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雲一つない快晴の朝。
早起きした撃退士達は、問題の寮を訪れていた。
「ははっ。今回、雫が二人いるねっ。呼ぶときにはどうしようか……うーん、しずーとしーちゃんとかー?」
フェイン・ティアラ(
jb3994)が快活に笑う。そうなのだ。奇しくも今回の依頼には、同じ名前を持つ者が参加している。雫(
ja1894)と水無瀬 雫(
jb9544)の二人は顔を見合わせて、どちらともなく口元を綻ばせる。
「奇妙な縁ですね。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。水無瀬……雫さん」
何となく、妙な気分になって雫は銀がかった白色の髪を揺らす。
「やっぱり、少しくすぐったいですね。自分の名前を呼ぶというのは……私は水無瀬さんと呼んで良いですか?」
「ええ。それでは、私は雫さんって呼びますね」
年長者として、ここは水無瀬が譲る。
「それでは、俺は雫のことをお嬢様とでも呼ぶか」
執事服で正装してきたZenobia Ackerson(
jb6752)も、この偶然の一致を楽しそうにみやっていた。
Zenobiaは水無瀬 雫とは旧知の仲だ。今回の依頼には、水無瀬の手伝いで参加している。
「ゼノヴィアさん、今日はありがとうございます」
「いえいえ。お嬢様の頼みとあらば、どこへでも馳せ参じますとも」
Zenobiaはかしこまって恭しく礼をしてみせる。
「そういえば雫と一緒に普通の依頼に入るのはこれが初めてかな?」
「そういえば……そうかもしれませんね」
「雫がこっちに来て随分経つのにな。折角一緒の依頼に入れたことだし今日は楽しもうか、雫……いや、お嬢様」
「そうですね。楽しみつつ、頑張りましょう」
Zenobiaが水無瀬の手を取り、エスコートする仕草をみせる。その様は本当の令嬢と執事のようだ。
「絵になる光景ですね」
向井 呼子(
jb4773)の言葉に、雫とフェインも反論はない。
「しずーとZenobiaって仲が良いんだね」
「そうですね。そして、水無瀬さんがしずーということは……もしかして、私がしーちゃん、ですか?」
「うん。よろしくねー、しーちゃん! パーティー成功させるよー!」
「……しーちゃん」
これもまた何となくむず痒い。
「あ、名前と言えば……あれ、そういえばお祝いする後輩の人の名前はー?」
フェインの言葉に、皆が首を傾げた。
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依頼人である森野ネムリが案の条と言うべきか、自室のベッドで幸せそうに眠っている。後輩の子は、事前に話に聞いていた通り外出しているらしく、姿が見当たらない。
「うーん、むにゃむにゃ。ふふふ、今日はハッピーバースデーだよー……」
どうやら、夢の中でも後輩の誕生日を祝っているらしい。整った美人の顔が、幸せそうに目一杯緩みきっていた。
「森野さん。確かに悪い人では無いのですが……睡眠障害なのでしょうか?」
「目覚まし時計12個でも起きず、強引な手段に出ると通常の三倍の動きで反撃……でしたっけ。凄まじいですね」
白髪と黒髪の二人の雫が、まじまじと深い眠りについている依頼人の顔を覗き込む。見たところ能天気な夢を見ているだけで、危険など無さそうだが……そこに、ぶーんと羽音をたてて蠅がネムリへと近づいていき。
「ぐー!」
眼にも止まらぬネムリのジャブが、小さな虫を正確無比に撃ち落とす。
「……本当に眠っているんですよね?」
呼子は思わず後ずさった。ネムリは何事もなかったかのように、寝返りをうっている。
「これは、覚悟を決めていかなきゃいけないねっ」
フェインの地面につきそうなほど長いふわふわな白い尾が勢いよく揺れる。
