●滅びはじめた町
生きている実感。
そう言ったものがどんどんと薄れていく。
感情を吸われるという事は、生きながらに死んでいく事に等しい。
上空に開かれたゲートを睨み、龍崎海(
ja0565)は先を急ぐ。
既に結界を展開し、周囲への影響を抑えていたが、早く対処しなければならない。
手遅れになる前に……。
龍崎ははやる自身を抑えながら周囲を見回す。
天使の姿や炎を纏うサーバントの姿は今のところ見当たらない。学園が得た情報に寄れば、この先に住民たちがいるはずなのだ。
――居た。
力なく膝をついた人々が虚ろな表情で天を見上げていた。
「学園より派遣されてきました。ここは危ないですから皆さん避難してください」
声に乗り、穏やかなアウルの力が広がっていく。
呪縛からとかれた人々の顔に、僅かな希望の色が戻たのを見て、竜崎は近くの少年に手を差し伸べる。
顔を上げた少年の瞳には未だ諦めの色が濃かったが、龍崎は言葉を続けた。
「避難場所かわかりますか?」
少年はゆっくりと首を縦に振る。
「なら、そこまで誘導します」
龍崎の手に引かれて少年は立ち上がる。
「君も、子供やお年寄りの避難の手助けをお願いします」
周囲の人々へ手を差し伸べる龍崎の姿に、少年の瞳にかすかに光が灯る。
「……羽?」
その時、誰かが呟いた。
明るく灯る火の羽が天上から降り注ぐ。
少年は……人々は思い出した。
その恐怖を――。
「龍崎さんとこが当りか……」
麻生 遊夜(
ja1838)は離れた空に現れたサーバントを確認。
その下には、龍崎が居るのを察知できる。
事前に撃っておいた<手引きする追跡痕>が功を奏したようだ。ゲートが展開された場所では通信機器は役に立たない事が多いため、仲間の位置把握も作戦には重要な要素である。
「やれやれ……あんま無茶すんじゃねぇぞ」
と来崎 麻夜(
jb0905)の頭に軽く手を当てる麻生。
子ども扱いされた来崎だったが、嫌ではなかったようだ。
「ん、ちゃんと傍にいるよ……離れないから、ね」
クスクスと来崎は笑顔で返した。
「ヒビキ、お前もだぜ」
「ん、大丈夫、問題ない」
ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は麻生の腕にすがりつくように抱きついた。
「んじゃお仕事と行きますか……」
「天使と悪魔がぶつかってたって情報だったよな」
「えぇ」
向坂 玲治(
ja6214)の質問に浪風 悠人(
ja3452)が答える。
「お互いに潰し合ってくれりゃ楽だったんだが、そううまくいかねぇな」
と向坂が悪態をつく。
学園の情報にもあったように、こんな片田舎でも天使と悪魔の小競り合いは起こっていた。
小競り合いとは言え、力を持った二つの勢力に挟まれた人間勢力にとっては、たまったものではない。
周囲を警戒していた浪風は、翼を広げたファイア・フィアーの姿を空に見た。
小さな町で戦いの狼煙が今、上がる。
●対決する意志
ゆっくりと上空から降りてくる炎のサーバント。
直接的な攻撃意思を示される前に、周囲の人々を逃がさなくてはならないと、龍崎は周囲へと声をかけて走る。
ファイア・フィアーは精神力の吸収を阻害する力を感じたのか、はたまた声に引かれたのか龍崎に飛行経路を向けたようだ。
ゆっくりだった動きに、意志のようなものが現れた。
その意志は攻撃の形を形成する。
ファイア・フィアーの炎が無数の矢のような形を作り始めた。
龍崎の動きが止まる。
「来るっ!」
叫び声と共に、ファイア・フィアーの周囲から放たれた無数の矢が雨のように龍崎を襲った。
龍崎は咄嗟に『糸』を展開する。網目になった糸は、体を覆うように広がり矢を防ぐ盾となる。
「空から一方的に攻撃されるのはやりずらいですね」
上空を射抜くように視線を向けた龍崎の頭上。
浮かぶ炎へ向かって少女が羽ばたいて行く。ヒビキだ。
ファイア・フィアーの注意が近づくヒビキへと向いた。
先ほど、龍崎を襲ったように、ヒビキを阻むためにファイア・フィアーの周囲に炎の矢が生み出されていく。
しかし、その矢が放たれるより早く。
弾丸が炎を打ち抜いた。
「綺麗な炎だな? だが、ちっと腐れてくれや」
麻生が放った弾丸は、アウルを纏いファイア・フィアーの炎を浸蝕していく。
迎撃しようとしていたファイア・フィアーだが、思わぬ攻撃を受けて防御行動へとシフトした。
炎を前方に集約し盾を形成する。
一直線に飛んだヒビキは、そのまま手にした巨大な棘付き鉄球を思い切り叩きつけた。
