ、梅見とはなかなか風雅だねぇ♪」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は中でも随分な荷物だった。
俳句部のやや寂しい資金状況は聞いている。そこで、ジェラルドの講じた策は学校から古い机を借りて、高床の会場を準備することだった。次々に机を運び込み、溶接まで始めるのを見て副部長などははらはらしていたが、底冷えしないようにと聞けば確かにかなり重要だ。
雨宮アカリ(
ja4010)はキャンプに使う折り畳みイスを並べている。中央には七輪を置く予定らしい。それからガスコンロで甘酒を温めた。
「雪中行軍訓練とかあるくらいだし、火と鍋があれば余裕よ!」
軍人然としててきぱきと作業をこなす。
その様子を部員達はただぽかんと見るばかりだったが、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)がそんな彼らを駆り出した。かまくらを作るのだという。
「全員一度に入るのは無理でも、可能な限りの大きさでってことで」
「それなら、あの辺りに作ってもらえないかな? 風除けになるから」
ジェラルドが、今準備している会場の隣を提案する。ちょうど風上になる方向だが、かまくらの入り口をそちらに向けなければ問題あるまい。
そこへ彪臥が部長とやってきた。調達してきたコタツを二人で運び込んでいる。
「こんにちは! 今日はよろしくっ!」
コタツだけではなく他にも荷物が色々あるようだ。
野点傘を抱えた黒子も戻ってきて、本格的な準備が始まる。彼らを慮ってか、雪は先程よりも少し大人しい。にわかに活気づく梅園。重さに傾いだ梅の一枝が頷いたように雪を振り払った。
ジェラルドの用意した土台は実に十畳ほどの広さになった。それだけで十分立派な舞台だが、その上に合板を乗せ、更に発泡スチロール、武道室から借りた畳を乗せる。這い上がる寒さを完全に防ぐ作りだ。
「畳だし、見た目も悪くないよね♪」
黒子が茶道部から借りてきた野点一式もそこに活かされることになった。すっかり白く染まった梅園の中に、傘と敷物の赤い色が眩しく映えている。
その横ではエイルズレトラが部員達と一緒にせっせとかまくらを作る様子が見られる。風除けとしても立派だが、中にビニールシートを引いて、彪臥のコタツもここに運び込むようで、快適な作りになりそうだ。
ジェラルドの舞台も真ん中に囲炉裏テーブルを設置して、かなり大掛かりなことになっている。茶釜で湯を沸かすようだ。お次は練炭を入れた七輪も用意するらしい。軽めの合板で一角には斜めに屋根もつける、というから、まだまだ大忙しになる。
黒子は傘のそばで、七輪とはまた違う趣のものを用意している。火鉢だ。
和風のデザインなら何でも、と考えて調達したのは、植木用の丸い物で、十分に深さのある陶器の鉢である。火鉢の灰はそこらにそれとして売っているものではない。そこで、黒子は陶芸材料の藁灰を流用することにした。
篩にかけてゴミを除いたそれを、十センチ以上に入れて下地にする。そして、表面を綺麗に均す。丁寧に、繊細に、一つ一つこなしていく。
着々と準備が進んでいく中を、彪臥がやんちゃな野生動物のように元気よくあちらこちらへ飛び回る。自分の荷物は一先ず置いて、ガスコンロの見張りをしたり、かまくら作りを手伝ったりと雑用を請け負って、じっとしている暇がない。作業中の皆に、持ってきた温かい飲み物も差し入れる。
そこに何ともいえないいい香りが漂ってきた。
かまくらと逆側に大き目のタープを設置していたとしおだ。タープには風を遮るようにシートで壁が作られていて、中で二台の石油ストーブが温まっている。片方ではスープ、もう片方では麺を茹でる湯を沸かしているようだ。スープと麺。即ち、ラーメンである。
実に食欲をそそられる香りに、幾人か生唾を飲み込んだとか飲み込まないとか。
雪が止みはしないが、真上に太陽の気配をほんのりと感じる。時刻はそろそろ、句会を始める頃となっていた。
●梅見と句会
彪臥の荷物は敷物と座布団、それに携帯ラジオだった。天気予報を流す局に合わせてラジオを置き、畳に敷物を広げて、七輪を囲うように座布団を配っていく。
