●警察署/九時三十分
「遺留品は、見つかってねぇんだな」
「唯一見つかったのが、夏子さんの鞄だけらしいですから。情報収集に関して、我々より優れてる警察さんがそういうなら、そうなんでしょうねぇ」
捜査資料のまとめられたファイルと、地図に書きだした情報を見比べてそう漏らす江戸川 騎士(
jb5439)に、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が警察に対する嫌味とも賛辞とも取れる声をして答えた。
駅を出て三分の立地にある、地元でも一番大きな警察署の会議室。
そこで資料の山を一通り眺めてからの事だ。
流石に捜査していたと言うだけあって、被害者の顔写真や目撃情報等、大体の知りたい事は直ぐに知る事が出来た。だがしかし、それらはあくまでも『情報』でしかなく、それが何かに結び付けられたような記載は無く、どれだけ警察が頭を悩ませているかという証明にも思えた。
「目撃情報自体は意外と揃っているようですが……服装に髪の色や長さ等どれもバラバラで、警察としては扱いにくそうですねぇ」
「だが、服装や特徴から言えば、行方不明者イコール不審者、に見えるな。不審者の特徴がどれも、その前に消えた女と酷似してるからな」
資料のページをめくる。
そこには失踪した女性達に関する情報がまとめられており、普段の生活リズムや最終目撃時間等も記載されている。
マステリオが顎に手を当て、目を滑らせる。
「そうですねぇ……尤も警察としては、なんの関係性もない、しかも時期を開けて消えた女性が犯人、とする訳には行かないでしょうからねぇ。そこがイコールになっていないのも仕方ないのでしょう」
「しかし、行方不明になる時間帯は夜、それも日が落ちてからってのと、大体山の中腹辺りで目撃情報が途絶えるのは共通してるようだな」
「鞄が見つかった辺りですね。僕としては、溶解した路面、と言うのも気になるのですが」
「俺様も後で見に行こうと思ってる。だが、今は情報だな。そこで、さっきの話に戻るんだが……俺様は、この犯人は遺留品を、宝箱よろしく、どこかに集めて大事に取ってあるんじゃねぇか?」
「成る程……その場合、夏子さんの携帯電話もそこにある可能性はありますねぇ。となると、GPSで追えるかも知れませんね」
マステリオは備え付けの電話に手を伸ばすと、内線ボタンを押す。
●国道/十一時二十三分
「あ、メールです」
Rehni Nam(
ja5283)は届いたばかりのメールを開く。
タイトルは『GPS』
本文は無く、一枚の地図の写真が添付されており、白黒印刷された周辺地図の森に当たる場所に、赤いボールペンで三つの大きな丸が重なるように描かれ、重なる部分は、大雑把に赤く塗られていた。
どうやら、この塗られた範囲内に夏子の携帯電話がある、と言う事らしい。
「三つ……これなら、多少力技でも行けるかも知れませんね」
「一晩経ってる事を考えたら、充電もあまりないでしょうし、長い時間は鳴らせないかも知れませんからね……」
横から画面を覗き込んでいた雫(
ja1894)の呟きに、Namが辺りを見回しながら答える。
整備されている、と聞いていたが、道以外はあまり手が入っていないのだろう。思ったよりも草木が深く、当てもなく何かを探すのは骨が折れた。
それは随時送られてくる情報を元にしてもあまり変わらず、手分けをして塒や遺留品等も探していたが、結果は芳しくはない。
「一番距離が遠くても中心から五百メートル……全力疾走すればいけるかもな」
「見つけるわ……必ず」
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)の言葉に、遠石 一千風(
