「今回我々探検隊が向かったのは日本の隠れた秘境魚腹市です」
鬱蒼とした密林(本人達談)を抜けてRehni Nam(
ja5283)とニオ・ハスラー(
ja9093)の前に広がったのは巨大な湖だった。
「この地には人目に触れず独自の進化を遂げてきた生物が生息していると言われています。長年この地を研究している道元さんによりますと、この地の地下に流れる巨大な水脈が原因ではないかということです」
半分以上嘘のナレーションではあったが他の参加者を始め依頼人もそれを止めなかった。新たな視点という事で二人には出版社所有のビデオカメラさえ手渡されている。撮影したテープは依頼人所有となるが、必要あれば貸し出すというおまけ付きである。
「この魚腹市が如何に本来あるべき日本の姿とかけ離れているか、分かってもらえたと思うっす」
ゆっくり一歩一歩進みながら、ニオはカメラを抱えるRehniに向けて訴える。
「例えば、ほらアレっす」
彼女が指差したのは池の手前にある草むらである。そしてカメラが草むらをアップで捕えるとニオは一つの草の葉を裏返した。
「見て欲しいっす。ここに一本の筋が分かると思うっす」
更にカメラが植物へと近寄る。そこには赤の筋が葉の先端まで伸びていた。
「この魚腹市にしか生息しないと言われているウオハラオオバショウの葉です。この葉の赤い筋には毒があり、僅か数滴でも摂取すると大人でも死に至らしめる猛毒です」
Rehniのナレーションを受けてニオは普段中々見せない緊迫した表情をカメラに向けた。しかしそれらは全てRehniとニオと組んだ仕込みだった。葉の名前も適当に決めたものであり、葉の赤の筋もサポート参加してくれたカーディス=キャットフィールド(
ja7927)と久遠寺 渚(
jb0685)の両名から借りた食紅である。
「またこのオオバショウにはもう一つの特徴があるっす。それは」
ニオはそこで言葉を遮り、再び草むらへと視線を移す。そこには何かに踏みつぶされたように根元から倒れた草々があった。
「オオバショウの近くにはヘビが群生するということっす。これは恐らく通った跡っす」
ヘビも既に仕込みは済んでいた。事前に購入した電動式の玩具のヘビを近くに放ってある。そんな二人だけの別世界の様子を雨霧 霖(
jb4415)はチラチラと傍目で確認する。混ざりたいとは思っていない、だが依頼人も丸め込んだ二人が次にどんな事をやってくれるのかに純粋な興味を抱きはじめていた。
一方その頃、雷牙 剣(
ja0116)と紅華院麗菜(
ja1132)は情報収集のために図書館へと赴いていた。捜索対象である人面魚に関する情報を入手するためである。そして二人は一冊の雑誌を見つけた。魚腹ウォーカー、魚腹市に関する情報誌である。
「当時特集を組んだ雑誌を見つけた」
魚腹ウォーカーを図書館から借りた二人は図書館を出るとすぐに中富湖そばで待機していた常磐木 万寿(
ja4472)に連絡を入れた。
「お疲れ様だ。何か分かったか」
「まず始めに問題の人面魚は鯉って事が判明したぜ。借りてきたこの雑誌に写真が載ってる。今から転送するから確認してくれ」
電話越しに紙を叩く音が聞こえる。恐らく雑誌を叩いている音だろうと常盤木は推測する。そんな考えを巡らしていると、常盤木のスマホが着信を告げた。
「この雑誌によるとボート小屋の主人には話を聞いてみる価値がありそうだ。人面魚騒動辺りから鯉の餌販売を開始、観察日記をつけていたとインタビューで答えている。今も残しているかもしれない」
ページを捲りながら雷牙は記事の内容を目で追っていく。だがそれ以上目新しい情報は見当たらなかった。
