「舞台の準備はこんなもんだな」
一面霜の降りた芝生の上、柵の外に生えた木の傍に久遠 仁刀(
ja2464)は深紅のビニールシートを広げる。木の上には昨夜の内に積もった雪がまだ薄く残り、時折シートの脇に雪を落としている。
シートの中央には麻生 遊夜(
ja1838)特製のローストビーフが置かれている。依頼人である榊宅の台所を借りて作った自慢の料理だった。
そしてそれを取り囲むように黒百合(
ja0422)厳選のフルーツ盛り合わせバスケットを配置する。旬の果物を中心に肉の脂を洗い流すために蜜柑など柑橘系を中心にしたセレクトである。
「サンドイッチはどこに置きます?」
宇高 大智(
ja4262)が両手に皿を一枚ずつのせて庭へと姿を現した。皿には望月 忍(
ja3942)の作ったサンドイッチが均等に並べられている。
「全部で何皿あるんだ?」
「あとはサンドイッチ二皿とクッキーが一皿。他に飲み物を用意してるみたいだな」
「そちらも楽しみにしとくか」
茶会の準備を進める二人の傍らでは獅子堂虎鉄(
ja1375)、宇野 巽(
ja3601)が最終打ち合わせを開始していた。
「交渉は任せるぞ。挑発が必要なら行ってくれ」
「分かった。全ての天魔絡みの事件で血を流す必要はないはずだからな」
獅子堂は小さく頷き、右手に力を入れる。寒さで指先の感覚が薄れているが、痛みを感じる程度には残っていた。
「和平の道を模索するのも、守護者の矜持の内だ!」
獅子堂は柵の中へと視線を向ける。依頼対象であるサラブレットはまだ柵の中を走り回っている。そしてもう一つの依頼対象であるコボルト三対は未だにたてがみにしがみつきながら辛うじて馬に付き添っている。
「俺はサポートに徹させてもらうから。適当に合いの手ぐらいは入れるつもりだけどな」
宇野は柵の上に残る霜を払いのけて軽く表面を叩く。釘が出ていないかという懸念があったが、どうやらそういう所は無いらしい。
一方で交渉班の動きに冷ややかな視線を送っている撃退士もいた。別天地みずたま(
ja0679)である。
「そもそもどうやって交渉するっていうつもりなんだろうね」
別天地の最大の疑問は馬に乗っているコボルトにどうやって声を届けるかというものだった。だが別天地の心配はすぐに氷解する。目の前で馬が目に見えて足を緩めていったからである。馬の視線を追うと仁刀と宇高、そして準備が進められている茶会会場があった。
「餌に惹かれたのね」
別天地は苦笑する。
「でもこれで上手くいけば誰も傷つかずに終わるだろうね‥‥皆、幸せな一日が来ます様に‥‥」
隣ではスグリ(
ja4848)が小さく祈りを捧げていた。
「合図は久遠がカップ鳴らすから。鳴らない方がいいけどね」
「そうねー」
別天地はスグリの話を受け流す。そして小さく息を吐いた。
その頃もう一つの奇襲部隊である真龍寺 凱(
ja1625)、無明 行人(
ja2364)は茶会の会場であるシートを見渡せるように木の上に陣取っていた。
「やれやれ‥‥どうやら今回は出番なしか」
順調に進んでいる茶会の様子と歩を緩めていくサラブレットを見比べながら真龍寺は呟く。
「詰まらなそうですね」
無明が問いかけると真龍寺は顔を背けた。
「‥‥多少はな」
無明の問いに言葉少なに肯定しながらも真龍寺は眼下で変わっていく様子をつぶさに確認していた。問題の馬が速度を落としていくのに伴い、コボルトも落ち着きを取り戻し始めている。何を会話しているのか分からないがコボルト達の口元が動いている。
「気になるな。交渉班は気付いているのか」
「大丈夫ですよ。動き始めました」
無明が指を指し示す。そこでは焼き上げたクッキーを運んでくる権現堂 幸桜(
ja3264)と竹輪と阻霊陣を袂に入れる獅子堂の姿だった。
