●雨降る広場
最初は、止まっているのだと思った。
広場の中央に陣取り、何かを待っている――もしくは、住宅の物陰で様子を伺う自分達の存在を知っていて、素知らぬふりをして出方を見ているのではないか。
てるてる坊主のあまりの不自然さに、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は一瞬、警戒心を強くする。
だがしかし、耳を澄ますと、コンクリートと屋根を叩きつける雨音に混じり、ロープの軋む音と、かさついた紙にも、葉擦れとも取れる音がかすかに聞こえ、実際は、止まっているように見える程の低速でゆっくりと時間をかけて広場を横断しようとしているのだ、と思い至る。
「随分とゆっくりしてるじゃないかい。これじゃまるで、『見せしめ』や『晒し者』さね」
アサニエル(
jb5431)が声を押し殺し、唇を動かす。
が、その言葉は雨音に紛れず、全員に聞こえたらしい。
「それは……そんな物は……っ」
見せしめも、晒し者も、どちらも人に、遺族に、死者に対する、最大の辱めだ。魂を、穢す行為。
今、吊られている遺体の中に、それほどの罪を犯した者がいるだろうか。
黒井 明斗(
jb0525)は自身の頭の奥がカッと熱くなるのを感じる。目の前が赤くなる。久方振りの感覚に身を任せてしまいたくなるが、何とか抑え込む。
「……お母さんは、見えましたか?」
「いや、遺体同士が重なっているからか、若しくは正面にあるのだろう。少なくとも現段階では確認できていない」
「そう……ですか……」
淡々と、エカテリーナが敵から目を離さないまま答える。
その返答に思わず、深森 木葉(
jb1711)は小さな両の手で扇子を握りしめて目を伏せる。
この依頼を受けた時から頭をちらつく、深森自身の、家族の姿。
今度こそ、救えるだろうか。助けられるだろうか。
写真で見ただけの女性に家族を重ねて、小さく唇を噛む。
「結局は、ロープを切っていって丸裸にしてやるしかなさそうさね?」
「……そろそろ始めるぞ」
言うや否や、フローライト・アルハザード(
jc1519)がぬかるんだ土を蹴り上げ、水たまりを選んで駆け出す。
その音に気付きてるてる坊主が、ゆっくりと、死体を揺らしながら、振り返る。
●てる坊主
「まずは……地面に降りてきて貰いましょうか……!」
怒気を孕ませ、黒井が吠える。
同時に半透明のアウルで紡がれた鎖が、フローライトを追っていたてるてる坊主の身体にまとわりつこうと伸びあがり、遺体ごと絡めとろうとする。
しかし、突然の攻撃に驚いたのだろう。てるてる坊主は慌てたように木の葉を揺らすと、フローライトに向けて伸ばしていたロープと死体をでたらめに振り回し、地面に叩き付け、死体の手足を撒き散らしながら、自身に向かってきた鎖を弾く。
そして今度は鎖の上にロープを滑らせ、追撃を試み、駆け出していた黒井に向かって殴りつける。
「ぐ……っ!?」
咄嗟の出来事に、反応が遅れる。
思わず顔を、両の腕でガードし、衝撃に備えた時だ。
ちりん。
腰に付けられた鈴が小さく震え、てるてる坊主の伸ばしたロープの先が一瞬、固まり、次の瞬間には――爆ぜた。
「被害者には申し訳ないが、死体を盾代わりにするとは子供騙しな真似をしてくれる。今度は生きた人間を盾にするんだな……!」
エカテリーナの凛とした声が複数の銃声と共に響き、遅れて、てるてる坊主を囲う死体が音と同じ数だけ地に落ち、泥飛沫を上げる。
続けて、アサニエルの持つ符から光球が生み出され、次々と枝葉――正確にはロープの根本――に向かって飛んでゆく。
