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それは夏の暑さも盛りの日、空に夕闇の帳が降りる頃。
学園島はここ数日真夏日が連続し、誰もが涼を求めていた。
この日はありがたいことに夕方から久しぶりに涼しい風が吹きはじめ、火照った身体に心地よい。そんな中、古さびた木造建築――『秋雨寮』の前には、斡旋所近くにはられていたチラシに惹かれた少年少女たちがワイワイと集まっていた。
古さびた、といえば言葉は風流だが、実際のところは外から見てもわかるほどの『おんぼろ』。ただ、そのおんぼろぶりが、かえって味になっているといえなくもない。たとえるなら、『お化け屋敷の噂が立ちそうな』とでもいえばいいか。
いや、今日は実際この寮を使って肝試しなどをするのだけど。
「今日は集まってくれてサンキュー!」
そんな少年少女たちの前でぴょこぴょこと手を振っているのは、兼平隆太(jz0108)。身長が若干残念な童顔男子だが、実はこれでもれっきとした成人だったりする。
「説明することは……ああ、この間ほとんどチラシに書いちまったな。まあ、なんだかんだで今も寮生のいる、現役の寮だっていうことだけは絶対忘れるなよ? プライバシーの侵害や施設の破損なんて言うのは、洒落になんねーからな」
節度ある行動を。そう念を押して、そしてニヤリと笑う。少年特有の、いたずらっぽい笑みだ。
「ま、それはともかくとして――今日は楽しんでくれよな! 滅多にない機会なんだし!」
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肝試し、ということで、脅かし役を志願した者たちが一足先に寮内に入る。この日のために準備していたわけでもないが、寮の中は妙に閑散とした雰囲気だった。定員の半数にも満たない数しか寮生がいないというのもあるのかもしれない。あらかじめ寮生のいる部屋には、扉にそれとわかる目印がされている。されているのだが……何故かそれが御札めいたものになっていて、それだけでも既にムード満点だ。廊下も適度に薄暗いし、肝試しの始まる時間になれば恐らくもっと暗くなるのだろう。
「うちの寮とはだいぶ雰囲気が違うな」
三方を分厚い壁に囲まれた、守りに適しているような寮に住む綾瀬 レン(
ja0243)が、秋雨寮の良く言えば開放的、悪く言えば隙だらけな環境を見て、ふむ、と頷く。傷みもひどい。確かにひどく老朽化しているのは目に見えて明らかだった。
「怖くなどありませんっ、ええ、もう全然っ☆」
特徴的な道化師の化粧を施した、清清 清(
ja3434)が、ことさら明るく言葉を放つ。肝試しもお祭りごとの一つ、道化師『十六夜』としておもいっきり盛り上げようという腹づもり。シャラン、と金属の腕輪が音を立てる。それが耳に涼やかで、けれどひんやりとしたうすら怖さも添えられていて。
その音に、同じ脅かし役であるはずの染 舘羽(
ja3692)などは、ビクッとする。脅かし役ならまかせろと思っての志願だったが、ここまで見事におあつらえ向きなシチュエーションに、背中の毛が逆立つのを感じざるを得ない。
「ま、なんとかなるよね。よおし、ひと夏の思い出、作ってやろう!」
気勢を上げるのは名芝 晴太郎(
ja6469)。天井に拳を突き上げるようにして、脅かす方も、脅かされる方も、楽しむことのできる一晩にしてやろうと意気揚々と。それに周りの脅かし役たちも気合を入れた。
それぞれが適度に間隔をおきつつ配置を決めると、それぞれが簡単な仕込みに入り、そしておおよその準備が終了したところで、表にいる隆太の携帯にその旨を伝えるメールを送った。
