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マスター:わん太郎
シナリオ形態:ショート
難易度:難しい
参加人数:6人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2015/10/05


みんなの思い出



オープニング



 今日、いつも通り電車に揺られながら、三島夏子は珍しく、寝過ごした。

 と言ってもつい、うつらうつらして普段降りる駅から一駅乗り過ごしただけなのだが、しかしそのせいで、自宅に向かう為の最終バスは目の前で出発してしまい、結局は三時間かけて徒歩で帰る事にした。
 正直な所、不安が無いと言えば嘘になる。
 だが、時間が夜の七時とまだ早かった事と、タクシー代を払える程の手持ちが無かった事。また、夏子の知る噂から、自分はその標的とは程遠いと知っていた為、ヒールの痛みさえ我慢してしまえば左程問題にもならないだろうと考えたのだ。


 ヒールを響かせ、夜道を歩く。
 山道、と言うほどは寂れていない。だがそれでも、人通りは殆どなく、周囲は木々に囲まれ、チラチラと点滅を繰り返す電灯に蛾や蠅を中心とした羽虫の類が体当たりする音が聞こえる程には、静まり返っていた。
 風が吹く。
 渇いた風だ。
 昼間は残暑があるとはいえ、日も暮れればそれなりに寒くなる。その上、一時間程歩き通して汗ばんだ身体なのだから、夏子は肌寒さを覚え、スーツの上から体を擦り合わせて目を細めた。

 と、その時だ。
 ふと、自分の数メートル前を、女が歩いているのに気が付く。
 服装からして、自分と同い年か少し若い位だろう。花柄の淡いピンクをしたワンピースに、ニーハイブーツ。黒の皮ベルトを腰に巻いているのが見え、後ろからでも分かるほど、美人なのだろうと分かった。
 しかし、女は泥酔でもしているのか足取りはおぼつかずに、身体を大きく揺らして壁に激突しながら道を進み、綺麗に整えられていたであろう髪はボサボサで、服も上手く着られていないようだった。

 なんとなく、夏子は親近感を覚える。

 彼女もきっと、自分と同じようにバスを逃してしまったのだろう。そして、呑み代で手持ちを使い果たし歩いて帰っているに違いない。だとしたら、自分と同じ境遇なのだから、途中まで彼女と居ても問題は無いだろう。それに、後二時間一人は寂しいし。
 そんな考えに、夏子は歩みを早めて前を行く女に近付く。
 何処かに鞄を置き忘れたのか、彼女は手ぶらだった。
 何処かで嘔吐でもしたのか、生肉を腐らせたような臭いがする。
 何故払おうとしないのか、彼女の周りには蠅が飛び交っていた。
 女に近付くほど、夏子は違和感を覚え、歩みが鈍くなる。
 夏子は歩みを遅くする。しかし女の歩きはナメクジのようで、どんなに遅くしたつもりでもゆっくりと、女の姿が近くなる。
 淡いピンクだと思っていた服は、何かに汚れた白のワンピースだった。
 黒いベルトだと思っていたのは、そこが裂けて影になっているだけだった。
 泥酔しているのだと思ったら、足がひしゃげて上手く歩けないだけだった。
 近付けば近付くほど、女が人間とは程遠い存在なのだと、理解させられた。
「ひっ」
 夏子の喉から、声にもならない悲鳴が上がる。
 よくよく考えれば、女が前に居る事自体可笑しかったのだ。

 最後のバスは、夏子の目の前を通り過ぎた。

 だというのに、目の前の女は夏子と共に駅に居た所か、夏子を追い越してすらいないし、当然、ここに来るまでに民家等殆ど無い。もしあったとしても、あれだけふらつく状態で外に出る事すら、変だったのだ。

 なら……あれは、何?

