遠藤のものと思われるトラックがガソリンスタンドに入場したのは明け方一時を少し回った頃だった。空には薄く雲がかかっており、半分程に掛けた月の明かりを遮っている。風は無く気温は落ち着いている。
「今のところおかしなところは無いな」
スタンドから道を挟んだ対岸、手配された建物の屋上から向坂 玲治(
ja6214)はスタンドとその周辺を監視を続けていた。既に監視を始めて三時間が経過、その間に通過した車体、人間、野良犬の数まで向坂は記録している。誰か遠藤に接触するものがいるのではないか、待ち受けているものがいるのではないかという警戒だった。しかし店員二名以外にスタジオに留まる者は居ない。ガソリンを入れる車も三十分に一台あるかないかで給油を済ませた車は滞りなくスタンドを後にしている。そんな中で向坂が最も気にかけていたのは一時間程前から停車しているトラックだった。
運送トラックとしてはよく見られる型だった。大きさは二トンクラス、特に目立った特長はない。だがそれが今の状況では返って撃退士達にとって迷惑な存在だった。聞いていた遠藤の車体と荷台の運送会社の文字以外同じだったからである。スタジオ到着時に洗車してから空きスペースに停車しているが、運転手は一向に降りてくる気配は無かった。
「遠藤の様子は」
右手に握り締めながらスマホに向坂が呼びかける。
「今エンジンを止めた。店員と何か話をしている」
答えたのは後藤知也(
jb6379)だった。スタンドの看板に身を隠し、給油地点の様子を伺っている。遠藤のトラックとの距離はおよそ十メートル、同型の不審トラックとも二十の位置につけている。そして後藤の隣では既に静馬 源一(
jb2368)が既に屈伸をしながら飛び込むタイミングを見計らっていた。
「もう一台のトラックの方はどうだ」
向坂がスマホに向かって話しかける。
「こちらからは運転手の姿しか確認できない」
「こちらで確認しました」
二番手のなる返事は斉凛(
ja6571)のものだった。
「運転手さんはスマホで話されていますわね。顔に動きがありませんから何かの確認のように見えますわ。こちらの監視に気付いた様子はなさそうですの」
斎凛は通りの道沿いにあるポストに身を隠していた。道路を挟んでいる事もあり距離は二十メートル以上あるがテレスコープのお陰で運転手の髪の分け目まで確認できている。
「そっちの路上駐車の方は」
「動きはねーな」
斎凛には斎凛の懸念材料があった。五メートル程離れた距離に止められた車である。既に三十分程前から停車しているにも関わらず誰も降りてくる様子がない。万が一乗客が今回の積荷紛失の関係者だったらどうするか、そんな懸念である。一方で斎凛には負い目があった。外見が未成年にしか見えないため警察を呼ばれると面倒な事になりかねないという事である。
そこでその路上停車に関しては近い斎凛ではなくラファル A ユーティライネン(
jb4620)が監視していた。スタンドの塀に身を隠しつつ路上駐車、不審トラック、遠藤のトラックの三つを見張っている。
「さっきまで飯食ってたみたいだけど、今は何かを見てるみたいだぜ。オペラグラス持ってきてる」
ラファルは双眼鏡の類を準備してこなかった事を後悔した。昼間の内に周辺を確認したので看板や旗などの備品の配置もラファルの頭には入っている。だが誤算があった。タイヤ痕を調べていたラファルをスタンドの店員が怪しんでいた事である。
「何を見てると思う」
「方角的には佐藤のバイクかな」
ラファルの言う方角とは車の進行方向やや右だった。そこには佐藤 としお(
ja2489)が借りてきたバイクが置かれている。佐藤本人もヘルメットこそまだ手に持っている状況だが、バイクには既に跨っている。
「僕はどうしましょうか」
動くに動けない状況に佐藤も困惑を隠せなかった。
「今のうちに遠藤さんにマーキングしておきたいんだけど」
後ろの状況が確認できない佐藤は不安を感じていた。辛うじて視界に遠藤のトラックは捕らえているが、遠藤本人の姿をまだ佐藤は自分の目では確認していない。
「遠藤が車を降りた」
後藤が遠藤の状況を伝える。
「スタンド内に入っていく」
「荷台に乗り込むで御座る」