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「じゃあ、そろそろスタートだな。何かあったら連絡よこせ。まあ、ないけど」
勝手知ったる自分の寮、隆太がそう笑って胸を叩く。そのそばで可愛らしい雰囲気を出しているのは、一つ目小僧の着ぐるみ。どちらかと言うと、いわゆるゆるキャラ系だ。それを着ているのは脅かし役希望の露草 浮雲助(
ja5229)なのだが、その愛らしさゆえに隆太が今回のマスコットに、と引き止めたという裏事情つき。実際その姿にまだ幼い音羽 千速(
ja9066)などもなついているようで、ユーモラスな浮雲助の着ぐるみ姿に、きゃっきゃと声を上げて喜んでいる。手を振ったり、あるいはじゃんけんをしたり。
「それじゃあ、三分おきくらいに入ってもらおうか。中ですれ違うのは構わないけど、あんまりどこにお化けがいるとかばらしたら面白くねえから、その辺も常識の範囲内で頼むなー?」
一般参加者への最後の忠告をして、隆太はタイマーを三分おきに鳴るようセットする。音を目安に寮に入ってもらうからだ。
一回につき一人、あるいはペアなど。内部構造については、おおまかな間取り図が入り口そばに貼ってあるので、その記憶を頼りに進む、ということになる。とはいっても古い以外はごく普通の寮なので基本的な構造は単純。
そしてまた、こういうアトラクションではおなじみとも言える、『誰が最初に行くか』という話題で、
「俺が行く」「いいやわたしが」「じゃあぼくが」「どうぞどうぞ」
……なんていうやり取りもあったがこれもまたご愛嬌。最終的に一番槍はなんだかんだで宮本明音(
ja5435)が引き受けることになった。ちなみに決め手となった台詞は、
「こ、こんなおばけがいそうな場所にいつまでもいられますかっ! 私は先に行かせてもらいますからねっ!」
という、いかにもフラグなセリフであった。さっさと終わらせて早く帰ろう。その発想は逆に悲劇を生むかもしれないけれど。
浮雲助扮するゆるキャラおばけらに見送られ、少女はひとり、寮の中へと入っていく。
――さあ、ショウタイムの始まりだ。
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「出るなー……出るなよ、出るんじゃないぞー……」
怖がりな自分、なんでこんなところにいるんだか。
明音はそうぼやきながら、おそるおそる歩みをすすめる。今日だけは土足も解禁されており、廊下にはそのためであろうビニールシートが敷き詰められている。とは言え歩くたびに床板はしなり、ギシギシと嫌な音を立てていた。
ガタッ。
不審な物音に顔を上げるも、そこにはなにもない。
「……っ!」
泣き出しそうになるのをこらえつつ、もう一度周囲を見回す。それでもなにもない。
違和感。不自然。
「いやあああーっ!」
明音は叫びながら、意識が遠くなるのを感じていた。
※なお、気絶した明音はその後脅かし役も兼ねた寮生がきちんと運び出されました――。
「ふーん……ま、夏の定番だな」
その次に入った程よく気抜けたおっさん、じゃなかった、綿貫 由太郎(
ja3564)はじわりとにじむ汗を拭い、周囲を見渡す。
薄暗い建物の中。遠くに聞こえるセミの声。
「趣はあるな。建て替えたあとも格安ならいい物件になるかねえ?」
経歴不詳の三十六歳、さすがに着眼点が鋭い。伊達に年齢を重ねてはいない、ということか。タバコを取り出そうとして、思い直す。曲がりなりにも学生寮なのだから、タバコは何かとまずかろう。
「……お化けっつーんは、祖霊符とかは効くのかねえ……」
答えの分からない問いを、しばし考え。
それゆえ、忍び寄る影に、彼は気づけなかった。
背中にぴとりと張り付く、冷たいもの。
手作りお化け屋敷の定番、コンニャクである。
