依頼当日、目的地であるキャンプ場は春の訪れを告げるかのような陽気に包まれていた。まだ冬の名残を示すように時折寒い北風が吹き周囲の木々を揺らすものの、木に留まる小鳥の囀りは参加者達の耳を楽しませていた。
「初めて依頼ご一緒しますわね。よろしくお願いいたしますですの」
斉凛(
ja6571)はキャンプ場へと着くと、まず始めに他の参加者との挨拶を交わした。大小様々な石の並ぶ川原の中をシャリシャリと足音を立てて斎は参加者の下へと小走りで駆け寄っていく。その中には斎と顔馴染みだった水無瀬 快晴(
jb0745)と天王寺 伊邪夜(
jb8000)の姿があった。
「依頼一緒なのは初めてだね、宜しくね」
答える水無瀬の頭の上では水無瀬が里親となっていたティアラが器用にバランスを取りながら水無瀬の髪で爪を研いでいる。しかし斎を見つけると大きく目を開いてにゃあと一声鳴き声を上げた。
「あ、斉さんなんだよー。今回はカイにぃ共々宜しくなんだよ」
斎の姿を見つけた天王寺 伊邪夜(
jb8000)も手を振って斎を歓迎する。そんな天王寺の横では白毛のメイクイーンが付いて来ている。天王寺の愛猫ヴァロムだった。
「カイにぃもティアラ同行って聞いてあたしも連れてきたんだよー。依頼人さんに話を聞いてからになるけど、広いところで遊ばせたいと思ったんだよ」
「それじゃわたくしが一緒に聞いてきましょう」
答えたのは斎だった。
「他にも確認をしたい事があるのです」
斎の表情はいつも以上に柔らかい笑顔になっていた。
同じ頃、仁良井 叶伊(
ja0618)と秋姫・フローズン(
jb1390)は水辺からは少し離れた土壌の上で釣りの準備を勤しんでいた。仁良井は前もって用意していたシートを広げ、四隅には仁良井が持参した水筒やお菓子、そして斎が用意した紅茶やおにぎりがシートの重しを乗せる。そしてシートの中央には秋姫が借りてきた釣竿を置いた。
「さて‥‥始めましょうか‥‥」
竿の感覚を一本ずつ確かめ、二人は自分の使う竿を選ぶ。そこから更に仁良井は
撒き餌代わりに使うインフィーブルチェーンを、そして秋姫は交換が余儀なくされた時のために予備の釣竿の確保を行う。
「後は網ですが」
仁良井がキャンプ場への視線を向ける。そちらには依頼人とともに長田・E・勇太(
jb9116)がタモを取りに行った方向である。そんな仁良井の思いを察したかのようにやがて長田が戻ってくるが、その手にはタモの他に手のひら大のパックが握られていた。
「ミミズですね」
長田が持ってきたパックを音羽 海流(
jb5591)が覗き込む。そこには薄い紅色で糸状の生物が居場所を求めて蠢いていた。
「これは餌ってことですね。金魚がミミズを食べるとは聞いた事無いですが」
「でもこれで釣ったって話でしたネ」
ところどころ擦り切れ日焼けした軍服に身を包んだ長田が半信半疑のまま答える。
「歯がついてるってことは肉食ってことなんでしょうネ。話を聞いた感じだとキンギョじゃなくてピラニアだと思ったよ」
「聞いた話では似たようなものを感じましたね」
少し考えた様子を見せながら音羽が尋ねる。
「しかしこれでは普通の魚も釣れそうですね」
それは音羽が出発前から気にしていた事の一つだった。
「天魔金魚だけを効率よく釣るなら普通の魚を避けるような方法を考えたかったところですが」
「というと」
長田が尋ねると音羽は少し考えて答えた。
「この前の授業で一般人だけを逃がす方法っていうのをやっていました。似たような手段で普通の魚だけを逃がせないかと」
「それはやってみる価値がありそうですネ」
二人はアイディアを出し合いながら他の参加者のもとへと合流して行った。
真っ先に当たりが来たのは長田だった。長田の竿が大きく弓なりにしなる。グリップから伝わる感触は大物を予感させた。
「これは結構良いのが来たかもネ」
思わず長田の腕に力が入る。そしてすぐさまスマホに連絡を入れた。
「ヒット来たよ。でもこれ案外難しいネ」
長田の会話はハンズフリーでのものであったが、会話へと意識を向けると竿が急に暴れだす。
「今から応援に行くよー少しの間我慢してね」
まだ当たりの来ていない天王寺が竿からタモへと持ち替えて長田の下へと向かう。それに続いて仁良井も長田に金魚の抑え方を提案する。