だが、てるてる坊主は、自身が背後から攻撃されるとでも思ったのだろう。
傍に吊られていた老婆の遺体を素早くもたげると、自身と光球の間に差し挟みそして、球が、めり込んだ。
骨と皮ばかりの死体が、弾け、骨が砕け、臓物が零れ、血肉が、飛ぶ。
しかし、全てを防ぎきる程は耐えられなかったようで、最後の三発は老婆をすり抜け直接、てるてる坊主にぶち当たる。
「くそ、あいつ……!」
「……っ!もう、させないのです……っ」
今度は、深森がてるてる坊主の死角から扇子を投げる。
その動きに合わせ、金の鈴がちりちりと歌う。
同時に、てるてる坊主を吊り下げる木が小さく震え、固まる。
それは自らに迫る風切り音が死体を切り取っても変わらず、反撃してこない所か、むしろ怯える様に速度を上げ、あからさまに深森から遠ざかろうとしていた。
「!やはり、さっきのは鈴の……!」
「成る程な……それで、あの人間の娘は助かったのか」
もう一度注目を自分に浴びさせる為、フローライトはてるてる坊主から垂れるロープを切りとる。
――が、そこではたと気が付く。
幾らか解放した筈だというのに、吊られている死体が、最初から殆ど減っていないのだ。
周囲を見渡すと、落ちた死体の首に静かにロープを巻き付け、引き上げているのが、見えた。
そして地面に残されたのは、盾にされて砕けた、あの老婆の粉々になった肉片だけだった。
「いつの間に……っ」
戦いの目を盗んで、無数にあるロープの一部で『使える』死体を回収しつつ、攻撃を繰り返し、何度も盾にする。
捨てるのは、跡形もなくなった、残骸、のみ。
他の仲間も異変に気が付いたのか、みな大小あれど顔をいがめているのが、見えた。
てるてる坊主はそんな撃退士達を嘲笑うかのように、つい今しがた回収したばかりの、泥にまみれた死体を四体、振り回し、邪魔をさせない為か、近くに居る者をロープで牽制しながら、居場所の掴めない敵――エカテリーナに向かって、勢いよく、投げつける。
「小賢しい真似を……!」
遠心力に負けて、死体は手足を広げて回転し、風を裂いて速度をあげ、迫る。
獲物を持ち変える時間は、ない。
即座に判断したエカテリーナはライフルを構え、出来るだけ損傷の少ない場所を狙い、狙撃し、撃ち落とす。
だが、最後の一体を撃ち落とそうと引き金を引いた時だ。
雨風を巻き込んだ強風が、一陣、なだれ込む。そのせいで僅かに弾道が逸れ、死体の勢いを殺しきれずにエカテリーナの眼前に、死体が、飛び込む。
後ろに跳ぼうとするが、ぬかるみに足を取られ、バランスを崩す。
直撃する。
そう覚悟したところで、死体が――止まった。
夜の色をした布が、死体に巻き付いている。
認識した瞬間、死体は再び空高く舞い上がると、弧を描いて布の主、フローライトの元に、帰る。
「憐れな」
死体を眺め、誰に言うでもなくそう言葉を漏らすと、再び回収されない様にてるてる坊主から離れた場所に、死体を乱雑に放る。
しかし、その一瞬。
ほんの一瞬、てるてる坊主から目を離した瞬間を狙い、フローライトを殴りつけようと束になったロープが、うねり、波打ち、地面をえぐりながら襲い掛かる。
それに気が付いたフローライトはすぐさま布を振り、回避に移る。が。
「つっ……!」
捌き切れなかった数本が、腕を、足を、脇腹をえぐり、掠める。
「こ、の……!大人しく――」
仲間を傷つけられ、黒井が、手に稲妻を走らせながらてるてる坊主に駆け寄る。
その度に鈴がけたたましく鳴り響き、フローライトに対する攻撃が止まる。
「――しなさい……っ!」
その、刹那の隙を突き、黒井は浮遊する『木』の下に潜り込んで雷で作り上げた剣で、一息に切り上げ、退避する。