「うおっ?」
思わず間抜けな声が上がる。適度に驚いておけばいいか、と考えてはいたが、さすがに不意打ちには対応できなかった。しかし幽霊の正体見たり枯れ尾花、ひとたび認識をしてしまえばなんてことはない。アラフォーも目前の彼は一息ついて、歩き始めた。
「……早速の悲鳴――だけど、もうちょっと色気があってもいいですね」
コンニャクを吊るした釣竿を持って、そんなちょっぴり悪趣味な感想を漏らしているのは十笛和梨(
ja9070)。実はかなり始めの時点からこっそり後ろをつけていたのだが、気付かれなかったのはある意味大成功だ。前座としての役目も十分果たせているだろう。
目深にかぶったフードの奥の表情はわかりづらいが、たしかに名梨は微笑していた。面白いことに首を突っ込むのが大好きなのだ。
「さて、次はどんな人が来るでしょうかね」
そう呟いて、持ち場に戻る。
「ライトアップとかもしたかったんだけど、うまい具合にいかないな」
テト・シュタイナー(
ja9202)は、複雑な表情で待ち構えている。とは言えその準備は大したもので、年代物の黒電話持参だ。その黒電話もただのオブジェでなく、近くにいくつも小型スピーカーをおいて遠隔操作でそれらしい呼び出し音などを出せるようにしてある。他に脅かし役の少なそうなポイントを選んでそれらを配置し、脅かすつもりだ。
そうして息を潜めて待ち構えていると、ギシギシという床のきしむ音、そして参加者が持参したのであろう薄ぼんやりとした明かりが近づいてきた。
(いまだ、俺様のホラートラップ!)
テトはスピーカーから音を流す。
じりりりりり、じりりりり。
その音にビクリ、と反応したのはやや小柄な少年と、すんなりした体躯の青年。月島 祐希(
ja0829)とフェルルッチョ・ヴォルペ(
ja9326)の二人だ。
しかし彼らは怖がると言うよりもこの状況を楽しんでいるらしく、
「きゃー♪サッキから床がギシギシ言ってると思ったら今度はなんか音がしたよォ? 可愛いオバケのしわざかなァー?」
一昔前の女子高生ノリなフェルルッチョに、
「なんかほんとにホラゲーの世界に入ったみたいだな、電話が鳴るタイミングとか」
ミイラ取りがミイラになって、予想以上に楽しんでいる祐希。とりあえずこういう時の電話は取るのがお約束、と受話器に手をかけ耳に当てる。もちろん本来なら何も聞こえないただのオブジェなのだが、テトはここぞとばかりにボイスチェンジャーを使って妙に甲高い声を出す。
「タスケテ……コロサレル……ダカラ、カワリニ死ンデ……?」
あちこちに仕込んだスピーカーから、サラウンドのように音が流れた。さすがにそれには驚いたらしく、祐希はあたりを見回す。……が、誰も居ない。
そう、一緒に歩いていたはずのフェルルッチョさえも。
「おい、るっちょ、どこ行ったー……?」
(まさか本当にお化け……? いや、まさか……)
場所が場所、状況が状況なだけに、色々考えざるを得ない。すると、……わずかに離れた方から見慣れた背格好が近づいてきた。ただし、その姿は緋色に包まれている。
「うぼあぁ……祐……希……ィ……」
ズルリ、ズルリと近づいてくる緋色の影。ソレは祐希の肩を掴む。悲鳴をあげようとするも、声がうまくでない。――と、
「烏龍茶漬け食べたイ……♪」
……やっぱりソレは相変わらずのフェルルッチョであった。
「ばっ、誰もお前がいないからって心配とか怖くなったりとか、してないんだからなっ!」
わずかに涙目になりながら、祐希はフェルルッチョを睨みつける。と、青年は構わずぎゅっと抱きついた。服の血糊のこととか、すっかり忘れて。
「うおおやめろ苦しい首しまる! もうお前と肝試しなんかごめんだっ!」
「るっちょのこと心配してくれたんだネ! ありがとるっちょ♪」
