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――そんなわけで集まった、久遠ヶ原の生徒たち。
甘いものがただで、いやむしろ謝礼付きで食べられるとなれば、人が集まらないほうがむしろおかしい。食べ盛りの若者たちにとってこんな機会はめったにないであろうから、お腹をしっかりすかせてきている者もいるようだ。
それに今回は、いわゆる撃退士としてではなく、ただの少年少女に戻っての『依頼』というより『お願いごと』、いや『アルバイト』にも近いかもしれない。久遠もらえるし。実際、裏稼業の中で育ってきた雨下 鄭理(
ja4779)などは、たまにはこういったのんびりとした、学生らしいお願いごとなどもいいかなぁ、と思っていたりする。
「甘いもの食べ放題、なのです」
アーレイ・バーグ(
ja0276)がはしゃいだ声で、嬉しそうに笑う。見た目に反して大食漢の彼女は、こういう機会をまるで待ち望んでいたかのようだ。いっぽう、メフィス・エナ(
ja7041)は、このなかで唯一だろうか、友人――いや、恋人のアスハ=タツヒラ(
ja8432)を伴っての参加だった。スラリとした二人は並んで歩いても様になっており、周囲から思わず嘆息が漏れる。
「大学生の方って、すごいですね……」
藤原 加奈子(jz0087)は思わずうっとりとした声を漏らした。誕生日を迎えたばかりとはいえ、まだまだ幼さの残る中学二年生。やはり恋に恋するお年ごろ、ということなのだろうか。しかしすぐに気を取り直して、手元の地図を見る。彼女が持っているのは、甘味処『風鈴堂』への道と、自分たちが斡旋所から紹介された旨を示す証明書、ついでに保健師からの紹介状だった。
「と、とりあえず、行きましょうか!」
そう声を出すと、集まった少年少女たちはこくりと頷いた。
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学園島でも比較的閑静なエリアに、『風鈴堂』はあった。
近代的な建築物の多い島内において、あえての和風建築。看板に偽り無しとばかりに、可愛らしいガラス細工の風鈴がひとつ、軒先にぶら下がっている。
入り口には『本日ハ臨時休業』と、やや古風にも思える筆書きの張り紙がぺたりと貼られていた。店主はこの店に、かなりのこだわりを持っていると見える。
「こんな店があったの、知らなかったな。妹は知っていたんだろうか……」
礼野 智美(
ja3600)が、一つ嘆息をつく。今回の試食会、どちらかと言うと興味を示していたのは彼女の妹なのだが、いろいろと姉妹間で話しあった結果、智美が来たということらしい。
「まあ、入ろう。ごめんください」
大城・博志(
ja0179)が声を上げ、そして引き戸を開ける。やや薄暗くも見える店内は、昔ながらのどこか懐かしい風情のある、そんな内装であった。
リーン、と風鈴が鳴る。
それとほぼ同時に、店の奥のほうから、二十代半ばほどの男性がまろびでた。着流しを身にまとったその姿は決して男前というわけではないが、ちょっと愛嬌のある面差しだ。メガネをちょこんと鼻にかけ、世間知らずな若旦那、という単語がなんとなく似合う青年。
「いらっしゃいませ。……ああ、久遠ヶ原の学生さんですね。お待ちしてました。今回は試食会へ、ようこそ」
加奈子の手にしていた紙に思い当たるフシがあったのだろう、店主らしき青年はにっこりと笑って迎え入れる。……笑うと、実年齢三十歳の博志よりもいっそう若く見えた。
「僕はこの風鈴堂の店主で、外川といいます。さあ、まずはどうぞ座って下さい」
青年が示した机と椅子は、ちょっと年季が入っているようにも見えた。全員、素直に席につく。
外川青年の話によると、もともとはとある和菓子店で働いていたのだが、一念発起して学生の多い島内に店を構えたのだという。
「とはいえ、甘味処というのはやっぱり少し地味ですから、客足がなかなか伸びなくて。そこで、新メニューというわけです」
そう言って微笑むと、まずはどうぞ、とお冷をみなに配ってくれた。
「今回は冷たいものばかりですから、温かい飲み物も用意していますよ。気兼ね無く言って下さい」
「ありがとうございます〜」
ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)が嬉しそうに微笑んで、ぺこりとお辞儀をした。日本の夏に慣れていない彼女は、栄養価の高い甘酒の話を聞いて興味津々なのだ。
「日中は食欲も減退するから、こういうものが丁度良いやねぇ」
……もちろん彼女も、甘いモノが大好きである。
「……あまい? うま、い?」
舌っ足らずなたどたどしい言葉遣いで尋ねるのはカイン 大澤 (
ja8514)。日本とは食糧事情がかけ離れすぎた国に暮らしていたこの少年は、生活習慣や食文化の違いを肌で知るために今回参加している。ただ、生来の人付き合い下手ゆえ、それをうまく伝えることができない。それでも言いたいことはわかったのだろう、店主はニッコリと笑った。
