●池のほとり
「マモル君、あそびましょ」
目と鼻の先すら見えない、水音だけのする池のほとりで満月 美華(
jb6831)は、池に居るであろう『何か』を呼び寄せようと、出来る限り大きな音で地面を踏み鳴らし、様子を見る。
が、自分の足踏みに合わせて水の跳ね返る音がするだけで、何かが現れる気配も無く、「空振りか……」と呟くと、呟きが聞こえたのだろう、猪川 來鬼(
ja7445)の「探知できるギリギリで留まってるみたい」という、苛立たし気な声が夜に響いた。
「足音が聞こえてない訳ないんだけれど……噂が違ったのかしら」
「……いっそ攻撃してみようか」
「それは、少し待った方が良いかもしれないわね。こちらから攻撃瞬間を狙われたら危なすぎるわ」
そんな会話をしている二人とは別に、誰にも気付かれぬよう木陰に隠れながら雫(
ja1894)は、暗視装置で辺りを見回していた。
池へと続く道は一本道で、辺りには鬱々とした雑木林が広がり、満月の傍には、裏面ではあるが件の『マモル君』が描かれているであろうベニヤ板が、錆ついた鉄パイプに針金で固定され、風が吹くと僅かにがたついている。
その近くには、石原巡査が必死になって付けたのだろう。
まだ真新しい、地面をかきむしっり、掘り返したような爪痕が生々しく残され、実際に人の犠牲になった場所であると言外に主張していた。
また池の表面にはぴっしりと藻が浮いていて、二ヶ月前に生き物は居なかった、という話とは別に、他の生き物が――少なくとも、まともな生き物が生活できる状況では無い様に思えた。
不意に、満天の星空を思わせるような明かりが辺りに灯り、どこか人懐こさを感じさせる声で「ここ、水神様が居るって噂があるらしいから、下手な事すると祟られちゃうかもよー?」と、いつの間に居たのか夏雄(
ja0559)が手にした虫除けスプレーを散布しながら『マモル君』の看板をのぞき込み「やっぱいるよなぁ」と、残念そうにしみじみ呟く。
「そんな話、どこで聞いたんだい……しかし、また『噂』か……どこまでも噂が好きなんだね、この村は」
「そういうものですよ。この池がいつ作られたのかはわかりませんが、意外と古そうですし、もしかしたら昔、口減らしも兼ねて、その水神様に『生贄』でも捧げたりしたのかも知れませんねぇ」
そんな夏雄を尻目に、口元に笑みを携えたままのアサニエル(
jb5431)が、警戒するように腕を伸ばし、周囲を見回しながら「……遠いねぇ」と一本道から姿を現し、その後を、ペンライトを弄り、怪談話には興味なさそうにしたエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が、冗談とも本気ともつかぬ声色で続けた。
「昼間、役場に行って聞いてきたんだよ。……まぁ一応、災害とかで水道が使えなくなった時用の非常水ってのと、埋め立てるお金がないって理由もあるみたいだけどね」
「遠いって……池?」
「あぁ、あんたも調べたんだろ?この位置じゃ、攻撃しても届くかどうかって所さね……不意打ちが怖いよ」
怖い。
この言葉とは裏腹に、アサニエルは愉快そうに口元を歪め、池を見る。
「どちらにせよ、この分だと最初の予定通り、噂とやらを試すしかなさそうですねぇ……さて、これで出てきてくれればいいのですけど」
言うと同時に、マステリオの身体が重力に逆らい、垂直に浮かび上がり、ペンライトの光を水面に当て、舐めるように滑らせて行く。
――光を当てると河童が現れる――
正直な所、馬鹿馬鹿しいとも思う。
しかし、居るかどうかも分からない何か――おそらくは天魔だろうが――を誘い出すには噂に頼るしかない。
が、しかし。
「……おかしいですね。これで何も起こらないと打つ手なしなのですが……」
藻に覆われた水面があるだけで、噂の赤い目はおろか、アメンボ一匹見つからない。
所詮は噂だろうか。
念の為にと、もう一度池を見ようとライトを握り直した――その時だ。
何の前触れもなく、鼓膜が破れそうな程の子供の悲鳴が、絶叫が、助けを求める声が、雑木林に、村に、木霊する。
