月の無い夜空では普段引き立て役に甘んじている星々が今は主役となり緩やかに流れる大海原を照らす。しかしそれは撃退士達にとって心許ない光だった。十分な光源を準備できなかった今回、標的であるサメの居場所を捉える事が出来たのは空中で指示を出すハッド(
jb3000)、ダイビングスーツで水中へと潜り誘導する氏家 鞘継(
ja9094)、そしてサポート役として参加しているニオ・ハスラー(
ja9093)の三人だけである。紅華院はハッドとニオの助言と微かな星の明かり、そして持ち前の感知能力でサメの動きを追っていた。
「そこですの」
波間に光るサメの歯が紅華院の目標だった。背は闇と同化しており視認が難しく、腹は上から見る紅華院にとって未だに確認できない未知の領域になる。だが目標が小さすぎた。スタンエッジで襲ったはずのサメの姿は消えたからである。
「どこにいったの」
「下でしょうか」
久遠寺 渚(
jb0685)が目を光らせる。アサルトライフルを構えてスコープから海面を覗くが、先程まで見えた歯や口元は確認できない。
「撃たないほうがいいと思うのですの。海中に潜っている氏家さんやハッドさんに当たる可能性もあるのですの」
「そうですよね」
久遠寺としても早期追撃をしたいという気持ちはあった。だが味方に当たるのではという恐怖が久遠寺が引き金を引けない理由になっていた。
「でも次に姿を見せた時こそは外しません」
「その意気ですの」
新月の海上、元々周囲に障害物が無い事もあって闇の帳が撃退士達を覆っている。ボート上に乗っているのは紅華院、久遠寺。そしてサポートに入ってるRehni Nam(
ja5283)とニオの四人である。赤金 旭(
jb3688)と青銀 朝(
jb3690)は港で待機、万一の時の為の連絡役として残っている。問題は海中へと潜っている氏家、ハッドとは連絡が取れないということだった。
同じ頃、その氏家とハッドはサメと付かず離れずの距離を維持していた。準備していた魚の餌で誘導するためである。早期に追い込むのが望ましい事は二人も分かっていたが、最悪の事態はボートの方に攻撃対象が移る事だった。それを避けるために氏家とハッドは餌袋をサメの注意を逸らしつつ隙を狙っていた。
やがてサメが潮の流れに乗る。それがきっかけだった。サメが一気に攻撃を仕掛けてきたのである。氏家は餌撒きを一旦中止、アラニウムに武器を持ち替え回避をしつつサメに絡ませる。そして氏家が斜線上から外れたのを確認しハッドも雷艇の書から雷の剣のようなものを召喚する。しかしそれが却って二人を焦らせた。サメに対しダメージを積み重ねる度にサメの攻撃が激化するからである。
必死に氏家が一般スキルの水泳で応戦するが速度は完全にサメが上回り始める。だがそこで海上からライフルの弾丸が発射された。久遠寺が蟲毒を使用した弾丸だった。
「助かりましたよぃ」
逃げ帰るサメの歯にアラニウムを引っ掛け、氏家はようやく息を入れた。
「よくあの動きが見切れましたねぃ」
「そうなのじゃ。我輩も助かったのじゃ」
謝辞を述べる二人に対し、久遠寺は方位術と方位磁石で現在地に予想をつけながら答える。
「速度が速くなるにつれて動きは単調になっていましたから。しかしおかしいですね」
首を捻る久遠寺に氏家が問い返す。
「何か気になる事でもあるんですかぃ」
「この辺に孤島はないのです」
「依頼前から言われていたじゃないですかぃ」
久遠寺は気にしているが氏家はあっけらかんとしている。
「どうせすぐに分かることじゃないですかぃ」
「それはそうなんですけど、氏家さんは楽しみにしているように見えたので」
「楽しみですよぃ」
氏家は即答する。
「浮島なんて早々見られるものじゃないですからねぃ。それにどういう原理かも分かってないですからねぃ」
昼間の内に紅華院は図書館で郷土史を中心に、久遠寺は地図の詳細を知る為に市役所を訪問していた。その中で幾つか分かった事がある。それは今回のような浮島が今までにも何度か登場しているという事である。
「魚腹湾ってちょうど中央を円でくりぬいた様な形しているじゃないですか。それが浮島になったっていう話が聞かせてもらいましたよ」
「島の形以外には何か根拠はあるんですかぃ」
「それが無いんですよ」
久遠寺は照れくさそうに笑った。
「実際に島に上陸できれば地層とか生態系とか根拠になりそうな調査もできそうなんですけどね」
「ということは上陸した人はいないってことですかぃ」
「少なくとも私が話を聞いた人は上陸した人を知らないって話でしたね。紅華院さんは上陸した人が書いた日記みたいなのを見つけたみたいですけど」
「本当ですかぃ」
思わず氏家の声に興味が上乗せされる。
「本当ですの」
隣のボートから紅華院が答えた。そしてハッドも会話に参加する。
「ちょうどこちらもその話をしていた所なのじゃ」
Rehniが気を利かせてボートBをCに近寄らせた。
「それでその本は借りれたのですかぃ」
「それが禁出なのですよ」
氏家の質問に紅華院は悩みながら答える。
「古い文献なのでコピーも難しいと言われました。現在写本と翻訳をお願いしているですの」
「どれぐらい古いのですか」