微妙に噛み合ってない二人。けれど、それもまた一つの友情の形、なのかもしれない。二人はそうやって、次のエリアを目指す。
――なおこの間、テトが全部目撃していたわけだが……逆に彼女自身が驚かされてたなんてことはない。……おそらく。
「……俺様のホラートラップ……次こそはっ」
変な決意は、固めているようだったが。
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さて、こちら玄関前の入場待機組。
一つ目小僧はすっかり子どもたちのおもちゃ状態になっている。周 愛奈(
ja9363)のようなまだまだ幼い子どもはもちろんのことなのだが、中高生もハリボテの頭を興味深そうに触ったりなでたり、中にはとってしまおうというものまでいて、ゆるキャラという意味では成功しているようだ。
と、そこへ先ほどの悲鳴の連続。
「おー、悲鳴が聞こえるなぁ」
肝試しの意味がいまいちわかっていない愛奈の近くでそう呟いたのは四条 那耶(
ja5314)。横にいた水尾 チコリ(
ja0627)が、どうしたのか、というようなきょとんとした顔で覗き込んでいる。
「なやちゃんさんこわいのー?」
「怖いわけじゃないけどね。そういうチコちゃんこそ、だいじょうぶ? もうすぐ順番だけど」
「だいじょうぶなのよ、おばけはやっつけちゃうのっ」
初めての肝試し、怖くないわけではないがこれもひとつの経験だ。本当のところ、チコリはお化けがいるといいなあ、ともちょっぴり思っていたりする。
「さて、次は……そこのカップル、行くか!」
隆太にカップル、と言われたのはリオン=アルバート(
ja5307)とマリア=クリスファー(
ja5310)の二人。本人たちはあくまで違う、と真っ赤になって否定しつつ、顔を見合わせてはすぐに目を逸らす。初々しい二人だ。が、
「くそう、これがリア充か……っ」
どこかからそんな声が聞こえる。誰だそんな事言っているのは、と注意してみるとまさかの隆太が崩れ落ちていた。
「大丈夫ですかー?」
以前に面識のあった浮雲助が、隆太に声をかける。が、……言わぬが花という言葉もあることを、忘れてはならない。というか、自分で言って自分で突っ伏しているわけで、これは自業自得とも言う。
とりあえず、こいつ、けっこう不憫。
誰かがそう思った。いや、誰もがそう思ったに違いない。
しかしこんなところでホストが倒れるわけにもいかず、隆太はそのまま少年少女を寮に入るように促した。
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「えっと……手とか、繋ぐ……?」
リオンに促され、そっと手を繋ぐ二人。わずかに手のひらににじむ汗は、緊張しているからだ。
用意していたペンライトをつけ、前方を照らす。繋がれた手のひらからは、トクントクンと小さな鼓動が聞こえそうだ。
「肝試し、ちょっと怖かったんだ。……ありがとう」
マリアは小さく微笑むが、さすがに薄暗い中でそれは見えない。しかしそのやさしい空気が場をふわりと和ませる。しかし緊張はしているようで、繋いだ手がわずかにこわばっている。
「だ、だいじょうぶ。俺がいる、から……っ」
リオンは強く握り返した。安心させるように、包み込むように。
お化けもさすがに登場しづらいムードの中、二人はゆっくりと寮内を歩く。そこに、
「うー……熱い……」
そんな小さなうめき声が聞こえた。
実は掛け布団を頭までかぶって待機している少女がひとり、近くの空き部屋に簡単な仕掛けを施して、待ち構えていたのである。自身も東雲寮という寮で寮長を務めている、桐村 灯子(