jb3845)の強い怒りを感じさせる低い声が続き、遅れて、Namが「それなら」と切り出す。
「この範囲をフォロー出来るよう全員でばらけて……五分待って、コールしますね。それなら、誰か一人は見つけられるはずです」
人工的で軽快な音楽が聞こえ、抉れるのも構わず地面を大きく蹴りだし、駆けた。
二秒。僅かに音が大きくなる。
九秒。鼠のマーチだと分かる。
十秒。音が、止む。
肩が上下する。呼吸を整える為に一度唾を呑み込み、音のしていた方角を見る。
そこには、雑草に半分埋まりながらも充電切れを知らせる携帯電話が小さく、震えていた。
「ありました……!」
雫は息を整えつつ、各々こちらに向かっているであろう仲間に向かって、声を張る。
被害者の物と思われるハンドバッグやネックレスが、葉の影になる様な枝にかけられており、木の根元には、人目につかぬよう隠してあるのであろう。枯葉で作られた山があり、よくよく見れば、隙間から細く長い茶髪が数本、はみ出している。
枯葉を、どかす。
むっとした腐敗臭が鼻奥を、眼球を突き刺し、涙が滲む。
葉に絡み、ねとつく体液が糸を引く。腐臭に混じる血液と香水の匂いが、吐き気を促した。
丁寧に折りたたれた被害者たちの『皮』が、順々と、折り重なっていた。
「これは」
酷い、と言いかけた所で「こっちも見てみろよ」と、忌々し気なラファルの声が聞こえた。
後ろだ。数メートル程離れている。
近付くと、ラファルは一基の崩れかけた古井戸を覗き込み、一人険しい顔を浮かべていた。
嫌な予感に、心がざわつくが、意を決し、同じ様に中を見る。
「……生存者は絶望的、ですか」
中はカビ臭さが残り、どこまでも仄暗く、淀んだ水面にはいくらかの枯葉と――皮を剥がされた人間の『中身』と顔の破れた皮が一枚、ゴミの如く、無遠慮に、無造作に、投げ捨てられ、浮いていた。
●国道/十九時十五分
陽は沈み、中腹まで差し掛かると人通りもなく、まともな明かりもない。頼りない街灯の点滅だけを頼りに遠石は一人、道を行く。
夏子と同じグレースーツに身を包み、黒のハイヒールを履いている。
あれから警察に居た二人とも合流し、情報を集め続けていたのだが、どうしても、タイプの違う夏子が襲われた、と言うのが気になっていた。
素朴な顔立ちをした夏子は、今までの目鼻立ちのくっきりとした被害者像とは似ても似つかず、もしかして夏子の服装が引っかかったのでは?と自ら囮となったのだ。が。
日が暮れてから、かれこれ一時間程道を往復し続けているが、これと言って怪しい人物が現れない所か、通行人すら見かけず、九回目の折り返しを歩いていた――その時だった。
いつ、何処から現れたのか、数メートル前を、覚束無い足取りをした女が歩いているのが、見えた。
不自然にならないよう気を付けながらゆっくりと、携帯電話のリダイアルを押し、近付く。
若い、OL風の女だ。
今の遠石と同じくグレーのスーツに身を包み、遊びのない肩までの黒髪をしているが、所々何かで固まり、大きな束になって居るのが見える。
視線を落とす。
足首には何かの手形の跡が痛々しい痣となって残されており、ヒールの折れた黒のハイヒールを履いている。が、良く見れば、そのヒールは折れたのではなく『溶けた』のだと気が付いた。
電話が繋がる。返答を待つことなく「見つけたわ」と低く唸る様な声で口にし、そのまま通話を切る。
更に近付く。
怪しい女の皮膚の下を、何かが蠢いていた。何か呻くような声がするが、耳をそばだてると虫の羽音だと分かった。背中には亀裂が入り、その中には白い塊が詰まっているのが解った。
