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ぱらり、ぱらりとページをめくる音。
白い病室、清潔なベッドの上にいるのは、うつろな目をした少年。
その横で少女が一人、静かにそれを見守っている。
少年が手にしているのは、押し花や可愛らしいマスキングテープ、それに様々なシールや写真に彩られた、手作りのアルバムだ。まったりした質感の茶色い表紙の隅には、『Forget me not』の文字。
ページをめくると、ふわり、とラベンダーの香りが漂った。
少年は、これを読んでどう思うのだろう?
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時間は数日、遡る。
久遠ヶ原学園の図書室には、露草 浮雲助(
ja5229)が訪れていた。コラージュの本、花言葉の本、そんなものを借り受けて、普段は人の少ない空き教室のドアを開けると、
「浮雲助ガ、一番最後ダナ!」
ミーナ テルミット(
ja4760)がニンマリ笑って歓迎した。すでに中にいたのは九人――依頼を受けた少年少女たちと、その依頼を持ち込んだ少女ミカ、そしてそれらを仲介した兼平隆太(jz0108)である。
「物語は、おおよそ考えてきた」
実はけっこう恋愛要素の入ったライトノベルも好む新田原 護(
ja0410)が、手にレポート用紙を持っていた。
「ただ、私が書くとどうしても文字が男っぽくなってしまう。清書に関しては、他の人に任せる」
そう言って、わずかにそっぽを向く。普段は戦闘関係の報告書ばかり記してきた護にとっては、出来るとはいえ他の仲間からすればギャップの多い依頼である。少しばかり照れくさくなっても、それはある意味当然といえよう。
「どれどれ」
そのレポート用紙をひったくるようにして読んだのは、南條 真水(
ja2199)だ。しかし彼女は笑うことなくそれを読み……そして宣言した。
「よし! なんじょーさんも手ぇ貸すじぇー」
ミカに向かって屈託なく笑う。普段から世話になっている喫茶店の店長と同じ名前の少女、なんとなく放っておけなかったのだ。そして先ほど読んだレポート用紙を、他の仲間達にも回し読みしてもらうように渡す。
「ふむ、へえ……」
全員が読んだその物語。優しい言葉で綴られた物語は、心がほっこりとあたたかくなる要素を十二分に含んでいた。
さすがに護もこれには恥ずかしくなってきたようで、一瞬静まるように号令を出したくなったが、懸命に自分を抑えこんだ。
「と、とにかく。作ることにするか」
いい加減ムードが怪しくなりそうなところで、隆太がパンと手を打った。
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みんなが用意した道具は、様々である。
色とりどりのペン、色鉛筆、レースペーパーにマスキングテープ。色紙、千代紙、シールのたぐい。それに、様々な大きさの押し花。
もちろん、それらを切り貼りするためのノリやハサミ、カッターナイフも準備済みだ。
見ているだけでなんだか心もわくわくとしてくる。小学校の図工の時間のようだ。
……そして、ミカが用意したのは一冊のアルバム。少年と少女が、仲良さそうに暮らしていた幼い日、離れてもなお互いを信じてやり取りした他愛ない写真、そんなものを大切に閉じ込めてあったアルバム。
「そうだ。なにか、小さい頃の思い出とかあったら教えてほしいのですよ」
絵本調のコラージュアルバムに、そういうエピソードを追加できれば。そう思った艾原 小夜(
ja8944)が優しい笑顔を浮かべてそっと尋ねてみる。ミカは幾らかの思い出を、つっかえつっかえ教えてくれる。きっと胸には、たくさんの思い出が溢れて止まらないのだろう。そしてその教えてくれた思い出の数々を聞いて、うーんと考えたのち、小夜はレースペーパーとパステルカラーのボールペンを渡した。
「……え?」
「良かったらこれを使ってくださいですよー。伝えたいことは、伝えたいうちに、なのですよ、ねっ」
ミカの直筆メッセージは、きっと力になるに違いない。そう思ったがゆえの行動だ。確認のために周囲を見回したが、仲間たちもうんうんと頷いてそれをすすめている。
「あ、ありがとう」
小さく頷くと、少女はペンのキャップを開け、悩みつつも文章を書き始めた。
それを見て、白澤 乃枝(
ja8956)が優しい笑みを浮かべる。
「いいなあ、ああいうの」
ボクは友達少ないからなぁ、そんなことを思いながらアルバムの写真をチョイスしていく。
二人の写真のみならず、共通の友人達との時間や、ごく当たり前の日常風景を撮影した、本当にごく当たり前の写真たちも。こういうたわいない光景も、きっと心に響いてくれると信じて。
「インパクト自体はないかもしれないけど、こういうのも大事かな、って」
歩いた通学路、いつか見た光景、そんなものを丁寧に切り取る。思い出を抜き出していくように。
その横で、押し花を準備しているのは天音 みらい(
ja6376)。浮雲助が借りてきた花言葉の本をめくりながら、持ってきた花と、その花言葉を確認する。
「すずらんは、『幸福の再来』……えんどうは『約束』。そして白いバラは、『約束を守る』……と」
小さく声に出して確認しながら、押し花や、花びらなどをを見る。あらかじめ作っておいたが、変な傷も傷みもなく、綺麗に仕上がっている。
「……思い出しますように」
少女の小さな祈りの言葉は、届くだろうか。
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ケンイチの写真をぼんやりと眺めているのは、獅堂 遥(
ja0190)。普段は快活そうに見える少女も、その胸の奥には小さな疼きがある。
仲間と腕を組み、楽しそうに笑っている、写真の向こうの少年。でも、彼はきっと、その仲間との記憶も失っているのだろう。それは残酷な現実だが、一方で遥はこう考える。
曖昧になっている記憶に、『自分が恋人である』ということを、たとえ嘘であっても挿入したとしたら――。
少年は、それをどう認識するのだろう。
一瞬よぎったほの暗い思い。
けれど彼女は寂しそうに、自虐めいた笑みを浮かべる。
「……最低だな、私」
そうやって、偽りの記憶を刷り込ませたとしても、幸せになれるはずなんてないのに。
「うおー。なんじょーさんはつかれたじぇー」
そううめいて、真水はぱたりと机に突っ伏した。作業開始から、約二十分ほどの出来事である。
(早っ!)
