えんじ色のロングコートに身を包み、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は問題のビルを眺めていた。愛刀であるツーハンデッドソードを地面に突き刺し、その剣に両手を乗せて見つめている。
依頼書通りの三階建て、一階には壁中にネオンの照明器具が取り付けられている。玄関口には店名と思われるオーシャンダストという文字を象ったライト、その脇にはパネルを立てかける巨大な看板が貼り付けられている。だが今は一切電気は通っていない。照明器具の大半はヒビが入っているか割られているかのどちらかであり、看板には爪と銃弾とおぼしき跡が無数につけられている。
「これが不埒者に負けた姿か」
感慨深くフィオナは呟いた。
「不埒者って天魔のことですか、先輩?」
武田 美月(
ja4394)が後ろから声をかける。
「確かゾンビみたいなものって聞いてますけど、まだちょっと想像できてないんですよね。私レイピアだから斬撃なんかはできないし、銃でも買ってくればよかったかな」
「武器は結局使い様だ。今回敵はソファーを使うと予想されている。だが本来は身体を休めるもの、違うか」
リョウ(
ja0563)が愚痴を零す武田を諭す。
「まずは自分にできる事をやればいい」
戦闘準備を終わらせ、リョウは双眼鏡でビルを眺めた。一階の中身は窓一つないため確認できない。そこで二階以降へと視線を上げるが、二階どころか三階にも物が動いている様子は無い。棚らしきものの背板や発展途上国の部族が使うような仮面、全翼二メートル近い鳥の燻製が映っている。
「何か見えますか?」
鈴代 征治(
ja1305)が淡々と尋ねる。
「これと言ったものは見えない。いるとしたら小物だな」
「それはそれで戦いにくいですね」
「そうだな」
リョウは双眼鏡を下ろした。
「こうしてビルの前に立てば威嚇に応じて何匹か姿を現すかと思っていたんだが、どうやら敵もそれほど馬鹿では無いらしい」
フィオナは一旦ビルの前を離れる。そこに依頼人と交渉していた染 舘羽(
ja3692)が戻ってくる。
「電気会社の件は無理みたいだよ。既に電線が切られているから電気を送れないらしいって。確かに電柱だけが残ってて電線残ってないんだから、当然かもしれないけどね」
染はビルの周囲の空を指差した。彼女の指した先には根元で折れた電柱と電柱に巻きつかれた状態で途中で断裂している電線があった。
「必要なら自家発電準備するらしいけど、ビル内部も電気回線生きてるかどうかも分からないから難しいって。仕方ないね」
染は両手を繋ぎ大きく空に突き上げて背伸びをした。
「二階以降の件はどうなりました?」
雫(
ja1894)が表情を変えずに尋ねる。
「依頼人がやるなって言うのなら私も諦めます。現状の戦力でどこまで戦えるかも分かりませんから。それと封鎖の方法は」
「それは私が確認して来たよ」
武田が手を挙げて飛び跳ねる。
「まず探索の件はやってくれるのなら構わないってことだったよ♪ 追加報酬も頼んでみたんだけど、そっちは断られちゃった」
軽く舌を出し、武田は照れてみせる。
「それと封鎖の件は倉庫の棚を移動させてバリゲードにしてくれって。でも考えてみたら天魔ってどんなに厳重に封鎖しても通過されちゃうよね。赤木さん目先の利益に捕われて、周辺見えてないのかも」
「だったら阻霊陣使ってみる?」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が提案する。
「それなら天魔も通過できないよね。あたしは構わないけど」
ソフィアは同意を求めるように他の撃退士達の顔を見回す。それに答えたのは鈴代だった。
「無理があるんじゃないですか。阻霊術の効果は時間的にも距離的にも無限大ってわけじゃないですから」
「本格的に封鎖するつもりなら、撃退士が交代しながら阻霊陣を使い続ける必要があるの?」
藍 星露(
ja5127)が問いかける。
「じゃないですかね。僕も試したわけじゃないから自信があるわけじゃないですけど」