「眠り姫を目覚めさせるにはやはりキスが必要かな?」
「もう。ゼノヴィアさんは、また。御伽噺じゃないんですから」
「まぁ、半分冗談だけどね」
「つまり、半分は本気なんですね」
「おっと。お嬢様は、なかなか鋭い」
水無瀬が突っ込みはするものの、男装の麗人はそれすらも楽しそうに微笑んで受け流す。
「まずは私が起こしてみます」
「ふふ。お嬢様のお手並みを拝見といこうか」
「水無瀬さん、どうか気をつけて」
「しずー、ファイトだよ!」
仲間の声援に頷いて、水無瀬は慎重に摺り足で対象に近付いていく。反撃に備えて、どのような局面でも対応できるように神経を尖らせる。
「森野さん、朝です。本日は依頼を受けて参りましたよ。早く起きて下さい」
「すー。すー」
名前を呼んでみるが、寝息で返されてしまう。
「それならば、これを顔に当ててみましょう」
水無瀬が手にしたのは良く冷えた布だ。細心の注意をもって事にあたる。その様は、まるで封印の札を怪物に貼らんとする勇者の所業だった。
「ごくり」
あまりの緊張感にギャラリーも固唾を呑んで見守る。そして、水無瀬がネムリの有効射程範囲に入った瞬間に火蓋は切られた。
「ぐー!」
ネムリのジャブが飛ぶ。着火しかねない高速の一撃を、先程の蠅の一件で間合いと速度を観察していた水無瀬はダッキングして躱す。そこに今度はベッドから出た長い脚が、マシンガンのように襲い掛かる。青蛇の刺繍が入った白いマフラーが持ち主同様に優雅に舞う。華麗な足運びで懐に入り込み、相手の顔にブツを置き、素早く距離を取る。一撃の被弾もなく、青い瞳の少女は安全域へと離脱した。
「おー! しずー、すごいっ!」
「水無瀬さん、お見事でした」
「いえ。来るとわかっていれば、何とかなるものです」
仲間達が無事の帰還を、拍手で出迎える。良く考えると、布を顔にかけてきただけなのだが。完全に英雄扱いである。
「でも、当の眠り姫には効果がないようだぞ」
「あ」
「すぴー」
そんな中、Zenobiaの冷静な指摘が飛ぶ。確かに、ネムリは一向に起きる気配がない。しかも、顔全体に布がかかった状態で横になっているため……何というか、大変縁起の悪い状態になってしまっていた。
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「次は、私がいきます。水無瀬さんの仇は私が取ります」
「ボクも行くよ! しずーの弔い合戦だね!」
「……いや。うちのお嬢様は、まだ死んでないぞ?」
雫とフェインは、一緒ににじり寄り。ネムリの攻撃射程ぎりぎりで、ぴたりと止まる。二人はお互いに頷き合い、深呼吸した。
「ちょっと、怖いけど。やるよー」
先に動いたのはフェインだ。自動的にカウンターを狙う部屋の主の拳が、少年に狙いを定めて飛ぶ。フェインはそれを避けようとはせず。むしろ、真正面から受けた。
「うー。大丈夫と分かっていても、怖いかも」
フェインは物質透過を使って、ネムリの拳を無効化したのだ。グーの雨嵐が空をきる。その隙に、今度は雫がベッドに回り込む。
「確か電車の運転手さん達が、確実に起きる方法で紹介されていました。これなら」
雫はネムリの背中に手を回して持ち上げて、体が弓なりの形になる様にして静かに降ろす。ネムリの身体が上がっては、下がり、下がっては、上がる。
「……ただ、自動なら兎も角手動でやるには過酷な運動になりますね」
一連の動作を約十秒間隔で繰り返す。やる側もきついのだから、やられる側も相当なはず。
「……うーん」
「あ、ネムリが起きそうかも。しーちゃん頑張ってっ」
「了解です」
雫が更に腕に力を込める。だが、それと同時にネムリの方からも雫の小さな身体に手が回された。
「え?」
「あー。なんか、抱き枕にちょうど良いかもー……すべすべだー」
「え、ちょっと、森野さん?」
「ぎゅー」