 いつの間に、女も歩くペースを落としていたのか、夏子と女の距離が縮まり一メートル程の距離しかなくなっていた。
 女が、呻きとも唸りともつかぬ、肌の粟立つ声を上げているのが聞こえる。
 肌は、腐敗でもしているのか血の気はなく土色をしていて、皮膚の下を何かが蠢く。背中には、蝉の抜け殻を思わせる亀裂がぱっくりと開いているのが、見えた。
 そこから、血液混じりの膿が滲み出てワンピースをピンクに染め、女が動くたびに、蛆虫と蠅が外に流れ出て、声だと思っていた物は女の中に潜む蠅の羽音だと直感する。
 そして、気が付き、悍ましさに吐き気がこみ上げる。

 女の皮を、何かが、着込んでいる。

 動きが、止まる。
 サイズがあっていないのか、二の腕の、首の、足の皮がだらつき、空白のある部分に蛆虫が這いまわっている。
 女の姿をした『何か』が、振り向いた。
 顔は、特に皮があっていなかった。
 本来目のあるべき場所に眼球は無く、『中身』の皮膚であろう白く、ぶよぶよとしたモノが覗いていた。
 眼だけではない。
 鼻も、口も、耳も、ありとあらゆる孔の位置が合わず、膿に濡れた『中身』が見え、膿を、蛆を、蠅を零しながら、夏子を、見ていた。
「ひ……やっ……!」
 早く、この場を離れなければ。
 夏子は咄嗟に、手に持っていたハンドバッグで女の横っ面を殴り飛ばす。
 鞄を通じて、皮が滑って『中身』の上をすべるのが分かる。が、その後に来るべき『中身』の固さは感じられず、勢いづいた鞄が、浮ついた皮を巻き込んで顔の皮を引きちぎった。
 中に溜まっていた膿と、蛆が、辺りにまき散らされる。
 膿に触れた鞄が、焦げ臭さと共に白煙を上げて、溶ける。
 夏子はそれだけを確認すると、ヒールのまま一目散に駆け出し、女から距離を取ろうとするが、膿がかかったのかもしれない。
 踏み出した瞬間、右足のヒールが渇いた音を立てて根本から折れ、夏子はそのまま、コンクリートに倒れ込む。
 直後、耳を劈く咆哮が、空気を揺らす。
 方向がつかめなくなる。堪らず、振り返る。
 女だったモノが、悲しそうに、恨めしそうに、剥がれた皮を、顔に塗りつけていた。
 そうして、次の瞬間。
 ソレは、今までに愚鈍な動きが嘘だったかの様に、倒れたままの夏子の足を掴むと、そのまま、握りつぶした。

●教室
「えー、近頃、特定の場所で、若い女性の行方不明が相次いでるみたいです」

 気だるそうに、机に肘を付けながら事務員が資料を読み上げる。

「ターゲットは若く、美しい女性。ご家族や会社、学校に確認を取った限りだと、どうにも夜、帰宅途中を何者かに襲われ、それきり行方を眩ませてしまうそうです……
 あー、現場は、夜になると人通りの殆ど無くなる山道で、不審な人影を見た、という目撃情報が上がっていますが、真偽は不明。また昨夜、三島夏子、という女性が同じ場所で行方不明になっています。ただ……」

 そこで、事務員は言いにくそうに言葉を詰まらせ、頭を掻いてから「若い女性、ではあるんですけれど、その……他の行方不明者に比べると、平凡な顔立ちをしてるんですよね。だからまぁ、もしかしたら行方不明とは別件かもしれません」

 言って、不明者とされる六人の写真を配ると、確かに一人だけ、美人、と言うよりは素朴な顔立ちをした女性が紛れ込んでいた。きっとこの女性が三島なのだろう。

「ウチに依頼が来たのは、今朝、タクシーの運転手が道が所々、不自然に溶けているのを見つけたから、というのと、三島さんの物と思われる、同じく何かで溶かされた鞄が見つかった為ですね。
 まぁ人間の仕業かもしれませんが、最近は物騒なので念の為にウチにも依頼が来たみたいですね――っと、今ある情報はこれぐらいですね。それでは皆さん、頑張って下さいねー」