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「まずはこちらをどうぞ。今回の目玉の一つ、冷やし甘酒になります」
涼し気なガラスのグラスに注がれているのは、白い液体。底のほうに麹なのだろう、米粒らしきものがいくらか沈んでいる。氷もいくらか浮かんでいて、一目見ただけだと乳酸菌飲料などとあまり見た目は変わらない。
「麹からの甘酒は、経験がないんですよね」
神社の娘として育った智美には、甘酒といえばお神酒の酒粕から作るイメージが強かったらしい。底に沈殿している麹の粒を、物珍しそうに見つめている。
「冷やし甘酒って、珍しくないです?」
加奈子と向かい合うように座って、アーレイは笑う。時折チラチラと眺めやっているのは、メフィスとアスハのカップルが座っている席。知人が恋人と一緒にいるのを観察するつもりなのだろうか? 近くに座っていた博志も、気になるようでときどきうかがうようにしているが、その視線がやや昏いのは気のせいだろうか? ……まあ、多分気にしたら負けである。
「これ、生姜は入っています?」
メフィスが甘酒をまじまじと見つめてから、店主に尋ねる。生姜が苦手な人は結構いるだろうと、その一人として問うたのである。
「温かいのには少量入れますけどね。冷やしたものには入れていませんよ、大丈夫です」
外川青年は小さく笑ってみせた。ご希望なら入れますよ、ともつけ加えて。
そっと、誰からともなく口をつける。独特の甘みと、やわらかな口触りの、不思議な飲み物だ。のどごしはいい。口の中にわずかに残る米粒は、これまた柔らかく僅かな舌の動きでほろほろと溶けるようだ。
「お砂糖は入っていないんです。本当に、麹の甘みなんですよ」
最近塩麹なるものが流行っているが、まさか甘酒にしたらこんなにも口当たりの良い甘味飲料になるとは。これには誰もが驚いたようで、一様に目を丸くして甘酒のグラスを見つめている。
「ふむ、口当たりいいな」
博志がにっと笑う。日本酒ではないのだからそういう評価もどうかと思うが、夏場の飲み物というのは後口も大事だ。
甘酒をごくごくっと一気飲みしたカインは気持ちよさそうにぷはぁ、と一つ大きく息をつく。
「あま……、な!」
小学生らしからぬやや荒んだ目をした少年も、これには満足のようだ。
「そうねぇ。他のところで飲んだものと違って、お酒の味というよりまろやかな口当たりだし」
ジーナも、嬉しそうに微笑む。一方で、鄭理は
「ちょっと、甘すぎるかな、自分には」
そうそっと呟く。手元の手帳には、外観や内装、そして味に至るまでの情報をできる限り観察してやろうと言わんばかりに走り書きが踊っていた。主観からの、素直な言葉――それは、とても大切なもの。喝采にも批判にも、必要以上の言葉はいらないのだ。
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何人かが口の中の甘みを水で流した次に紹介をされたのは、かき氷だった。
ただしこのかき氷、上にシロップがかかっているようには見えない。よく観察すると、ガラスの器の下の方に、先ほどと同じく米粒の沈殿が見えた。
「氷甘酒です。底に、すこし濃いめに作った甘酒をまず入れて、その上にかき氷をのせている形ですね。普通のかき氷とは、ちょっと見た目が違うから、驚きましたか?」
店主はメガネを拭きながら、柔らかい笑顔。かき氷も、程よくふわふわとしていて、口の中ですぐに溶けてしまいそうな感じだ。
「シロップの代わりに甘酒を使ってる、っていう感じですね」
智美が確認するように問うと、店主はそうですよ、と頷いた。
「色が寂しいですよね、白に白だから……そうだな、たとえば、夏蜜柑の砂糖漬けを添えるとかはどうでしょう?」
提案をしてみる。たしかに見た目はとても大事なので、ふむふむと店主は頷いた。
「確かに涼しげではあるけれど、寂しくはあるんですよね。参考にします」
他に見た目に関しての意見がなければ次はぜひ味を、と、外川青年。
「あ、こっちはふたつはいいです」
そう言ったのはメフィス。飲み物はともかく、菓子類は一つを二人で――相手が誰なのかを聞くのは非常に野暮である――分け合おうというつもりらしい。アーレイがそれを見ておお、と声を出しそうになるが、眼の前に座っている加奈子がいるので、そういう感情はごく控えめに。
やがてそれぞれの眼の前に運ばれてきたかき氷。カインは手でつかもうとするが、それが氷であると気づいていなかったのか、その冷たさに驚いたようだ。
「つめ、た?」
(なるほど、氷か……)
思考は年齢相応だが、なにぶん日本語も行動もたどたどしい。
「……ああ、これを使ってどうぞ」
店主が差し出したのは、ステンレスでできた匙。それをまじまじと見つめ、カインは頷いて手に取る。先ほどの勢いではいかにもがっつきそうだったが、とりあえずアドバイスすることも思い浮かばないので、周囲の仲間は見守るばかり。