死体で防御する事も忘れたてるてる坊主は、渇いた葉をガサガサと音をさせて顫動すると、黒井を払おうとロープを動かすが、その動きは明らかに鈍くなっているのが解る。
「ならば今の内に……!」
エカテリーナは短く吠えると、再び高速で銃弾と放ち、てるてる坊主を覆う死体を落下させてゆく。
反射的に、てるてる坊主はまたも死体をぶつけようと死体を振り回すが、途中でロープをフローライトに断ち切られ、数メートルの所で死体は力なく、落ちた。
途端、下手に動くと自分が不利になるとでも判断したのか、てるてる坊主は自ら高度を落とすと、自分とロープを守る様にして死体を掲げ、その死体を小さく揺らして自らの身体を覆い隠す。
それは、このてるてる坊主にしてみればある種、最大の防御の形なのだろう。
だがしかし、死体を前に突き出しているということは――それぞれの顔が見やすくなった、という事。
「……!見つけたぞ……!」
フローライトの声が静かに響く。
てるてる坊主の、真正面。充血した目玉を飛び出させ、舌を突き出した死体の中に、写真で見たよりも苦悶に歪んだ顔をした母親が吊るされている。
が、正面と言う事はそれだけ敵に対処されやすく、また敵は麻痺しているとはいえ、正直に前から攻めたのでは盾にされてしまう可能性が非常に高い。
「まいったね……近付けやしないじゃないか」
アサニエルの視界に、砕け散った老婆の肉片が入る。
できれば、これ以上『原型』がなくなってしまうのは、避けたい。
「……み、なさん。あたしが、何とかするのです……っ」
考えあぐねていると、深森の震えた、か細い声が聞こえる。
「何とか、ですか……?」
出来れば、この方法は取りたくなかった。
出来れば、無傷で帰してあげたかった。
しかしもう、これしか方法が、思い浮かばない。
口の中に鉄臭さが広がる。口惜しさから視界が滲む。
唇を噛み切っていた事に気が付くが、それでも、唇を噛む事は、止めない。
「――ごめんなさい」
扇子を仕舞い、代わりに薙刀を取り出し、構える。
てるてる坊主が、異変を察知して死体を動かそうとするが、ちりん、と金の鈴を鳴らしてやると、固まる。
零れそうになる涙を必死に堪え、ぬかるむ地面を蹴り上げ、刃を、ふるう。
柄を通して、肉の触れる感触が伝わる。返しの刃が、柔らかな首に、沈み込む。張りのある血管が、千切れる。骨の離れる音が、する。
そして首を切り落とすと同時に、薙刀が軽くなり、母親の首が、回転しながら落ちて行く。
一瞬、母親と目が合う。その表情は何故だか微笑んで見え、記憶の中に居る家族の笑顔と重なり、飛沫を上げて――消えた。
支えを失った母親の遺体は、首と共に膝から崩れ落ち、派手な音を立てて首を下敷きにし、倒れ込む。
てるてる坊主は、『盾』の無くなったロープの先端と、母親の倒れた場所を交互に見比べて首を傾げると、『まるで見えていない』かの様に、まだ使えるであろう死体には見向きもせずに、盾に別の死体を割り当てた。
「首、か……成る程な」
呟くと、フローライトは一瞬にしててるてる坊主の前に駆け寄り、本体を守る『盾』の首を一直線に薙ぎ払い、無防備な本体を、曝す。
しかし、麻痺が切れかかっているのか、てるてる坊主は残った死体で、フローライトを横殴りにしようとロープを動かす。が。
「させません!」
すかさず黒井が、激しく鈴を鳴らしながら懐に飛び込み、再び雷の剣を突き立てる。
しかし、このままでは自らが終わると悟ったのだろう。最後の悪あがきと言わんばかりに、ただがむしゃらに、無計画に、死体を、ロープを、身体を、振り回し、地面に叩き付け、肉片を、骨を、血液を飛び散らせて、てるてる坊主は暴れ、悶え、逃走を図る。
