●母の日をしよう
「そっか〜、母の日なんだね。お母さんもお婆ちゃんも元気かな〜?」
飲みかけのティーカップを机において、華子=マーヴェリック(
jc0898)は実家の母たちへ思いを馳せる。幼くして父を亡くした華子にとって、母はかけがえのない存在である。
「ははの日?」
同席していたフェイン・ティアラ(
jb3994)は、聞きなれない言葉に首を傾げた。堕天した天魔であるフェイン(彼はハーフだが)は母の日を知らなかったようだ。
「母親に日頃の感謝を伝える日です」
短く説明を終え、樒 和紗(
jb6970)は綺麗な所作でティーカップに口をつける。
「感謝と共に、贈り物などをする事が多いな」
和紗の言葉に礼野 智美(
ja3600)が続けた。
「拙者も知ったのは人間界に来てからでござった。冥界には無かったでござるからなぁ」
と、隣の席に座っていたエイネ アクライア (
jb6014)が頷いている。
「そうね。私も知らなかったのよね〜」
とぼけた調子で上下も頷く。
人間界の風習について知らない天魔は多い。逆に言うとそう言うものに興味を持った天魔は堕天しやすいのかもしれないのだが、上下はそこまでは言葉にしない。
「もともとは女性参政権運動家だったジュリア・ウォード・ハウの娘、アンナ・ジャービスが亡き母の追悼式にてカーネーションを捧げたことがきっかけらシい……」
と、母の日の成り立ちを解説したのは、長田・E・勇太(
jb9116)だ。学内で何度も母の日という言葉を聞いたため、思わず図書室で調べたのだった。
「へぇ、ボクもおかーさんに何かしたいな……」
母親の事を思い出したのか、フェインはヒリュウの朱桜を召喚して抱きしめる。
「よし、ここは一つ、冥界の故郷までずだーっと行って、ずばーっと母上に孝行するでござるか。無論その後は、またずだーっと久遠ヶ原へ戻ってくるでござるが……」
「エイネは帰れるの?」
フェインの表情は少し羨ましそうである。
「すまぬ……冗談でござる。拙者のような、はぐれ悪魔、それも下級の悪魔に、冥界魔界に通ずる門など、作れよう筈もござらん」」とエイネは肩を竦めて見せた。
「そっか……帰れたら母の日したいのにな。ボクも……」
そんなフェインの寂しそうな姿を見て、「じゃぁ、皆さんの話を聞きながら考えよ♪」と野崎は笑いかけるのだった。
●贈り物をしよう
「母の日、ですか?」
野崎とフェインを前に、礼野は静かに言葉を続ける。
「此方に進学してからは、もっぱら贈り物だな……」
遠くの故郷から久遠ヶ原学園へと出てきた生徒は多い。礼野もその一人であり、撃退士をしている以上、そう頻繁に里帰りというわけにも行かない。
必然的に礼野も遠方の母親には贈り物をするという形に落ち着いたのだ。
「智美もおかーさんと離れ離れ?」
フェインが表情を暗くし俯く。流石に子供に気を使わせてしまったかと、礼野は穏やかな口調で続ける。
「あぁ。だが、兄弟と相談して母に贈っている。この時期は母の日ギフトも出回るからな」
その言葉には悲しみの色は含まれて居ない。
それを感じ取ったのか、フェインは顔を上げる。
「それに色々と種類もあって、兄弟で結構、悩むんだ……」
フェインが顔を上げたのを確認し、礼野は静かに、だが楽しそうに笑った。
「母の日、確かに毎年何をしようか悩みますね。野崎はたしかハンカチでしたか」
和紗が野崎に視線を向ける。
「はい。これです」
嬉しそうに野崎は刺繍入りハンカチを広げた。まだ未完成だが、手作りというものは贈り手の心がより一段篭る気がする。
「お店で購入した品をプレゼントする事が多かったのですが……今年は俺も手作りにするつもりなんです」
そう続けた和紗は例年なら「あれは去年贈った、これは一昨年……」と贈り物に頭を悩ませ、毎年違ったものを選んでいたのだった。
もちろん、受け取る母親は、前と同じ品でも気にしないだろうとは思いつつも、和紗としては少しでも新しい驚きを与えたかった。
この辺りは贈り手が凝り性だと際限を知らなくなるのだが、それはまたそれ。
「和紗お姉さんも手作りなんですね。ところで何を作るんですか?」
仲間を見つけたとばかりに、野崎は興味津々である。
「贈ろうと思っているのは『桜染めの扇子』と『八十八夜の新茶』です。俺もそうですが、母は普段から和装の人なので、暑くなる季節に扇子は使ってもらえるかと」
「ほ、本格的でござるな……」
さらりと言った和紗に、エイネは言葉に詰る。
「いえ、扇子の方は既存の品を貼り直したリメイクですが。友人の誕生日にストールを桜染めしたのでそれを使おうかと」
