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幼い頃の思い出といって、何を思い出すかは人それぞれ。
あたたかな家族、あるいは遠くなってしまった面影。
もしかしたら、暗く冷たい記憶かもしれない。
――でも。
「このくらいの年頃のって、放っておけないんだよねぃ」
わけあって家族の記憶をほとんど持たない九十九(
ja1149)はそうつぶやくと、もう一度依頼の内容を確認した。
小学校一年生のタクミとの、小さな小さなスープパーティ。
料理上手な星杜 焔(
ja5378)も、遠い昔を思い起こす。
大好きだった母のカレー、それを作ってくれると約束した日……しかし約束は二度と果たされることはなく。そういう思い出を持つがゆえに、タクミのことが他人ごとではないような気がしていた。
わずかに記憶にある味覚、それを思いだすことが出来れば……少年は心からの笑顔を見せてくれるだろうか?
「……見つけてやりたいな、思い出の味」
そうつぶやくと、焔の友人でもある月居 愁也(
ja6837)も優しい笑顔を浮かべて頷いた。
「だな。楽しくて幸せな時間を、過ごしてほしいな」
その思いは、皆が持っているようだった。
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「タクミくん、こっちこっちー」
「わ、ちょっと待って……っ」
調理室の近くから、そんな声が聞こえる。おそらく依頼を最初に提案した少女と、タクミ本人が近づいているのであろう。やがて子ども特有のパタパタと軽い足音が近づき――扉がバン、と開かれた。
あらわれたのは、ちょっとばかり勝気そうな女の子と、その女の子に手を引かれている男の子。
おそらくあれがタクミなのだろう、たしかに年齢よりもやや小柄で頼りなげに見える。
「あなたがタクミくんね? ふふ、いらっしゃい」
そう優しく声をかけたのは銀髪も美しいエミーリア・ヴァルツァー(
ja6869)。
「え、あの……?」
見知らぬ上級生に声をかけられて、タクミは驚きつつもこくりと頷く。
「みんなでね、これからスープパーティをするんです。タクミくんに、食べてもらいたくて」
人付き合いが苦手なはずの沙酉 舞尾(
ja8105)が、小柄な身体をさらに屈めて説明する。タクミと同じ視線の位置になるようにという配慮だ。
「すーぷぱーてぃ?」
耳慣れない単語に、まだ幼い少年は首をかしげる。
「タクミに思い出の味を食べてもらいたくて、集まったんだ」
ひときわ体格のいい強面の男性――強羅 龍仁(
ja8161)が、可愛らしいうさぎさんエプロン(!)をつけて、力強く頷いた。
「あたしがおしえたの」
少女がにっこりと笑う。
「さっちゃん、そんなことしなくてもいいのに」
どうやらこの女の子はさっちゃんと呼ばれているらしい。でもさっちゃんの方は実に楽しそうだ。
「タクミくん、いつもどこかさびしそうだから、元気になってほしいなって。もっとみんなで遊びたいもん。ね?」
さっちゃんの言葉は、とても熱心で、そしてどこか微笑ましい。
「そうだな。心配してくれる友というのは大事だぞ?」
自身が奔放すぎる姉を持ってヒヤヒヤさせられっぱなしだったことを思い出しながら、久我 葵(
ja0176)がくしゃりとタクミの頭を撫でる。
「……うん、おねえさんたち、ありがとう」
ちょっと寂しげなほほ笑みを浮かべるタクミ。この歳ですでに、心からの笑みを忘れてしまったのだろうか。いや、もしかしたらそもそも知らないのだろうか。……そう考えると、やはりどこか悲しい。
「ふたりとも、とりあえず手を洗いましょう?」
エミーリアの言葉に、ふたりの子どもたちは三神 美佳(
ja1395)に連れられて手を洗う。
そういったことは幼いながらに理解しているのだろう、ふたりとも「おにいさんおねえさん」たちの言葉にはきちんと従ってくれる。根は素直ないい子たちだ。
焔にみなと同じような可愛らしいエプロンを渡され、それをつけるのはまた可愛らしい。背中で蝶結びができない様子を見た愁也がそれを手伝ってやると、小さな料理人の誕生だ。
「スープを作るのは皆がするから、こっちをやってみないか? 見ているだけでもつまらないだろう」
龍仁が提案したのはナンづくり。行程自体は難しくなさそうなので、タクミたちもおそるおそるではあるが手伝わせてもらう。その合間を縫って、テーブルセッティングも。無機質な調理室の机にぬくもりを感じさせるランチョンマットを敷くだけで、そこにぱっと花が咲いたかのような錯覚を与えた。
「かわいいですね」
美佳がそう微笑むと、ふたりの子どももこくりと頷いた。
さあ、そろそろ美味しそうな香りが広がってきた。パーティの始まりだ。
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九十九が、BGM替わりに二胡を爪弾いている中。