誰もがそう思ったが、とりあえず口にだすことはしない。しかし、そこはなぜかみな用意周到で、様々なお菓子を準備してきている女子生徒が何人もいた。
「ちょっと休憩を入れようか」
遥もちょっと堂々巡りに陥りそうな考えを切り替えたいと思い、持ってきていたペットボトルからドリンクをコクリと飲む。
小さなブレイクタイムに、普段はそういうことに縁の無さそうな護や、かくれ甘党(?)な浮雲助もちょいちょいとマシュマロやチョコレートに手を伸ばす。
「ほらほら、ミカもブレイクなんダゾ!」
ミーナが笑顔を浮かべながら、キャンディをポンと少女に手渡す。口の中でとろける甘さは、周囲のみなの優しさにも感じ取れて、なぜだか胸が熱くなった。
「そういえば、小学校三年といってましたっけ?」
浮雲助がふっとつぶやく。彼はわずかに目を細めた。
「小学校三年の時って言うと、当時気になっていた子が転校してしまって……切なかったのを覚えてますよ。きっとずっと忘れないんじゃないかな」
だから、と言葉を続ける。
「そういう記憶が心のどこかにきっと残っているはずですよ、ケンイチさんにも。こんな可愛い人が待ってくれているんだし、きっと記憶は戻ります。戻って、幸せになってもらいたいです。……ただの希望かもしれませんけど」
そういう記憶、思い出、そして自分たちの純粋な願い。それらもコラージュするかのように、すこしずつエッセンスとして練り込んでいきたい、そう話す。照れくさそうに、笑みを浮かべながら。
「大丈夫ダゾ、みんな味方ダゾ!」
一方それとは対照的に、幼なじみと共に久遠ヶ原に編入した過去を持つミーナも、にっこり。
「あ、……ありがとう」
わずかに涙を浮かべそうになりながら、ミカは小さく礼をした。
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「よし、だいたいこちらは完成したかなー?」
作業中に出たゴミをまとめながら、小夜が小さく微笑んだ。水彩紙に可愛らしい草花のイラストを散りばめ、それを台紙にするための紙にアクセントとして切り貼りしてある。
台紙にはすでに何枚かの写真も貼り付けられている。護の書いた大筋に沿うように、順番などもきちんと考えられていて、それもまた見ているだけで物語がどうなるか気になってくる。
ところで表紙は、というと。
「こんなのを添えるのはどうかな?」
乃枝が持ってきたのは白いレースリボン。押し花を表紙に飾ると決めたとき、思いついたらしい。可愛すぎるかな、とちょっと思いつつも雰囲気のあるリボンはすぐに採用された。
「表紙の色は淡いほうが……?」
「ううん、ちょっとまったりした感じのブラウンにしようと思ったんですけど……」
白い花びらの花を多めに選んでいたのはそれもあるの、と押し花を準備していたみらいは説明する。
「ああ、それならたしかにそのほうがいいかも。長いこと、見てもらえるといいしね」
乃枝もその説明には納得したようで、リボンをふわりと手渡した。みらいはそれを有難く受け取ったが、
「それ、どうやって飾りましょうか?」
「ああ、僕はこう考えていたんだけど……」
とまた、二人で仲良く悩むことに。その中で様々な名案が生まれていくわけなのであるが。
そして、
「じゃあ、文章がミーナが書くんダゾ!」
優しい文字遣い、言葉遣い、そういうものに注意をはらって書き始めた。
文章には難しい漢字が混じっているようなら、それはひらがなにおきかえて。
文字は女の子らしい、少し丸みを帯びた筆致。
「マ、ミーナもムズカシイ漢字ヨリは助かるんだけドナ!」
来日しておよそ四年ほど。日本語の記述はまだ完璧とは言い切れないミーナだからこそ、そういう「やさしいことば」の選び方は肌で感じ取れるのだろう。
護の書いた文章を、丁寧に清書する。
それはおおよそ、こんな感じになった――
『子どものときに、約束をした。
ゆびきりげんまん、うそついたら……
むじゃきな約束。
だけど、大切な約束。
そんな約束を、君は持っていますか?』
その横には、男の子と女の子が仲良さそうにしているシルエットのイラスト。
さすがに、指切りをしている写真は見つからなかったらしい。それでも、イラストはほのぼのとした感じで、いかにも優しそうだ。