ja8321)だ。とはいえ顔に般若の面をつけ、白装束に身を包んだその姿では、たとえ知人であってもひと目で灯子と見抜くのは厳しいだろう。ちょっと気が緩んでしまったのか、つい言葉が漏れてしまったのだ。なかなか彼女の存在にまで気づいていない、というのもあるかもしれない。
しかしマリアにはその声は十分、怨嗟の音色として耳に届いた。
「ひゃあっ!」
つい声を上げ、そのままリオンに抱きついてしまう。ペンライトが手からこぼれ落ち、ころころと床を転がった。こういう時、逆に少年はどういうアクションを取ればいいのかわからなくて、思わず固まってしまう。頭の中が真っ白になり、呼吸のしかたすら忘れてしまいそうだ。
「だ、大丈夫、大丈夫だっ」
リオンはその言葉だけを何度も何度も繰り返す。抱きしめたら折れてしまいそうな細い肩を、抱き寄せてしまいたい、そう思いつつも緊張で身体が動かない。
と、
「あれ?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。少年少女ははっと我に返り、慌てて身体を離す。声の主は二人の共通の友人である那耶だった。
「二人でなにしてるの?」
そう言いつつも那耶の顔には楽しそうないたずらっぽい笑顔が。暗くてよくわからないのでは、と思うかもしれないが、たまたま一緒に回っていたチコリが転がっていたペンライトを見つけ、その持ち主を探しているうちに遭遇してしまったのだ。つまり、彼女たちは光源を持っているわけで。チコリがふしぎそうな顔を浮かべている中、リオンとマリアは耳まで赤い。ペンライトを手渡すと、二人は赤い顔のまま足早に立ち去った。……まあ、当然だろう。
「どうしたのー?」
チコリが尋ねる。大丈夫、と那耶は微笑んで、先ほどのうめき声の正体を見に空き部屋に入る。やっと出番が回ってきたと言わんばかりに、灯子は紐をぱっと引いた。誰も居ないのに、押し入れが開く。そしてそれに気を取られているチコリたちに近づこうとして――灯子はポカポカ殴られた。
「お化けはチコがたいじ、してやるの……っ」
怖いけれど、きっと天魔と同じようにやっつけられる。チコリのそれは幼い発想だったが、その効果はてきめんだった。仕掛けに目を取られていた那耶もそれに気づき、慌ててチコリを止める。
「チコちゃんストーップ!」
言われてチコリも、そして灯子も目を丸くする。
「と、とりあえず先へ行こう、ホラッ」
すみませんすみません、そう何度もお辞儀をして、呆気にとられる灯子をおいて立ち去っていった。
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「木造建築ってのも風情があるな」
そう紅華院麗菜(
ja1132)に語りかけるのは、英 御郁(
ja0510)だ。この二人、同じ寮の所属であり、麗菜は幼いながらもその寮長である。
「確かに、うちもぼろいですけれど……ここまでは。それにしてもお化けなんて子供だましだと思いますわ……私も子どもですけど」
麗菜がクルッと周囲を見渡して、率直な感想を述べる。このへんはお子様ゆえか。
「でも、『怖がらせる』と『驚かせる』って、違いますよね。そうですね、例えば……」
麗菜はお化け屋敷の脅かし、というものに対して冷静に解析をしたいようだ。考えつつ言葉を選びつつ、御郁にそれを説明しようとする。
「意外と冷静だなぁお前……」
ある意味いつもどおりな麗菜の態度に、御郁は苦笑を禁じ得ない。まあ気軽に楽しめや、と言おうとしたところで、シャラン、と金属の擦れる音が聞こえた。
眼の前にいるのは青い髪の道化師――十六夜。階段に潜んでいたのだ。満面の笑みを浮かべるその姿は、しかしこのような場所においては極めて奇異。しかも手にしているのは大きな鋏――ゆっくりゆっくりと二人に近づく。麗菜がそれまでの冷静さを一気に失い、御郁にぎゅっとしがみつく。