「それじゃ赤木さんには後でそう報告しておくわ。結構無茶な作戦って気もするけどっ☆」
どこか楽しげに武田は笑う。
「方針も固まった、ビルに入るとしよう。いつまでもホストを待たせるわけにもいかない」
「そうね」
撃退士達はそれぞれ蛍光テープとランタンを確認し陣を組む。前衛に武田、藍、フィオナの三名、殿にリョウ、ソフィアを配置。中衛である鈴代、雫、染に正面、後方の両方を対応に当たらせる。日の高い午前中の出来事だった。
「それじゃ行きます」
フィオナが一階の扉のドアノブに手をかける。黒塗りの重い扉だった。重量感が手から伝わってくる。
「どうしました?」
雫が話しかける。
「くるわ。伝わってくる」
フィオナは一度呼吸を整えて扉を開ける。二センチ程できた隙間に肩口に付けたライトを向けて様子を伺う。そこに見えたのは崩れかけた二匹のグールだった。
「危ない」
藍が身体を割り込ませる。ナックルダスターをはめた両手を頭上で十字にし、扉越しに大上段で振るってきたグールの一撃を受け止める。だがもう一匹のグールの蹴りが横から飛び、藍の脇腹をえぐる。思わず膝をつく藍、そこに中衛から雫が援護に入る。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと油断したみたい。大丈夫、まだ戦える」
「何か感じるようであれば言って。救急箱は携帯してきている」
「ありがとう」
息を吐き、藍は自分の感覚を確かめるようにゆっくりと立ち上がった。それに合わせる様に二体のグールが扉からすり抜けてくる。
「妙に良い連携ね」
「長らく篭っていたんだ。それぐらいしかやることもないんだろう」
「それもそっか♪」
リョウの激励を受けつつ、武田がレイピアでグールの細くなった右肘を貫き動きを抑制。そしてフィオナがツーハンデットソードで頭を叩き落とす。
「次」
フィオナが剣に付着したグールの破片を払いのける。
「かっこいい!」
染が歓声を上げる。
「まだ終わってないよ」
藍が注意を促す。雫がショートスピアの柄でグールの足を押さえつけた。そして藍が首から上を殴り飛ばす。
「もう大丈夫」
藍が屈伸してみせる。
「それじゃ続き行くよ」
再び隊列を確認し、武田が半開きの扉を押し開ける。LEDライトで室内を照らすと、グール達は一斉に武田を睨み手を叩き合わせる。
「歓迎されてる?」
「久しぶりのお客様だからでしょう。金落とすつもりはないけど」
「代わりに命は落とさないように。来ますよ」
鈴代が打刀を抜き中段に構える。グールが一体席を立った。
「おびき出せるようなら出しちゃえば?」
「広い方が戦いやすいしね」
リョウの作戦にソフィアが同意し身構える。だがグールは立ち上がるだけで出て来る様子は無い。
「行くしかなさそうね」
意を決し、フィオナが歩を進めた。ライトで見える範囲にはソファーが左右に三列ずつの計六つ、そして奥の舞台で手招きしている三体のグールだった。
「気をつけてください。罠があるかもしれません」
「了解。ソフィア、阻霊陣の準備をお願い」
「任せて。背後の防衛頼むよ」
ソフィアがリョウの顔を確認する。その横顔を狙って物体が投げつけられる。
「伏せて」
鈴代が音を頼りに打刀を構えたまま立ち塞がる。だが近づいてくると同時に物体が目で確認することができた。特殊加工されたウイスキーのボトルである。
「危ない」
鈴代は咄嗟に刀を奮い叩き落す。だが割れた破片が四散、鈴代と背後にいるソフィアの体に突き刺さる。
「二射目」
フィオナが叫ぶ。
「数が多い、適度に散開しましょう。これでは巻き添えで被害が大きくなります」
続いて飛んできたのはシャンパンボトルだった。
「ソファーには近づかないでね。今から阻霊陣張るから」
リュウが救急箱でソフィアを簡単に止血、そしてソフィアが準備に入る。その間にソファーを通過してグールが襲い掛かってくる。
「一体ずつ確実に仕留めるんだ。同士討ちしないように」
後方に立つリュウがライトでソファーを抜けてきたグール達を照らす。