「とりあえずこっちで得られた情報はそれぐらいだ。雑誌は借りたから今から持っていく、気になることがあれば確認してくれ」
「分かった。管理人にはすでに青銀さんに行って貰ってる。ついでに鯉の餌も買ってくるそうだ。この後この写真も転送しておく。気を付けて戻って来てくれ」
青銀こと青銀 朝(
jb3690)は来る途中に見つけた鯉の餌置き場で兄である赤金 旭(
jb3688)とともにバケツ一杯詰め込んでいた。
「頼んだぜ。十五分もあれば着くはずだ」
情報交換を済ませ通話を切ろうとする雷牙と常盤木、だが二人はほぼ同時に手を止めた。紅華院が声を上げたからである。
「ちょっと待ってください。常盤木さん、そちらに依頼人さんいらっしゃいますか」
「さっき見かけたからいらっしゃると思うが」
常盤木は周囲を見回した。だが今目についたのは好調に撮影を進めるRehni、ニオ組とスワンボートの点検をしているらしいリコリス・ベイヤール(
jb3867)だけだった。
「何かあったのか」
「この記事の最後に著者名が載っているんですが道元正親になってるんです。比較的珍しい苗字ですから別人とも考えにくいでしょう。依頼人さんは何か考えがあって私達に探らせているのでしょうか」
紅華院の言葉を聞きながら常盤木は考えを巡らせた。いつしかバケツを両手に抱えた赤金と青銀が常盤木の元へと戻って来ている。
「その件は預からせてくれ。他の参加者に不安を与えたくない。それに依頼人には他にも聞きたいことがある」
戻ってきた二人に手を挙げて応えると、常盤木は口早にそれだけ伝えて通話を終わらせた。
「何の電話だったんだ?」
通話が終わったのを確認し赤金が常盤木に尋ねてくる。
「雷牙君と紅華院君からだ。問題の人面魚はやはり鯉らしい。後は目撃証言を総合し打ち合わせ通りに行こう」
「了解だ」
普段のままの常盤木に赤金は二つ返事で答えた。
「それと青銀君は悪いがもう一度管理人さんの所に行って貰えないか。当時の雑誌によると管理人さんが人面魚の観察日誌をつけていたらしい。何かの手がかりになるかもしれない」
「日誌っすか。それは重要っぽいですね、超特急で行ってくるっすよ」
言うや否や青銀は鯉の餌の入っているバケツを兄に預け、先程土煙を上げて戻ってきた道を猛然と走り抜けていった。
「いました。あれがウオハラアオダイショウです」
カーディスと久遠寺の用意してくれた料理に胃を満足させた撮影班はカメラと隊長を交代した。Rehniが紹介しつつニオがカメラを構えている。
「あの蛇には毒があり、人でも一噛みされれば二時間で死亡すると言われています」
蛇を指差しながらRehniが説明する。電池式である蛇は絶えず動いているものの襲いかかるような動きは見せない。それを知っているRehniとニオは注意する様子を見せるものの余裕があった。だがその光景を戸惑いながら見つめる人がいた。雨霧である。
雨霧は二人が仕込んでいる事を見ていなかった。ペアを組む並木坂・マオ(
ja0317)とともに聞き込み、探索、釣り具の調達をしていたからである。今は水草の近くに網を張り、ストレイシオンこと岩ゴンとともに天魔到来に控えている。そんな時に聞こえてきたのが撮影班二人の毒蛇宣言だった。
「でも、この毒実は一部で見直されてるって話もあるっす」
ニオがカメラに向けて話しかけている。
「一部の製薬会社でこの毒が新薬になると言われているっす。そのせいで乱獲されて、現在個体数が減りつつある絶滅危惧種に数えられているっす。こんな所で出会えるのは幸運っす」
そう言いつつニオは蛇に向けてゆっくりと手を伸ばしていく。もう雨霧は耐えられなかった。岩ゴンを呼び戻し、ニオの目前まで迫った蛇へと体当たりさせる。
