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マスター:八神太陽
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:6人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/05/27


みんなの思い出



オープニング

 西暦二千十四年五月、播本はホテルの一室で鉛筆を削っていた。べッドライトを机へと移動させ、灯りを手元へと向ける。静かな夜だった。それ程高い階数ではないが繁華街の喧騒も車の排気音も届かない。換気用のファンが鳴らす低音と鉛筆を削る小刀の摩擦音だけが部屋に響いている。
 削り具合を確かめるために播本が指で鉛筆の先端を摩る。木目の滑らかさと黒鉛の柔らかさが過剰に高まりつつある中枢神経を抑圧してくれていた。机の上に広げたティッシュの上には不揃いの鉛筆の削り屑が点在し、空調が巻き起こす僅かな微風に右へ左へと小さく揺れている。
「こんなものか」
 播本は鉛筆を壁に張り付く虫へと向けた。緑でムカデのように長い胴体を持ち、左右に六対計十二枚のトンボのような薄羽を付けている。三年前に播本が偶然見つけたものである。人懐こく旅先にも同行し播本の話し相手も勤めている。この虫に対し彼女は形状が似ている事から未知生命体であるスカイフィッシュと名前をつけていた。
「十分だ」
 眼前の緑の虫が答えてくれる。
「だが一本でいいのか」
「これで四本、あと一本だ」
 播本が机の引き出しを開ける。中には企画書や請求書の書類をまとめた透明のクリアファイルとペンケースにラップ、そして幾つかの医薬品が入っていた。播本はその中からペンケースを選び口を開ける。中に入っていたのは今彼女の手元にあるものと同種の鉛筆だった。三本の鉛筆に付けられた先割れ防止のキャップが縦長でいびつに歪んだ播本の顔を映している。
 ベッド付属のデジタル時計がアラームを鳴らす。播本が視線を向けると二十三時を回り更に時を刻んでいる。
「手順の確認をしておくか」
 スカイフィッシュが語りかける。播本はゆっくりと口から息を吐き小さく頷いた。
「道元さんの到着が二十四時、上着を脱がせると同時に彼の空腹具合を確認する」
「何か腹に入れたいようなら冷蔵庫に入っているサンドイッチを勧めるんだな」
 播本は新たに削り終わった鉛筆にキャップを付けて計四本となったキャップ付き鉛筆をペンケースへと戻した。そして椅子に座ったまま状態を傾けホテルの備品である冷蔵庫の扉を開ける。そこには近くのコンビニで事前に購入して来たサンドイッチとミネラルウォーターのペットボトルがそれぞれひとつずつ入っている。そして冷蔵庫そばの台にはブランデーが鎮座している。だがブランデーだけは既に口が切られていた。
「次に仕事の話。冷蔵庫に向かいながら私の取材した天魔の特集企画の進行状況を尋ねる」
「道元出版で行われているはずの企画だったな」
 虫の問いに播本は明確な返答はしない。
「ただし聞くのは一度だけ。詰問はしない。はぐらかされたら引き下がる」
 播本は冷蔵庫を閉めて机の上に残った最後の五本目へと向き直る。感覚を確かめるように播本は何度か小刀で鉛筆の端をなぞり、削り屑を集めたティッシュペーパーの上まで手を動かした。
「そして最後に本題。本当に私と結婚する気があるのかどうか」
 播本が鉛筆に小刀を入れる。縁を少しずつ削りながら形を整えリズミカルに手を動かしていく。
「イエスと言ってくれるのであれば水を渡す。でももし誤魔化すようなら」
「睡眠薬入りのブランデーを飲ませる」
 鉛筆から黒鉛部分が顔を出す。そこで播本は削るペースを落とし、一度お腹を擦って小刀を持ち直す。
「後はタオルで拘束、鉛筆で刺し殺し火を放つ」
「火災報知機にはラップで塞ぐんだったな」
「そう。これまでこの男と関わる書類と一緒にホテルごと燃やしてしまう。あの男には勿体無い棺桶だけどね」
 最後の整形を済ませて播本は五本目の鉛筆にもキャップを付ける。そして代わりにクリアファイルを取り出した。
「何が慰謝料よ。独身って言ってた癖に」
 金百萬と書かれた請求書を一瞥し、播本は再びクリアファイルを引き出しの奥へと仕舞う。ホテルが火の手に包まれたのはそれから二時間後だった。


