●ケース1
芸術など、自分に酔っていなければ作れない。
そんな自論に基づき、鷺谷 明(
ja0776)はパレットに手あたり次第に水彩絵具を乗せ、カンバスを眺める。
そも、『美』とは何か?客観的にみれば、それは芸術であり、無条件に崇める存在なのだろうが、それはあくまでも客観的にみた結果であって、鷺谷自身としては舞台芸術を除いてはどれも等しく、どうでもいい。
そんな事を考えていると、ふと、林檎が目に入った。
誰かが持ち込んだ本物だろう、通常のデッサンに使うような偽物らしさは無く、艶やかで、赤々とした『生きた』林檎が、青い布を敷いた机の上にぽつん、と置かれているのが見えた。
しかし、良く見れば皮は所々傷み変色していて、このままでは近い内に傷み切ってしまうだろう事は想像に難くなく、そう考えると無性にその林檎が愛しく思え、果汁をこぼしながら実を砕き、咀嚼音に合わせて甘酸っぱさを味わいたい欲求に駆られ、絵筆にこれでもかと赤い絵の具を乗せてカンバスに塗りたくる。
次に風鈴の音が聞こえ、かき氷と、氷を掻き込んだ時に訪れる頭痛が恋しくなり、涼やかな青を塗る。
そうやって欲望のまま、感性の赴くままに色を乗せ、カンバスを汚してゆく。
と、背後から「そ、そのままでは水彩の良さが死んでしまうぞ……?」という恐る恐るといった声が聞こえ、振り向くことなく「三好君か」と答える。
「構わん。何せ私は、書きたい物を書いているのだからな――おっと、この場合は『描きたい』物を、か」
「か、描きたい物……?」
「美など、私には分からん。だが文筆家の端くれとしてどうするべきかは知っている。だから私は、私の思うまま、気の向くままに筆を走らせる。そも、己の思うままに描かずして、一体誰が『魅る』というのだ?」
背中越しからでもマミの動揺が伝わる。
それが愉快に思え、鷺谷は笑みを崩さぬまま小さく目を細めると、特に意味も無く、紫を塗りたくった。
「色は、感情を表すとも言う。これは赤も、青も黄色も、ありとあらゆる色を、感情を、加えられて『こう』なった。ならばこの色は『歓喜』そのものだ。ありとあらゆる感情を混ぜた結果がそうでなければ、不憫であろう?故に、この絵の題も『歓喜』である」
「ひぅ……」
「なんだか凄いわね……」
消える事のない笑みを浮かべ、朗々と語りながら鷺谷は、自身の描いたカンバスを掴んで皆に向け、湧き上がる疑惑と疑問の声に更に笑みを濃くした。
縦に使われたカンバスに、歪な形をした楕円が三つ、並んでいる。
円は、どこまでも暗く、黒く、夜をそのまま塗り込めた様にも見えるが、円の端にうっすらと残る赤や黄色という色が見え、辛うじて様々な色を塗り重ねて作られるものだというのが分かる。
だがそれ以外に何かが描かれている訳ではなく、しかしそれ故に、どうしようもない恐怖を覚えた。
人が、叫んでいる。嘆いている。呻き、慄いている。
気のせいだとしても、一度それと認識してしまえば顔としか思えず、見た物が恐怖を覚えるには十分だった。
「所で」
騒めきを介さず、徐に鷺谷はある物を指さし、マミと渚に向かって「あの林檎、食べてもいいだろ?」と口角を吊り上げた。
●ケース2
「この彫像の何処の部分が全体的なイメージを狂わしているか判りますか?渚さん」
小さく首を傾げながら雫(
ja1894)は、手のひらサイズのケセランの像を渚に手渡した。
何かが違う。
そう感じたのは、一気に彫りあげて一息ついた時の事だ。
既に数体分の召喚獣を作り上げていた中ふと、横に置いていたケセランの像に違和感を覚えた。
