街は重い空気に覆われていた。活気という言葉には程遠く、時折言い争いの声が各方面から上がっている。舗装されていたはずのコンクリートにもヒビが入り、隙間からは顔を覗かせるように雑草が芽を伸ばしていた。
雫(
ja1894)と鳳 静矢(
ja3856)は商店街に着くなり奇妙な視線に気付いていた。原因は頭上、アーケードから見つめている猿型天魔からのものである。
「あまり彼らの視界に入らない方がいいのでしょうか」
三匹の猿はそれぞれ視界を補うように距離を空けて違う方向を向いていた。だがその中の一匹が雫と鳳を見つけると残りの二匹も駆け寄り三匹で監視を始めている。
「こちらの行動が漏れるのはいい気分ではない」
鳳は天魔を見返す。猿型天魔は円らな瞳で鳳を見つめていた。それは新たな遊び相手が来てくれた事を喜んだようにも領地に無断で侵入された事を憤っているようにも鳳の目には見えていた。
「できるだけ見つからないように動くべきだろう」
鳳は答えながら物陰へと向かい歩き出す。
「では手分けして連絡に回りましょう」
雫は一度天魔の様子を確認して鳳の後を追って物陰に入る。
「ただいつ襲ってくるかは分からない。実際に見て感じたのだが彼らがアーケード上に拘っている理由が思い当たらないんだ」
「監視だと思いますが。上から見れば視界も広がりますし」
考えを巡らせる雫、すると鳳は何かを思い返したかのように顔を物陰から出した。
「すまない。さっきはできるだけ見つからないようにと言ったが修正したい」
戻ってくるなり鳳は自ら挙げた提案を訂正した。
「適度に見つかってほしいんだ。出来るか」
「必要なら挑発など気を引かせる事は出来ますが」
「判断は任せます。適度にこちらの居場所を見せた方が天魔の警戒心を抑えられると見ました」
鳳が説明する。
「さっきまで三匹集まっていた天魔だが、今は一匹に減っていた。適度にこちらの動きを見せた方が向こうの動きを多少封じられるかもしれない」
「試してみる価値はありますね」
雫はしばらく考えて頷いた。
「では私達が分かれるところも猿に見せましょうか」
「悪くない。代わりに一般人は見せないように」
「ですね」
方向性を確認して二人は物陰から飛び出す。そして反対方向へと別れていった。
その頃ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は闇の翼を使い高度三十メートルの世界から商店街を一望していた。足元に広がるアーケードには見覚えのある傷跡が幾つか存在する。掃除するものがいなくなったためか汚れが溜まり、下に広がっているはずの通路の様子は朧な形でしか視認できていない。しかしそんな微かな情報からだけでもゼロの脳裏には前回の戦闘を思い起こさせる情報を引き出していた。
三体を監視しながら町内放送の必要性を見極める。ゼロの視界には天魔の他に争っている一般人三人の姿を捉えている。アーケードからはやや離れているが、左に行ったり右に言ったりと予想のつかない動きを見せていた。
「移動してもらうか」
ゼロは天魔から視界に外れたのを確認し鳳と雫に電話を入れる。
「姿を見せているのは二人の案やろか」
「そうだ。効果は出ているだろうか」
「今のところは悪くない」
ゼロが答える。
「少なくともお前達のお陰でマステリオと天羽はいつでも戦闘に移れる位置への移動に成功したようやな。天魔には気付かれていない。二人のお陰や」
ゼロは素直に二人に賞賛の声を送る。
「ただ天魔の緊張が高まっているようにも見えるな。足取りが速くなり無闇に手を振り回しているようや。何かしら策はないんかな」
「では私が挑発を試みましょう」
提案したのは雫だった。
「それで行けますかね」
「悪いが俺も試してみるしかとしか言えんな。ただ今ならマステリオと天羽がいるから抑えられるとは思うとる」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)と天羽 伊都(
jb2199)の両名は天魔の動きを見ながらマステリオは壁沿いに、天羽は一つの商店の屋上で身を隠している。
「では実行に移しましょう」
「もう一つ」
ゼロが雫の行動を制する。
「商店街の離れで喧嘩のようなものが起こっているんや。このまま収まってくれればいいがアーケードの方まで展開してくると面倒や。早めに火消しを頼むわ」