「凄い、和紗お姉さんオシャレ〜」
野崎が目を輝かせると、和紗は満更でも無いようで話を続ける。
「お茶は先日茶摘みをしましたので、新茶を……」
と、中々に凝った事をする和紗の『女子力』は、既にそれを突破した『職人力』へと変わっているのだが、本人は気にもしていないようだ。
これこそ際限の無い凝り性であろうと言うのに……。
●手料理をしよう
「贈り物もいいですけど、うちは毎年、料理するって決めてるんです」
和紗と野崎の話に、華子は料理という女子力で加わった。
「料理……おかーさんも料理上手だった。いっぱい食べるおとーさんのために毎日たくさん作ってた」
フェインが懐かしそうに目を伏せて思い出す。
脳裏に浮かぶのは綺麗な真っ白い翼。
そして優しい母親の歌声――。
母親が家事をする家庭は多い。故に、母の日に手伝いをする子供もまた多いのだろう。それぞれが、その事を思い出していた。
「料理といえば、うちの妹も母の日には料理や家事をしてたな」
礼野も昔の事を思い出したのか、目を細めた。母は家事というより実家の神社の仕事が多かったため、家の事をしていた祖母の手伝いになっていたのだが、それも思い出だ。
「私の“母の日”は小さい頃から母が祖母に対してそうだった様に、自分が好きなお母さんの料理を自ら作って母親にご馳走するんです」
華子は祖母、母と続く伝統のような母の日の習慣を披露する。
上下の脳裏にエプロン姿の華子が思い浮かんだ。
片手に包丁、もう一方に鍋を構えた姿は可愛らしい。
「それはきっと喜ぶでしょうね」
微笑む上下だったが、ふとある事に気がつく。
この習慣、ただ料理を作ってあげるというだけでない利点が隠れている。それは、母の味の継承だ。
上下は人間界の『母の日』の隠された真実の一端を掴んだ――。
気がした。
いや、気のせいかもしれない。
上下がそんな事を考えているとは露知らず、華子は話し続ける。
「作るのは肉じゃがよ」
「華子は得意なのー?」
フェインの質問に華子は「えっと、上手にできるかな?」と少しはにかむ。
「聞いたことがあるでござるよ。人間界ではポピュラーで伝統的な料理だとか……やるでござるな」
「私も聞いた事があるわ。しかも、それを異性に食べさせると、高確率で従属させられるという食物兵器よね」
エイネと上下は二人で感心する。
片方は著しく語弊がある内容だが……誰も突っ込まないで居てくれるのは優しさだろうか。
「それで、お母さん、いつもありがとう! って伝えるの」
「ちゃんと伝えるのって大事だよね華子お姉さん!」
「そう、愛ちゃん! 貴女のお陰で私はこんなにも幸せです。これからも迷惑をかけちゃうかもしれないけど、喧嘩しちゃうかもしれないけど、本当にお母さんの事が大好きです! って」
華子と野崎は顔を見合わせて、どちらとも無く笑顔になる。
二人の素直な性格はわりと合うのかもしれない。
「勿論カーネーションも忘れずに♪」
と、二人に母親への感謝の気持ちで溢れた笑顔が咲いた。
●花を贈ろう
「うちはカーネーションではなかったな……」
そう言ったのは礼野だった。
「あら、礼野くんはカーネーションを渡さないの?」
セオリーだと思っていたので礼野の反応は意外だったのだろう。上下は俄然、興味を引かれたようだった。
「いえ、カーネーションも贈った事はあります。幼少ですが……鉢植えで」
今となっては何故、鉢植えで贈ったのかと懐かしさをかみ締める。
「庭には様々な花を植えた一角があるのですが、そこにカーネーションもありますので……そうですね。それよりも多少珍しい花を贈ったりしていました」
と礼野は実家の庭を思い浮かべた。
「珍しい花?」
「えぇ、胡蝶蘭系統が多かったと思います」
「どんな花?」
野崎が首を傾げる。
「これですネ……」
と長田が端末で検索した画像を見る。野崎たちもそれを覗き込んだ。
「こっちのお花も可愛いですね。あ〜、でもやっぱりカーネーションを贈りたいかも」
野崎も自分の端末で花を検索する。
「カーネーションって色によって意味がちがうんだねー」
それを覗き込むフェインが、色とりどりのカーネーションに目を丸くした。
「皆の母の日の過し方、実に興味深いのでござる」
「それぞれに違った母の日があるのねぇ」
野崎たちに混じり、エイネと上下は新しい発見に胸をときめかせていた。
そうして花を贈る話に盛り上がる相談室の中で、礼野は静かにティーカップに口をつけ、紅茶を一口。
