作戦決行予定日当日、その日の空は昼過ぎまでやや薄暗い雲がかかっていた。現場であるビルの周囲では撃退士が散開し、依頼人である赤木が発電機の調整を行っている。
「まだ時間はかかりそうです?」
六道 鈴音(
ja4192)が赤木に質問する。
「こっちは大丈夫そうです。あとは千葉さんが帰って来るのを待つだけですね」
依頼対象である二階に電気を送るため、登攀技能を持つ千葉 真一(
ja0070)がケーブル片手に配水管を登っていた。
「赤木さん赤木さん、だったら今の内に黒魔術について教えてくれませんか」
鳳 優希(
ja3762)が手足を大きく揺らしながら好奇心を身体で表現していた。
「希は、マッサージ店の店主が携わった黒魔術が気になるのですよ」
「僕も詳しい事は知らないんですけどね」
赤木が前置きした上で説明する。
「何でも魔術書があるらしいんですよ」
「魔術書ですか」
鳳が目を輝かせる。
「本の名前とかわかりますか」
「そこまでは私も。でもお客さんの中には何人か魔術書見せられた人もいるらしくて」
「見せられた?」
六道が問い返すと、赤木は首をかしげる。
「脅し半分冗談半分って所らしいです。定期的に来ないと呪いにかけるとか破産するとか」
「実際に効果はあったんでしょうか」
「一名会社が倒産したって言う人はいましたけど、関連性は無いと思いますよ」
「見てみたいが、どこにあるんだ」
いつの間にか千葉は赤木の隣に戻ってきていた。
「あるとすれば倉庫だと思いますけど、もう無いんじゃないですか。そういう本は高値で売れると聞きます。それよりケーブルの方は」
「万事問題ない」
千葉が小さく頷いた。
「それでは見取り図で聞いてきた限りの話はお伝えしますので、皆さんを集めてもらえますか」
赤木の呼びかけに、三人はそれぞれ分かれていった。
赤木から説明を受けた後、撃退士達は作戦を確認しビルの内部に侵入した。
「天井からの透過攻撃気をつけてくださいねー」
「ここにもグールが出たらしいからな」
櫟 諏訪(
ja1215)が注意を促す。
「でも何も無いよね」
何も起こらない事にエヴァ・グライナー(
ja0784)は不満を口にした。マスクを装着しているが、まだ活躍の
「この辺りは一応掃討済みなんだろ」
神楽坂 紫苑(
ja0526)は床を見つめる。しばらく使っていなかったためか埃は溜まってはいるが、厚みはそれほどでもない。神楽坂の履いてきた革靴の靴底程度の厚みだった。
「ならば‥‥急がせて貰おうか」
鳥咲水鳥(
ja3544)の言葉と足を急がせる。二階の扉までは天魔の襲撃は無かった。
撃退士達は階段を登り、二階の扉の前に到着する。
「距離を置いた方がいいぞ」
影野 恭弥(
ja0018)が先頭に立つ千葉に忠告した。
「扉を透過する事も開けた瞬間に天井から降って来る事もできる」
「大丈夫だ」
千葉はマフラーの位置を上げ口元を隠し光纏。そして赤木から預かった鍵をドアノブに差込み、ゆっくりと回していく。
「上下左右、どこにもスライムらしき姿は無い」
千葉は手持ちのライトを扉の隙間に差し込んだ。近くに窓が無いためか玄関周りは比較的暗い。
「ただ一階より埃が多い。慎重に動いた方がいい」
やがて全開となった扉に千葉はゆっくりと足を踏み入れた。
「スイッチの位置は覚えていますかー?」
「玄関抜けて大部屋左手」
櫟の質問に千葉は振り返らずに即答する。そして大部屋へと繋がる二枚目の扉もゆっくりと開いて行く。一方で後ろに続く鳳は埃の量の差を気にしていた。
「埃の量が変な感じだね」
「そうですか?」
鳳の後ろでは六道が阻霊陣の準備を始めていた。
「普通に埃溜まると均一の厚みになると思うんだよ。でもここの埃は隅の方に集まってる」
「スライムが行き交ってるって事なんでしょうね。それより準備中の防衛頼みますよ」
「私の舞がスライムにどれだけ通用するかは未知数なんだけどね」
「私もスライム見たこと無いですから、その辺は臨機応変にお願いします」
悪びれる事も無く言う鳳に六道は受け答える。だが気付いたように言葉を紡ぐ。
「照明つかないのですか?」
「スライムだ」
千葉が答える。
「照明のスイッチにスライムが付着している」
自分の心拍数が上がっている事を千葉は実感していた。
「Wo viel Licht ist,ist starker Schatten.」
エヴァがトワイライトで光源を作り出す。スイッチ部分に付着したスライムは微動だにしない。
「本物か」
いつの間にか伊達眼鏡にマスクと完全防備に入った神楽坂が質問すると、千葉は塩を取り出しスライムに振りかける。
「変化は無いな」
塩はスライムに付着したまま動かない。スライムの方も動きを見せない。
「判断ができないな」
続いて乾燥剤を投与する。するとスライムはみるみると縮小を開始し、床へと自然落下を開始。軽い物音をあげて床に溜まった埃の中に姿を消した。
「これが偽物の反応か‥‥」
鳥咲は床に落ちた欠片を埃の中から取り上げる。
「まずはスイッチを頼む」
「それもそうか」
千葉がスイッチを押した。やや粘る感覚が指にまとわりついたが、照明は二三度点滅した後で無事に点灯する。
「それでは後は予定通りに」