「君達は何をやっているんだ。毒があるとわかっている生物に自分から近寄り、あまつさえ素手で捕まえようなどと言語道断。もっと為すべき事があるだろうが」
雨霧はRehniとニオを睨み付け一気に捲し立てる。思わず顔を見合わせるRehniとニオ、そして溜まらず笑い出すのであった。
「観察日記借りて来たっすよー」
雷牙と紅華院が図書館外から連絡を飛ばしてから十数分、二人が公園に到着するのと時を同じくしてボート小屋管理人の元へと向かっていた青銀が戻ってくる。右手には日記、そして左手にはハンバーグやステーキ、ウィンナーをてんこ盛りした皿が握られていた。
「それで問題の人面魚っすけど、管理人さんもここ二三年見てないみたいっすね」
常盤木や赤金、リコリスも集まっている事を確認し、青銀はすぐさま聞いてきた情報を伝える。
「昔は朝方になれば必ずあの木の影辺りに顔を出してたらしいっす。でも五年ぐらい前から頻度が減って最近はめっきり見なくなったってことっすよ」
借りて来た日誌を常盤木に渡し、青銀は料理を頬張りながら説明を続ける。箸で木を場所を指示し、身振り手振りを交えた解説である。だがその様子に怒り心頭したのは兄である赤金だった。
「朝、お前肉ばっかり取りすぎ!」
まず赤金の逆鱗に触れたのは青銀の選んだ食材だった。
「朝、お前肉ばっかり取りすぎ! 折角作ってもらったんだぞ、もっとバラエティに富んだ料理を選択しろよ。サンドイッチとか梅干とか焼き鮭とかあっただろうが!」
「何言ってるっすか。今挙げたのも全部兄さんの好物じゃないっすか。どうせなら嫌いなトマトでも食べてみせるとか言って欲しいっす。ちょうどサンドイッチにトマト入ってたっすよ」
「あれは食べ物じゃないから良いんだ」
「それは料理を作ってくれたお二人に対しても失礼っす」
既に食糧調達を済ませ御満悦の青銀は兄の急所を突いていく。一方苦しい立場になった兄はもう一つの気がかりへと話題を転換した。撮影班が密林と称した梅の花である。
「それに朝、お前は食に気が向き過ぎだ。もっと梅とか見ろ、梅とか!」
「でもこっち側ほとんど白梅っすよ。兄さんの好きな赤梅なら向こう岸っす」
「向こう岸まで行けばいいだろ! わざわざこんな所で食べる必要はない!」
捨て台詞を吐き、赤金は青銀の持ってきた料理からトマトの入っていないサンドイッチを強奪、先程までリコリスの整備していたスワンボートに乗り込んだ。
「あらあら、食べ物持ったまま乗り込んじゃったね」
不敵な笑みを浮かべるのはリコリスだった。
「何か拙い事でもあるのですか?」
小首を傾げながら尋ねる紅華院、それに対しリコリスは満面の笑みで答えた。
「スワンボートっていうのがどれだけスピード出るのか試してみたかったの。普段ならそんなに速度出ないんだろうけど、撃退士とはぐれ悪魔なら世界記録に挑戦できると思わない?」
「それは気になりますけど」
紅華院は言葉を濁す。リコリスの言っている意味は分かるものの、実際に何をしたのかが想像がつかない。しかしすぐに紅華院の疑問は解消された。
「ペダルに接着剤を塗ったのは誰だ!」
赤金の叫ぶも答える者はいない。だが代わりに姿を見せる者がいた。並木坂である。
「確認したいことがあるんだけどいいかな?」
並木坂が視線を向ける相手は雷牙、紅華院、青銀だった。
「この周辺のおじいちゃんおばあちゃんにも聞き込みしてみたんだ。だけどこの湖の成り立ちとかは知ってても、人面魚は祟りだから近寄りたくないって人が多くて困ってたんだよ」
「あたしもそんなに詳しくないっすよ。さっき聞いた話ぐらいしか分からないっすから」
嘘偽りのない言葉を青銀は返す。
