●早朝。
「イリンと申します。よろしくお願いします」
イリン・フーダット(
jb2959)の言葉に合わせ、場に会した8人はそれぞれに軽い会釈を済ませる。
「13歳くらいの金髪ツインテールか……」
基本情報を思い出しながら、雫石 恭弥(
jb4929)は傍らに立つソーニャ(
jb2649)にちらりと目を向けた。
「え。ボクじゃないよ」
悪い悪い、と小さく手を振る恭弥。
斡旋所で入手した遺体紛失事件の情報も併せて調べてみる。
そう告げると、ヒスイ(
jb6437)は市立病院へと向けて歩いていく。それに連れ立つようにして、ソーニャも病院へ。
華愛(
jb6708)は二人の背に、商店街の下見を済ませてから合流すると答え、
「では、わたくし達もまいりましょう」
斉凛(
ja6571)を先頭に、残った6人は商店街へと向かった。
●
地下の一角に設けられた安置室で、悪魔の少女は何をするでもなく退屈そうに膝を抱えて蹲っていた。壁には無数の保冷棚が並び、物言わぬ骸が収められている。
ふと、廊下からストレッチャーを押す音と二人分の声が響いてくるのに気づき、少女は翼を広げて天井の中へと透過して隠れる。
「昨夜はお元気そうだったんですけどね……」
「不謹慎だけど、もう慣れたわ」
先輩看護士が溜め息と共に扉を開け、後輩が遺体を乗せたストレッチャーを押し進めて入ってきた。
奥にある保冷棚を引き出し、遺体を移し変える。棚を戻し、取っ手の横にある使用確認マークを回転させて青から赤へ。
軽くなったストレッチャーを押し、二人は足早に安置室を後にした。
扉が閉まる音を確認し、隠れていた少女が天井から降りようとした時――
「さっき院長室に撃退士の男の子が来ていたわね。よく聞こえなかったけれど、院内での活動を許可して欲しいとか――……」
遠ざかっていくその言葉に、少女はぴたりと動きを止めて眉根を寄せた。
撃退士が来た? まさか嗅ぎつけられたのか。
内心で舌打ちをした直後、足音も立てずに翡翠色の髪の少年が扉を開けて入ってきた。
少女は慌てて再び天井へと身を潜める。
少年は、手持ちの書類と棚に安置されている遺体数とを見比べていた。
少女は疑念を確信へと変え、気配を立てずにそのまま天井の中を昇って階上へと移動する。
「潮時ね。最後にもう一度だけ遊んでから別の町にでも行こうかしら」
翼をしまい、診察待ちで賑わい始めたロビーを抜けて自動ドアをくぐった。
「ボクみたいなこいる?」
ナースセンターで、自分と似た容姿の少女が入院していないか尋ねていたソーニャ。その視界の端にゴスロリ姿の背中が映り、彼女ははっと振り返った。
見つけた。
気づかれぬよう、その後姿をロビー内からじっと窺う。正門を出て商店街の方へと角を折れたそのすぐあと、その後ろを追うように反対側から静々と顔を覗かせたのは華愛。どうやら商店街の下見を終え、タイミングよく到着したらしい。
ソーニャは自動ドアをくぐりながら商店街班に連絡を取る。
華愛が召喚したヒリュウにひとまず追跡を預け、ヒスイの合流を待ってから商店街への道を追った。
●商店街。
通路の陰に潜みながら凛、イリン、恭弥の3人は件の少女を遠巻きに視界に捉えていた。
「確認しました。冥魔側の存在です」
イリンが言う。
少女は玩具屋の前に来ると、店前のワゴンセールのぬいぐるみに目をつける。
端から順にざぁっと掌で撫で弾くように、ぬいぐるみに触れていく少女。そのまま何事もなかったかのように通り過ぎ、少し行った先にあるベンチに腰掛けた。
凛の目配せに、イリンと恭弥が頷く。
「わ〜。可愛いねこのぬいぐるみです」