リプレイ本文

 壁沿いに設置されたアルミ製の非常階段を駆け上がる。甲高い音を立てながら六階からの進行を選択したエイルズレトラ マステリオ(ja2224)、更科 深澪(jb0074)、死屍類チヒロ(jb9462)の三名が先行。先陣を発つのに重荷にもなる消防服を敢えて嫌い、ガスマスクだけを装着して百段近い階段を一気に上っていく。その中でも近くに備え付けられた擦りガラスの窓から見える赤い揺らめきがホテル内部で発生している状況を想像させていた。
「ここからは俺達が入ります。要救護者の人が見つかったら連絡しますから」
 五階と六階の踊り場で一旦足を止め、三人は後ろに続く消防隊員の到着を待ちながら周囲へと神経を尖らせる。
「いるね」
 更科が声を掛ける。非常階段から続く非常扉は三階より上は避難した客が開けたのか今も全て解放されており、階段までも火の粉を降らせ熱気は少し離れた踊り場までも押し寄せている。その中に紛れ込むように更科は緑の虫を見つけていた。
「これは今の内に倒しておいた方がよさそうだな」
 ここまで片手に一つずつ抱えてきた防火水用のバケツを踊り場の隅に置き、更科は腕を鳴らしながら凍滝旋棍を取り出した。
「全部で三匹ですね」
 死屍類が指差しながら天魔の位置を確認する。しかし虫は死屍類の敵意を感じとれなかったのか虫は三匹とも扉の開いた炎の中へと姿を消す。
「我に恐れを生しましたか」
 不敵に笑う死屍類、そんな彼の前にまた別の虫が躍り出る。速度を緩めず扉へと向かう虫に対し、死屍類は忍刀を虫の推定軌道上に合わせる。空を切る音に紙を割くような裂音が混ざる。二つに分断された天魔は風に流され踊り場から零れていった。
「この辺も完全な安全地帯とは言えませんね」
 地へと落ちていくスカイフィッシュをマステリオはしばらく見つめていた。下からは遅れていた消防隊が階段を上がってくる音が聞こえてくる。
「ただここは敵が飛んでいる事もあって戦いに不向きです。向こうもここではこちらを警戒していません。不安は残りますがここに待機してもらいましょう」
「それじゃあたし達は早速入ろうか」
 更科が踊り場から少し身を乗り出し、後続の消防隊へと手を振り合図する。そしてホテルへと入っていった。