「さあ、どうぞどうぞ!」
部員達はこの立派な句会の用意を改めて見て、声もなく感激していた。
「これは期待以上だね」
飄々とした部長さえも驚いた雰囲気で、風除けの役割も果たすかまくらを覗き込む。中にはコタツが設置され、長いコード、ではなくエイルズレトラの借りてきた災害用のバッテリーで電気をとっていた。コタツの上には、当然のように蜜柑まで乗っている。入り口は梅の方を向いていて、中からばっちり梅を眺めることが出来そうだ。雪の入り口越しに見る梅なんて、何と風情のあることだろう。
おまけにかまくらの上には誰が作ったのか雪うさぎがちょこんと乗っていて可愛らしい。
小さなコタツを囲える程度が定員だが、これは人気になりそうだ。
野点傘の下では、小さな歓声が上がる。
「すごい! 部長も早く来て下さいよ!」
何だい、と彼女を呼ぶ声に部長が応えると、副部長が黒子の用意した火鉢を指差した。丁寧に均した灰の上に、枯山水のような細い流水模様が描かれている。しかもそれだけでなく、火種の豆練炭や炭が枯山水の岩を模して配置してある。
さて、句会が終わるまでは、この模様をつけた道具の正体を黙っておこうか。
すごいすごいと尽きぬ声に、黒子はそっと微笑んで、三センチにカットしたラップの刃を隠した。
囲炉裏端ではジェラルドがお茶を点てている。作法は裏千家。
普段の彼とは打って変わって、まるで物静かな美青年そのものだ。長い髪を雪が滑る。
「本日、お菓子は自作の梅花をご準備しました」
上品に微笑む。練り切りで梅の花を象ったお菓子を出す。女子部員などはうっとりと彼に見蕩れていた。
七輪にあたりながら副部長は目を細めた。
アカリの用意した温かい甘酒を両手で包み、周りを眺める。皆、雪をむしろ楽しむように、このまたとない機会にはしゃいでいる。一時は諦めかけた句会が催されてどんなに嬉しいか。
黒子は火鉢を静かに離れ、ガスコンロで甘酒を温めているアカリに、持参の甘酒を「これもどうぞ」と差し出す。アカリの温かい甘酒は売れ行き好調で、随分と減ってしまっていたからだ。
そうしてから、そっと全体の流れを促し、部員達が気を使わず梅に集中出来るように仕向ける。いつものように、句会が出来るように。
彼らを見守るように、雪化粧をした梅は静かに佇んでいる。
部員達はそれぞれ思い思いに、この風景に感じ入っては、何か書きつけたり、思考の海に身を委ねたりしているようだった。
ふくいくたる梅の香りが、冷えた空気をくぐって漂っている。
彪臥はすんすんと梅を嗅いだ。いい香りだ。赤い花、黒い枝、そして白い雪。そのコントラストが美しい。興味津々に彪臥は花や枝を観察した。
「桜とどう違うんだろー?」
手を伸ばし、そっと触れる。雪が落ちて、まるで今、一気に咲いたかのように花の鮮やかな色が現れた。
「花弁が丸くて、花が枝に控えめについてるのが梅みたい。実がなったら一目瞭然ねぇ」
アカリがその呟きを聞いて答える。彪臥はおおーと声を漏らした。
「梅干しの実かー」
口に出したそばからもう酸っぱいらしく口をもごもごする。
「にしても、止まないわねぇ」
アカリは空を見上げて、甘酒を啜った。
「『梅の花それとも見えず久方の 天霧る雪のなべて降れれば』ってやつかしらぁ?」
「柿本人麻呂ですね」
副部長が嬉しそうに顔を上げる。
手元には短冊の形のメモがあり、それに熱心に心に感じるものを書きつけていたらしい。見れば、部員達もこの風情を楽しみながら、俳句に思いを寄せていた。
時折風が吹くが、風除けもあるのでずっとましだ。それに、あまり寒そうなら彪臥が「ペンギンコロニー作戦」と称して隙間を埋めるようにもぐりこんでくる。おしくらまんじゅう。それは実際かなり温かかったし、楽しかった。
いよいよ寒くなれば、かまくらに避難する。
かまくらの中は雪の壁とは思えない程暖かく、その上コタツがあるときては一度入ったら出られないほどだ。エイルズレトラ自身も蜜柑を食べながら、来る人をもてなす。つまり、彼はコタツから出ない。
深々と降る雪と、寒さに耐えてじっと咲く梅。それを雪の家で見るなど、そう出来ることではない。暖かい上に、ひどく特別だ。
「梅の花 見たって腹は 膨れない」