だが、それで逃がすわけには、行かない。
「まだ終わらせないよ!」
「懺悔の時間だ……大人しく的になれ!」
アサニエルのアウルで作られた槍が投げられ、てるてる坊主の胴体を、目玉を、冗談のような木を穿ち、遅れて、エカテリーナのアサルトライフルから放たれた蒼白い閃光が、暢気な笑顔を浮かべたままの頭部に触れると同時に、断末魔も残す事なく、爆ぜる。
僅かばかりの間が生まれる。
辺りが、雨音を残して、静まり返る。
光に眩んだ目を擦り、敵の、てるてる坊主の最期を確認しようと、無理矢理開き、辺りを見回す。
赤い水溜りが、雨に打たれて波紋を広げている。
続けて、泥を吸った白い布が、上部の吹き飛んだ折り紙で出来た木が、見えた。
「……これで、雨もやんでくれるといいんだけれどね」
雨が、降り続ける。
そうして後には、首の無くなったてるてる坊主と、知らない人間の肉片が、残された。
●エピローグ
「……ほら、由里。おいで」
部屋の隅で首を狩り続けていた少女――由里の手を取り、堀川努は、握られた鋏に注意してゆっくりと立ち上がらせる。
父の声には従うもののその眼は虚ろで、娘はふらふらと歩きながらも、ティッシュで作られたてるてる坊主の頭部を、手にした鋏で切り刻み続けている。
そうしながら、努は娘をベットの前にまで歩かせると、その上にかけられた白い布を捲りあげた。
真由美の――由里の母親の遺体が、冷たく横たわっていた。
泥まみれだった筈の遺体は全身を清められ、切り取られた首も縫い合わされている。
首元には、傷が見えない様にかスカーフが巻かれ、頬にはうっすらとチークが、僅かに微笑んで見える唇には、艶やかな赤い紅が差してあり、首を吊られて殺されたとは思えない程に、美しかった。
親子が来る前に黒井が身なりを整えたのだ。
「……お、かあ、さん……?」
初めて、由里が明確な言葉を発する。
一瞬、黒井の背に半透明の羽が現れるが、直ぐに消える。
「おかあさん……おかあさん……おかあ、さん……っ」
途端に、由里の声に、生気が籠る。見開かれた目から涙が零れる。嗚咽が混じる。
手にした鋏とてるてる坊主が、由里の手から滑り、リノリウムの床に落ちた。
膝から崩れ、冷たくなった母親に縋りつき「お母さん」と、何度も、何度も何度も何度も、繰り返す。
そんな娘の肩を、努は、父親は強く握りしめ、唇を噛んでいるのが、見えた。
きっと、この二人は。
これからは母の、妻の思いを胸に、生きてゆくのだろう。
だから、分かる。
この時間は――家族『三人』で過ごす最後の、別れ。
撃退士達は、誰が言うでもなく、霊安室を後にする。
「……他の人間の遺体も、遺族の元に帰っただろうか」
外に出た頃、ぽつり、と、フローライトが無感情な声で、誰かに問う。
結局、二十三あった死体の内、『原型』のあるままに回収できたのは、母親を含めてたったの七体だった。
それ以外は、あの最後の悪あがきで、どれが何だったのかも分からない程に潰れ、混ざり合ってしまっていたらしい。
勿論、警察は全ての被害者の身元を探るとは言っていたが、その後、どうなったのかは、知らない。
「さあ、な。せめて、骨の一片だけでも還ればいいのだがな」
その言葉に、皆が俯くが、一人、口元に笑みを浮かべたままのアサニエルが、目を細めて空を仰ぎ「きっともう、大丈夫さね」と呟く。
「だって、見てごらんよ。雨は、あがったじゃないか」
どんよりと淀む、分厚い雲の隙間から、暖かな日の光が、僅かに漏れているのが見え、根拠はないものの、小さく確信する。
きっと明日は、晴れになる、と。