宣言すると同時に遁甲の術と無音歩行を使用。隠れていた看板裏からライトで照らされたスタンドへと踊り出る。
後藤が遠藤に、斎凛とラファルが路上駐車を警戒する。しかし三人の不安を他所に気付いた様子は無い。遠藤はそのままスタンドに入り自販機と対している。路上駐車の方も誰も降りてこなかった。
続いて静馬は荷台の開錠に取り掛かる。ただレバーを下ろすだけの簡素な作りではあるが下手に力を入れれば音が出る。静馬は一度呼吸を整え、急ぎながらも冷静にレバーを下ろした。
「わふ。荷台に潜入なうで御座る」
「中の様子はどうだ」
「今サード・アイの暗視つけるで御座る」
荷台に乗り込んだ静馬はまず始めに開けた扉を極力閉じる。そして眼鏡へと手を伸ばした。しかしそこで静馬は自分が装備してきた眼鏡に暗視効果が付いていないことに気付いたからである。
「どうした」
反応がない事を不審に思った向坂が声を掛ける。だが突然の事態にパニックを起こした静馬は何と返答していいのか解らなかった。そんな静馬の自体を見越したのか佐藤が指示を飛ばす。
「スマホを照明代わりにしてみてはどうですか」
これまでにも何度か依頼を一緒にしていた佐藤は静馬の事を少なからず知っていた。そして静馬も自分が手にしていたスマホが光っている事に気付き落ち着きを取り戻す。
「かたじけないで御座る」
ようやく自分を取り戻した静馬は当初の目的を思い出す。そしておもむろに自分の荷を解き紅茶とサンドイッチを取り出した。
「早速だが積荷と目録の照合してくれ。目録に関してはラファルからメールで送られてきているよな」
「照合で御座るな。しばし待つで御座る」
マイク越しに咀嚼音が聞こえてくる。続いて佐藤と斎凛の堪えきれない笑いをマイクが拾っていた。一方で向坂、ラファル、後藤の三人は全く別の事を考えていた。この積荷紛失が案外大掛かりなものではないのかという疑念である。
「これ遠藤の単独犯じゃなさそうだぜ」
ラファルが最初にそう感じたのはストローベレーに依頼していた目録と始末書が届いた時だった。その二つに目立った異変はない。気になったのはその二つを問い合わせた時に何故必要なのかを尋ねられたらしいという事だった。
「会社としては部下を守りたいだけじゃないのか」
「守る意味あんのか」
「そこまでは知らねえよ」
向坂が考えているのは目録にない別の商品を運んでいる可能性だった。
「だが本当に横流しするんだったらもっと金になりそうなものはあるはずだぜ」
ラファルの入手した目録に記載されていたのはノートやシャープペンシルといった文房具が多く、続いて下着等の日用品、皿が二三点あるだけだった。その情報は監視前に全員にメールにて共有を済ませてある。
「なんで俺達が戦争してる時にこんな事になってるんだ」
「天魔が関係しているからだろう」
後藤は淡々と語る。
「変化の術で化けて探りを入れに行ったらスタンドの店員が慌てていた。あれは顔を知っている人間がいる証拠だ。少なくともここのスタンドと遠藤は繋がってる」
「後は警戒されてない事を祈るか」
向坂の願いが届いたのか遠藤は予定通りに姿を現している。だがまだ不審トラックと路上駐車は動かなかった。
「特におかしいものは無いで御座るな」
荷台の中で荷物の梱包されたダンボールを見ながら静馬は報告を入れた。
「文房具や下着ばかりで御座る。幾つか割れ物注意のシールが張ってあるのもあるので御座るが、あれは食器で御座ろう」
「ダンボールを開けて見たんですの」
「そこまでやると言い訳ができぬで御座るぞ」
最後の一切れとなったサンドイッチを口の中へと放り込み、静馬は食後の紅茶タイムへと突入する。
「ところで外の様子はどうで御座るか」
「変化な、ちょっと待つですの」
斎凛は変化なしと答えようとして言葉を飲み込んだ。
「遠藤様のトラックは給油終わったんですよね」
「今終わったな。店員が伝票を持ってる」
「不審トラックの方も動くぜ。男が降りてくる」
後藤、ラファルが次々と答えていく。そして三人の視線が集まる中で店員と不審トラックの男が二三言葉を交わし、店員はスタンドの中へ男は遠藤の車へと近付いていく。
「店員が男に鍵を渡した。追いかけるぞ」
後藤が言うや否や隠れていた看板影から躍り出る。
