●リアル・ホラー・マシン体験会
相変わらず薄暗い部屋の中、テリブル教授のこけた頬が高揚したようにひくつく。助手は首尾よく哀れな体験者を集めてきたらしい。
「よくぞ来てくれた、実に賢明な判断だ」
安っぽい愛想の良さを貼り付けた顔で教授が紹介するは、もちろんご自慢の発明品だ。
「己に打ち勝つため、僕に君の『恐怖』を話してくれたまえ」
いやらしい教師のような口調でニヤニヤと笑う。
テリブル教授の悪夢が幕を上げようとしていた。
●遠石 一千風(
jb3845)の場合
「トオイシ、イチカくん」
どうぞ。と、教授が慇懃無礼に赤い髪の少女を案内する。
一千風は案外原始的な仕組みに見える「マシン」を眺めた。
本当に望む体験ができるなら肝試しに使うだけでは勿体ない機械ね、と一千風はすらりとした長身を椅子に下ろした。機械の性能はどれほどのものか。
「君の恐怖は『甘い食べ物』か」
「ええ」
視覚や聴覚に訴えるホラーとはまた別角度の、この難しい指定にどう出るか。
ヘルメットが目元まで覆い、辺りが一度真っ暗になる。テンジクネズミの着ぐるみを着た助手の青年が、細い手首にベルトを巻き、きつくないですかと心配そうに尋ねた。一千風は大丈夫と答えながら、動作し始める機械の音に意識を集中する。
そして、目の前に現れたのは、溢れ出しそうなシュガーテイストの色合い。ケーキ、パフェ、大福、その他諸々が目の前を埋め尽くす。それと同時にむせ返るような甘い香りが鼻をくすぐる、というより鼻先に強烈なパンチを食らわしてきたようだった。
「映像だと分かっていても、匂いもあってリアルにお腹いっぱいになりそう」
一千風は眉をひそめた。
甘い食べ物、という指定は機械性能を試す意味合いもある。だが事実、一千風は甘い物が苦手だった。というのも以前、味覚破壊級の甘味を食べさせられたことがあるからだ。濃厚なチーズケーキなどは一個も食べきれないだろう。
即ちこれは一千風にとっての地獄絵図である。
視界いっぱいのスイーツと喉を焼く甘い香り――チョコ、生クリーム、はちみつ、餡子、砂糖漬けの果物に……もうそれ以上は探りたくもない。
覚悟していたはずの光景だが、一千風は思わず顔をしかめる。
そんな甘い甘い世界に、一人の女生徒が登場する。彼女は、次々に眼前に広がるスイーツを食べ始めた。ノンストップでお腹に収めていく女生徒に、一千風は息を呑んだ。
「う、見てるだけで一杯」
必死に堪えるように呟く。
「あまり食べると太るわよ……」
しかし彼女は食べるのをやめない。そして映像の中のスイーツは食べられても、どんどん追加されていく。心なしか、彼女は段々と膨らんでいっているような気さえする。
「ケーキを、ご、ご飯のおかずにしないでっ」
味覚が壊れそうな思いをしながら叫ぶと、それに気付いたかのように女生徒がケーキを持って一千風に近付いてきた。過去の記憶が呼び起こされる。無理矢理にケーキを食べさせられそうになり、一千風は短い悲鳴を上げた。
「いやっ、私はいらないからっ」
蒼白になりながら顔を背ける。映像の中の女子生徒を押しのけようとするが、腕はベルトで拘束されていて動かせない。
取り乱した一千風の様子を見て、映像をモニタリングしていた教授はテンションが跳ね上がったように笑い出した。
「おい、冷蔵庫にシュークリームがあったろう。持って来い!」
と、助手に言いつける。あれは俺のシュークリームなんですが……と渋る助手を蹴り、教授は急かした。
映像の中で、一千風に迫る女生徒。両手にはケーキやパイが乗せられている。