最初はどこかのパーツが壊れたり、彫り忘れたのかとも思ったが、いくら探しても粗は見つからず、途中、自分の画力を知っているが故に、自身の冒涜的な絵心がありもしない違和感を生み出しているのではとすら不安になったが、渚に尋ねると至極あっさりと「あぁ、多分目じゃないかしら」という答えが返ってきて、気のせいではなかったと安堵する。
「ほんの少し……そうね、一ミリ程度さげたら丁度良いと思うわ。見てて?」
言って渚は、ポケットから鉛筆を取り出すと、目の下部に薄く丸い円を描き足し、その瞬間自分のイメージと像がはまるのを感じて「あ」と声が漏れる。
「本当ですね。随分印象が変わりました」
「造形が単純な分、少し位置が変わると変に見えるのよね。特に顔は、皆見る場所だから尚更。だから本当は、パーツを彫る前に一度鉛筆で描いて、位置を確認すると良いと思うわ」
描く。その言葉に一瞬、視線が泳ぐ。それを察知したのか、渚が再び「どうかした?」
と、今度は不思議そうに尋ねて来るので「いや」と言葉を詰まらせてから「実は私、絵心が皆無でして」と白状する。
「私が作ったのは召喚獣達の彫像です」
出来上がった、掌程の大きさをした八つの像を並べ雫は、「時間があれば1/1サイズのティアマット像を作りたかったのですが」と残念そうに続ける。
「どんな相手でも共に戦ってくれる彼らは姿形に限らずカッコいい、と思ったので彼らをモデルに選びました。如何でしょう」
短時間で作られたとは思えない出来だった。ケセランやヒリュウ等の可愛らしい者はより可愛く、ごちゃごちゃとしてしまいそうな、ストレイシオンの鱗等はデフォルメされているものの凛々しさはそのままで圧倒的な存在感を放ち、それが雫の言葉が本心である事の証明とも思えた。
「確かに彼らは、信頼できますからね」
「……か、かわいい……」
「テーマはカッコいいですけれどね。……あの、お願いがあるのですが、もし終わった後時間があれば、私の画力が上がる様に教えて貰えませんか?」
●ケース3
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は、ただ黙々と、紙粘土で出来た頭蓋骨に、表情筋に見立てた紙粘土を丁寧に貼り付けて馴染ませて行く。
復顔技術。
頭骨に見られる特徴や埋葬状況、地域等から生前の顔を推測し、復元する技術だと言う事は知識として、知っている。
だがしかし、知識として知っているだけであって実際に復元するとどうなるか、と言う事については殆ど知らず、何を作ろうと考えた時にふと、実際に作ったらどうなるのか、と疑問に思ったのだ。
粘土を筋肉の形に整形しながら骨の片側だけに貼り付け、徐々に人間の顔に近づけて行く。
そうして顎を動かす為の筋肉を貼り付けようとした時だ。不意に後ろから「骨が」と悲痛な声が聞こえ、反射的に振り向くと、マミが「あ、いやその」とバツの悪そうに鼻を掻いていた。
「好き、なんですか?骨」
「や、その、君の作った男性の頭骨が素晴らしくてな、筋肉等無くても良いのに、と」
「まぁ、これはそういうものですから……でも、骨から顔を想像するのも中々楽しいですよ?あなたもどうです?」
「いや、私は……人を見ても骨しか描けなくってな。だから、無理じゃないかと――」
「でも、骨は抜き出せるんですよね?なら、逆に肉を上乗せするのはどうでしょう?この復顔と同じ要領で……それなら幾分やりやすいのでは?」
「上乗せ……?」
マステリオの言葉にマミは一瞬何かを考え込み、何が琴線に触れたのか、直ぐに粘土で汚れたマステリオの手を取り、「それだ!助かった、実に!有難う」と繰り返しながら腕を上下に振る。