いつの間にか、紅茶も冷めていた。まるで自分の心のようにと礼野は自嘲する。
(そういえば……)
義弟は今年も白いカーネーションを贈るのだろうなと、礼野は目を伏せる。
白いカーネーションは亡き母に贈る花。
かつてアンナ・ジャービスもそうしたように――。
周囲の声を礼野は少し遠くに感じた。
礼野意外にも相談室の中には、冷めた思考の人物が居た。
「マザーズデイ……か。ミーには縁がねぇな」
長田は端末をしまうと、ぼやくように呟く。本音が漏れたのか、普段の丁寧口調がやや砕けていた。
「勇太お兄さんは母の日しないの?」
そんな長田の言葉に、少し驚いた野崎は思わず聞いてしまう。
「……」
一瞬の沈黙。
長田は息を飲む。
我ながら卑屈な物言いだったな……と、思ったのだ。
「いや、マザーは居ないんだ……場違いだなミーは」
その言葉に今度は野崎が息を飲んだ。
自分の不用意な発言が、長田を傷つけたのではと思ったのだ。
「あ、あの……ごめんなさい」
野崎からさきほどまでの元気が失われる。側に居たフェインも落ち込んでしまった。
流石にバツが悪いなと長田は、俯いた野崎とフェインの頭に手をやる。
「いや、別にユーたちが気にする事はナいですよ。この学園には多いことです」
ありきたりの言葉をかけ頭を撫でても、二人の表情は戻らない。
実際、撃退士をやっている生徒は家族を天魔の被害で亡くしている者は多いのだ。
「それに、母親代わりみたいなババァは居るから……」
と、思わず口から出てしまう長田である。
「その人の事、好き?」
「……拾ってもらった恩はある」
長田は野崎のペースに嵌っているなと頭をかく。そこに助け舟とばかりにエイネが話をはじめた。
●感謝を伝えよう
「母親代わりなら拙者も居るでござるよ、うん、うん」
腕組みをし、何度も頷きながら話すエイネに野崎とフェインの意識が向く。
「拙者、久遠ヶ原での保護者代わりの御仁へ何かしようと思っているのでござる」
エイネは世話になっている人物を思い浮かべた。
「あの御仁は酒、特に日本酒好きでござるゆえ、良質の日本酒を求め東奔西走中でござる。それと、酒のお供、酒肴もでござるな。試飲・試食で楽しむのは役得という事で勘弁でござる」
と、エイネは野崎とフェインにウィンクする。
二人を慰めるための方便かと思いきや、後に酒蔵荒しの黒髪の女の噂が各地で聞かれるようになるのだが、それは別のお話。
「アクライアの言うとおり、母の日は、お母さんに感謝をする日ですが…それは自分の母親に限らずとも良いと思うのです」
和紗も思う所があるのか、エイネに続く。
「俺は大切な友人のお母さんにも感謝しています。そこに友人がいるのは、友人のお母さんがいたからなのですから……」
と、和紗は綺麗な微笑みを浮かべた。
「そうだね。私もこの学園で頼れる先生や頼もしい先輩、友達も沢山出来たし……その……好きな人も出来た。それって、その人のお母さんが居てくれたからだもんね」
と、自分の言葉に照れてしまう華子だった。
こうやって話す学園の仲間たちも皆、母親から生まれて、そして今出会っている。
母親と離れ離れになった者も、自ら袂を分かった者もその事実は変わらないのだ。
だからこそ、絆をもつ相手へ子供たちは感謝を伝えたいのかもしれない。
華子は「お母さん、大〜好き☆」と、もう一度繰り返した。
「うん、ボクもおかーさん大好き」
「私もだよ」
とフェインと野崎も頷いた。
「それと、感謝の思いは時間も場所も越えて届くと俺は思います……おかしいでしょうか?」
柄にも無い事を言ってしまったと、和紗が少し困った顔を見せるが……。
「ううん、全然!」
と野崎は力強く首を振る。
「あぁ、俺も好きだな。その考え」
礼野も静かに頷いている。
「和紗どのは意外とロマンチストでござるな」
と、エイネがからかう。
「届くと良いな。ボクのおかーさんにも」
フェインは空を見上げる。
「きっと、届くわ」
上下がそれに答えると……。
「うん、帰ったらおかーさんの家事を手伝おう。お洗濯して、お掃除して、お料理してー……やることいっぱいで大変そうだけれど、妹と一緒に分担してやれば大変じゃないよー、きっとー」
と、フェインは満面の笑顔だった。
再び母の日談義に花を咲かせた相談室。
場違いと自分で線引きしていた長田もそれを眺めつつこう思うのだ。
(ミーもババァに何か贈るかな……確か欲しがっていたものがあったヨウナ……)
机の上の一輪のカーネーションは優しい色で咲いていた。
それは皆が伝えたい優しい感謝の気持ちなのだろう。