「町内放送で呼びかけてみてはどうだろうか」
鳳が提案する。
「放送するだけで喧嘩が収まるわけではないだろう。だが人が集まらないように呼びかければ無闇に拡大するのは防げる」
「分かりました。やってみましょう」
最後にゼロはマステリオと天羽に連絡を繋げる。
「今から俺は放送に向かうわ。上空からのバックアップはとりあえずここまでやな。これから雫が天魔に挑発することになっとる。そこからは臨機応変に対応してくれや」
「付近の住民の避難状況は」
「屋内に避難してもらっている」
「アーケードの下は」
「念入りに見てもらった。大丈夫や」
そう答えてゼロは通話を終える。そして天魔の視界に注意しながら地上へと降り立った。
「みんな聞いて欲しい」
やがてゼロの声がスピーカー越しに流れ始める。音量調整ができていないのか始めは鼓膜の破れそうなほどの大音量に機械特有のビープ音が混ざる。一斉に耳を押さえる撃退士達、だが何度かの調整を経てようやく音量が安定する。
「俺の名前はゼロ=シュバイツァー、一ヶ月前の参加者の一人や」
ゼロは自分の身分を明らかにした。その上で話を続ける。
「俺達の事を信じられない人もいるやろう。憎しみの目で見ている人もいるやろう。それでええ。それが人間として当然の感情だと思うとる。その上で俺は皆にお願いや。これから少しの間だけは家の中にいて欲しいんや」
ゼロの言葉に天魔が動き始める。三匹が何かを相談するように集まったかとみえては分散し周囲を見回しながらアーケード上を闊歩する。身を隠すように天羽とマステリオは静かに天魔の動きを見ながら静かに移動を開始。その間に雫がアーケードまで見通せる通りに姿を現した。
「あの天魔と戦えというつもりは無いんや。それが無理なのは俺達だって承知や。だから俺から頼む事はただ一つ、屋内に隠れて欲しいんや」
そこで小さな電子音とともに放送は終了する。
「いい放送でした」
誰にも聞こえない程度の小声ではあるが天羽は言葉に出して感想を漏らす。
「きっと届いたと思うよ」
天羽の前では天魔がアーケードの端へと駆け寄り、下に向けて恫喝をしている。一匹はアーケードの外縁に手を引っ掛けて身を乗り出しながら挑発している。
「雫さんが上手くやってくれているのでしょう。後は鳳さんとゼロさんが位置につき次第」
そんな事を呟いていると天羽の肩が叩かれる。天羽が顔を上げると、そこには鳳が立っていた。
「待たせた」
鳳の目は天魔へと向けられている。
「早かったですね」
「時間が無かったから気迫を使わせてもらった」
簡潔に鳳が答える。
「状況説明を頼む」
「天魔三体はアーケード上で雫さんに引きつけられています。ただ天魔の方も緊張の限界ですね」
天羽が説明するや否や雫の最前線の天魔がアーケードに拳を叩きつける。そして破片を取り出しては雫に向けて投げつけた。そこで慌てて鳳がアーケード上へと躍り出た。
「私がお相手しよう」
挑発をかけて鳳は三体の天魔の注意を引きつける。肩にはゼロから渡されたマントを掛けていた。毛玉防御用に今回ゼロが用意したものである。
突然現れた敵に天魔は後ろへと振り返る。そして鳳を認めるとゆっくりとその風体を見定め、アーケード上を転がすようにグラウンダー気味に毛玉を投げつけた。
「様子見か」
はっきりとしない天魔の行動に少し疑問を抱きながらも鳳はこの毛玉を回避、そして風で飛ばないようにマントの一枚をその毛玉に被せる。しかし鳳が一つ目の毛玉に意識が捕われている間に残る猿型天魔が鳳目掛けて速球を投げ込んだ。
「こちらが本命ですか」
崩れ気味の体勢のまま体を翻そうとする鳳だったが、動きの少ない腰元へと毛玉が命中する。
「どうなりますか」
見ていたマステリオと天羽にも緊張が走った。だがすぐに鳳が手を挙げる。その様子を見てようやく二人は安堵した。
そして天魔三匹が引き返した事で雫も鳳が復帰した事を悟った。そこで挑発を止めて次に阻霊符へと切り替える。その間にゼロは再び闇の翼を作り、上空からの観戦に回った。
撃退士達が動く間に天魔も更なる攻勢へと入る。鳳が絶影へと持ち返るのを見た上で散会し一斉に毛玉を投げつけたのである。鳳は三つの毛玉の内、顔付近に飛んできた一つはマントで包み込むようにして勢いを削ぎ、足元を狙った毛玉には跳躍して飛び越える。しかし山なりに投げ込まれた一投が鳳の肩口に飛来した。再び緊張の走る撃退士一向ではあったものの鳳は再び毛玉から漂う魅惑の香りに耐える。