「戦国時代のものらしいですの。かいつまんで聞いた話では、この周辺を治めていた武将が奇襲を受けた時に浮島を使って逃亡したというお話らしいですの」
「吟遊詩人が好きそうな話題ですねぃ」
そんな話をしていると氏家の指先から伝わる感覚が変わる。
「どうやら近い様ですねぃ」
氏家の言葉に久遠寺が再度方位術と方位磁石を行使する。
「湾から西北西、距離は二十キロぐらいでしょうか」
「あとは見える条件じゃな。それが分かれば上陸も可能になるはずじゃ」
意気高揚する撃退士、その眼前の水平線上に障害物が浮かび上がる。
「あれじゃないですか」
久遠寺が思わず声を上げる。徐々に近付いてくる物体、色めき立つ久遠寺。
「確かにそれっぽいですねぃ」
しかし久遠寺と氏家以外は顔を見合わせる。見覚えのある物体が視覚に入ってきたからである。
「あれは見覚えがあるのじゃ。確か港、港で見たのじゃ」
「道元さんの首が入っていた‥‥」
紅華院とハッドに忌まわしい記憶が蘇る。大きさこそ違えど黒く丸いゴム状の物体、二ヶ月前の依頼では元依頼人の道元元親の首が、そして今回の依頼の前では首以外の遺体が入れられた物体だからである。
「まさかあれが島というのでしょうか。確かに浮いてますが」
釈然としないのは久遠寺だった。
「しかしあれでは人が乗れるようなものには見えません」
実際撃退士達の前にある物体は大きく見ても直径一メートル程度の円球状、バランス感覚のある人ならしばらくは上に立つ事も可能だろうが住むには不可能に見えたからである。だがすぐにその考えを改めた。物体が複数見えたからである。一つでは単なる物体に過ぎなかったものが、幾つも繋ぎ合わされる事で足場としての形成されていたからである。
「何なのじゃ、あれは」
ハッドは思わず目を見張った。
「あんなもの見たこと無いのじゃ」
「私もですの」
紅華院も自分の声が震えている事に気付いた。だが心の内では喜んでいる自分がどこかにいた。どうやら自分が正義に到達したらしいという感触を掴んだからである。
「遂に我輩の王としての威厳を見せ付ける場面が来たようじゃな」
ハッドは立ち上がるとボートの先端に立ち、徐々に迫り来る足場に向けて人差し指を向ける。
「上陸の準備を始めないといけませんねぃ」
氏家もハッドに続いて立ち上がる。だが違和感を感じていた。アルニラムを通じて送られてくるサメの感触が一向に変わらなかったからである。ここが目的地であれば速度を落とすなり向きを変えるなりの動きを見せると思っていた氏家にとって、このサメの動きは意外でしかなかった。
「敵が控えているんでしたよね」
久遠寺が誰ともなしに質問を飛ばす。
「拠点になっているところを見つけられればいいのですが」
「それほど大きな島にも見えませんので探索は楽そうですの」
それぞれが思いを胸に島、もとい近付いてくる即席足場を見つめていた。
やがてボートは浮島から百メートル程の距離まで接近する。撃退士達の目には既に確認していた球以外に白い物体を捕らえていた。それは海岸沿いにある砂浜のようにも地盤を固めるためのセメントのようにも見える物体だった。
「双眼鏡をお借りするですの」
ニナが持参した双眼鏡を借り受け、紅華院が島を一望する。
「やはり島自体は大きさはありませんの。全周二三キロといったところですの」
上空から偵察も兼ねてハッドは闇の翼で空に舞い上がっている。
「何か集団が隠れていそうな建物はありますか」
「塔のようなものがありますの。入り口の場所までは分かりませんが中央部が大きく尖っていますの」
双眼鏡越しに見えるのは新たに確認された白い砂のような物体で固められた物体だった。蟻塚のように中央のみが隆起している。
「ではもう少し近寄ってみようかねぃ」
その時だった。急にボートのエンジンが煙を上げて不調を訴えたのだ。
「どうかしましたか」
操舵を務めていたRehniとニオはエンジンの調子を見ているが、スクリューが何かを巻き込んだように止まっている。加えて新たな異変が見つかった。海底に無数の影が集まってきていたのだ。
「これは仲間呼ばれましたかねぃ」
軽口を叩きながらも氏家は自分達が置かれている状況を理解した。
「今にして思えば、本拠地までこのサメが導くと言われてだけで招待するとは言われていませんでしたねぃ。これもある種の招待ではありますけどねぃ」
サメの群れがボート二隻の攻撃を開始した。すぐさまボートBが、続いてCで浸水が開始する。
「これは穴が開けられたですの」
「ハッドさん、港に待機している御二人に連絡してください。このボートはもう持ちません」
「了解なのじゃ」
しかしハッドが連絡している最中にも浸水は加速度的に進行、連絡が終了した頃にはもう半分以上海へと沈んでいた。
「方位術と方位磁石で港の方向は分かります。港まで泳ぎましょう」
久遠寺が率先して動く。そして反対側に動いたのは氏家だった。
「あっしはダイビングスーツ着てますから殿を守りましょうぃ。ハッドさんも上空から支援をお願いしますぃ」
撃退士達はサメの群れを振り切りつつ港へと遠泳を開始する。途中でサメが見逃したのか救援部隊に救われた時に命を落とした者こそいなかったが、全員相応の負傷は免れなかった。