●憂鬱な片思い
甘い香りが充満したヴァレンタインも終わり、学内は普段の様相を示していた。それもホワイトデーまでの猶予期間なのだが、天瀬千代子は憂鬱な気持ちを抑えきれずに居た。
それはチョコレートを渡せなかったからである。
天瀬はそのチョコレートを食べてしまえば気も楽になると思って、相談室の皆に差し入れたのだが、いざ食べられてしまうと心がもやもやとしてしまうのだ。これでは、未練がましいといわれても仕方ない。
「なんというか、実に乙女心だね!」
不知火あけび(
jc1857)は傷心の天瀬に笑いかけた。
そのチョコレートには乙女の一途さが詰まっていたのだろう。不知火は、それを真摯な味と評した。
それはともかく、「行事に乗っかってチョコは作ったけど結局渡す相手がいなかった私としては羨ましいなー」と言うのが不知火の本音だった。
そのお気楽な感じが天瀬にとっては皮肉とも取れてしまいそうで少し恨めしく不知火の方を見たのだが、とうの不知火は本気で誰かを好きになるって良いなと素直に思っていたのだから天瀬は怒るに怒れない。
「同じ学園に居て話もできるなんて幸せだよ。やっぱり帰って来たらチョコ渡しちゃいなよ」
不知火の言葉は、本当に真っ直ぐな気持ちだった。
「そうね。良い結果になるようにお手伝いしますよ♪」
木嶋香里(
jb7748)も不知火に賛成とばかりに手を挙げた。
天瀬がカミングアウトしたのを皮切りに、相談室にいた女子たちは彼女を囲むように椅子を移動してきたのだ。
上下はその輪から離れるようにして自分の席へと移る。
その途中で、同じように教室の片隅に移動した狩野 峰雪(
ja0345)にさりげなくチョコのおすそ分け。
「あら、狩野くん。コーヒーと甘いものはいかが?」
呼び止められた狩野は「僕も貰っていいんですか。ありがとう上下先生」と丁寧な口調で受け取った。
二人は天瀬を囲む女生徒たちを眺めるようにして座る。
「ん〜、甘い青春って感じだね」
チョコを一口食べて、狩野は目を細める。
「あら、奥様とそういう思い出だってあったりするのではないの?」
と、茶化すでもなくさらりと上下は言った。
「さぁ、どうだったかなぁ」
狩野ははぐらかしつつ、苦いコーヒーで口の中のチョコレートの甘さを流し込む。
そんな大人二人の会話など気にせず、少女たちは話に花をさかせるのだ。
「そんな簡単にいったら何もなやまないでしょう。人に想いを伝えるという覚悟と言うものは重いのですから……」
天瀬を庇うような言葉だったけれどマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は、そのあとに「だからこそ真に想うなら伝えるべきです」と続けた。
マキナにしてみれば友人に連れられてたまたま相談室に居ただけで、色恋に縁があるわけではないのだ。
その友人――大炊御門 菫(
ja0436)だってそうした縁もあまり無いでしょうに……と、小さなため息をつく。
ため息をつかれたとは知らず、大炊御門は天瀬のチョコレートを一つつまみ上げた。
「でも、こんなに美味しいのに渡さないのはもったいないぞ?」
天瀬のチョコを一口食べた時、大炊御門の脳内には数々の失敗作が思い起こされていた。勿論、そんなことは天瀬には預かり知らぬことだが、失敗だらけの手作り品に肩を落として今日に至っていた。
「私は、チョコを手作りしようとしてかなり失敗を重ねたからな。天瀬はすごいじゃないか!」
自分にはなかなかに難しいと思っていたところで、この美味しいチョコにめぐり合ったのだ。もったいないと思っても仕方が無いだろう。
「……菫。あなたチョコレートなんて作っていたの?」
自分と同じでマキナもそういう事に縁がないと思っていたので、友人の意外な行動に少し驚く。
「ただ、チョコは日頃の感謝を伝えるのに適していると思ったからな。いわゆる義理チョコだが、作ってみたんだ……あ、いや聞くな。ほとんど失敗して渡せてはいないんだ」
普段は豪快な大炊御門の少女らしい恥じらい?に、マキナは「そう、菫も天瀬さんと同じで渡せなかった組なのね」とため息をついた。
「いや、マキナ。渡せなかった組って一緒にされても天瀬が困るだろう」
すかさず、天瀬のフォローはしておくあたりは大炊御門らしい。
渡せなかった組かどうかは判らないけれどと前置きをして木嶋が天瀬の顔を覗き込む。