真剣に俳句を考える部員達の横で、ふとエイルズレトラがそんな句を読んでみせた。花より団子というわけである。部員達は確かに、と思わず吹き出す。
「雪ウサギ 作ってみたけど どうするの」
作ったはいいけど、その後どうしよう。壊すのはもったいないけど、融けるまで放っておくのも忍びない。これまた部員達の共感と笑いを呼ぶ。しかもどちらもちゃんと季語が入っているところがいい。エイルズレトラにもっととねだる。
「かまくらの 外は吹雪と なりはてて 凍える人を尻目に 蜜柑食うなり」
あ、字余り、と笑う。震える人達を尻目に、自分はコタツで蜜柑を食べている。こんな幸せなことがほかにあるだろうか、いやない! と解説を加えるエイルズレトラに部員達はとうとう転がって笑った。
外でも皆、寒さに鼻を赤くしながらも楽しそうに俳句を読み合う。
「俺知ってるぜ、五・七・五のやつじゃん」
彪臥はうーんと考えて、貰った短冊に俳句を書く。
「『はじめての、梅見楽しい、けど寒い!』だぜ!」
素直な気持ちが現れていると好評だ。皆同じ気持ちなのだろう。
それなら自分も詠んでみようか、とジェラルドがお茶を点てる手を止める。
「花の兄 導くよふな 甘香り」
美しい句だ。思わずお茶を頂く方の手も止まる。俳句を純粋に楽しんで、ジェラルドはもう一つ詠んだ。
「儚くも 彼と良く似た 寒中梅」
繊細な響きが雪景色と重なり合う。
部長がそれに一句返した。
「『来る春に 頬を染めたる 寒中梅』、なんてね」
皆の俳句を熱心に聞いていたアカリが息を吐いた。
「色んな方が詠んだ歌を見てて、よくこんなスマートでお洒落な表現ができるって感心するわね」
音の数で表現することは出来ても、よりお洒落な言い回しや、よりシンプルな歌にするのが難しい……。
「わ、私も詠んでみようかしら……」
是非詠んで聞きたいと部員達に頷かれ、アカリは真剣に考え込む。そして。
「咲く花を散り落してなお降る雪の 雲の彼方に春の訪れ」
考えていたものを一度まっさらにして、この場の情感を歌にする。
「和歌になっちゃったわ……これっていいの?」
せっかく咲いた梅を散らせてしまう程の雪が降って梅が見れなかったとしても、その先には必ず春は来る。花が見れないのは残念だけれど、今は雪が止めば来る春を楽しみにしてればいい。
「その方がこの句会も楽しめるでしょう?」
経歴ゆえのプラス思考だろうか。戦場の最中に平和を思う時のように。
「素敵な歌……アカリさん、俳句部入りません!?」
副部長に手をとられ、アカリはええっと面食らう。部長に困らせちゃ駄目だよと窘められ、冗談ですと言ったが、多分本気だ。
「『冷え切った 体ぬくまる 梅月夜』……夜の句会など、ご一緒しませんか☆」
すると逆側から今日は物静かな美青年を演じているはずのジェラルドがアカリをナンパする。可愛い子がいたら仕方ないよね、とばかりに。いやいや人生の機微を体得することこそ、文芸の修行なのだとか何とか。
けれど、そこでとしおがお手製の味噌ラーメンを配り出したので、アカリはそちらへするりと抜けていく。
「あたたまりますよ〜♪」
色々と楽しめはしても気温という変わらない現実がある。体を芯から温めるスープはどうだろう。食欲をそそるいい香りが溢れる。甘酒もいいが、ラーメンはまた格別だ。
●後宴
夕刻が近付くにつれ、雪は次第に激しくなってきた。ラジオによれば、このまま荒れていくらしい。
「切り上げて部室とかに移った方がいいかも」
どちらにしろなるべく早めにお風呂で温まった方がいいと彪臥は思う。ともかく今日は気分よく眠れそうだ。
ここで解散かなと部員達が顔を見合わせていると、としおがにこっと笑った。
「近所の温泉施設に予約を入れておきました」
天気予報をチェックして、そろそろ天候が崩れそうなので送迎バスを手配したという。
部員達は目を輝かせてとしおを見た。温泉で強張った体のさぞほぐれることだろう。
「ナンならそのあと皆で食事会もいいかもね!」
としおの提案に皆が喜ぶ。
手早く後片付けをして、バスを待たねば。
梅園の管理人に感想とお礼を言おう、と後片付けをする皆の中をまた手伝いに走り回る彪臥はもう一度梅を眺めながら心に決めた。
それから皆に、また遊ぼうと言うことも。