「阻霊陣完成」
ソフィアが声を上げた。
「これでソファーは大丈夫。スクロールで援護するから頭上げないように」
ボトルは相変わらず飛んでくるが、ソフィアが一つずつ撃ち落していく。その間にリュウが迂回しつつ舞台を目指す。
「ここから攻勢に出るよ」
足元から狙ってくるグールを染が鉤爪で捕える。
「悪いけど、さくっと片してもらうよ」
ランタンで位置を確認し、染はグールの頭を握る。だがグール以上に気になる物体が目に付く。ソファーと床の間に挟まった黒い万年筆だった。キャップには牙を生やした虎が描かれている。
「誰かの遺品かな」
染は首を傾げつつ拾い上げる。
「見つけるの手伝ってくれてありがと」
きっかけを作ってくれたグールに感謝しながらも染はグールの頭を握りつぶす。
やがてボトルが尽きたのか、グールからの投擲が終了する。それは同時にグール達の戦線終了を意味していた。迂回したリョウが一体、スクロールでソフィアが一体を仕留め、残り一体は距離を詰めた雫が止めを刺した。
見える範囲のグールを掃討し、撃退士達は続いて倉庫に向かう。既に扉は開いており、グールの姿は無かった。
「倉庫の奥に階段があるみたい」
敵がいない事を確認しながら、赤木から内装を聞いている染が率先して進んでいく。
「とりあえず一階はこれで終わりだけどどうします?」
染が全体を見渡す。
「あたしは大丈夫」
「俺も行けますが、引き際を誤ると取り返しが付きませんよ」
ボトルの破片の刺さったソフィア、鈴代は無事を伝える。
「それじゃ行きましょう」
全員の状態を確認し、フィオナは進軍を決めた。
「そういえば二階については何か聞いてます?」
二階へと繋がる階段を上りながら鈴代が染に尋ねる。
「そういえば言い忘れちゃってたね。二階にあったマッサージ屋さんはやまあらしっていう名前らしいんだけど、ご主人がちょっとアブナイ趣味があったらしくてさ」
「アブナイ?」
「黒魔術」
「減っていったお客さん呼び戻すために色々手を出したらしいんですよ」
「その結果が黒魔術?」
「生きた鶏とか買ってたらしいですよ。周りにはツボの研究とか言ってたみたいですけど、部屋に飼うスペースが無いはずって。餌を買った様子も鳴き声を聞いた様子も無いとか」
「そこまででいい。怪しい部屋って事は理解できた」
フィオナが武田を制する。
「開けるぞ」
リョウが念を押す。
「気をつけてね。さっきみたいな事もあるから」
武田が注意を促す。リョウは無言で頷き扉を開けた。
「何もいない?」
藍がライトを前に向ける。見えたのは床に敷かれたままになっているバスタオル三枚とガムテープで補修されている窓ガラスだった。
「こっちは窓があるだけ楽ですね」
藍はライトを消した。だがリョウは丹念に天井、床を調べる。何かしら不穏な気配がリョウの神経に触れていた。
そんなリョウに天井から覆いかぶさるものがいた。スライムである。
「がはっ」
スライムはリョウの鼻と口を封じた。
「誰か」
リョウの言葉にならない叫びをあげる。それに真っ先に気付いたのは武田だった
「ちょっと我慢して」
武田は息を呑んでリョウの口に手を入れた。そしてスライムの破片を少しずつ取り出していく。
「私達は撤退の準備を。染は赤木さん、藍は救急車に連絡。武田はそのままリョウを介抱、病院に付き添ってあげて。雫は学園に連絡する」
殿で牽制するソフィアにも聞こえるようにフィオナが声を上げる。
「スライムの様子は」
「大体取れたと思う。呼吸はできるみたい」
「それじゃそのまま玄関まで運んで。我とソフィアで殿を務める。残りのものは一階の封鎖の準備を」
「学園に定期的な阻霊陣交代要員の申請も」
「そうね」
二階に向かう前に浮かんだ案を鈴代が階段を駆け下りる雫に伝える。
「逃げ切るわよ」
「はい」
二階は索敵不要、鈴代の頭の中では依頼内容が渦巻く。いつの間にか日は傾き始めていた。
参加者達が学園に戻った時に武田から連絡が入る。リョウは精密検査の結果問題なし、数日で退院できるという事だった。