「もう一杯だからっ」
そんな悲痛な叫びも空しく眼前にクリームが迫る。と、同時に口元に押し付けられた甘みに一千風は首を振って抵抗した。これは幻ではない。
「っ!!」
今度こそパニックになった一千風の悲鳴が教室にこだました。
「どう考えてもやり過ぎでした、申し訳ありませんでした」
謝る助手に、いいえと一千風は立ち上がった。顔には、あくまでも口に入れるのを拒否したクリームがべったりついてしまっている。だが、一千風は落ち着きを取り戻した様子で、そんなにたいしたことなかったというようにクリームを拭き取り、教室を後にした。
彼女がちゃっかりモニタリング映像を回収していたことに教授が気付くのはもう少し後の話である。
●ミハイル・エッカート(
jb0544)の場合
「ここ数年、毎晩ってワケじゃないが嫌な夢にうなされることがあってな、それを克服したい」
「なるほど、悪夢か」
それは面白そ……いや興味深いな、とわざとらしく訂正を入れる教授に青い目を細め、ミハイルはシートに背を沈めた。軽くウェーブした金色の前髪を指先で軽く払う。
教授に夢の内容を話しながら、夢の内容に頭を巡らせる。
彼の過去の体験に起因するものだ。
彼――ミハイル・エッカートがアウルに覚醒した切欠。狂人に殺されそうになり、偶然覚醒して命からがら逃げた。覚醒しなければ、今ここに彼がいることはなかっただろう。
夢の内容を話すと――無論、彼の本業については伏せて、だが――、我知らず潜めていた息を深く吐く。「殺されそうになった」とは、「危うく殺されかねない状況に置かれかけた」ではない。「もう少しで死亡にまで至っていた」なのだ。
「いたぶるのが好きなら、遠慮なくやってくれ」
アウルに覚醒し、そして君はどうなるね? と尋ねる教授に、ミハイルは強い視線を返す。
「狂人をぶっ殺すくらいのエンディングがいい」
記憶の上書き程でもないが、ポジティブイメージを植えつけることが出来るなら。
教授はミハイルの返答が気に入ったのか、満足げに笑い、ヘルメットを手に取った。
「安心して任せてくれたまえ、エッカートさん。君が恐怖に負けさえしなければ、辿り着けるだろうよ……『ぶっ殺すくらいのエンディング』にね」
気付くとそこは人気のない廃工場だった。
いや、実際にはあの教室にいるのは理解している。しかし、周りを見回せば、それに合わせて視界が左右に揺れ動いた。
ミハイルはとある人物を追って、ここまで来ている。だが、そこにいるのはその人物ではない。これは彼の夢の、つまりは過去の再現であり、展開はわかりきったものだ。にもかかわらず、嫌なものが背を撫でる。
悪夢の正体ともいうべきその人影は、まさしく夢の通りにミハイルに近付いてきた。
「――……!」
悪趣味な殺人経歴を披露しながら近付いてくる。ミハイルよりやや高い背丈、がっちりと筋肉のついた体躯。見るからに凶悪な雰囲気を背負うその男は、ミハイルの前でおもむろに光纏してみせる。
アウル覚醒者。
ミハイルが罠だと気付いた時にはもう遅かった。
映像はミハイルの記憶に忠実に、銃が効かず、眼前に迫り来る殺人狂の様子を叩きつける。マシンはがたりと揺れ動いて衝撃を与え、ミハイルは攻撃を受ける感覚を味わった。戦うために鍛え上げた己の体も、所詮一般人でしかなかった。嫌な音を立てて骨が折れ、時折目の前が赤く染まる。だが相手は凶行の手を緩めない。
マシンが与えるのはあくまで衝撃にとどまるが、過去の体験はミハイルにその苦痛を思い起こさせる。
「くそっ、嫌なことはしっかり覚えているもんだぜ」