「首――置いてけっ☆」
十六夜の月の光のように冷たくも明るいその口調。御郁はそんな中、麗菜の頭をわしゃりとなでながら悠々と通過する。
(なぁんだ、やっぱり怖かったんじゃねぇか)
本人が聞けばきっと反論するだろうから、胸の中にしまっておくけれど。
「あの時ちゃんと、読んでいれば……」
ジェイニー・サックストン(
ja3784)が後悔しているのは、この依頼そのもの。実は彼女、幽霊やお化けのたぐいが苦手でたまらない。今もカタカタ震えている。
脅かし役ならあるいはと志願したはいいものの、当然そんな簡単なわけがなく。コンニャクを吊るした釣竿を持って待ち構え、通過していく少年少女の首筋を狙ったけれど、そうそう驚いてくれるわけでもない。
それなりの人数をこなすまでは、それでも何とかしないと。
(もうちょっとしたら、適当にサボろうかな……)
もう一度いう。ジェイニーは後悔している。
さてそんなジェイニーが潜むそばを、通ったのは中津 謳華(
ja4212)。ジェイニーの気配を察知したのか、
「何奴!」
と叫ぶと距離を取る。……ちなみに謳華、「肝試し」を全く理解していない。何がどう理解してないって、最初から最後まで全てとしか言いようが無い。
と、彼がもごもご、と口の中で何事かを呟いた。そして己の身体の何箇所かを触り、くるんと一回転すると――体格が一変していた。華奢な女性らしい体つきに。そして、その心も。
謳華が『闘華』と呼ぶ、女性人格の出現である。
「ふふ、ありがとう謳華。折角の機会ですし、楽しませてもらいますね」
声までしっかり女性のものである。そしてしゃなりしゃなりと歩き始めた。先ほどまでの妙に気迫のある人物と同一人物とは思えない。絶対。
「……ははは」
ジェイニーは乾いた笑いをあげた。一般参加者の方が、よっぽど恐ろしい気がする。
(さて、サボろうか……タイミングもいいし……)
と、コンニャクが自分の首筋にヒット。
「みぎゃぁあぁぁああ!」
情けない悲鳴を上げて、ジェイニー、失神。
ぽたん、ぽたん。
雨が降っているわけでもないのに水音がするのは、晴太郎の仕掛けによるもの。雨漏りが頻繁に起きるというのなら、それを利用してやろうというシンプルな仕掛けである。
しかしその音やジメッとした空気は、肝試しという特殊な環境では十分すぎるくらいプラスに働いていた。
そこへ迷い込んできたのは佐藤 としお(
ja2489)。
「なんだかんだで結構奥に来たけど……んん?」
背中に感じるあやしい気配。振り返るな、振り返ったら負けだ、そう心の中で何度も念じつつ、としおは歩く。怖い話は実はめっぽう苦手なのだ。賑やかしだけど。
(うう……我慢できない……)
そっと手にしたペンライトで、自分の後方を照らす。慎重に後ろを向く。
そこにいたのは完全武装を施した上で血糊を付着させたナタ(もちろんおもちゃである)を持った、映画に出てくる怪人のような出で立ちの男――!
いや正体はレンなのだが、当然としおはそんなことを知るわけもなく。レンガナタをぐわっと振り上げると、
「ひぃぃぃっ!」
としおは情けない悲鳴を上げて去っていく。
「……まあ、脅かし役だしな。派手にたっぷり脅かすのが俺の役目、ってわけだし」
レンが苦笑を浮かべて、それを見送る。晴太郎も近くに潜んでいたりするのだが、見つかっても厄介なのであえて出てこない。裏方に徹する時だという認識なのだろう。ただ、晴太郎の持つ気配はそっと、レンの意見を肯定していた。
そんな中、身軽さを生かして天井に潜んだのは舘羽。晴太郎の仕掛けの影響を受けて、水に濡れているのはやむを得まい。猫の鳴き真似で油断させたところを驚かせるつもりで潜んでいるのだが、何故か最上階まで到達した人間が少ないのは気のせいだろうか?