「私も雷牙さんも先程図書館で学んだだけの付け焼刃ですが」
「それでもいいんだ。さっき横になって考えてたらふと疑問が湧いちゃってね」
自分でも考えがまとまっていないのか並木坂の視線が右へ左へと泳いでいる。
「鯉の寿命ってどれぐらいか分かる? 単純に居なくなったのならこれが一番可能性高いと思うんだよ」
「二十年ぐらいと本には書かれてましたね。ただ個体差もあるようで長いものでは七十年生きる場合もあるそうです。管理人さん最後に確認されたのが五年前としても現在でも生きている可能性はあると思いますよ」
紅華院が顎の先に人差し指を当てつつ、図書館で読んだ文献の内容を思い出しながら答える。
「釣り上げられたっていうのも考えましたけれど、徐々に見られる頻度が減っていったのなら多分無いと思ってます」
「あ、そうなんだ」
並木坂は思わず手を叩いた。
「寿命の次に思いついたのが、その他の人に釣られたって奴だったんだ。餌が貰えるようになった動物の中には自分で餌が取れなくなるっていうのもいるっていう話を思い出してね。十年前に立派な鯉なら今は既に高齢だろうしどうなんだろうと思ったんだよ」
三人は顔を見合わせる。そして青銀が元気よく手を挙げた。
「もう一回管理人さんに聞いてくるっす。ひょっとしたら核心を突いてるかもしれないっすよ。すぐに戻るんで先に釣り開始してて欲しいっす」
再び青銀は土煙を上げて走って行った。
食事休憩を挟みつつ、管理人が見たという木の周辺を重点的に撃退士達は調べていく。直接水の中に潜る雷牙とリコリス、そしてリコリスが潜った方向に青銀は糸を垂れるものの反応はない。離れた場所では紅華院が撒き餌を実行しているものの、普通の鯉が集まるだけで肝心の人面魚の姿はなかった。
他の参加者が人面魚探しに集中している中で常盤木は道元の姿を探していた。
「道元さん」
常盤木が道元を見つけたのは公園の外だった。双眼鏡を片手に公園内外の様子を隈なく見つめている。にも関わらず常盤木の存在には気付いていないのか、常盤木が声を掛けるまで視線は何か別のものを追っているようだった。
「ん、ああ。今日参加してくれた人だね」
声を掛けて数秒、ようやく道元は常盤木と目を合わせた。
「何か質問かい」
「そうですね」
常盤木は逡巡した。道元の反応が素のものなのか意図的にこちらを無視しようとしているのか判断がつかなかったからである。
「道元さんは今回の事をどんな記事にするんですか」
悩んだ結果、常盤木は前者を選んだ。そして無難な話題として図書館で見つけた雑誌ではなく今回の依頼に関するものを選択する。それは同時に道元に鎌をかける意味もあった。
「そうだな」
常盤木の質問を受け、道元は構えていた双眼鏡を外した。そしてたっぷり十秒は時間をかけて口を開く。
「どんな記事が正しいと思う」
それは常盤木にとっても予想外の答えだった。
「正しい、ですか」
常盤木は瞑想する。瞼の裏に浮かぶのは依然に来た魚腹市の光景だった。サハギンという天魔に追われ、市民も行政も追われていた頃の魚腹市である。
「俺にも正しい記事なんてものは分かりません。ただ意図的に騒ぎを大きくするものは正しいとは言えないと思います」
常盤木の答えに道元は何も答えない。苦虫を噛んだような表情を見せるだけだった。
「問題の人面魚はどうやら居ないようです。掃除してから俺達も引き上げますが何かありますか」
「貸し出した機材だけは返してくれればいい」
「分かりました」
依頼書から受けたイメージとかけ離れている、人面魚の有無は眼中にないのだろうか、そんな思いを受けつつ常盤木は既に帰還準備を進めている仲間達の待つ公園に戻っていった。