だが、衝撃と苦痛に表情を歪ませるミハイルの目にはまだ、闘志が滾っている。決して濁らないその意志に、映像の展開が変わった。
アウルが覚醒する。
破裂した内臓も、砕かれた骨も、脅威の回復力で修復していく。絶対的優勢を疑わなかった殺人狂がたじろぐ。いや、たじろいだふりをしているのか。どちらでもいい。同じことだ。
ミハイルの目は相手を真っ直ぐに見据え、手にはいつの間にか銃が握られていた。
ヘルメットを外したミハイルに、少々過激なラストだったかね、と教授は面白そうに尋ねた。
「いや……これからはよく眠れそうだ」
いい発明品だ、イメージトレーニングに役立つだろうと褒めて、立ち上がる。
毒気を抜かれた様子の教授を背に、ミハイルは意志の宿る瞳を前へ向けて教室を後にした。
●白虎 奏(
jb1315)の場合
着ぐるみ姿の助手に出された飲み物を傍らに、奏は「恐怖」を申告する用紙と睨めっこしていた。マシンの準備中に書いておいてと渡されたものだが、さてどうしたものか。
「えっと、怖いもの……鬼とか? ゾンビはグロそうだから、なんか嫌かも〜」
光纏の様子など、本人情報はある程度書き込んだ。残りは肝心の恐怖体験の内容だが、こんなものでいいだろうかと首を捻る。
「……いや、一番怖いのは兄ちゃんだけどね」
その呟きを、マシンのメンテナンス中のテリブル教授が聞いていたことに、奏はまだ気付いていなかった。
眼前に荒涼とした風景が広がる。
風が吹き、土埃の匂いまでして現実感を煽る。
おお、としばらく辺りを見回していると、不意に彼の上に影が落とされた。奏は振り返る。そして、目を輝かせた。
「すっげー! マジモンじゃーん!」
奏を見下ろしていたのは巨大な鬼だった。まさに鬼という厳しい顔をし、頭には鋭い角がついている。歩くとずしんと地響きがなり、それに合わせて地面が揺れるのを奏は肌に感じた。
鬼はおもむろに奏の背丈ほどはあろう、金棒というには凶悪な武器を振りかざす。
「……え?」
ずしん、と大地が鳴り響き、奏が一瞬前までいた場所が無残な罅割れを晒している。間一髪避けた奏の方に鬼は向き直った。
「わわわ、結構やばいっ。これ、思ったよりやばっ!」
逃げることにした奏の視界は、激しく揺れ動く。
光纏を宣言すると、赤みを帯びた金色の光が浮かんだ。彼のヒリュウ、ポチを召還することも、視覚共有で鬼の位置を確認することも映像は実現する。ただし、それは鬼が数を増やし、彼を追いかけてきていることを知るためのツールともなった。
逃げ回る奏を執拗に追い掛け回す無数の鬼。位置を確認するが追いつかず、鬼に目の前へ回りこまれてしまう。息の触れそうな現実感で迫られ、奏は短く悲鳴を上げた。
「うわわわ、やっぱ怖いというよりやばいっ!」
ボルケーノで攻撃し、その隙に離脱する。だが、鬼の数は減らない。
やがて川まで追い詰められ、奏はポチに掴まって何とかそれを乗り越える。
鬼たちが川を越えぬうちに物陰に隠れ、しばし息をついた。
「ふへ〜……ちょっと、そろそろ止めたくなってきたかも〜……」
だが、もちろん呑気に休憩させてくれる鬼たち、もといテリブル教授ではない。ここぞとばかりに追い討ちをかけて、鬼たちが次々に川を渡り始める。
「うわっ、マジか!」
だが、奏も負けてはいない。ポチの視界で素早くそれを察し、諦めずに逃げ回り続ける。
岩場を利用し、鬼を撒く。次第に鬼は数を減らしてきた。勝てたかな、と奏が思ったその時だった。
鬼より更に大きい影が奏を包む。
その姿は、まさしく……!