「な。う。こ、この感触は……」
ネムリが寝惚けながら恐ろしいほどの怪力で、雫を思い切り抱きしめてくる。雫は何とか脱出しようと試みるが、豊満な胸部装甲にしっかり捕まってしまって上手く身動きがとれない。
「別に胸や身長が大きい人が羨ましいことなんて……ありま、せんよ……本当ですよ」
どうやら色々な意味で、雫はダメージを受けているようだった。
「うわー! しーちゃんがナイスバディの海へ沈んでいくよ!」
フェインはネムリから雫を開放しようと、慌てて割って入ろうとする。
叩いて、引っ張って、声を上げて。
それでも、ネムリは夢の世界から戻って来ようとしない。フェインは破れかぶれに叫んだ。
「ネムリ起きてー! 起きないとお誕生日お祝いできないよー! 後輩ががっかりだよー! あと後輩の名前教えてよー!」
すると。誕生日、という単語に荒ぶる眠り姫の動きが急停止する。
「……誕生日ー?」
「そう、誕生日だよ!」
フェインの言葉に、ネムリの目がかっと見開く。
「はっ! 誕生日!! あの子が……がっかり、ですと!? そんなことは、天が許しても私が許しません!!! あの子は、私の大事な大事な王子様なんだから!!!!」
眠り姫は雫をお姫様抱っこしたまま、高らかにポーズを決めて覚醒する。格好だけみれば、完全にネムリの方が王子役である。
「なんだ、王子様もいたのか。やっぱり定番っていうのは大切だな」
「そういう問題でしょうか……」
呆然とする一同の中、Zenobiaは呟き。水無瀬は額を押さえた。
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「うふふー。さっきはごめんなさいねー。改めまして、森野ネムリですー。趣味はお料理ー。同室の子は、王子ちゃんて私は呼んでるんですよー」
森野ネムリはほわわんとした笑みを浮かべている。今はパジャマから着替えて、普段着に白のフリルのついたエプロン姿だ。一緒に食堂へと降りてきた撃退士達は、様々な落差に戸惑いつつも彼女の言葉に頷いた。
「では、私達はケーキを作りましょうか。後輩さんに苦手な物やアレルギーなどが無いのであれば、フルーツケーキとかはどうでしょうか?」
水無瀬の提案に、ネムリはきらきらと円らな瞳を輝かせた。
「あらあら、素敵ねー。きっと喜ぶわよー」
「はい。色々な果物があって楽しめると思います」
ケーキはネムリと水無瀬が中心となって作ることに決まる。
「それなら。私はサンドイッチ等、軽食を担当しますね」
先だっての騒動で、最も被害を受けた雫は心の内で「森野さんは、いつ眠るか判りませんから、料理は他の人がメインで頑張って貰いますか」と呟く。
「ボクは飾りつけを頑張るよー!」
「俺も料理は無理だし、買い出しや食堂の飾り付けを手伝うよ」
フェインと、Zenobia、それに呼子が飾り付け係となる。
「皆さん、今日は、よろしくお願いしますねー」
料理が趣味というだけあって、ネムリの腕前は相当なものだった。ほわわんとしつつ、その両手は高速回転で動いていく。卵を片手で次々に割って、機械を使わずに手作業でリズミカルにかきまぜていく。水無瀬も手際よく卵に、バニラエッセンスをふりかけ、ふるった薄力粉を加えて混ぜる。巨大な焼き型に混ぜた材料を流し入れ、オーブンにセット。熱せられた生地が、ふんわりと膨らんでいき――
「あー……あったかいわあー」
オーブンの傍で生地の様子を見ていたネムリが、こくりこくりと舟を漕ぎ始める。水無瀬は肩を揺すった。
「森野さん、寝ちゃだめですよ。今は作業中です」
「さ行中―……? さしすせそー、お砂糖、お塩、お酢、お醤油にお味噌―……むにゃむにゃ」
「仕方ありませんね。ちょっと失礼します」
水無瀬はネムリの頬を指で摘まむ。もちもちとしたほっぺが、びよーんとどこまでも伸びていく。
「……まるで、お餅ですね」