机の上には、たくさんのマグカップ。
その中には見た目も味も様々なスープがすこしずつ入っている。たくさん食べてお腹が膨れすぎないようにという配慮からだ。
「さて、どれからたべる?」
そう聞いてきたのは葵だ。料理一般を得意とする少女は、たくさんのスープに驚きと戸惑いを見せているタクミを見て、またややぎこちなくではあるが笑った。
「私もね、いつも姉に困らされていたものだよ。父や門下生……弟子のことだな、みんなはそれを笑ってみていてくれた。だからこそ、姉も私も自由に色々できたんだ」
ここにいるみんなはそんな家族のような存在にはなれないかもしれないけれど、それでもタクミの味方なのだ、そう言いたくて、伝えたくて。うまく言えないなりに、言葉を紡ぐ。
「だな。俺も今日は一生懸命作ったから、ぜひ食べて、あったかい気持ちになってほしいな」
焔に料理のコツを教えてもらいつつ作った愁也がニパッと笑った。悪意のない、無邪気な笑顔だ。
「じゃあ、これ」
タクミが選んだのは、一見何の変哲もない……ミソスープ。すなわち、愁也が作った味噌汁である。
具は大根と油揚げ、ごく普通の家庭で愛される味だ。出汁のとり方など、難しいことは依頼を受けた日から焔に細かく教わったという力の入れようである。
「気に入ってもらえるといいんだけどな」
思い出の味かどうかも大切だけど、美味しいと言ってもらえるかどうかが何よりも楽しみだ。みんなで手をあわせて、
「いただきます」
と声を上げる。マグカップから飲む味噌汁というのは少し奇妙な気もしたけれど、そんなことは二の次だ。果たして反応は、
「おいしい……」
そう思わず声を上げたのは、漁師町出身の舞尾。素朴な味が両親を思い起こさせたのだろう、思わず頬に手を当てている。そしてその反応を周囲が見つめていることに気づき、たちまち顔を赤くさせた。
「うん、いや。たしかに美味しいよ、これ」
愁也の友人であり、今回の料理指導も行った焔も満足そうに微笑む。
「……寮でたべるおみそしるより、うんとおいしいです」
そう、ぽつりと言ったのはタクミだった。みんなの視線がタクミに注がれる。
「いつも寮母さん、こんなにおいしいおみそしる、くれないと思うから」
はにかむように笑う。でも残念ながら、求めていた味ではないらしい。
「じゃあ、次はこれなんかどうだ?」
龍仁がナンを作る傍らで作っていたポトフを差し出す。息子のことをこっそりと思いながら作ったそれは、ひとくちサイズの野菜がしっかり入った本格派。野菜は程よく煮こまれ、野菜本来の甘味も口の中で広がる。
「にんじんがあまーい!」
そう驚きの声を上げたのはさっちゃんだ。どうやら彼女はもともと人参が苦手だったらしい。他のみなも、素朴な味わいのポトフに舌鼓を打つ。
「おいしいか?」
龍仁は尋ねる。おそらく、タクミに息子の幼い頃を重ねているのだろう。その眼差しは父親のように深くあたたかい。
「うん。……すごく、あったかいです」
最初こそその強面ぶりに驚きを隠せなかったタクミだが、今はほんのりと微笑むことができた。どうやらこれも求めていたものと違ったようだが、龍仁はくしゃりとタクミの頭を優しく撫でてやった。
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「おしるこも、れっきとしたスープなのですよ」
デザートみたいな感じかもですけど、と美佳が用意したのはなんと白玉の入ったおしるこだ。つまめるようにとクラッカーで作ったカナッペも添えて、はい、とさし出す。
「思い出の味とは違うかもしれないですけど」
皆よりも二時間早く来て準備をした甲斐があったというものだ。予想外の甘味の出現に、思わず舌も喜ぶ。じっさいおやつどきでもあるので、これは嬉しいスープだった。女性陣がおかわりをねだるほどに。
口直しのカナッペも、チーズとジャムの組み合わせが小豆で甘くなった口の中を引き締めてくれる。あっという間になくなって、それでは次のスープという感じだ。
「こんなのはどうだ?」
葵が準備したマグカップを、コトンとタクミの眼の前に置く。
「クラムチャウダーだ。これでも一応、料理は得意だからな」
小さく切った野菜と貝が入った、クリーミィなスープ。湯気が立ち上っていて、いかにも美味しそうだ。勧められたタクミは、頷いて口をつける。ほわ、と少年の顔に微笑みが浮かんだ。もしや、と思ったが、
「こういうの、もしかしたら飲んだことないかも……おいしい」
という一言に、わずかに落胆する。それでもおいしいといってくれた少年にそういった素振りを見せるでもなく、笑ってみせる。
「作り方はそれほど難しいわけじゃないが……もし良かったら、その内教えるぞ」
お気に召してくれたことのほうがうれしいから。
そして、ささやかでもいい思い出になってくれることは、もっとうれしいから。
「うん、ありがとう、おねえさん」
まだ子どもの手には調理道具は大きすぎるかもしれないけれど、そう言ってくれるのが何よりもうれしかった。