「目標は達した。残るは全力で狩らせて貰おうか」
五個確保した合図として鳳は矢を上空に向けて打ち上げる。それを見たゼロが先制の狼煙を上げた。
「ケジメつけさせてもらおうか」
アーケードを破壊しないようにと狙いを絞ったゼロの一撃は見事天魔の体の中心を捉える。そして二の矢として天羽が追撃を入れた。
「確実に仕留めさせてもらいますよ」
天羽は狙いを猿の弱点と思われる頭に定めていた。そしてゼロの攻撃を受けて倒れこむ天魔の軌道を予測、着弾までのイメージと重ね合わせるように引き金を引く。放たれた弾丸は吸い込まれるように天魔の脳天へと入っていった。
「こちらも負けてはいられないですね」
一匹目が動きを止めたのを確認し、マステリオは二匹目の天魔へと狙いを変更する。アーケードを支える支柱を駆け上がり下見で確認しておいた穴からアーケードの上へと飛び出す。そして背中を切りつけると共に天魔の動きを封じた。
束縛された猿型天魔へと鳳は弓矢を引き絞る。万が一逃亡される事を考えて狙いを足に指定した鳳であったが、矢が着弾するとともに天魔は断末魔を上げて昇天した。
「残りは一匹ですね」
最後となった天魔に雫は地上から攻撃を仕掛ける。それを見た天魔ももう自分に後が無い事を悟ったのか逃亡の一手を試みた。突然の行動変化に手元が狂ったのか雫の銃弾は空の彼方へと消える。そして天魔はアーケードの下へと飛び降りる。だがこれ以上の行動をゼロは見逃さなかった。
「もう手口は分かってるんや。残念やったな」
全てを見透かしたようなゼロの一撃はアーケードの穴を通して猿の太腿を打ち抜く。そして身動きのできなくなったところを天羽が最後の一撃を叩き込んだ。
念のため撃退士達は毛玉を一つずつ個別にゼロの用意したマントで包んで回収する。すると騒ぎが収まったのを確認するかのように商店街では人が顔を出し始めた。だが誰しもが何かを言いたそうな表情を浮かべながらも口を開けるのを拒んでいた。
「一つ質問したい」
遠巻きから見つめる人垣の中から初老の男性が撃退士達に歩み寄る。ゼロにはその顔に見覚えがあった。
「この商店街の会長さん、だったな」
「上田だ。もう必要ない名前かも知れないがね」
そう答えながら会長は耳を掃除していた。
「それで質問とはなんでしょう」
何となく不穏な空気を感じた天羽が仲介に入った。
「上から見張られながら避難する方法とはなんだったのだろうか」
会長は顔を俯けながらも五人の顔へ鋭い眼光を向けている。
「前回の事か」
鳳の問いに会長は頷いた。
「今回のように屋内にいるという指示なら私達も動ける。ただ漠然と避難するように言われただけではかえって混乱を招く」
「自治体で事前に決めた避難場所のようなものはなかったのか」
ゼロは会長に尋ねた。
「小学校が避難場所として設定されている。そこだな」
会長が指差したのは商店街の離れだった。
「当初は誰もがそこへ避難しようとした。だが我先にと避難しようとする者からあの天魔にやられた。十か二十か具体的な数は分からない。だがそれから逃げようとすれば殺される、そんな憶測めいた噂が流れるようになった」
「信じていたのですね」
「仕方ないだろう。夜間に抜け出した者、窓や裏口から逃走を試みた者もいた。しかしすぐに追いつかれる。上から監視されているっていうのはこういうことなんだとワシは身をもって体験したんだ」
会長の顔には苦悶の表情が広がっている。
「では一緒に避難路考えてみませんか」
提案したのは天羽だった。
「考えたくはありませんが、これからも同じ事がないとも限りません。それに今なら僕達も協力できます」
答えながら天羽は会長の表情を伺う。しばらくは身動きしなかった会長ではあるがようやく顔を上げる。
「ワシ一人では決められない。相談させてもらっていいか」
「勿論です」
天羽が即答する。そして答えた上で他の撃退士達の顔を見比べる。
「即断してしまいましたが大丈夫ですよね」
「私達にもいい勉強になると思います」
淡々と雫は答える。そしてそれを聞いた会長はようやく表情を緩めて人垣へと戻っていく。
「これでこの商店街も変わっていくんかな」
「そうですねえ」
議論を繰り広げる人垣をゼロとマステリオは複雑な心境で見つめていた。