「ふわー……水無瀬さんのほっぺたもぷにぷにで可愛いわー」
「……どうも」
「うふふー」
寝惚けたネムリは、水無瀬の頬を無邪気につまみ返した。
「飾りいっぱいあった方が楽しいもんねー」
フェインは用意した折り紙で様々な飾りを量産する。呼子はフェインが作った紙の輪を繋げた飾りを壁へ貼り付けて行く。
「こんな感じですかね」
「うんっ! あとは高いところも、満遍なくやるよー」
更にカラフルな紙を使って作った多種多様な花々を手に、フェインは陰陽の翼で飛んで飾りつける。手数があった方がいいからという理由で、召喚したヒリュウの朱桜も活躍した。
「いいー? これをあそこにつけてー……うん、上手ー!」
褒められた朱桜が嬉しそうに鳴く。
「お、やっているな」
「私達も手伝いますね」
作業をしていると、寮生の面々も次々と手伝いに現れて食堂内は大所帯になっていった。フェインはそんな一人一人にも手作りの花輪をつけて回った。
「はい、どうぞっ。あっ、ネムリ、寝ちゃダメだよ」
「ふわーい……おっとと、Zenobiaさん、ごめんなさいー」
「大丈夫だよ。でも、気を付けなよ」
Zenobiaも綺麗な花を飾ったり、テーブルクロスや皿などをセッティングしていく。その無駄なく流れるような動きは、本物の執事のようだ。
パーティの準備は順調に進んでいく。
ただ、やはりネムリの居眠りは不安材料だ。隙あらば寝落ちする彼女に、雫はコーヒーをさっと差し出した。
「森野さん、これをどうぞ」
「ああー、どうもありがとうねー」
(本当だったら、軽い昼寝をして貰った方が良いのでしょうけどそのまま深い眠りに入りそうで怖いです)
ネムリが居眠りしそうになる度に、雫は外に出て日の光を浴びせたりと懸命に阻止するのだった。
「誕生日をお祝いしてあげるんでしょ? もう少し頑張って起きて準備をすれば後輩の子も大喜びしてくれますからね」
「王子ちゃんが……大喜び……」
この言葉は特に効いたらしく、ネムリは力強く拳を握った。
「うん! 眠いけど、頑張るわね! いざとなったら、前のめりに寝ながらでも準備するわ!!」
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「ハッピーバースデー!」
食堂のドアが開くと同時に、クラッカーが鳴る。戻ってきた後輩の女の子は、目を丸くした。
「先輩、これは……一体?」
「今日は、王子ちゃんの誕生日でしょー。だから、色々な人に手伝ってもらって誕生会を開くことにしたのー」
皆も次々に祝いの言葉を述べる。
「何とか間に合って、本当に良かったです。お誕生日おめでとうございます」
「君も大変だねー、ネムリがねちゃってー 。でも、楽しそうだねー、二人で仲良くねー」
「ケーキも自信作です。たくさん食べてくださいね」
「はい、これをどうぞ。後輩ちゃん」
Zenobiaがプレゼント用の花束を洗練された動作で渡す。パーティの主賓は、信じられないといった様子のまま……泣いているような笑っているような顔をしていた。
「う、うわーん。皆さん、ありがとうございますー!」
「あらあら、泣かないでー。王子ちゃん。今日はおめでたい日なんだからー」
珈琲や紅茶、ジュースを手にして皆で乾杯する。完成したフルーツケーキはウエディングケーキ並の大きさで、今日一日では食べきれそうにない。彩られた果物は宝石のように輝いている。ネムリに病院に行くように進言するつもりの雫も、今はパーティを楽しんだ。呼子も同様に楽しそうな笑顔だ。フェインはめいいっぱいお祝いしつつ、大食いを発揮していた。Zenobiaが手品やジャグリングを披露すると、場は更に盛り上がる。水無瀬がリズムに乗って手拍子した。
「良いパーティになりましたね」
「ええ。森野さんも、後輩さんも、皆さんも良い笑顔です」
この日。バースデーソングは、いつまでも続いていった。