あまりの煩さに、頭痛と吐き気に襲われる。耳鳴りがやまない。皆思わず膝をつきそうになりながらも耳を塞ぎ、辺りを見回して何とか声の出所を探ろうとするが、声は木々にぶつかり合い反響し、正確な位置が掴めず、顔が歪む。
そんな中不意に、悲鳴に混じり迫る『何か』がマステリオの目に映り、反射的に身を躱す。
瞬間、何かが身体に当たる。衝撃を殺そうと、身体を捻る。
遅れて、脇腹に焼け付くような熱さを覚え、ペンライトを持つ手で脇腹を抑えると、ぬるりと生暖かく湿っており、出血しているのだ、と理解する。
「ぐっ、ぅ」
途端に痛みが走り、呻く。そして攻撃の放たれた方向――自身の真下、池を見ると、先ほどまでペンライトで照らしていた位置だろう。真っ赤な目玉をした緑の何かが頭を覗かせて、『藻』で出来た触手を血で濡らし、思案するように揺れていた。
池に生えていた藻が絡み合い、頭を、嘴を、翼を作り、オウムを形どっている。
所々、絡みつけなかった藻が腐肉のように垂れ下がり、泥水を滴らせ、両の目は星々の光を受けて赤く輝き、光源を探して忙しなく動き回っていた。
空を見てぽっかりと開けられた口からは、数人分の子供の悲鳴が発せられ、先程から上げられている叫喚は、この化け物の物であると知る。
噂にあった、子供はおろか、河童とも似つかない……そんな化け物が、ゆっくりと、池から姿を現した。
視認すると同時に、マステリオは痛みを堪えて池から離れようとするが、化け物の身体から伸びた藻が、触手となって凄まじい勢いで伸ばされそして――途中で千切れ、落ちる。
「行かせませんよ」
化け物との距離を一瞬で詰めた雫が、粉雪を舞い散らせ、化け物の触手を切り落としたのだ。
明かり以外、見ていなかったのだろう。
化け物は大声を上げるのを止めると、不思議そうに切り取られた触手の先を眺め、遠くに離れた明かりを名残惜しそうに見る。そして、このまま触手で追ってもまた切られると判断したのか、身体を引き擦り、のっそりと池から這い出ると、マステリオの持つペンライトに向けて、ズルリ、ズルリと重みのある音を出して移動を始める。
瞬間、化け物の胴体が、半分。
真ん中からぱっくりと切り裂かれ、同時に、満月の「カオスレートはマイナス……ディアボロです!」との声が響き、一瞬、化け物の注意が削がれ、満月に向く。
その隙を見計らい、アサニエルはマステリオに駆け寄ると「大丈夫かい?」と手をかざし、仄かな暖かさとくすぐったさと共に、脇腹が小さな光に包まれ、傷口が塞がる。
「……っえぇ、助かりました」
傷が塞がった事を確認すると、再び囮になるべく、マステリオが地上を飛び立つのを確認してから、アサニエルは改めて化け物を見やる。
満月に切られた化け物の身体が、切り裂かれた場所から藻を伸ばし合い、絡めて、再び元の巨体に戻ろうと、千切れた場所を修復している。
「回復ですか……厄介ですね……」
「けど、ディアボロなら……これは効くよね……!?」
楽しげな雰囲気を帯びた來鬼の声と共に、どこからともなく鎖が現れると、化け物の身体に絡みつき、引き千切れない程度の力で化け物の身体を縛りあげ、自由を奪う。
直後、いつの間に背後に回り込んだのか、夏雄が水飛沫を蹴り上げながら水面を駆けると、燃え盛る大型の槌頭で化け物の頭部を殴りつける。
水を含んだ藻が、白煙を上げる。瞬間、藻がブチブチと音を立てて引きちぎれて槌頭に絡みつき、槌が重くなるのを感じるが、夏雄は勢いを殺さない様、槌を振るった時の遠心力に身を任せながら力任せに振り抜き、池からはじき出す。
が、しかし。
化け物は最初の半分程度になったものの、痺れも気にせず、何事も無かったように再びオウムを形取ると、またライトの光を探してぎょろぎょろと周囲を見回し始めた。
「うぇ、平気な顔しちゃって」
「これじゃ、キリがないね……」
巨大な身体を前に、雫は化け物を睨みつける。
二ヶ月前、手入れされた時はこの池に生き物は居なかったはずで、また先程から見ている限り、この化け物の足はそう早くは、ない。
だというのに、こんな巨体がつい最近自分でどこかから這ってきたと言うのだろうか?