「ところでロイズさんとはどう知り合ったんですか?」
頑なになってしまった天瀬の心を説き解くため、どうやら二人の馴れ初めを聞く作戦に出たようだ。勿論、女子たちもそれには興味津々である。
「えっと……それは……」
皆の注目を浴びて天瀬は顔を赤らめながら語るしかないのだった。
●あの人を想って
ロイズと天瀬は学園の先輩後輩でしかなかった。ただ、とあるディアボロ騒ぎのときにロイズが身を挺して助けてくれたことがあったのだ。
「へぇ、そんな事が……天瀬さんは彼のどんな所に惹かれましたか? 私は彼が一緒に並んでくれるところが嬉しかったですよ♪」
木嶋は天瀬を落ち着かせるように自分のエピソードを交えながら、天瀬の気持ちを確認するつもりのようだ。
「えっと、撃退士は一般の人間を守るのがあたりまえだって、先輩は笑って言うんです。すごく自然で気負わない正義感っていうんでしょうか。まっすぐな所にたぶん、惹かれたんだと思います」
あっと言う間に天瀬は恋に落ちた。ありきたりだろうが、惚れっぽいと言われようが関係ない。それがきっかけなんだから仕方ない。
「やはり、天瀬さん。あなたはチョコレートを渡すべきでしょう。バレンタインなんて所詮は切っ掛け。想いを込めた品が、幾日か日を挟んだ程度で無価値になるなんて事はないのですから……」
話を聞けば聞くほどに、天瀬がロイズのことが好きだと分かってしまう。 マキナはだからこそ自分なりの真摯な考えで助言した。
「そうだよ! ロイズさんが帰ってきた時チョコを渡しながら告白して恋人に……え、難易度高い? 渡せれば十分かな? でもやっぱり伝えたほうがいいよね!」
つづいて不知火もグイグイと天瀬に迫る。
「で、でも……」
「でも、じゃないよ! 私は好きな人はいないんだけど、尊敬する人はいるんだ。その人とはもう会えないかもしれない。例え会えても……あ、こめん! 何でもないよ」
勢いあまって自分の悩みまでしゃべろうとしてしまった不知火は、とっさにごまかそうと言葉を止める。
「うん、おじさんもそう思うな。もったいない」
相談室の片隅でコーヒーを飲みつつ狩野がぼやいた。娘と変わらぬ年頃の女子ばかりなので温かく 見守っていたのか、ただ単に肩身が狭かったのか。少女たちの輪には入らずに、上下左右と他愛ない会話をしていた。
「僕もいただいたのだけれど、あなたの作ったチョコレートはとても美味しかったよ」
大人の貫禄を醸し出す狩野だが、上下がコーヒーのお供にと持ってきたチョコレートが、まさか恋心たっぷりの手作りだったとはなぁと気まずく思っていた。
相談室の教師という大人な立場の人物がそういうトラップじみたことをしてくるとはなかなかに油断なら無い。
狩野はそれはそれとして、思考を切り替えて天瀬に向き直った。
(おじさんの説教ってとられるかもしれないが……)
「やった後悔とやらなかった後悔というのがあってね。やらなかった後悔の方が大きいものなんだよね」
狩野は穏やかな調子で天瀬に語りだす。滑らかに回るその口からは大人の経験則が語られていく。
「やった後悔はだんだん消えていくけれど、やらなかった後悔は後々まで残ってしまうよ」
目線を手元のコーヒーに移し、狩野は優しく語った。
「そうだよ、同じ学園にいて話ができるなんて幸せだよ。でも明日はどちらかがいなくなっちゃうかもしれない。だから、今言ったほうが絶対良いよ!」
本当にストレートな子である。天瀬は不知火のその視線に負けて目をそらした。
「想いを伝えるのは大事ですよ♪ 私は会える時間を大切にするべきだと思います」
木嶋は優しく言い聞かせるようにして天瀬の手をとった。
「目をそらさないで天瀬さん。これからも彼との繋がりを深める為には1歩進んでみるのはいかがですか?」
あたたかい手に包まれ、天瀬は顔を上げる。
どうどうめぐりの負のスパイラルに飲み込まれていた天瀬はぐるりと視線をめぐらせ、ようやく相談室の味方たちの顔を見た。誰もが優しく、天瀬の事を見ていた。
「さぁ、もう一度チョコレートをつくりましょ♪」
木嶋に手を引かれ天瀬は立ち上がった。その背に少女たちの優しさを感じながら。
●チョコレート再チャレンジ
そんなわけで木嶋に連れられた天瀬と、相談室の女子たちはチョコ作りをすることにしたのだ。