無邪気な子供の振りをしてワゴンのぬいぐるみを手に取る凛と、その傍らで付き添いを装う恭弥。物陰に身を隠したままイリンが周囲を警戒していた次の瞬間、ベンチにいる少女が指を鳴らし、凛の手の中でぬいぐるみがもがきだした。
驚いた振りで手を放した凛の代わりに、恭弥がそのぬいぐるみを掴む。
「驚いたな。本当に動いてる。………家に一体持ち帰れないか?」
刹那――
わぁ、と。
それまでワゴンの中で静かに転がっていた他のぬいぐるみたちが、弾けたポップコーンのように一斉に飛び上がった。
事態に気づいていなかった通行人達が騒ぎだし、イリンは弾け回るぬいぐるみから彼らを庇うように通路へ飛び出す。害はないものの、顔や手足にぬいぐるみがまとわり付き、混乱した通行人達が右往左往して現場は一気に大騒ぎとなった。
無数のぬいぐるみと人ごみで遮られる視界の中、凛はわずかな隙間から狙いを定めて、遠ざかっていく少女の背中にマーキングを撃ち込んだ――……
「はうぅ〜。かわいい子がいっぱいなのですよぉ〜」
愛用の銀狐を抱えたまま任務も忘れてぬいぐるみを物色する深森 木葉(
jb1711)と、柘榴姫(
jb7286)。
何やら遠くが騒がしい気がすると思ったその時、足元に一体のぬいぐるみが落ちていた――いや、立っていた。
「うわぁ〜。すごぉ〜い。ぬいぐるみさんが動いてるのですぅ〜。すてきなのですぅ〜、かわいいのですぅ〜」
ぬいぐるみを捕まえて、ギュッと抱きしめる。
「はうぅ〜。ふかふか、もふもふ〜。かわいいぃ〜」
ぬいぐるみはモガモガと身をよじって木葉の手から抜け出し、今度は隣にいた柘榴姫のもとへ。
「中はどうなっているのかしら?」
彼女は動いているぬいぐるみを手にとり、
頭をブチり。
その突然の仕打ちに、「ぴっ!?」と木葉の肩が跳ねる。
「とんでもない事するガキね……」
不意にかけられた声に振り返ると、じとっとした目つきで柘榴姫を見るゴスロリ服の少女がいた。
直後、柘榴姫は思い出したかのように――
「ぴー、ぴー」
泣くという行為をイマイチ理解できていない故の酷すぎる棒読み泣きで、チラチラと少女の方に視線を泳がせ始めた。
「ぴー、ぴー」
少女は軽い溜め息をつきながら、ベンチに腰掛ける。
「ぴー、ぴー」
ポケットからプリン味とメロン味の棒付きキャンディを取り出し、二つをまじまじと見比べる。
「ぴー、ぴー」
悩んだ末にプリン味を選び、フィルムを剥がして口の中へ。
「ぴ――」
「あーもうウルサイわね!」
メロン味のキャンディを押し付けるように柘榴姫へと突き出す少女。
柘榴姫は無表情のままキャンディを受け取ると、さっそく口の中で転がしてみる。だが、今まで『きゃんでぇ』というものを食した事がないため、
「よくわからないわ」
もしかして相手の舐めかけの物ならと、いきなり少女の口からプリン味のキャンディを奪い取ったかと思うと、それもぱくりと口に含む。
「ちょ――。……あ、あんた、なにしてんのよ……」
二つを舐め比べていた柘榴姫は隣で抗議混じりにドン引きしている少女の様子に気がつき、プリン味のキャンディから口を離すとそれを再びぐいっと少女の口の中へと押し戻した。
「ぷぁ!?」
もうわけがわからない。
少女はどんよりした目つきで苛立たしげにバリボリとキャンディを噛み砕く。
呆気に取られていた木葉ははたと我に返ると、警戒する素振りも無く少女に歩み寄った。
「あなたが、ぬいぐるみさんを動かしてるのぉ? すごいねぇ〜」
笑顔で語りかける。
「ねぇねぇ。一緒に遊びましょう。ぬいぐるみさん、動くとこ、もっと見たいのですぅ〜」
銀狐の小さな腕をつまんで動かし、その手を少女へと差し伸べる。