何でも噂になる、噂好きのこの村で、噂にもならずに。
感覚を尖らせ、些細な違いも見落とさないよう化け物を観察する。
池の底に沈んでいたような、泥混じりのごわついた藻が見える。
明かりを追って動く度に、カルキ臭さの残る泥水が飛び散り、余り目は見えていないのか、つるりとした目玉はマステリオの持つペンライトを探して波打ち、明かりを見つけると、翼を振り回して攻撃し、雫が蝶を放てばその光を、追う。
と、ここまで観察して、はっとし、更に目玉を見て、確信する。
「皆さん、目です!目が、金魚になってます!」
「き、金魚!?」
――赤く細かい鱗が、光を反射し、輝いていた。腹部からは人間の指に似た足が十本突き出し、しがみつくように藻に絡めている。背びれはなだらかに蠢き、当てられる光に向けて忙しなく位置を動かし遅れて、頭が、体が、翼が、動いている。
胎児ほどの大きさをした金魚が二匹、瞳のあるべき部分に収まっていた。
「ほえ……なるほど、二匹で一匹ってわけね……!」
「そうかい、それなら……!」
言うと同時に、アサニエルは地面を蹴り上げ、一気に化け物との距離を詰める。
瞬間、鋭い破裂音と共に腕に電流が走り、化け物の右目を殴ると、甲高い悲痛な声を上げる化け物を踏み台に、そのままの勢いで距離を取る。
すかさず、満月の、白い光を帯び、金色にも見える輝きを帯びた光弾が一直線に、右目――アサニエルの殴りつけた場所と同じ――に突き刺さると、鱗を削り、指を弾き飛ばし、腹に沈み、そうして、右目を、完全に吹き飛ばした。
だが、化け物は残った左で光弾の軌道を追ったのだろう。
満月に向かって体勢を崩し、そのまま倒れ込もうと前のめりになる。
「僕の奇術はこれからが本番ですよ……!さっきのお返しです!」
その言葉を合図に、マステリオの両手から夥しい量のトランプが舞い乱れ、化け物の身体に隙間なく張り付く。
そして化け物は前のめりになったまま、その身体を締め上げられ、圧縮され、血液の変りに水を滴らせ、嗚咽にも似た音を漏らすと、藻の中から頭部を、本体を、切り離し、腹部に生えた指で地面を駆け、水の中に逃げ込もうと画策する。
だが、しかし。
「此処まで来て、逃がす訳には行きません」
「そうだよ。それに遊びの途中で帰るなんて、寂しいじゃないか」
静かな声が響くと同時に、暗がりの中でもなお暗い闇が雫の影から伸び、化け物に掴みかかる。と同時に、夏雄の投げた手裏剣が化け物の影に突き刺さり、己の影と、影から伸びた手とで二重に拘束された化け物は堪らず、身動きが取れなくなり、言葉の意味も解っては居ないのだろう。
幾人もの子供特有の甲高い声で泣き叫び、悲鳴を、助けを、許しを、出来る限りの大声で叫ぶ。
しかし、思っている以上にダメージを受けていたのだろう。
その声は最初の一鳴きよりも明らかに小さく、撃退士達の鼓膜を震わせるのが精一杯だった。
「止めだよ……切り刻め……!」
一言、命令を下す。その瞬間、來鬼の手から不可視の折鶴が飛び立ちそして、化け物の身体は、來鬼の言霊通りに、全身を、切り刻まれる。
喘ぐように口を開閉させる。人間の指に似た足が、痙攣する。そうして、何度か悲鳴にもならない命乞いを繰り返し、『死にたく、ない』男の声で最後にそう、残すと、化け物はそれきり、動かなくなった。
●疑問
「……本当に天魔だけだったのかなぁ……」
皆の手当をしながら、夏雄が思い出したようにぽつりと呟く。
結局。
化け物を倒した後、石原の消えた懐中電灯を探したり、噂の検証などもしてみたが、電灯はやはり見つからず、噂に関しては「これが噂の正体だ」というものも見つからなかった。
夏雄の言葉に、來鬼は顔を顰め「や、止めてよ」と声を震わせた。
「うち、そう言うの嫌なんだよぉ……折角忘れてたのに……」
「とはいっても、怪談話は兎も角、実際に犠牲者を出すのは天魔ですよ。現に今回だってマモル君の正体は天魔でしたし」
「噂が先か、天魔が先か……ですね。でも噂があると言う事は、噂の元になる事があったって事ですよね?多分ですが」
雫の言葉に、一瞬、沈黙が漂う。
が、直ぐに「ま、まぁこの村の人なら自分で怪談位作りそうよね」と、顔を青くする來鬼を気遣ってか満月が口にし、確認するように自然と、誰が言うでもなく、一斉に池に目を向け、同時に「え」と声が漏れる。
水面に、蒼白い人影が二つ、大きい影と小さい影――丁度子供と大人程の――が、手を繋いでいるかのように寄り添い、こちらを見ている。
顔は……見えない。だがしかし直感的に、笑っていると、感じる。
「ま、満月……あれ」
言いかけた次の瞬間、突風が吹いてまた皆一斉に目を閉じ、視界が遮られる。
風に乗って、一瞬、煙草の臭いが鼻を掠めるが、直ぐにその臭いは消え、変わりに先ほどまで嗅いでいたカルキ臭にとって変られる。
「……今、何か居たかい……?」
「少なくとも、河童じゃあなかったね」
「浮いて……ましたよね……」
「腐っても心霊スポット、と言うわけですかねぇ……」
「か、帰ろう!ほら、直ぐに!治療も依頼も終わったでしょ?うちは帰るから!うん!」
「ま、待って來鬼、落ち着いて!?」
そう言って慌ただしく、帰り支度を済ませて来た道を戻る中、夏雄は最後にもう一度だけ、貯水池をみる。
池は先程までと変わらず、星の煌めきを受けてただ、静かに波打っている。
●後日談
数日後、村ではこんな噂が流れ始めた。
『真夜中、池に近付くと、子供が池で遊んでいる。不思議に思って見ていると、ずぶ濡れの制服を着た警察官が背後に立ち「危ないから帰りなさい」と、煙草の臭いを残して子供と共に煙の様に立ち消える』
特に何かをするわけでも、されるわけでもない、ただそれだけの噂。
しかしその真偽は、誰にも分からない。