「わぁぁあぁぁ!」
巨大な、兄。
「兄ちゃん、ごめーん! プリン食ったのは、俺ですー!!!」
腰を抜かし、両手で顔を庇った奏の叫び声が響き渡る。
カナデくんの兄とやらに会ってみたいものだよと呟き、教授は終了ボタンに置きかけた指をしばらく押し渋って遊ばせていた。
●村上 友里恵(
ja7260)の場合
「猫、かね」
どこかワクワクした様子の友里恵にテリブル教授は少しばかり首を傾げた。猫が怖いのでそれを克服したいのだと小柄な少女はにっこりと微笑む。
「ええ。あの愛らしくも恐ろしい鳴き声や、魅惑的かつ冒涜的なポーズで寝転がる仕草や、猫じゃらしに襲い掛かる微笑ましく凶悪な姿なんか……恐ろしいです♪」
「ほう……そういうことなら、とびきりの恐怖を君に味合わせてあげようではないか」
映像を準備する教授を、ちょこんと座って友里恵は待った。
果たして映像の他はどうやって再現するのか。そしてもふもふやふかふかの再現度合いはどのくらいものなのか。気になる、というわけだ。確認しなければなるまい。
希望は教室でたくさんの猫が出てくる状況だ。
椅子に深く腰掛け、マシンをセットする。
それは、すぐにやってきた。
小さくてもわかるにゃーにゃーという猫の甘えたような鳴き声。それは次第に大きくなり、はっと気付くと友里恵は周りを猫に囲まれていた。大きくてふかふかの猫、まだ小さな子猫、種類も模様も様々だ。
どうだね、と尋ねる教授の声が聞こえて、友里恵は答える。
「ええ、怖いです、とてもっ♪」
手に子猫が擦り寄るのが見えた瞬間、友里恵の手にふわふわなものが触れた。怖さを克服する為ですとばかりに猫たちに触れると、確かなもふもふの手ごたえを感じる。その感触はまさにふっかふかの毛玉。そんな毛玉が次々に友里恵を襲うのだからたまったものではない。
やがて一匹の猫が膝によじ登り、ガラス玉のような目でじっと友里恵を覗き込んだ。薄ピンク色の小さな肉球を見せながら髪にじゃれ、飽きるとくあ……とあくびを一つ、膝の上で丸くなる。ビロードのような手触りの背を友里恵に撫でられると、満足げに目を細めて喉を鳴らした。
そのあまりの凶悪な可愛らしさに友里恵は悲鳴を上げる。無論、恐怖の悲鳴、とのことである。
友里恵のもふもふタイム、もとい恐怖の時間は悲鳴の続く限り終わらなかったという……。
恐怖体験を終えた友里恵は感想を述べた。
びっくり装置としてはいまいちでも、映像装置としての迫力を重点的に伝える。そういう感じで別の用途に使えるかもしれませんもの、と小さく呟く。
さて。
これで全員。後片付けを始めたテリブル教授に、友里恵は声をかけた。
「ここが壊れてるっぽいです」
何、と教授が振り返る。自らの発明品に故障などという欠陥があってはならない。言われるがままマシンの側に近付いてきた教授に壊れてるっぽいところを指し示そうとして、友里恵はうっかりわざと手を滑らせた。まんまと誘き寄せられた教授はマシンに座り込み、勢いで固定されてしまう。
「!?」
驚いた表情を浮かべるテリブル教授に、友里恵はぽっと頬を染めた。
「教授が恐怖体験をしたらどんな反応をするのか、わたしとっても気になってしまって……」
「いや、待て、やめろ……ユリエくん、早まるんじゃあないっ!」
「適当に試せば何とかなりますよね」
次々に適当なボタンを押していく。
「や、やめ……ひぎゃああああ、た、助けてくれえええっ!」
上手くいったらしい。教授は恐怖体験を堪能しているようだ。友里恵はにっこりと笑った。
「さて、その間にリボンで可愛くラッピングしてあげるのです♪」
やがて悲鳴を聞いてドアを開けた助手が見たものは、半泣きで助けを請う、可愛らしくリボンを巻かれた教授の姿だった。
「……」
開けた扉をそっと閉める。
こうしてテリブル教授の悪夢は、本当にテリブル教授の悪夢で幕を閉じたのであった――。