 言って、事務員は小さく手を振り、直ぐに「あ、忘れてた。今回の目的、事件の解決ですー」と、付けたし、鼻を掻く。


リプレイ本文

●警察署/九時三十分

「遺留品は、見つかってねぇんだな」
「唯一見つかったのが、夏子さんの鞄だけらしいですから。情報収集に関して、我々より優れてる警察さんがそういうなら、そうなんでしょうねぇ」

 捜査資料のまとめられたファイルと、地図に書きだした情報を見比べてそう漏らす江戸川 騎士(jb5439)に、エイルズレトラ マステリオ(ja2224)が警察に対する嫌味とも賛辞とも取れる声をして答えた。

 駅を出て三分の立地にある、地元でも一番大きな警察署の会議室。
 そこで資料の山を一通り眺めてからの事だ。

 流石に捜査していたと言うだけあって、被害者の顔写真や目撃情報等、大体の知りたい事は直ぐに知る事が出来た。だがしかし、それらはあくまでも『情報』でしかなく、それが何かに結び付けられたような記載は無く、どれだけ警察が頭を悩ませているかという証明にも思えた。

「目撃情報自体は意外と揃っているようですが……服装に髪の色や長さ等どれもバラバラで、警察としては扱いにくそうですねぇ」
「だが、服装や特徴から言えば、行方不明者イコール不審者、に見えるな。不審者の特徴がどれも、その前に消えた女と酷似してるからな」

 資料のページをめくる。
 そこには失踪した女性達に関する情報がまとめられており、普段の生活リズムや最終目撃時間等も記載されている。
 マステリオが顎に手を当て、目を滑らせる。

「そうですねぇ……尤も警察としては、なんの関係性もない、しかも時期を開けて消えた女性が犯人、とする訳には行かないでしょうからねぇ。そこがイコールになっていないのも仕方ないのでしょう」
「しかし、行方不明になる時間帯は夜、それも日が落ちてからってのと、大体山の中腹辺りで目撃情報が途絶えるのは共通してるようだな」
「鞄が見つかった辺りですね。僕としては、溶解した路面、と言うのも気になるのですが」
「俺様も後で見に行こうと思ってる。だが、今は情報だな。そこで、さっきの話に戻るんだが……俺様は、この犯人は遺留品を、宝箱よろしく、どこかに集めて大事に取ってあるんじゃねぇか?」
「成る程……その場合、夏子さんの携帯電話もそこにある可能性はありますねぇ。となると、GPSで追えるかも知れませんね」
 マステリオは備え付けの電話に手を伸ばすと、内線ボタンを押す。

●国道/十一時二十三分
「あ、メールです」
 Rehni Nam(ja5283)は届いたばかりのメールを開く。
 タイトルは『GPS』
 本文は無く、一枚の地図の写真が添付されており、白黒印刷された周辺地図の森に当たる場所に、赤いボールペンで三つの大きな丸が重なるように描かれ、重なる部分は、大雑把に赤く塗られていた。
 どうやら、この塗られた範囲内に夏子の携帯電話がある、と言う事らしい。

「三つ……これなら、多少力技でも行けるかも知れませんね」
「一晩経ってる事を考えたら、充電もあまりないでしょうし、長い時間は鳴らせないかも知れませんからね……」
 横から画面を覗き込んでいた雫(ja1894)の呟きに、Namが辺りを見回しながら答える。
 整備されている、と聞いていたが、道以外はあまり手が入っていないのだろう。思ったよりも草木が深く、当てもなく何かを探すのは骨が折れた。

 それは随時送られてくる情報を元にしてもあまり変わらず、手分けをして塒や遺留品等も探していたが、結果は芳しくはない。
「一番距離が遠くても中心から五百メートル……全力疾走すればいけるかもな」
「見つけるわ……必ず」
 ラファル A ユーティライネン(jb4620)の言葉に、遠石 一千風(jb3845)の強い怒りを感じさせる低い声が続き、遅れて、Namが「それなら」と切り出す。
「この範囲をフォロー出来るよう全員でばらけて……五分待って、コールしますね。それなら、誰か一人は見つけられるはずです」