「暴れるようならスタンや束縛を使ってみましょう。効くかどうかはまだ分かりませんが試してみる価値はあると思います」
「でもミーは生憎そっちの方面得意じゃないんだ。マーキングは狙っていたけどこんなに早く来るとは思ってなくてネ」
そんな話をしている間にも金魚は長田の竿の先に付いた針を外そうと暴れ続けている。そこに天王寺と仁良井が到着する。
「ホワイトアウトは距離が短いので私が水の中に入ります。できるだけ魚を引きつけて下さい」
麦わら帽子を手で押さえながら仁良井は川の中へと進んでいく。その仁良井の場所へと引き付けるように長田も竿の糸を巻くが、金魚も右へ左へと動きながら狙いを定めさせない。天王寺も水際まで出ていつでもタモを出せるように構えた。
「こちらからも‥‥左右に‥‥振ってみて‥‥ください」
釣り経験者である秋姫もスマホを通じて助言を飛ばす。
「その内‥‥魚も‥‥疲れてきます」
「それ使えそうですネ」
早速長田が実践に移す。
「切り替えるタイミングを教えて欲しい。そこで距離を詰める」
「では次大きく右に行ったら左に切り替えます」
長田の宣言にやや遅れて金魚が右へと動く。始めは金魚に合わてゆっくりと右へと竿を動かしながら長田は予定通り左へと切り替える。同時に仁良井も動いた。水中のため思ったほどの動きができなかったものの、足りない分の距離を長田が埋める。そして立ち上がる水飛沫目掛けて仁良井はアウルで出来た純白の光を水面へと叩きつける。
「どうですか」
仁良井が振り返る。そこに見えたのは高く釣竿の先を上げて一気に糸を巻く長田の姿だった。
「効果十分だネ。これは使えるよ」
水面に赤い鱗が浮かび上がる。金魚を肉眼で確認し、長田は竿を引き上げた。遂に金魚は空へと舞い上がる。全身を左右に捻り水滴を振りまきながら逃げるために精一杯の抵抗を示す天魔、だがそんな最後の意志を摘み取るように天王寺がタモの中へと金魚を納める。
「ナイスキャッチなんだよ」
ようやく本物を目の当たりにすることで天王寺も一匹目を無事釣り上げた事を実感する。
「この調子でもっと釣り上げるんだよ、レッツトライなんだよ」
そして更なる戦果を挙げるために元の持ち場へと戻っていった。
同じ頃、キイ・ローランド(
jb5908)だけは他と離れた場所に陣取っていた。一人だけ違う方法での釣りを試したかったからである。
「これでどうなるかな」
キイの作戦は金魚の手づかみだった。川の中に自ら入り、襲ってくる金魚を手で掴み陸へと放り投げる。至ってシンプルな作戦だった。だがその明確な方法が功を奏したのか、加えてキイの放つオーラが魚を興味を引いたのか、かなりの数の金魚がキイの元へと集まっている。早速掴もうとするキイ、しかし魚達も水の流れを読んだかのようにキイの腕から逃げていく。代わりに動きの少ない足元へと歯を突きたてられていた。
「そう簡単には捕まえさせてくれないね」
シルバリーによるアウルの全身防御を貫通して金魚天魔はキイへとダメージを与えてくる。一匹による被害は大したものではない。多少皮膚が裂かれ流血する程度である。しかし怪我をした部分は水に浸されているせいで血が止まらず、加えてキイの匂いに惹かれたかのように周囲には金魚の魚群が出来上がりつつある。
「引くしかないかな」
鎧の重さを拳に乗せて、体当たり気味のアーマーチャージでキイは金魚を後退させていく。何匹かは足に噛み付かれたままだが、その間にキイも陸へと戻っていく。無事陸へと上がった時にも金魚が一匹まだ脛に噛み付いていた。
「これも釣り上げたって言っていいのかな」
噛まれないように顎を掴んでキイは金魚を摘みあげる。金魚の歯は鈍く光っていた。
一匹目を釣り上げに成功した長田、キイに続き、音羽、仁良井、水無瀬と続々と参加者達は金魚天魔の釣り上げに成功する。
「鋭敏聴覚のお陰ですね。位置が分かれば成功率も上がりそうです」
「‥‥これならもう少し狙えるかな」
川から少し離れた場所では先程まで仲良くじゃれ合っていた三匹の猫がお互い毛繕いをしながら太陽の光を全身で満喫している。だがその反面、金魚相手に苦戦を強いられているものもいた。斎と秋姫、そして天王寺の三人である。
「釣れても‥‥食べられないのか‥‥」
「‥‥食べたいのですか‥‥?」
「‥‥普通ので‥‥あればな‥‥」
「‥‥そうですか‥‥」