「これで惹かれない人間が居たら罪だな」
「問題は人間じゃないってことね」
「何食べてるか分かったもんじゃないしな」
日比野 亜絽波(
ja4259)が準備した紅茶を榊宅から借りたティーカップで仁刀、宇高はシートの中央に陣取っていた。コボルトに見せ付けるためのサクラ要員である。だが会話内容は物騒なものだった。
「サインの準備は大丈夫なのか?」
「奇襲部隊との連絡のサインか」
「勿論」
「大丈夫だ」
仁刀がティースプーンを持ち上げると、宇高は慌てて制止させる。
「やめてくれ。俺でも上から殺気を感じる」
「隠密が不得手な凱のものか」
「俺にはどっちかまでは分からないけどね」
宇高は笑うしかできなかった。
コボルトがどう出てくるのか興味深々に別天地とスグルは観察していた。シートとは乗馬場を挟んで反対方向にある木に上り、事態の成り行きを見つめている。
「成功するのかな」
獅子堂がコボルト達の方へと歩いていく。獅子堂の後ろに宇野が続く。交渉がまもなく始まるらしい。
別天地としては複雑な心境だった。この作戦が成功してくれればそれでもいい。だが自分が関わっていない作戦が成功するには酌に触る。
「して欲しい所だけどね」
スグリはゆっくりと雪を落とさないようにゆっくりと体勢を変え、コボルト達の様子を見守っていた。
やがて馬は完全に停止した。一匹のコボルトが必死にたてがみを引っ張っているが馬は動こうとはしない。
「あんちゃん、やっぱり俺達馬に向いてないんじゃないかな」
「五月蝿い。馬に乗れば俺達も騎士の仲間入りが出来るんだぞ」
「でも俺達三人揃わないと足届いてないじゃないか」
「俺達はいつでも三人揃って行動してきただろ」
兄貴分のコボルトが力説する。
「大体親分はできるって言ったんだ。才能や生まれじゃなく努力で勝ち取るんだよ」
鬼の形相を浮かべる兄貴コボルトに対し、弟達は顔を見合わせる。そのタイミングを見計らって獅子堂が話しかけた。
「ちょっとここで茶会やるつもりなんだけど、お前らも一緒に食うか?」
獅子堂は作り過ぎない程度に笑顔を作り話しかける。
「こっち四人なんだがちょっと作りすぎたんだ」
宇野がさも当然のように補足を入れると、弟分達のコボルトは再び顔を見合わせた。だがそんな弟達を牽制するように兄貴コボルトが口を挟む。
「そんな事言ってだまし討ちするつもりなんだろ。何人仲間がやられたと思ってるんだよ」
兄貴コボルトは馬に乗ったまま二人を見下ろす。
「武器なんか持ってないぞ。おいらが持っているのは竹輪だけだ」
獅子堂は袂を探る。そして前もって準備していた竹輪を取り出した。
「それともこの竹輪も武器か確かめるか?」
宇野が兄貴コボルトに問いかける。宇野にも一つの考えがあった。このまま行けば兄貴だけは交戦する事になる。その前に兄貴を馬から降ろしておきたかった。だが兄貴は一気に表情を曇らせる。
「馬鹿にしてるんだな。竹輪ぐらい知ってる」
兄貴は馬を降りなかった。相変わらず宇野を見下ろしている。
茶会会場の木の上では真龍寺は息を潜めていた。
「どう‥‥出るかな」
無明も白い衣装に身を包んだまま固唾を呑んでコボルトの様子を見守っている。三匹いるコボルトの内二匹は明らかに茶会に興味を持っている。しかしリーダー格の一匹が警戒を示していた。
「二匹だけ助ける方法‥‥ないでしょうか」
無明は難しい顔をしている。
「難しいな‥‥俺の見立てだが三匹の結束は固い」
「残りの二匹に見つからず一匹だけ倒す方法は」
「そっちの方が‥‥難しいだろうな」
真龍寺は明言を避けた。獅子堂が求めている状況を理解している。だが状況を悪化するのではないかという懸念もあった。
「状況が許せば‥‥狙う。向こうにも‥‥期待する」