 人工的で軽快な音楽が聞こえ、抉れるのも構わず地面を大きく蹴りだし、駆けた。
 二秒。僅かに音が大きくなる。
 九秒。鼠のマーチだと分かる。
 十秒。音が、止む。
 肩が上下する。呼吸を整える為に一度唾を呑み込み、音のしていた方角を見る。

 そこには、雑草に半分埋まりながらも充電切れを知らせる携帯電話が小さく、震えていた。

「ありました……!」
 雫は息を整えつつ、各々こちらに向かっているであろう仲間に向かって、声を張る。
 被害者の物と思われるハンドバッグやネックレスが、葉の影になる様な枝にかけられており、木の根元には、人目につかぬよう隠してあるのであろう。枯葉で作られた山があり、よくよく見れば、隙間から細く長い茶髪が数本、はみ出している。

 枯葉を、どかす。
 むっとした腐敗臭が鼻奥を、眼球を突き刺し、涙が滲む。
 葉に絡み、ねとつく体液が糸を引く。腐臭に混じる血液と香水の匂いが、吐き気を促した。
 丁寧に折りたたれた被害者たちの『皮』が、順々と、折り重なっていた。
「これは」
 酷い、と言いかけた所で「こっちも見てみろよ」と、忌々し気なラファルの声が聞こえた。
 後ろだ。数メートル程離れている。
 近付くと、ラファルは一基の崩れかけた古井戸を覗き込み、一人険しい顔を浮かべていた。
 嫌な予感に、心がざわつくが、意を決し、同じ様に中を見る。

「……生存者は絶望的、ですか」

 中はカビ臭さが残り、どこまでも仄暗く、淀んだ水面にはいくらかの枯葉と――皮を剥がされた人間の『中身』と顔の破れた皮が一枚、ゴミの如く、無遠慮に、無造作に、投げ捨てられ、浮いていた。

●国道/十九時十五分

 陽は沈み、中腹まで差し掛かると人通りもなく、まともな明かりもない。頼りない街灯の点滅だけを頼りに遠石は一人、道を行く。
 夏子と同じグレースーツに身を包み、黒のハイヒールを履いている。
 あれから警察に居た二人とも合流し、情報を集め続けていたのだが、どうしても、タイプの違う夏子が襲われた、と言うのが気になっていた。
 素朴な顔立ちをした夏子は、今までの目鼻立ちのくっきりとした被害者像とは似ても似つかず、もしかして夏子の服装が引っかかったのでは?と自ら囮となったのだ。が。

 日が暮れてから、かれこれ一時間程道を往復し続けているが、これと言って怪しい人物が現れない所か、通行人すら見かけず、九回目の折り返しを歩いていた――その時だった。

 いつ、何処から現れたのか、数メートル前を、覚束無い足取りをした女が歩いているのが、見えた。
 不自然にならないよう気を付けながらゆっくりと、携帯電話のリダイアルを押し、近付く。
 若い、OL風の女だ。
 今の遠石と同じくグレーのスーツに身を包み、遊びのない肩までの黒髪をしているが、所々何かで固まり、大きな束になって居るのが見える。
 視線を落とす。
 足首には何かの手形の跡が痛々しい痣となって残されており、ヒールの折れた黒のハイヒールを履いている。が、良く見れば、そのヒールは折れたのではなく『溶けた』のだと気が付いた。 

 電話が繋がる。返答を待つことなく「見つけたわ」と低く唸る様な声で口にし、そのまま通話を切る。

 更に近付く。
 怪しい女の皮膚の下を、何かが蠢いていた。何か呻くような声がするが、耳をそばだてると虫の羽音だと分かった。背中には亀裂が入り、その中には白い塊が詰まっているのが解った。
 身体の表面は何故か濡れて光沢を放ち、生臭い。
 横目で顔を覗くと、写真で観た事ある『皮』をしていた。