「子どもの頃から料理を覚えるのも、いいことだよね」
焔が微笑む。実家が料亭だったこともあって、幼い頃から料理人を目指していた少年は、同じような夢をいだいてくれるのをやはり嬉しいと思うらしい。そんな焔が用意したのは二種類のスープ。とりあえずはこちらを、とすすめたのはカレースープだ。
「本当に、個人的な趣味だけど」
もう一つはあとでのお楽しみ、そう言いながらふるまうと、美味しそうなカレーの香りがマグカップから漂う。子どもの好物はカレー。昔からの定番の味である。そのカレーが、彼自身の心に小さな痛みを与える食べ物だとしても、焔は微笑みを崩さない。……いや、崩せない。
カレースープはやはり馴染みが薄いのか、だれもが美味しそうに飲む。ふんわり漂うカレーの香りは食欲を増す効果があるとよく言われるが、たしかにそうかもしれない。
「これ、レシピを覚えたいんですけれど、教えていただけませんか?」
「あ、私もです……」
興味を持ったエミーリアと美佳が、おずおずと尋ねかける。
「あたしも!」
さっちゃんまでもが両手を上げている。
「うん、構わないよ〜」
焔は笑って、うなずいてやった。
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「こんなのはいかがでしょう? シンプルなコンソメスープです」
エミーリアが作ったのはたしかにシンプルだが、出汁から作る本格的なコンソメスープだった。
「おっと、こっちもそろそろどうかねぃ。中華風」
それに負けじと九十九も中華風野菜スープを目の前に出す。こちらも出汁から作った本格派だ。
西洋風と中華風、趣向は違えど本格派の登場に周囲の仲間たちもゴクリとつばを飲んだ。
どう見ても美味しそうだったからである。九十九は先程までは二胡を弾いて場を和ませるようにしていたのだが、そろそろ自分の出番かという感じでの登場であった。
この味くらべはたしかに楽しそうで、誰もがマグカップに手を出す。
まずはエミーリアのコンソメを。
続いて、九十九の中華風スープを。
それぞれ作り方をひけらかすことはしない。九十九は口下手だし、おっとりしたお嬢様育ちのエミーリアにしてみたらそういうことははしたないと考えているようだ。
「あら、口元を汚してはいけませんよ」
エミーリアがそっとタクミとさっちゃんの口をナフキンで拭う。弟妹がいるからこその記の配りようともいえよう。家でもきっとこうやって仲睦まじくしているのだろう、お姉さんぶりにはびっくりさせられるものがある。
「中華風のスープ、もっとこってりしてるかと思ってたな」
愁也がにっと笑って美味しさをアピールする。
「うむ。エミーリアのスープも美味い。良い嫁になれるんだろうな」
龍仁もマグカップからスープをグイグイ飲む。まるでアルコールを飲むように。
「どっちもおいしいね」
「うん」
二人のゲストは微笑みあっている。最初こそ戸惑いの隠せなかったタクミも、もうすっかり馴染んでいた。
「それじゃあ……これも」
「そうだね。飲んでみて」
舞尾と焔、それぞれから手渡されたのはかぼちゃのポタージュ。舞尾はマカロニサラダも添えている。
偶然か、必然か。並んだ2つの黄色いスープは、ほかほかとあたたかくて。
タクミは、ゆっくりとそれに口をつける。どちらのものかは、わからない。
――やがてぽつりと、小さく、声を上げた。
「え?」
葵が、耳を澄ませる。
「……お、かあ、さん」
タクミの、小さな小さな、声だった。
何度も何度も、確かめるようにスープを飲む。
瞼の裏によぎるのは、覚えていないはずのあたたかい笑顔。
どうして、どうして。
「このスープを作ったのは……」
「えっ、あっ、はい」
舞尾がおずおずと手を挙げた。
「お母さんのスープにはなれないんですよ、絶対に入っているものが違うんですから。……愛情っていう、隠し味があるんですから。でも、これを飲んで、思い出をくっきりさせたり、別の新しい思い出にしてこれからのエネルギーにしたり、できると思ったんです」
真っ赤になってうつむきがちに、そう応じる。
「うーん。これは一本取られたかな」
焔がその言葉を聞いて苦笑した。同じ事を考えても、ほんの少しの違いで差は生まれる。
舞尾と焔のスープが、ほんの少しだけ違ったように。
「でも……これから、そういう思い出したいことがあるときは、きっとこのスープを飲むと、なにか思い出せるね。俺にも、そういう大切な思い出と、大切な味があるから、わかるよ」
やさしい微笑み。そしてその微笑みは、仲間たちに伝染していく。
「よかったな」
龍仁が頭をくしゃりと撫でる。続けて、愁也も。
葵と美佳はにっこりと笑い、九十九は喜びのメロディを奏でる。そしてエミーリアは問いかけた。
「……もういい時間ですね。食べ終えた時のあいさつをしましょうか」
周囲に目配せをする。そしてパン、と全員が手を打ち――
「ごちそうさまでした!」
そう言った誰もが、幸せに満ちた表情を浮かべていた。