身体の表面は何故か濡れて光沢を放ち、生臭い。
横目で顔を覗くと、写真で観た事ある『皮』をしていた。
――三島夏子の、変わり果てた姿だった。
化け物が首を動かし、遠石の顔を、値踏みするように眺める。
そして、嬉しそうに羽音を呻かせると、遠石に向かってゆっくりと、腕を伸ばした。
●十九時二十二分
反射的に、その腕から逃れる為に後ろへと飛ぼうとする。が、足の動きは何かに阻まれ思うように動かせず、身体がぐらつく。
遅れて、スカートで動きが阻害されたのだ、と気が付く。
膿に濡れた化け物の手が、目の前にあり、顔を背けようとする。
しかし次の瞬間、禍々しい紅い光が眼前を掠めたかと思うと、膿を撒き散らしながら化け物が目の前から消え、遠くから「べしゃ」と水風船の叩き付けるような音がする。
傍に潜んでいた雫の放った鋭い突きが、化け物を弾き飛ばしたのだ。
身体を打ち付けたコンクリを焦がしながらも、化け物が身体を起こそうとする。
が、「うへぇ……あれ全部膿ですか」と辟易した声が夜空に反響し、何処からともなく無数のトランプが空に舞い、立ち上がろうと四つ足になっていた化け物の身体を覆い尽くして、締め上げる。
「蛆が……美女に成り代わるつもりだとでも……!?」
叫び、素早くスカートを裂いてスリットを作り、邪魔な靴を後ろに向かって蹴り飛ばす。
そして膿を踏まないよう、遠石は右足でコンクリを蹴り上げて化け物の懐へと飛び込み、思うように身動き取れず身悶える化け物の身体を一閃、焼き切り、切り口から膿の噴き出る前に後ろへ飛び、間合いを取る。
が、何かの潰れる感覚と同時に足の裏に痛みと熱を覚え「ぐっ!?」小さく呻き、唇を噛む。
化け物の身体から零れた、蛆。その一匹を踏み潰したらしい。だが、アウルの漲る今の遠石にとって、爛れる程の物では、無い。
化け物は先程までよりも激しく身体をうねらせると、締め付けるトランプをものともせず、切られた場所を両手で抑え込んで悲しげに鳴き叫ぶ。
「さぁ……その悍ましい中身を曝け出して貰いましょうか……!」
雫が駆け、体躯に見合わぬ大剣を振るい、化け物を包む夏子の皮を切り裂き、その姿を街灯の下に、浮かび上がらせる。
水っぽい、むっとした生臭さが肌を刺す。
身体から流れでる膿でふやけた、白くぶよぶよとした分厚い皮膚。眼球ははまっておらず、代わりに、無数の蛆が詰まって小さく蠢き、零れた。
光を嫌っているのか、大きく身体を捩る度に皮膚が裂け、そこからも、桜色をした血液と蛆の混ざり合った膿が勢いよく弾け飛んでは異臭を強くし、コンクリを溶かす。
その跡は、夏子の鞄に残された溶解跡と酷似しており、この醜悪な天魔こそが『犯人』であると、雄弁に物語った。
声にならない、化け物の咆哮。
瞬間、化け物は未だ、体勢の整い切らぬ雫に向かって膿だらけの腕を振り上げ、頭を握りつぶそうとする。
「っ!」
避けきれない。
顔が焼けるのを想像し、咄嗟に目を瞑る。
そして――化け物の腕が、弾け飛ぶ。
「こんなものか」
悲鳴にも似たヴァイオリンの残響を残し、騎士の声と羽搏きが聞こえ続けて、淡く煌めく一陣の風が、皆の間をすり抜けて傷を癒す。
「大丈夫ですか!?」
肩で息をするNamの、鋭い声。遠石の連絡を受け全速で駆けてきたのだ。
化け物の弾けた腕が、地面に落ちる。それを合図にしたように雫は後ろに跳び、距離を取る。
逃がすまいと、化け物は残った腕で雫を掴もうとする。が、再び掻き鳴らされたヴァイオリンによって妨害され慌てて、腕を引く。
「てめーが人様の皮を着るなんざ――」
声が、響く。
姿を隠して化け物に近付いたラファルが、突如として化け物の真正面に現れ、雫に裂かれながらも未だ化け物に纏わりついていた皮を、素手のまま、掴む。