 ――三島夏子の、変わり果てた姿だった。

 化け物が首を動かし、遠石の顔を、値踏みするように眺める。
 そして、嬉しそうに羽音を呻かせると、遠石に向かってゆっくりと、腕を伸ばした。

●十九時二十二分

 反射的に、その腕から逃れる為に後ろへと飛ぼうとする。が、足の動きは何かに阻まれ思うように動かせず、身体がぐらつく。
 遅れて、スカートで動きが阻害されたのだ、と気が付く。
 膿に濡れた化け物の手が、目の前にあり、顔を背けようとする。
 しかし次の瞬間、禍々しい紅い光が眼前を掠めたかと思うと、膿を撒き散らしながら化け物が目の前から消え、遠くから「べしゃ」と水風船の叩き付けるような音がする。
 傍に潜んでいた雫の放った鋭い突きが、化け物を弾き飛ばしたのだ。
 身体を打ち付けたコンクリを焦がしながらも、化け物が身体を起こそうとする。
 が、「うへぇ……あれ全部膿ですか」と辟易した声が夜空に反響し、何処からともなく無数のトランプが空に舞い、立ち上がろうと四つ足になっていた化け物の身体を覆い尽くして、締め上げる。

「蛆が……美女に成り代わるつもりだとでも……!?」
 叫び、素早くスカートを裂いてスリットを作り、邪魔な靴を後ろに向かって蹴り飛ばす。
 そして膿を踏まないよう、遠石は右足でコンクリを蹴り上げて化け物の懐へと飛び込み、思うように身動き取れず身悶える化け物の身体を一閃、焼き切り、切り口から膿の噴き出る前に後ろへ飛び、間合いを取る。
 が、何かの潰れる感覚と同時に足の裏に痛みと熱を覚え「ぐっ!?」小さく呻き、唇を噛む。
 化け物の身体から零れた、蛆。その一匹を踏み潰したらしい。だが、アウルの漲る今の遠石にとって、爛れる程の物では、無い。

 化け物は先程までよりも激しく身体をうねらせると、締め付けるトランプをものともせず、切られた場所を両手で抑え込んで悲しげに鳴き叫ぶ。

「さぁ……その悍ましい中身を曝け出して貰いましょうか……!」
 雫が駆け、体躯に見合わぬ大剣を振るい、化け物を包む夏子の皮を切り裂き、その姿を街灯の下に、浮かび上がらせる。

 水っぽい、むっとした生臭さが肌を刺す。
 身体から流れでる膿でふやけた、白くぶよぶよとした分厚い皮膚。眼球ははまっておらず、代わりに、無数の蛆が詰まって小さく蠢き、零れた。
 光を嫌っているのか、大きく身体を捩る度に皮膚が裂け、そこからも、桜色をした血液と蛆の混ざり合った膿が勢いよく弾け飛んでは異臭を強くし、コンクリを溶かす。
 その跡は、夏子の鞄に残された溶解跡と酷似しており、この醜悪な天魔こそが『犯人』であると、雄弁に物語った。

 声にならない、化け物の咆哮。
 瞬間、化け物は未だ、体勢の整い切らぬ雫に向かって膿だらけの腕を振り上げ、頭を握りつぶそうとする。
「っ!」
 避けきれない。
 顔が焼けるのを想像し、咄嗟に目を瞑る。
 そして――化け物の腕が、弾け飛ぶ。

「こんなものか」
 悲鳴にも似たヴァイオリンの残響を残し、騎士の声と羽搏きが聞こえ続けて、淡く煌めく一陣の風が、皆の間をすり抜けて傷を癒す。
「大丈夫ですか!?」
 肩で息をするNamの、鋭い声。遠石の連絡を受け全速で駆けてきたのだ。
 化け物の弾けた腕が、地面に落ちる。それを合図にしたように雫は後ろに跳び、距離を取る。
 逃がすまいと、化け物は残った腕で雫を掴もうとする。が、再び掻き鳴らされたヴァイオリンによって妨害され慌てて、腕を引く。