と、懐中電灯の明かりがチカチカと近づいてきた。藍 星露(
ja5127)である。
(今日は得物がハリセンだし、寮を壊すとかはないわよね)
なんだか物騒ですこのヒト。ちなみにこの年齢にしてすでに二児の母だったりしますこのヒト。つまり母は強しということか。
「普段天魔や超常現象に慣れている身としては、普通に驚けって方がハードル高いわよね」
そうつぶやいていると、天井の方から猫の鳴き声がした。
「みゃぁ」
あら? と舘羽が上を見やる。近づいていくとだんだん猫の声がダミ声になり、やがて、
「ア、ソビー、マショ?」
背後にそっと降りていってそう声色を使い、ついでに背筋に指をそっと伝わせる。背筋を触れられるというのはどうしてこんなに悪寒が走るのだろう? 星露は思わずきゃあっと声を上げる。そして同時に、持っていたハリセンを思い切り振り下ろした!
当然舘羽にスパコーンとヒットし、そしてバタン、と梁から落ちる。……星露はそれを見て、
「……まあ、なんとかなるわよね」
とだけ、それだけぼそっと呟いて。ただここで伸びている舘羽をそのままにするわけにも行かないので、星露が担いで戻ることにした。……やっぱり母は強し。
同じマンションに住まう音羽 千速(
ja9066)と水屋 優多(
ja7279)の二人が一緒に巡ることになったのは、知り合い達がみんな依頼がかぶってしまったから、代わりにお願い、と千速が懇願したためである。
まあ、夏休みの思い出になるわけだし、それもいいかと思っている。……ところで優多は女顔で長い髪をリボンで纏めており、また体格も華奢なため、一見しただけでは女子に間違えられることもしばしばなのだが。
「そこのちっこいカップル、大丈夫? 結構怖いよ?」
なんて言われ方をされてしまう。年下の千速はその意味がまだ把握しきれない幼い少年であり、頭にクエスチョンマークを浮かべるばかり。
(格安……なのかな。寮食も出ますし……)
寮内を見回して優多はぼんやり考えつつ、ペンライトをつける。
「スキルよりも、こちらのほうが風情があるでしょう?」
「うん! たしかにこのほうが肝試しっぽい!」
宵闇の色も大分濃くなってきたなか、二人の少年は顔を見合わせて微笑む。
幼いけれど、微笑ましい二人。
逆に脅かし役も気が引けたのか、無事に帰ってきたのだった。
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「……っと、最後に残ってるの、お前か?」
隆太が声をかけたのは、最年少の参加者、愛奈である。知り合いもまだ少ない少女は、浮雲助のゆるいお化けにじゃれついたまま、こくりと頷いた。
「よくわからないけど、楽しそうだから、愛ちゃんも参加なの」
これまた肝試しの意味がわかっていないらしい。
「よし、俺と行くか?」
隆太がそう提案すると、それを見ていた誰かがぼそっと「ロリコン?」とささやいた。
「ちがうっつーの! ほら、行くぞっ」
隆太は愛奈の手を、そっと引いてやる。
薄暗い寮内はもうすでにボロボロで、今日の騒動で更に傷みが増したような気がする。とりあえずは幼い少女が寂しいこわい思いをしないように、心がけて進む。
しかし愛奈の顔はだんだんうつむきがちになっていった。隆太と一緒、ということで、脅かし役も手加減は加えている。それでも少女は十分すぎるくらい怖さを感じているのだろう。歩みが遅くなる。やがて少女は、とうとう感情を爆発させた。
「……っ、もういやなの! こわいの! 愛ちゃん、帰るの! かえる……の……わーんっ」
泣き声を上げてぐずった。さすがにこうなってしまっては仕方がない。隆太が優しく抱きかかえてやると、そのまま入口に戻った。
「……というわけで、今日のイベントは終わり! みんなありがとなー!」
隆太がそう言うと、近くにいた寮監も頷いた。
「夏の日のいい思い出になるといいんだけど。建て替えが終わったら、また新規に寮生を募集したいと思ってるんだ、もしご縁あったらよろしく頼むよ」
涼しい風が吹いている。
その中にふわっと紛れる生ぬるい空気。
それは偶然か必然か。
だけど、その風はきっと心のなかにも吹いている。
この一夜の出来事は、夏のいい思い出になるのだろう。
いつまでもいつまでも。
あの、古びた秋雨寮の姿とともに。