何故、自分は感謝されているのだろう。理由が全く分からなかったが、マステリオはとりあえず「どういたしまして」と柔らかに微笑みを返してみた。
「じゃあ次は僕が。……とは言っても、皆さんの様に明確な理由があるわけではないのですが」
「あら、そうなの?」
「えぇ、頭蓋骨に肉付けしたら生前の顔が分かるという話を聞いたので、本当かどうかちょっと試してみようと思っただけなので」
言って、乾ききっていないのか頭蓋骨の周りに付けられた紙粘土が崩れないようゆっくりと土台を回転させ、顔の正面を「観客」に向ける。
若い男の顔だ。鼻が高く鷲鼻で、ほりは深く、粘土ベラで作ったのか、鼻の下には髭が波打ち、下唇は分厚く野暮ったい。
しかし顔があるのは右半分のみで、もう半分には皮膚も、筋肉も、目玉さえも無く、紙粘土で作られた剥き出しの頭蓋骨がぽっかりと開いた眼窩を向けていた。
「イギリスで発見されたという頭蓋骨をモデルにしました。残念ながら色は塗れませんでしたが……片側だけに顔を付けたのは、時間の関係と、骨から形作ったと言う事を観た人に分かりやすくする為です。尤も、実際こんな顔だったかは分かりませんが……まぁいいかな、と。試みとしては成功しましたので」
●ケース4
「……これで良い筈、なんですけれど……」
殆ど描きあがったデッサンを不安そうに眺めながら月乃宮 恋音(
jb1221)は、くず鉄で作ったオブジェとケント紙を交互に見比べ、首を捻った。
デッサンが、どうにも上手く行かない。
やり方については、以前恋人に教えて貰った基礎を忠実に実行した為、間違っていると言う事は無いだろう。だと言うのに何故だか絵全体がのっぺりとして見え、且つ作り上げたオブジェの持つ雰囲気が表現しきれておらず、物足りなさを覚えたがどこに手を付けていいのか分からず「……あの、すみません……」と、か細い声を出すと、近場に居たマミが「なんだろうか?」と、恋音に合わせた声の大きさで応じ、そっと近寄る。
「……その、コントラストはつけている筈なんですけれど、平坦な印象が拭えなくって……どうしたら良いでしょうか……?」
「うん?そうだな……全体的にザクザクしてるから、オブジェの部分はもっとヌルぐりして良いと思うぞ?」
「……ぬ、ぬるぐり……?」
抽象的過ぎて、理解出来ない。
しかし折角教えて貰ったのに「分かりません」というのは相手に失礼な気がして、何とか言葉の真意を感じ取ろうとするが、余計に混乱を招き、思わず「……う、うぅ……?」と呻く。
遅れて、そんな恋音の様子に気が付いたのだろう。
マミは慌てて「す、すまん、渚の方が良いか」と言って渚に声を掛けようとするが、丁度、渚は別の参加者と会話をしているらしく、声をかけるのは憚られたのか、困った様に頭を掻いてから「えぇっと」と眉を下げた。
「質感、とでもいうのだろうか。基本通りではあるんだが、同じ材質の物同士が皆どれも似た描き方になっているから、こう、あー、暗い部分やなんかは固い鉛筆で紙が照りを帯びるまで強く塗ってしまっても良い、と、思うぞ?その方が同じ金属でも差が出る……筈なんだが……」
「……え、えぇっと……同じ材質でも描き分ける、と言う事ですか……?」
「あ、あぁ、その通りだ。その、すまんな」
「……い、いえ……有難う御座います、やってみますね……」
そう言うと、恋音はシュンとするマミを気にしながらも7Bの鉛筆を手に取り、再び絵に向き直った。
「……えと、私はくず鉄でオブジェ制作と、デッサンを描いてみました……」
言って、恋音は恥ずかしいのか顔を赤らめながら机にあるオブジェとケント紙を指さし、自信なさげに俯く。