「佐藤と斎はトラックを追う準備を頼んだ。ラファルは遠藤を確保してくれ、俺も行く」
向坂が指示を飛ばす。合わせて佐藤はヘルメットを被りバイクのエンジンを掛けた。だがこのタイミングで動く別の人物がいた。路上駐車をしていた車である。
「全員動くな」
車から二人の男が降りてくる。そして徐に懐に手を入れると黒い手帳を取り出す。警察手帳だった。
「二時間ほど前にネットにここで殺人を予告するような書き込みがされた。お前達全員話を聞かせてもらうぞ」
そう来たか、それが佐藤の本心だった。ヘルメットを取り、ようやく後ろを振り向いた。
「僕達は撃退士です。まずは情報交換しませんか」
警察と名乗った二人は佐藤へと視線を向ける。そこで佐藤は眼鏡を掴み上へと投げて光纏する。
「これで信じてもらえませんか」
堂に入った佐藤の態度に警官二人は顔を見合わせる。
「学園に問い合わせる。名前と学年を教えてくれ」
「大学部一年の佐藤です」
男の片方がスマホを取り出した。その間にも斎凛はスタンドの中にいる遠藤の監視を続ける。遠藤が逃げるのではないかとも予想していた斎凛であったが、当の遠藤はベンチに座っている。手には缶コーヒーを手付かずのまま握っていた。
一方で後藤は不審トラックの男を捕まえた。警官の制止も聞かずにトラックに乗り込もうとした男だったが、天魔関係者ではないのか後藤が腕を押さえたら逃げ出す事は出来なかった。そこでようやく後藤は正面から男の顔を確認する。
「あんたは昼間の」
それは遠藤に変化した後藤の顔を見て慌てた店員だった。
「俺達がこんな事をしたのは船代の高騰のせいだ」
撃退士に捕まえられた遠藤は抵抗しなかった。スタンドのベンチに座ったまま
佐藤、向坂、斎凛と警察二名に囲まれながら事情を訥々と語り始める。
「学園やその周辺施設に荷物を運ぶためには船が必要になる。だが二ヵ月前に三倍の運賃を要求してきた。それでは利益が出ないどころか赤字になる。運べないんだ」
「今までの荷物はどうしたんだ」
「あのトラックの中だ」
遠藤は手をスタンドの外へと向ける。
「期限の無いものばかりだからここで回収して会社に返していた。別のトラックを準備していたのは港への建前と目晦まし。だがもう三回目、学園が始末書を要求してきたって話を聞いた時には潮時だと思っていた」
「聞いていたのですね」
斎凛の問いに遠藤は頷く。
「捕まった時の対応は任せると社長は言ってくれた。だが俺は捕まらない一縷の望みに賭けていた」
「恩義を感じていたんですね」
佐藤の行った事前調査で遠藤が日比谷運送に入ったのは社長に拾われた事が判明していた。
「離婚された時に職も失ったと聞きました。しかし戦火の激しくなる中で中途採用してくれる会社は少ない」
「自分の過去について調べられるのは嬉しい気はしないな」
そう言いながらも遠藤は否定しなかった。
「こっちも認めたで御座るよ」
静馬がスタンドに入ってくる。後ろではラファルと後藤が店員の腕を掴んでいた。
「ただこっちは意趣返しのようで御座るな」
「どういう事だ」
向坂が問い返す。
「恨まれるような事をしたつもりはないんだがな」
「こいつの言葉を借りると燃料の輸送の時に撃退士を護衛で雇う事が増えたそうだぜ。その護衛料金が燃料代に上乗せされているんだとさ」
「そのせいで客からのクレームが多いらしい」
「僕達がもっと安く働けばクレームも減るのに、という理論で御座った」
静馬、ラファル、後藤がそれぞれに補足する。
「それでは遠藤さんの話にあった船代の高騰というのも間接的に私達が原因なのですの」
「その辺りはまたストローベレーさんに調べてもらうことにしよう」
斎凛の愚痴に近い言葉に佐藤も似たような感想を持っていた。だが口にはせずに建設的に捉えなおす。
「あとはネットの書き込みも僕は気になります。そちらの方は警察にお願いできますか」
「学園にはお世話になっています」
確認が取れたのか警察は協力的になっていた。そこで後処理を警察に任せて撃退士達は学園へと戻ったのだった。
後日、警察の調査結果がストローベレーへと届けられる。書き込みをしたのは日比谷運送の社長で、依頼かく乱が目的であった事を認めた。加えて荷物盗難で保険金を騙し取ろうとしていた事も判明し余罪を追求するという事だった。