A班である千葉と櫟は周囲を一望し奥へと歩き始める。それに続いてC班である影野と鳥咲も奥へと向かう。
「何かあれば‥‥叫んでほしい。この距離なら‥‥声は届くだろう」
言葉を残し、四人は手洗いと倉庫へと向かっていった。
手洗い場に向かった千葉と櫟は手分けして便器を覗いていた。
「見える限りじゃ異変ないな」
スライムの山になっていると千葉が予想していた手洗いではあったが、スライムの姿は一匹も見当たらない。
「水が止められているせいで掃除もできないのがねー」
櫟が思い出したかのように洗面台へと向かい蛇口を捻る。だが水は出てこない。シンクの方にも水滴は残っていない。埃だけが積もっている。
「後は排水溝かー」
櫟が排水溝の蓋を外し、ペンライトで中を覗き込む。そしてゆっくり中を確認し、櫟は蓋を元の位置に戻した。
「どうだったか?」
全ての便器を確認し、千葉も排水溝を覗き込む。二人の視界の前を通り抜けたのは動く黒い物体だった。
「あれは本物か偽物か」
「どっちでもいいんじゃないかなー多分あんな姿のスライムはいないから」
「それもそうだな」
二人は思わず顔を見合わせ、念のために再度部屋を見回し洗い場を後にした。
同時刻、倉庫では影野と鳥咲はスライムを引きつけていた。倉庫にあった換気口から零れるように落ちてきたスライムである。
「マスクしておいて‥‥よかったな」
「既に原形を留めてないがな」
スライムの落下地点は鳥咲の頭上付近だった。マスクのおかげで口の中への侵入は防ぐ事ができたものの、マスク自体は既にスライムの中へと取り込まれている。半透明の液体の中に白いマスクが漂っている光景は影野にとっても鳥咲にとっても奇異なものだった。
「まずは大部屋へと逃げ込むぞ」
影野が駆け足で倉庫の扉と向かう。
「あまり‥‥走るな。埃で‥‥視界が閉ざされる」
鳥咲は回避に専念しスライムの突撃を回避、少しずつ交代していく。そしてスライムの中にも影野の巻き上げた埃が取り込まれていった。
「スライム一匹発見した。救援を頼む」
影野が扉を開けると同時に大部屋探索に努めていた神楽坂、エヴァに声をかける。
「阻霊陣が完成していたら鳳、六道も頼む。行くぞ」
鳥咲が大部屋へと逃げ込む。
「吹っ飛べ―――Ia,Fthaggua!」
姿を見えたと同時にエヴァはエナジーアローを撃ち込む。だがスライムはそれを回避、再度鳥咲の攻撃する。
「スライムは可愛いキャラで描かれることもあるのに‥‥、リアルじゃこんなに恐ろしいのか」
スライムの突撃は鳥咲の顔を掠める。風が通り過ぎるとともに鳥咲の脳に痛覚が過ぎる。振り返れば、髪と耳たぶが三ミリ程スライムの体内へと取り込まれていた。
「うへえ」
エヴァが思わず目を逸らす。スライムの体内では吸収されたはずの髪と耳たぶが徐々に小さくなっていく。
「あれは見ない方がいいな」
神楽坂もショートボウを構える。
「あ〜援護してやるが、威力当てにするなよ?」
そして鳳も蒼の舞姫打鈴、蒼のジプシーダンスと発動させる。
「蒼の連撃発動なのー!」
スライムは怯む様子こそ見せないものの、ジプシーダンスが命中すると周囲に体液を撒き散らした。
「ぷにゅぷにゅしてるぅ」
六道が思わず声を上げてる。
「でも一回り小さくなったね」
零れた体液は床の埃の上に零れて埃を舞い上げ、大部屋に敷かれた毛布に染みを作っていく。
「それより‥‥加勢を頼む」
「核らしきものは無いが、一定以上攻撃を与えれば体積を減らせるようだ」
影野もダガーを手に参戦する。だが手ごたえは薄い。
「スライムか」
千葉と櫟が手洗いから戻ってくる。しかし櫟は毛布に足を取られて転倒する。
「私もスクロールで応戦します」
阻霊陣を張り終わった六道も荷物からスクロールを取り出し読み上げる。スライムが消えるまでのおよそ五分、撃退士とスライムの攻防は続く事となった。
「とりあえず終わったか」
影野が大部屋を見回す。目についたのは毛布だった。
「例の毛布か」
千葉が動かさないで確認できる範囲で様子を見回す。スライムの体液がついて汚れているが動き出す様子は無い。
「気をつけた方がいいかもな‥‥事前情報だとその下に魔法陣だったよな」
鳥咲が言葉を挟んだ。
「まずはスライムの‥‥確認だ。下に隠れているかも‥‥しれない」
「分かった」
千葉は一度周囲を見回してから頷き、毛布を剥ぎ取る。今までにないほど大量の埃が舞い上がる。だが床には魔法陣の姿もスライムの姿も無かった。
「外れですかー?」
「だな」
「まて、毛布の裏だ」
神楽坂が毛布を指差す。そこにはスライムが二匹へばりついていた。
「所詮噂は噂だったって事なんですかねぇ」
スライムを無事に倒し終え、千葉が扉を閉める。その様子を見つめながら、鳳は寂しそうに首を捻る。
「魔術書は見つからないし魔法陣もないし」
「スライムだけ‥‥だったな。もう少し‥‥期待したんだが」
鳥咲もイヤホンを付け、自分の世界へと帰っていく。神楽坂からライトヒールを使ってもらったが、髪や欠けた耳たぶは戻ってきていない。
「売られた魔術書って方を探すかもしれませんね」
「でもそれは第二の目的、スライム自体は退治できたのだからいいじゃないですか」
ビルを出ると、いつの間にか日は沈みかけていた。