爪が、肉が、焼ける、焦げ臭さと血生臭さの入り混じった嫌な臭いが辺りに広がり、白煙を上げてラファルの指が焼ける。
が、ラファルは気にも留めていないのか、口元を吊り上げてケタケタと嘲笑うような声を立て
「――百年、早いんだよってな!」
言うが早いか一気に腕を振り抜き、化け物の身体から一切の皮を剥ぎ取って丸裸にし、その皮を、化け物の顔面に叩き付けた。
化け物は一瞬身体を硬直させた後、途切れ途切れの声を漏らしたかと思うと、山を、大気を、震わせる、絹を裂く女性の悲鳴とも、悍ましい獣の怒りともつかぬ甲高い絶叫を上げると、ラファルを引き裂こうと、もげて失った事も忘れてか、短くなった腕を必死に振り回し、蛆を飛ばす。
しかしその様子も面白いのか、ラファルは「逆ギレかよ」と笑うと、皮を投げつけた勢いのまま身体を一回転させ、持っていた盾で殴り、叩き伏せるが、化け物は何とか膿をラファルに浴びせかけようと腕を振るい、膿を撒こうとする。
「させませんよ」
再びトランプが舞い、振り上げられた化け物の腕に貼り付いて強制的に動きを止めさせ、そのまま締め上げると、その力でか、カードとカードの間から膿が絞り出され、周囲に膿溜りを作り上げる。
「げ、近付きたくねーな、これ」
「それなら……!」
Namの叫ぶと同時に、蒼白い靄を固めた球体が彼女の周りに現れ、小さく揺らめいたかと思うと、内部から破裂しそして、思うさまに周囲を溶かしていた膿が、我が物顔で這っていた蛆が、短い音と生体の焼ける臭いを残して、蒸発し、同時に化け物を焦がす。
だが、それも束の間だった。
化け物の身体には押しつぶすように圧力が加えられ、膿が流れ続けるのを止める事は出来なかった。
――しかし、化け物にも変化はあった。
化け物の身体がひび割れ、そこから白い塊が零れて地面に転がる。が、それはコンクリを焦がす事なく転がると、量の少なくなった膿に焼かれて消えた。
化け物がラファルに向かって腕を伸ばそうとする。ひびが一気に広がり、脇の辺りが崩れた。しかし化け物は、ラファルしか見えていないのだろう。
更に腕を動かし、膿を飛ばそうとしてそのまま、残った腕ももげ落ちた。
暴れる。崩れる。動く。壊れる。
それでも化け物はラファルに対する攻撃を止めようとはせず、身体を崩壊させ続ける。
「しつけーな」
ラファルの冷たい声が、静かに広がる。
そしてもう見たくないと言わんばかりに、恨みがましく呻く化け物の頭を跡形も無く、踏み潰した。
●エピローグ/二十時四十八分
「これで少しは良くなればいいのですが……」
ラファルの焼け爛れた手に水をかけながら、Namはその痛々しさに思わず眉を顰めた。
「サンキュー、まぁ、大丈夫だろ」
「今まで多くの天魔と戦ってきましたが……あそこまでの者は居ませんでした。夢に出てきたら悪夢確実です」
「あれだけ、ばっち――いえ、痛ましい姿でしたからね。僕も夢に見そうですよ」
「でも、これでもう被害者は増えないわ……もう、二度と」
雫の言葉に小さく肩を窄めるマステリオを見ながら、遠石がほっとした様子で呟く。
和やかに進む仲間達の会話を尻目に、騎士はぼんやりと、思考を巡らせていた。
アレの元は、人間の女だったのではないだろうか?
ベースの顔が美醜どちらかは分からない。が、被害者が持っていた『若さ』も、『美しさ』も、どちらも人間――特に女が、求めてやまない物だ。
尤も、作った本人が居るわけでもないので本当の所は分からないのだが――
「その方が、楽しそうだからな」
誰に聞かせるわけでもない騎士の呟きは、吹き抜けた風によって、仲間達の談笑と共に掻き消される。