 同じ頃、二階から救助に向かっていた綾(ja9577)、ドロシー・ブルー・ジャスティス(jb7892)、ジョージ=S=D=ジョーンズ(jb458)の三名は三階へと到着していた。二階の階段下に消防隊を待機させ、六階からの突入組と同様に消防服を着ずにマスクだけの軽装備でまとめている。しかしそれが災いしたのか宙に舞った火の粉は餌を求める肉食動物のように酸素と可燃物質を求め撃退士達の衣類へ髪へと火種を移していた。
「少なくとも水を被っておいたのは正解でしたね」
 先頭に立つドロシーは前方にミュールシールドを構えて歩を進めていた。自販機の設置されたL字通路を曲がると左右へと広がる通路が現れる。そこでドロシーは一旦足を止めた。
 盾で胴と鼻から下の顔を隠し、目と耳に神経を集中させる。しかし視界の六割は赤の炎に覆われ、床や壁が直に晒されている部分は二割にも満たない。聴覚に届く刺激の多くも燃焼音に阻害されている。その中には極近距離で液体が蒸発する音も含まれていた。だが全ては防ぎきれていないのか焦げた匂いは鼻をついている。そしてその間断を縫うように虫型天魔は姿を見せていた。
「九時の方向、手前から三番目の扉付近。数三」
 片翼を担うジョージがインカム越しに連絡を入れつつクロスボウの弦を絞る。初弾こそ外すものの次弾、次々弾で敵の数の一へと減らす。
「三時方向からも来ます。数二」
 もう片翼を担当する綾も天魔発見の報告を上げた。ドロシーもミストラルソードを抜き、左右どちらへも動ける状態を作る。左から一匹接近してくるが既にジョージが狙いを定めているため右へと重心と神経を傾けていた。だが綾の報告とは異なりドロシーには虫の動きを知らせるものはなかった。
「どこから来ますか」
 ドロシーが綾へと再度連絡を飛ばす。
「二番目の扉です」
 写本を手にし綾は近付いていく。その後方ではジョージが最後の天魔を倒し、綾の言う扉へと照準を向けた。しかしそのジョージもドロシーと同じ感想を抱く。やはり天魔が見えなかったからである。
「聞かされたんじゃないよな」
 綾の後ろでクロスボウを抱えたままジョージが肩を慣らすように軽く腕を回す。
「心配だったら殴っていいわよ」
 綾は目的の扉近くに向けて写本から作り出したアウルによる本を幻影を衝突させる。壁には穴が開き、隙間からはネズミが二匹飛び出し撃退士達の足元を走り抜けていった。
「あれでしょうか」
 ドロシーは剣を下げる。その直後に扉が動いた。隙間から零れたのは人の腕だった。
「要救護者だ」
 声を出すと同時に三人は動いた。ドロシーが扉を開け、綾が怪我の具合を確認、ジョージが脈を取る。
「脈はある」
「でも頭を負傷してるわね。立てるかしら」
 綾が手を伸ばす。倒れていたのは三十代くらいの女性だった。こめかみから血を流し黒く長い髪の一部を赤に染めていた。
「肩も怪我してるな。手伝ってくれ」
 ジョージに促され綾も女性に肩を貸す。腕を肩に回し二人が女性を立ち上がらせる様子を扉を押さえていたドロシーは女性の手を見ていた。指が二本あらぬ方向に曲がっていたのである。更に少し上へと視線を向けると手首には火事の中で肌が紅潮している中でも見て取れるほどに分かる程にはっきりと人の手形が残っていた。
「それは」
「誰かと争ったのかもな。手の大きさから言うと男のもののようだ」
 ジョージが女性の手首の跡に自分の手のひらを重ねる。大きさはジョージのものとそれほど変わらなかった。
「精神汚染による同士討ちですかね」
「だったら相手は」
「逃げたんじゃないか。それより担ぎ上げるぞ」
 ジョージと綾が声を合わせる。
「二階までの先頭を頼みます。まだこの人と同士討ちした人がいるかもしれません」
 綾の要請にドロシーは剣を手に歩き出す。だが二階までの道中で三人は期待された他の救護者は見つけることはできなかった。
 
 その頃六階からの突入組も二人の救護者の救出に成功していた。共に非常階段傍に倒れていた男性である。殴り合いを演じたのか双方の顔は蜂に刺されたかのように腫れており意識も無かった。
「残り六人ですね」
 召喚獣を呼び出しながらマステリオが名簿にあった救護者の数を思い浮かべる。だがそれをすぐに更科が訂正した。
「さっきインカムで行ってたぜ。三階でも一人救助したってな」
「となると残り五人ですか」
 マステリオと更科が足早に状況をまとめる。その二人を前に死屍類が割って入った。
「管理室を探してみませんか」 
「気持ちは分かるけど要救護者確保が先だよ」
 マステリオが呼び出した召喚獣ハートをホテル内に向かわせる。
「さっきの人もだけど、まだホテルに残ってる人は結構深手負ってると見た方がいいぜ」
「勿論助け終わった後ですよ。スプリンクラー作動させればまだ被害は抑えられると思いませんか」
 先頭をひた走るマステリオの召喚獣の後を追いつつ、マステリオと更科は怪我人を死屍類は探知機とスプリンクラーの位置を調べていく。しかし六階を一周しても人の姿は無かった。
「よし、五階降りるか」
 更科の言葉にマステリオはハートを階段に向かわせる。だが死屍類は再度管理室調査を進言した。
「念のため調べさせてもらえないですか」
 死屍類が立っていたのはエレベーターの開閉扉傍だった。しかしそこは今堅く閉められ、操作パネルのボタンにも電源の光は点っていない。
「見たところ今スプリンクラー同様にエレベーターにも電源が来ていません。でもこの中に残された人がいても不思議ではない。そう思いませんか」
「そういう事なら一肌脱がせて貰うぜ」
 進み出たのは更科だった。息を整えながら袖を捲くる。そしてエレベーターの開閉口に手を当てた。
「ジャスティン‥‥! 全力で行くぜ! 見ててくれよ! おらぁぁぁぁぁ!」
 指を開閉口の隙間に滑り込ませ、更科は手に指に力を入れる。だが同時にエレベーターが異臭を放つ。更科の手が焼ける臭いだった。
「手伝いましょう」
 マステリオと死屍類がもう片方の開閉口に手をかけた。しかしホテル中を包む業火はエレベーターの扉さえもオーブンのように熱く金属板へと変貌させていた。近付くだけで指からは汗が滲み、その汗が熱ですぐに水蒸気へと変わっていく。指先に残るのは汗から抽出された塩分のざらつきだけになっていた。
 そして開閉口へと触れば指の感覚が一気に消える。自分の指に力が入っているのか、更には指がついているのかさえも不確かになる。だがようやく三人の耳がようやく重い音を捕らえた。開閉口が開く音である。しかし三人の前に広がるのはエレベータの箱そのものではなく、その箱を吊るすワイヤーと虚空の暗闇だった。
「これだけ開けば大丈夫です。ハートを入れましょう」
 マステリオは開いた隙間に召喚獣を潜入させる。そして遂にエレベーター内で取り残された女性一名を発見したのだった。