「てめーが人様の皮を着るなんざ――」
 声が、響く。
 姿を隠して化け物に近付いたラファルが、突如として化け物の真正面に現れ、雫に裂かれながらも未だ化け物に纏わりついていた皮を、素手のまま、掴む。
 爪が、肉が、焼ける、焦げ臭さと血生臭さの入り混じった嫌な臭いが辺りに広がり、白煙を上げてラファルの指が焼ける。
 が、ラファルは気にも留めていないのか、口元を吊り上げてケタケタと嘲笑うような声を立て
「――百年、早いんだよってな!」
 言うが早いか一気に腕を振り抜き、化け物の身体から一切の皮を剥ぎ取って丸裸にし、その皮を、化け物の顔面に叩き付けた。

 化け物は一瞬身体を硬直させた後、途切れ途切れの声を漏らしたかと思うと、山を、大気を、震わせる、絹を裂く女性の悲鳴とも、悍ましい獣の怒りともつかぬ甲高い絶叫を上げると、ラファルを引き裂こうと、もげて失った事も忘れてか、短くなった腕を必死に振り回し、蛆を飛ばす。
 しかしその様子も面白いのか、ラファルは「逆ギレかよ」と笑うと、皮を投げつけた勢いのまま身体を一回転させ、持っていた盾で殴り、叩き伏せるが、化け物は何とか膿をラファルに浴びせかけようと腕を振るい、膿を撒こうとする。
「させませんよ」
 再びトランプが舞い、振り上げられた化け物の腕に貼り付いて強制的に動きを止めさせ、そのまま締め上げると、その力でか、カードとカードの間から膿が絞り出され、周囲に膿溜りを作り上げる。
「げ、近付きたくねーな、これ」
「それなら……!」
 Namの叫ぶと同時に、蒼白い靄を固めた球体が彼女の周りに現れ、小さく揺らめいたかと思うと、内部から破裂しそして、思うさまに周囲を溶かしていた膿が、我が物顔で這っていた蛆が、短い音と生体の焼ける臭いを残して、蒸発し、同時に化け物を焦がす。
 だが、それも束の間だった。
 化け物の身体には押しつぶすように圧力が加えられ、膿が流れ続けるのを止める事は出来なかった。

 ――しかし、化け物にも変化はあった。
 化け物の身体がひび割れ、そこから白い塊が零れて地面に転がる。が、それはコンクリを焦がす事なく転がると、量の少なくなった膿に焼かれて消えた。
 化け物がラファルに向かって腕を伸ばそうとする。ひびが一気に広がり、脇の辺りが崩れた。しかし化け物は、ラファルしか見えていないのだろう。
 更に腕を動かし、膿を飛ばそうとしてそのまま、残った腕ももげ落ちた。
 暴れる。崩れる。動く。壊れる。
 それでも化け物はラファルに対する攻撃を止めようとはせず、身体を崩壊させ続ける。
「しつけーな」
 ラファルの冷たい声が、静かに広がる。
 そしてもう見たくないと言わんばかりに、恨みがましく呻く化け物の頭を跡形も無く、踏み潰した。

●エピローグ/二十時四十八分

「これで少しは良くなればいいのですが……」
 ラファルの焼け爛れた手に水をかけながら、Namはその痛々しさに思わず眉を顰めた。
「サンキュー、まぁ、大丈夫だろ」
「今まで多くの天魔と戦ってきましたが……あそこまでの者は居ませんでした。夢に出てきたら悪夢確実です」
「あれだけ、ばっち――いえ、痛ましい姿でしたからね。僕も夢に見そうですよ」
「でも、これでもう被害者は増えないわ……もう、二度と」
 雫の言葉に小さく肩を窄めるマステリオを見ながら、遠石がほっとした様子で呟く。

 和やかに進む仲間達の会話を尻目に、騎士はぼんやりと、思考を巡らせていた。
 アレの元は、人間の女だったのではないだろうか?
 ベースの顔が美醜どちらかは分からない。が、被害者が持っていた『若さ』も、『美しさ』も、どちらも人間――特に女が、求めてやまない物だ。

 尤も、作った本人が居るわけでもないので本当の所は分からないのだが――
「その方が、楽しそうだからな」
 誰に聞かせるわけでもない騎士の呟きは、吹き抜けた風によって、仲間達の談笑と共に掻き消される。


依頼結果