ジーナも早速とばかりに匙に氷をのせ、そして微笑みながらくわえる。ザクザクと混ぜすぎるのは好みでないのか、かなり慎重な匙遣いだ。
「氷と甘酒のシロップの組み合わせがたまらないわぁ……甘酒のシロップってあまり聞かないけど」
口の中で淡雪のようにほろほろと溶けゆく氷を不思議そうに思いつつ、それでも笑みは崩さない。
「ああ、シロップと言うよりも原液、といったほうがいいですね。甘酒って、普通は希釈して飲むものなんですよ。それをあえてあまり希釈せずに、濃度の濃い状態で使っているんです」
店主の説明に、ほう、と一同がため息をつく。
この甘酒の原料となっている麹、これも近距離圏にある米麹を扱う造り酒屋に頼んで分けてもらっているとのことだった。ほんとうは自分で麹室を作りたいらしいが、そこまで行くとさすがに規模が大きくなりすぎてしまう。
「それに、僕はやっぱり、和菓子を一番大切にしたいですから」
飲む点滴とまで言われるほど栄養価の高い甘酒だが、それを大規模に作るのはなんだか違う、と考えているとのことだった。もちろん古き良き日本の伝統を失いたくはないですけどね、青年はそっと笑った。
みなも笑って、また試食に戻る。と、
「メフィス、口を開けて」
そんな大胆なことを言ったのはアスハだ。そしてゆっくりと、メフィスの口に、かき氷をのせた匙が運ばれていく。
「ちょ、恥ずかしいって……もう」
そう言いつつもぱくりとそれをくわえると、メフィスは苦笑する。ああ、とても甘い。口に入れたかき氷が甘いのではなく、空気が甘い。そこだけ砂糖漬けになったかのように、世界が甘い。それを見ていたアーレイが、加奈子に
「ふふっ、加奈子さんもお口を開けてみて下さい」
などと無邪気に笑ってみせる。ちらりと(?)見える胸元を見ないようにと思っていた加奈子だったが、ついつられて口を開け、そしてアーレイの匙がその中に。
「なるほど、シロップが珍しいんですねぇ」
そう言いながらアーレイも楽しそうにぱくり。ちょっと癖はあるが美味しい、というのが感想のようだ。
博志は味の変化に着目した。氷が溶ければそれだけ味が薄まっていくのがかき氷、ならばこの甘酒はどうなるのか。シャクシャク食べていき、やがてみぞれ状になった氷甘酒を一気に流しこむ。
味は、――最初にあえて濃く作ってあったのがうまくいったのだろう、先ほどの冷やし甘酒とほぼ変わらないほどの味だった。いや、みぞれ状なぶん、こちらのほうがさらに冷たい。
「これは、こうして食べるほうがむしろいいのかもしれないな」
満足そうな表情。
鄭理はメモに、『氷に最初から甘酒を混ぜるのもよさそうだ』と書いて、こくりと頷いた。
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冷やしあめは、甘酒メニューに比べればやや知名度が高い。とはいえ関西ローカルな飲み物なので、やはり留学生のアーレイなどは縁がなかったようだ。
くん、と匂いを嗅ぐとほんのり生姜の香り。人によってはこれが強いと思うものもあるだろう。
「もう少し生姜を少なめのほうが、いいかな」
鄭理が早速サラサラとメモする。同様に思った智美や、生姜が苦手なメフィスも、これには同意していた。
「あと、塩味のきいたお菓子とかあるといいかも。甘いばっかじゃ、口が飽きちゃうかなって」
なるほど、と店主はそれを静かに聞いていく。
「疲れているときには効きそうねぇ、この味」
ジーナは笑顔を絶やすことなく冷やしあめを飲む。甘い物は女子にとって別腹だ。一緒に出されていた他の和菓子なども瞳の奥ですでに狙っている。
「そう言えば、無糖のジンジャーエールやソーダで割ってもわりといいよ、良い感じに刺激になるし」
博志がそうアドバイスすると、それは美味しそうだと店主も頷いた。
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「……と、あとはみなさんご自由に食べてください。これはちょっとしたお礼でもありますから」
店主が提示した水羊羹やわらび餅、冷製和菓子を前にして、甘い物は別腹な女性陣が歓声を上げる。
「ステイツの両親にも食べさせてあげたいです」
アーレイがそう言うと、智美も
「確かに。……これなら妹も文句ないかな」
そう笑って更に横のジーナをみる。彼女は笑顔を崩さぬまま、口に次々と放り込んでいた。
(せっかくですし、美味しかったと噂に流そうかしら)
実際それだけの価値のある甘味処だ、彼女はそう思っている。
メモをざっと書きあげた鄭理は、それを丁寧に切り離すと店主に渡した。みなの意見もうまくまとまっており、議事録的な読み物になっている。
「これはありがとう、助かるよ」
青年はふわりと優しく微笑む。何よりその笑顔が一番の収穫かもしれない。
「また来てね。その時はただってわけにはいかないけど」
少年少女は丁寧に礼をして、そして今回の試食会を終えた。
多分、今年の夏は、あの優しい甘みが、学園島で小さな話題になるだろう。
誰もが、そう思いながら店を離れる。
ちりーん。
風鈴の音が、心に響いた。