「チョコの良し悪しは問題ない。大事なのは気持ち!」
と大炊御門がやはり失敗作を前に仁王立ちしているが、天瀬も木嶋もそれでは納得してくれないようだ。
「どうせですから、おいしいチョコレートを食べてもらいましょう♪」
「そうです。気持ちも篭って、さらにおいしいほうが良いはずです!」
急にやる気をだした天瀬はまぁ現金な娘なのだが、木嶋もなかなかにノリノリである。
一方、なぜか渡す相手も居ない? のに、つき合わされているマキナは鬼コーチがついた友人を遠巻きながらに眺めることにした。
「あ、千代子ちゃん。こんなのはどう?」
不知火も新しいチョコを一緒になって作り始めた、もちろんこちらも渡す相手の予定はない。できれば渡したいとも思うのだが、その機会がなかなかに難しい。
さまざまなチョコを作っては、女子たちは試食係さんに試食を頼むのだ。
それは、「ん〜、気持ちが篭っていれば僕は良いと思うけど……」と困り顔の狩野だ。
「あ、こっちのはどうでしょうか?」
と天瀬がトリュフを持ってやってくる。ヴァレンタインの定番チョコとも言えるココアパウダーがかかった球体のチョコレートだ。
「うん、おいしいよ〜」
と限界近くも頑張る狩野。
それとはうって変わって女子たちは。
「あ、本当においしいですね」 「これの作り方を教えてもらえないか!」
「あ、私も教えてほしー!」 「それじゃぁ、次はみんなで作りましょう」
と甘いものは別腹とばかりに平らげていく。
「ふぅ、おじさんはもうチョコはしばらくいいや……」
と狩野は背もたれに寄りかかりながらつぶやいた。
「あ、そうだ。千代子ちゃん、先輩にチョコレート渡すときはおしゃれもしなきゃ!」
名案とばかりに不知火が提案した。
「勝負服って大事だと思うんだよ」
「そうね、それは良いかもしれない」
天瀬を木嶋と不知火が囲み、楽しそうに計画を立てていく。
「勝負服!? それはえっと……」
と、二人に気圧され天瀬は頬を染める。
「菫、どうしました?」
そんな中、立ち止まって天瀬を見つめる友人に、マキナは声をかけた。
「ん。誰かの大切な一人になろうとすることのなんとまぶしいことか……彼女をみていてそう感じたんだ」
大炒御門の目線の先をマキナも見る。
(一人の『ただひとり』になる事がどれほどの事か。だがそれに成ろうとする彼女が眩しくみえる……。私は誰かが傍に居る安心が欲しいのだろうか……。一人じゃないと信じたいのだろうか……。まだ解らない。)
「これから解るのかな……」
そんな事を思い大炒御門は目を細めて小さくつぶやく。
「そうかもしれませんね……」
と、マキナの口から自然と言葉がこぼれた。
●乙女の勝負は
――数日後。
「あ、狩野さんこっち、こっち」
学内を歩いていた狩野の手を木嶋が引く。
「ん、なんだい?」
突然のことに驚いた狩野は、柱の影へと連れてこられた。そこにはすでにマキナと大炒御門が待っていて、遅れて来た狩野に静かにとジェスチャー。
「静かに……」
「一体、なんだい?」
「ほら、あれだよ」
狩野の疑問に、大炒御門は少し離れたところを指差す。そこには不知火と天瀬の姿。心なしか、天瀬はおしゃれをしているようだ。
そしてさらに離れたところに一人の男子生徒が歩いている。
「さ、行ってらっしゃい!」
不知火が天瀬の背を押し、送り出す。
今まさに天瀬がロイズにチョコレートを渡す瞬間に立ち会っていた。
「そうすると、天瀬さんあのチョコレートのあて先は彼か」
狩野はあのチョコレート作りの試食を思い出して苦笑い。とは言え、出来栄えも申し分なく、皆心をこめて作れていたと思う。
狩野は「青春だねぇ」と笑うしかない。
柱の影の女子たち+おじさんが固唾を飲んで見守る中。
天瀬はロイズにチョコレートを差し出した。
可愛らしいラッピングにメッセージカードを添えて。
それは言葉が出なくても平気なようにと、不知火のアイディアだった。
男はそれを受け取り、メッセージカードを読む。
二人は二、三度と言葉を重ね……。
「おぉ、これは!!」
「受け取りましたね」
柱の影で盛り上がる女子たち。チョコを渡した天瀬はロイズと二人並んで歩いていく。
その手をつないで――。
そして天瀬だけ振り返り、皆にVサイン。
「あぁ、良かったね。千代子ちゃん!」
遅れてきたヴァレンタインの幸せに皆は祝福を送るのだった。