彼女はそんな木葉を無言のまま見つめていたが、やがて、
「……無理ね。だって――」
「あんた、ネクロマンシー? 屍を入れて操ってるの?」
「――アンタ達、私の敵だもの」
ソーニャの声に木葉と柘榴姫が振り返り、少女はふっと口元に笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
向かいの通路では、いつから見ていたのか、先の3人も姿を現している。安置室で見た緑髪の少年も一緒だ。
「話せばきっと、分かり合えると思うんだ」
「嫌よ。人間は嫌い。特に大人はね」
恭弥の言葉を跳ね除ける。
多勢に無勢。完全に取り囲まれた状況においてしかし、それは起きた。
「あ、お人形さんのおねえちゃん」
男の子の声がして、一同が顔を向ける。
幸か不幸か。それは先日、騒ぎの折に少女からキャンディを貰った子であった。
「僕、おねえちゃんにお返しがしたくてずっと探してたんだ」
男の子が差し出した右手には、フーセンガムが一粒握られていた。
「あら、ありがとう。小さいのに、なかなか紳士じゃない」
ガムを受け取り、男の子の頭をぽんぽんと撫でるように叩く。
「そうだ。これから私とお散歩しない?」
「うんいいよ!」
元気よく頷く男の子とは反対に、凛達の表情にぐっと緊張の色が増した。
「そういうわけだから、くれぐれも追ってこないでもらえるかしら?」
一同を尻目に、少女は男の子の手を取って歩き出す。
しかしそんな中、凛は二人が完全に背を向けた瞬間を狙って再度少女にマーキングを撃ち込んでいた。隣を歩く男の子にも。
●
道中で男の子と別れ、独り安置室に戻ってきた少女は逃げ支度に取り掛かっていた。その時、背後に気配を感じて少女は振り返る。
そこには、8人の撃退士がいた。
「随分と思い切りよく踏み込んできたわね。まだあの子と一緒だったらどうするつもり?」
「目印を撃ち込ませて頂きましたの。あの後すぐに男の子と別れたのは、確認済みですわ」
凛が自らのスカートの端をつまんで、ふわりとお辞儀をする。
「ところで、お前の名前は何て言うんだ?」
恭弥が一歩前に出る。
「……エリス」
露骨に不満げな表情をしつつも、少女はそう自らを名乗った。
「そうか。なあエリス、俺も大人は嫌いだった。何年か前は俺も大人はエリスの言うとおりのもので信じられたものじゃないと考えていた。でも、久遠ヶ原に来てから出会った大人達は違っていた」
「ふむ。人の反応を楽しむのは結構だ。僕も悪戯は好きだしな」
跡を継ぐように、ヒスイが口を開く。
「だがこういうやり方ではトラウマを植え付けるだけだ。どうせなら互いに楽しい思い出として残るものがいい」
「もっと楽しい事が学園には沢山ありますわ」
そう言ったのは凛。
「……知ってるわよ」
それは、ぼそりと呟くように。
「人間にも良い奴がいる。でもそれって裏を返せば、ほとんどが悪い奴って事でしょ。都合の良い時ばっかり博愛ぶっててさ」
「あなたはどうなの」
それに問いを投げたのはソーニャ。
「あなたこれからずっと、人を殺さずにいられる? 殺さなくてもいいて思っていられる?」
言いながら、ソーニャはヒヒイロカネにアウルを灯す。
「……いいえ、殺すわ。私を殺そうとするのならね」
空気が一気に張詰め、エリスが重ね合わせた指先をゆらりと擡げる。
「……終わりね」
パチンと指音が響いた刹那、大量の保冷棚から蒼白した死体がガタガタと這い出して襲い掛かってきた。
凛の回避射撃による補佐を受けながらイリンが攻撃をいなし、ソーニャと華愛が死体の動きを封じていく。
所詮はただの操り人形。個々の死体の能力は皆無に近かった。しかし、数が多い。
(「時間の問題ね」)