くず鉄を積み上げられて出来たオブジェは、上腕程の大きさでありながら捻じれ、不安定に、うねり、螺旋を描くように絡み合っていて、お互いを支え合うようにも、押し出そうとしているようにも見える。
そうして、科学室で付いたものだろう。所々油が滲み、光に当たるたびに暗く冷たい、虹色をした怪しい輝きを帯び、今にも崩れそうな見た目と相まって倒壊寸前の廃墟のようにもみえ、言い知れぬ不気味さを漂わせていた。
またデッサンも、奇をてらわず、基本通りのやり方であると言うのに、モチーフのせいか、壁として塗られた黒鉛がオブジェの不穏さをそのまま描き写したもののように思えた。
「……私がこのオブジェを選んだのは、未知への好奇心と、未知を受け入れる寛容さの象徴だと思ったので……この学園のくず鉄はある種、撃退士と科学室の努力の結晶で、何かしら『怨念』や『意思』を感じ、不気味に思えるのです。
……それに、原理も分からない変化をする事も多いので、本当は鉄とは違う何か……未知の金属である気もするんです。……それなのに身近で、この未知の金属を受け入れる事は、天魔と関係してゆく上での『未知』を受け入れる事にもなるかな、と……」
言い終え、今度は耳まで赤くしながら「……以上、です……」とお辞儀した。
●延長
部室の中には集中後故の疲労感と、充足感が漂っていた。
普段ならば終わった後、誰が言わずとも皆すぐに片付けて撤収するのが常であったが、その場に居る部員が二人と言う事もあり、「片付け前の休憩」という、良く分からない時間が二十分程あてられた。
そうして各々、時間があるならと彩色したり、普段よりもきつく巻いたさらしの暑さに当てられ渚の介抱を受けたり、そんな光景を眺めながら生暖かくなった林檎を齧っていたりと、好き好きに過ごしていた。
そんな中、技量を知りたいからと雫の描いた冒涜的な林檎を前に、顔を真っ青にしたマミが声を震わせ「ぐ、グリッド線なら何とか」と、林檎を視界に入れないよう、代わりに着々と齧られる林檎を見る。
「グリッド?」
「こう……紙と資料の両方に、格子がたくさんできるよう同じ本数の線で正方形を引くだろう?そうしたら、比率の違う正方形が同じ数だけ出来る筈だ。
そうしたら資料にあるマス目に囲われた内容を、もう一枚の紙にある同じ位置の四角に写していく方法だ。始めは面倒かも知れないが、この方法ならその、林檎?みたいになる事は殆ど無いし、慣れると同じ線が頭の中でも引けるらしいからな、一々引かないでも描けるようになるらしいぞ」
「小さな絵を集めて一枚の絵を作るようなイメージですか?」
「あぁ、そんな感じだな。尤も、私も殆ど受け売りだからな……やはり私は、頭の中をそのままズビャーっとしてシャシャシャッとするのが性に合っている」
「どういう事ですか……」
そうして延長された時間も終わり、簡単に片付けを終わらせるとそれぞれの作品を残し、参加者は皆、部室を後に帰路に着く。
●展覧会
部員達の作り上げた様々な作品の並ぶ中、「特別賞」というプレートの付けられた一枚の鉛筆画が注目を集めていた。
タイトルは「喜びの母」
骨で出来た鳳凰が宙を旋回し、その下には鉄の翼を持った一対の天使と悪魔が、胎児のように自らの身体を抱き、蹲っている。その間には、所々骨と肉が剥き出しになった腹の破れた妊婦が、微笑みを浮かべて両手を前に伸ばし、影に体を沈めているというどうにも不気味な絵だ。
しかしそんな印象とは裏腹に、線の一本一本は踊り、観る者を絵の世界へと無条件に引きずり込む。
作者の名前は、三好マミ。
骨しか描けないと悩んでいた彼女の新しい絵の先には、美術部員以外の誰かが作った作品達がひっそりと、大切に飾られている。