奇襲班に心配されながらも交渉班はコボルトとの話を進めていく。
「無駄な戦いはしたくないんだ」
「冷めないうちに食べた方が美味いぞ」
獅子堂と宇野の熱心な説得に弟分コボルト二人は足を進める。だが兄貴コボルトは未だに不審な表情を浮かべている。そして弟達に言い放った。
「食べたいなら食べに行けばいい。俺はいつもの所で待ってる」
兄貴コボルトは馬を降りた。そして茶会の舞台とは反対方向へと歩いていく。
「それじゃ早速茶会と行こうか」
獅子堂が率先してコボルト二匹を案内する。状況を察した仁刀と宇高はコボルト二匹分の紅茶を準備している。
「コボルトって何を食べるんだ?」
宇野が尋ねるとコボルト達は顔を見合わせた。
「食べられるものなら何でも」
「でもうまそうなものを人間と食べる趣味は無いんだ」
コボルト達は不意に襲い掛かってきた。背を見せた獅子堂と宇野に向かって殴りかかって来る。コボルト達のためにローストチキンを切り分けていた宇高は手を止め、仁刀はティースプーンを鳴らした。
「出番だ」
合図に合わせて真龍寺と無明が木から降り立つ。新手の二人の登場に兄貴コボルトも構える。
「武器は持ってなくても奇襲はするのか。これだから人間は信用できん」
「まて、これには理由がある」
必死に交渉の道を模索する獅子堂だったが、コボルト達は躊躇する事無く顔、腹、足と攻撃を仕掛けてくる。すぐに無明が救助に入るが、軽い脳震盪を起こしていた。
「しばらくゆっくりしておくといいよ」
真龍寺、無明にやや遅れて別天地とスグリが合流。コボルト達の囲い込む。そして宇高と宇野がコボルトから馬を引き離しにかかる。
「そちらは頼みます」
ダブルラリアットを放ち、無明がコボルト達を飛ばしにかかる。しかしコボルトも動きを読んだ。体を落とし軸足に蹴りを入れる。
体勢を崩しながら無明はコボルト一体を覆うようにして潰した。
「まるで暗殺者みたいだね」
コボルトと相対しながらスグリの顔は浮かなかった。
「話し合いで解決できればよかったのに」
戦闘になった現実を噛み締めつつスグリは右のトンファーでコボルトの拳を受け流した。そして開いた胴へと左のトンファーを打ち込む。吹き飛んだ所を別天地がレガースを付けた足で受け止め地面へと叩きつけた。
「だがこれが‥‥現実だ」
真龍寺が無表情のままコボルトに拳を叩き込む。残ったコボルト一匹が逃亡を計ろうとするが、それも捕まえ鳩尾に拳を叩き込んだ。
「初めから素直に従っておくべきだったな。まあ‥‥もう遅いがな」
真龍寺は一礼する。一部始終を見つめていた仁刀は空を仰いだ。
騒ぎが収まり、やがて依頼人である榊一家が顔を出す。
「無事終わりました」
無明が完結に依頼完了の報告を済ませる。
「コボルトは無事全部退治しました。もう来ないと思います」
獅子堂は無言のまま先程まで戦闘の行われていた地面を見つめる。祖霊陣が芝生の上に落ちている。
「いつの間にか落ちていたのか」
念のため袂を確認するが、そこには竹輪しか残っていない。獅子堂は地面に落ちている祖霊陣を拾い上げると、近くの木の根元に埋めた。
「平和になったら拾いに来る」
獅子堂はそれだけを呟くと顔を頬を二度叩き、そして茶会のシートの方へと戻っていった。
慰安を兼ねた茶会が開かれる中、スグリは榊一家と共に馬小屋へと向かう。
「餌付けやってみたかったんですよ。依頼前にやりたかったんだけど時間とれなくて」
そんなスグリに続いて宇高も馬小屋を訪れる。
「こんな時に何ですけど乗馬体験させてもらいたいんですけどいいです?」
そんな宇高の申し出に榊は二つ返事で答える。ハグでお互いの健闘を称えあう獅子堂は権現堂、茶会の片付けを手伝う望月、日比野に手を振りながら馬とふれあったのだった。