死体の壁の向こうで、エリスは物憂げな表情のまま心中で嘆息する。
やはり、ただの死体では複数の撃退士を相手にする事はできない。突破されるのにそれほどかからないだろう。
彼女は翼を広げて天井内へ透過しようとして――
バチリ、と弾き出されて地面へと落下した。
衝撃に翳む頭を振って辺りを見回すと、乱戦の輪から少し外れた位置で恭弥が天井に繋がる壁に阻霊符を押し当てていた。
唇を噛む彼女の頭上から、闇の翼を顕現させて肉壁を抜けてきたヒスイがファイアワークスを撃ち放つ。直撃ではなく足元の地面へと着弾したそれはしかし盛大に爆ぜ、エリスは衝撃で部屋の奥の壁へと叩きつけられる。
主が強い衝撃を受けたせいか、それまで操られていた無数の死体は急に糸が切れたように動かなくなった。
ズルズルと壁を引きずってくず折れそうになるのを、エリスは保冷棚の取っ手にしがみついて何とかこらえた。
まずい。
このままでは逃げることも適わない。
焦りを必死に押さえ込もうとする彼女の意識が、ふと目の前の保冷棚に向けられる。
取っ手横の赤い確認マーク。
エリスは咄嗟に保冷棚を引き出すと、中に納まっていた死体の胸元に手を当てた。死んで間もない遺体。羸痩としているが、かろうじて魂が残っている。
ディアボロ化できる。
しかし――
(「人間なんかを配下にするなんて……」)
譲れない拘りに苛まれながら、ちらりと室内の状況を窺う。
動かなくなった骸の数々と、身構えながら近づいてくる撃退士。
ディアボロなら、逃げる時間くらいは稼げるかもしれない。
(「でも、配下を作るくらいなら死んだ方が――」)
いややはり死ぬのは困る。
(「生き恥か、高潔な死か」)
どちらも嫌だ。往復する考えに耐え切れず、次第に頭の中でプスプスと煙が上がり――
「うぅ……」
決して畳み掛けず、極力様子を見ていたイリン達の前で唸るような声が聞こえたかと思った次の瞬間――
「うあああああああん!!」
突然大声を上げて泣き出したエリスの姿に、一同は目を丸くして足を止めた。
「バーカバーカ! おまえらみんなバーカ!」
大口を開けて天井を仰ぎながら、何とも雑な罵声を吐き出す悪魔の少女。
突飛な展開に、対処に困って顔を見合わせるイリン達。
その中でただ一人、
「ごめんなさいね、痛かったでしょう? もう大丈夫ですよぉ〜」
木葉が微笑みながらエリスに駆け寄り、治癒膏をかけてやった。
しばらくして、ソーニャは木葉の治療を受けながら泣きじゃくっているエリスに近づき、語りかける。
「人を殺す天魔を殺す事が、ボクの生きる手段。ボクは君が大好きになれる。共に生きても、共に殺し合っても、ずっと大好きでいよう」
「できれば、お、お友達になりたいです、なのです」
華愛がおずおずと手を差し伸べる。
「うぅ〜」
唇をぎゅっと固く結びながら俯いていたエリスはやがて勢いよく立ち上がり、
「ふんっだ! おぼえてなさいよー!」
涙声で言い放って、イリン達を押し退けて安置室から走り去っていった。
「逃がしてしまって大丈夫なのでしょうか?」
「まあ、あの様子なら大丈夫なんじゃないか?」
「学園生としてお迎えできなかったのは残念ですわね」
一方で、フラれてしまったことに人知れず華愛がしょげていると、廊下の奥からだだだーっと足音が戻ってきて、
「べ、べつにそこまで言うんだったら、と、友達くらいなってあげても良いんだからねっ!」
華愛の表情がぱあっと明るくなる。
「ふんっ!」
それだけ言い残し、再びエリスは姿を消した。
「そう。友達だよ」
誰に聞かせるでもなく。
騒ぎの余韻が残る室内で、ソーニャは走り去った彼女の面影を見ながらそっと呟いた。