もう一つの人格である修羅姫と言葉を交わしながら秋姫は水面に揺れる浮きと手にした竿の感覚へと意識を向けていた。これまでに来た当たりは五回、全て斎と自身の鋭敏聴覚で魚群らしき場所を特定し投げ込んでいる。内始めの一回目を除く三回は秋姫も当たりを確認していた。しかしその内でも二回は糸ごと切られ、残る一回は針が曲げられていた。
「これで‥‥よし‥‥ですね‥‥」
「うむ‥‥」
元々針と糸の確認を毎回するように心がけていた秋姫ではあるが、既に三回連続で取り替える羽目になり交換が習慣化されつつった。その傍らで音羽が二匹目となる金魚をヒットさせた。
「沢山釣れているますわね」
連絡を聞きつけ斎がタモを片手に駆けつけてくる。
「同じ場所で釣っているのにわたくしの方には一向に当たる気配が無いんですの。何が違うのでしょう」
「違い‥‥違いねぇ」
斎の問いに音羽は少し考える。
「そんなに大きな違いかどうかは分からないんだが、俺は流れが緩やかなところを狙っている」
音羽が自分の竿の先を視線で促す。
「例えば今かかってる場所は傍に大き目の石がある。あれのせいで他のポイントとは流れが変わっているんだ」
リールを一気に巻く音羽、カラカラという高い音を立てて糸が元の場所へと納められていく。それに合わせて川に出来た水飛沫は音羽の元へと近付いてきた。
「屋台の金魚すくいなんかだと、結構角や淵なんかに溜まっている事が多かったから記憶があるから今回試してみたんだ」
金魚が顔を出すと同時に斎はタモを差し出した。そして斎は大きな尻ヒレを網の中に無事納める。
「ではわたくしも早速試してみましょう。今のこと他の参加者にもお伝えしてもよろしいですか」
二つ返事で承諾する音羽、その後斎と秋姫が無事一匹目を釣り上げたのはほんの数分後のことだった。
夜の帳が下りる頃、キャンプ場の調理場では火が焚かれていた。火の周りには釣りの経験者である秋姫とキイによって釣られ、エラや内臓が取られた鮎が串に刺されて炙られている。軽くまぶされた塩とともに皮がパチパチと音を立て始めている。
匂いを嗅ぎつけた小斎、ヴァロム、ティアラの三匹の猫達は火を囲み、飼い主である水無瀬と天王寺は猫達を見守りながら斎が作ってくれた紅茶とおにぎりを少しずつ口へと運んでいた。
「‥‥でも良かったよ。斎さんも伊邪も無事釣れたみたいで」
釣りを無事終え、水無瀬はようやく胸を撫で下ろしていた。釣った数は六匹、参加者の中でトップタイの数字である。
「斎さんとあたしの分を合わせてもカイにぃには届かなかったけどね」
天王寺が釣り上げた数は三匹、前半こそ振るわなかったものの後半は水無瀬や音羽のアドバイスを受け後半だけで三匹釣り上げる事に成功していた。
「ところでその斎さんはどこー? もうすぐキイさんのお魚も焼けそうだけど」
二人の前には猫三匹が揃っているものの、その猫の飼い主の一人である斎の姿は無かった。
「‥‥用があるってさっき川原の方へ出かけて行ったよ。すぐに戻ってくるらしいけど」
「川原って金魚天魔がいた方だよね。何の用があるんだろう」
「‥‥心配だね。見に行った方がいいかな」
二人は猫を連れて川原へと向かう。そこにいたのは釘バットこと虎徹を掲げた斎の姿だった。
同じ頃、残った参加者達は魚が焼けるまでの時間を利用して検討会を行っていた。議題は金魚天魔が発生した理由である。
「けど、どんな目的でこんなところに天魔なんて放流したんだろうね?」
放流された、それがキイの意見だった。
「俺も同じ事を考えていたんですよ」
音羽もキイの意見に同調する。
「単純に被害を出したかっただけというのはどうでしょう」
二人の話を聞きながら長田も自分の考えを上げていく。
「魚がいなくなれば魚を主食にしている人は大変だと思うんですよネ」
「依頼人の二人にも話を伺ってみましょう。何か思い当たるかもしれません」
仁良井が立ち上がり依頼人である畠山と武田を呼びに向かう。やがて戻ってきた三人に音羽は質問を投げかけると、畠山は困った顔を浮かべた。
「俺は天魔っていうのは自然発生するものだと思っていたからね。考えた事なかったよ」
「だけど意図的に放流するってことはありえないわけじゃないね。調べているよ」
武田は調査を約束する。そこに用事を片付けに行っていた斎とその斎を探しに行った水無瀬、天王寺も帰還。串焼きにした鮎と斎の紅茶、おにぎりでお腹を満たすのであった。