 一方三階からの探索班三名は四階で飲み物の自販機に下敷きとなっていた男性と死を覚悟し自室で祈りを捧げていた女性二名を確保、二階に待機していた消防隊へと送り届けて再度四階の探索へと戻ってきたところだった。
「急いだ方が良さそうだな」
「二階まで火が届いているようですからね」
 四階で二名を救助した時には消防隊を待機させていた二階にまで火の手を伸ばしていた。そこで更に階を下ろした一階で待機してもらうよう頼んだが、それは同時に撃退士達に移動の手間を掛ける事にもなっていた。
「残り二名です。夫婦のようですし、同じ場所にいらっしゃる可能性も高いでしょう」
 綾が激を飛ばす。だが同時に一抹の不安もあった。虫型天魔が増えているという事である。
 三階までは視界内に三体しか現れなかった天魔だったが、今は三人の前に五体存在している。しかもこちらを警戒している様子は無く背を見せている。その奥には一つの客室があった。すぐさま天魔を片付けドロシーを先頭に三人は部屋へと侵入する。そこにあったのは手足をタオルで拘束され、四肢と首に鉛筆を突きつけられた男性の死体だったからである。
「とりあえず運ぼう。ここに留まるのは俺達の身にもよくはなさそうだ」
 入口に溜まる虫へと一度視線を飛ばし、ジョージが率先して男を担ぎ上げる。そして綾が無言のまま男の足を取った。そしてドロシーが敵陣を駆ける様に盾に身を隠しながら剣を振るい、三階から二階、そして一階へと突き進んでいった。それに続くようにジョージと綾も男性の死体を抱えたまま一階へと進む。しかし一階で三人を待っていたのは首を鉛筆で一突きされた二名の消防隊員の亡骸だった。
「一旦出ます。外には消防の本隊が待っている筈です」
 ドロシーが一度は止めた足の筋肉に再び喝を入れホテルの玄関まで走らせる。そこに待っていたのは最後の要救護者と見られていた外国人男女二名を連れたマステリオ、更科、死屍類だった。

 翌日撃退士による宿泊者の救出は奇跡の救出劇という見出しとともに地元の新聞で大々的に報じられた。火災時取り残されていた宿泊者七名の救助方法、その後の火災鎮火までの流れが詳細に記載されている。
「何が成功よ、一人取り逃している癖に」
 ホテル地下で身を潜めていた道元芳江改め播本は下水道に流れ着いた新聞の一面を見てほくそ笑む。
「でもこれで私は晴れて自由の身ね。使徒の使命、手伝わせてもらうわ」
 肩の緑の虫を乗せて女は下水道を歩き出す。
「二階で私を解放した馬鹿な撃退士と消防隊員に感謝を」
 一面記事の隅には絶命した宿泊客一名と消防隊員二名は天魔の精神汚染による同士討ち被害者として書かれていた。


依頼結果