次のページに移る。
『あるところに、ケンイチくんという男の子がいました。
剣道にいっしょうけんめいで、毎日竹刀を振っていました。
ある日の道場からの帰り道のことです。
クラスメイトのミカちゃんという女の子が大きな犬にほえられて泣いていました。
ケンイチくんも怖かったけれど、がんばって竹刀をかまえました。
犬からその女の子を守りたかったからです』
小学校の頃の二人の写真、それに大きな犬のシール。
ほんのりコミカルに、だけどそのストーリーはあたたかく。
そんな心遣いが、ひと目で分かる。
『仲良しになった二人でしたが、ある日ミカちゃんは引っ越すことになりました。
ふたりは約束しました。
いつかけっこんしようね、約束だよ。
ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのます、と』
あらかじめ持ってきていた雑誌の花嫁衣裳や、幸せそうな結婚式。そんな憧れの光景の真ん中で、二人の仲の良さを示す写真がまるでパズルのピースのように収まっている。
二人並んで、仲良くピースサインをつきだした、そんな無邪気な写真。
『ふたりははなれることになりましたが、連絡はとりつづけました。
夏や冬の休みにはいっしょになかよく過ごしました。
おまつりの花火、いっしょに泳いだ海。いっしょに食べるクリスマスケーキ。
バレンタインにはミカちゃんが毎年、チョコレートを贈ってくれました。
そう、遠くはなれていても、心はずっとつながっていたのです』
たくさんの思い出を、ページいっぱいに貼り付けてある。
夏、冬、いっしょに遊んでいる時の無邪気な姿。
一緒にとったプリントシールも、ところどころにアクセントとして貼ってある。
二人で『ケンイチ&ミカ』と書いて、ハートマークのスタンプも押されたような、いかにも中高生カップルのやりそうなプリントシールだ。
『そう、とてもお似合いのふたりでした。
遠くない未来に、ふたりはあの約束をかなえるでしょうか?
けっこんしようねと、小さいころに交わした約束を』
最後のページには、ミカが自分で書いた手紙が貼り付けてあった。
そこには、優しい言葉で、様々なことが書いてある。
その中で、ひとつ、目をひく言葉があった。
『もしあなたが思い出すことがなくても、わたしはきっとそばにいます』
ここまで思われている少年はなんと果報者だろう。
誰もがそう思う、そんな一言だ。
「大丈夫、人の記憶なんてもんは忘れたと思っても必ず脳のどっかには残ってるもんだ」
真水がにまっと笑う。そこへ至る道を見失っているだけなのだから、と。
「私たちは、みんなあなたに幸せになってもらいたくて、これを作ったから」
遥も微笑んだ。この二人を幸せにしてあげたい、そう思いながら。
「新しい一歩は、これからみんなでつけようよ、ね」
「ありがとう……」
ミカは、深く深く、皆に礼をした。
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それから一週間ほどの後、もう一度八人が隆太によって呼び出された。
「ミカから手紙が届いたからな。報告だそうだ」
それによると、週末に帰省して、アルバムを無事にケンイチに渡すことができたということ。
それを読んだケンイチは、まだ記憶を取り戻したわけではないが、泣いてくれたのだということ。
そんなことが可愛らしい便箋に綴られていた。
「よかった」
気持ちが伝わったのだと、誰もが頷く。
そして、隆太はここでニヤリと笑った。
「それから、最後に――『本当に皆さんにはお世話になりました。今度は、皆さんの思い出や気持ちを、みんなでコラージュアルバムにして、みんなで楽しみたいですね』……だそうだ。みんながもちろん嫌ちゃうかったら、だけどな。どうだ?」
目を瞬かせる一同。やがて、みんなの顔はぱあっと明るくなり――
「「「もちろん!」」」
そう、笑いあった。
綺羅星のような思い出を切り取り閉じ込める、写真というアイテム。
それは、きっとみんなの心に響く。静かに、でも優しく。
水面の波紋のように、ゆっくりと。
一度喪ったものも、きっと、取り戻せる。
そう、きっと。