「防げるかな? 防げるかしら? ユーヤの援護があるもの、叩きやすいわ」
轟音と共に空気ごとなぎ払った一撃は、ファイア・フィアーの炎の盾を弾き飛ばす。
敵を殲滅するための刃か、自衛のための新たな盾を形成するか。周囲の炎を一気に失ったサーバントは戸惑う。
「墜ちて来いよ、俺みたいに地を這おうぜ?」
麻生の放った弾丸がファイア・フィアーの翼を縛る戒めと変わる。
天上より地を見下ろしていた天使は、翼を失ったイカロスのように大地へと落下した。
落下したファイア・フィアーに追撃するかのように浪風の雷が打ち抜く。
「やった!?」
逃げていた住人たちの口々に希望の色が浮かぶ。
向坂は地に下りたファイア・フィアーと対峙する。
落下し、雷を受けたその身を起こすと同時に、再び炎を纏う炎のサーバント。
倒したかと思った矢先、何事もなかったかのように起き上がるサーバントの姿に、住民達はか細い悲鳴を上げる。
人々の恐怖がある限り、その炎は燃え尽きる事は無い。
ファイア・フィアーは恐怖を糧に燃え盛るのだ。
対する向坂も冥府の風を纏う。人の身に許された、天魔と渡り合うためのアウルの力。
激突する二つの力。
天魔と撃退士。
人々の前、強大なる力に抵抗する者の姿がそこにはあった。
●潜む危機
「こっちに付き合ってもらうぜ!」
向坂の攻撃がファイア・フィアーを捕らえる。
アウルによって強化された肉体から放たれる一撃だ。ファイア・フィアーの炎を打ち抜き、その体に衝撃を与える。
「さぁ、真っ黒になろう?」
さらに、麻生の後ろに潜んでいた来崎が闇色の弾丸を放った。弾丸は燃え盛る炎を食い散らかすように貫く。
連携のとれた動きにファイア・フィアーは身動きを封じられていた。
しかし、その力が衰えたわけではない。
むしろ、炎は更に強まる。
そして、燃え盛る炎に照らされ、影は深く濃く伸びるのだ。
「ふふっ、うふふ。さぁ、遊ぼう?」
静かに妖しくヒビキは笑う。
台詞とは裏腹に、手にした鉄球もあいまって物騒にしか見えない。
轟音を立て、鉄球を振り回すヒビキの腕を影が掴んだ。
ファイア・フィアーの影から伸びた黒い帯だった。
それは一本だけではない。
無数の影の帯が、撃退士たちの動きを封じようと蠢き始めた。
「やはり、一体だけではなかったんですね」
浪風が帯から逃れるよう身をかわす。しかし、影は蛇のようにうねり、執念深く追いかけてくる。
「なんだこりゃ!」
向坂はファイア・フィアーの影から突然浮き上がったシャドウ・バインドに驚きの声を上げた。
「影に潜むサーバント……」
黒い帯を『糸』で防いだ龍崎だったが、ファイア・フィアーの姿を見失い空を見上げる。
シャドウ・バインドによって乱された仲間の連携の隙を突くかのように、ファイア・フィアーが空へと羽ばたいたのだ。
「ちっ、また飛びやがったか」
向坂は腕で顔を守り、ファイア・フィアーの羽ばたきで巻き起こった熱風をやり過ごす。
「それにしても、相手の動きを妨害する役目を担うもう一体が居たんですね」
浪風の顔に焦りが浮かぶ。確かに、規模を考えてもサーバント一体の仕業とは思えなかったのだが、シャドウ・バインドは見事に姿を隠していた。
他の皆と同じように上空に気を取られた来崎に、幾重にも伸びる影が迫った。
「ちっ、麻夜!」
麻生がその影を掴むように止める。
影は止まらずに腕に巻きついていくが、麻生は無理やりそれを振りほどく。
「先輩!」
心配そうな声を思わず出してしまう来崎に、麻生は安心させようと軽く手を振る。
「大丈夫だ、それよりも……」
体勢を整えた麻生の視線の先には、影によって捕らえられたヒビキの姿があった。
上空ではファイア・フィアーが再び炎の矢を形成する。
無数に生み出された矢。
やがて、降り注ぐのは炎の雨だ!
いつの間にか形勢は逆転していた。
●強い絆は勇気となるか
再び人々の恐怖を糧に燃え上がったファイア・フィアー。
そして、撃退士たちを戒めるシャドウ・バインド。
有利だった戦いに暗雲が立ち込め始めた。
しかし――。
「大丈夫、邪魔なのは、倒してくれる、私はずっと、貴方を見てるよ」
シャドウ・バインドを見据え、ヒビキは余裕の表情で笑った。
それは狂気に近いほどの信頼があるからだ。
自らの仲間。
家族といった者たちが、自分を助けてくれるという確信。
強い絆。
「悪いが、俺の家族を返してもらうぜっ」
麻生はシャドウ・バインドの黒い帯を交わしつつ、ヒビキを拘束する影の帯へと銃口を向け、トリガーを引く。
一発、二発――と、次々に着弾した。
その弾丸はシャドウ・バインドの影の帯を朽ちさせる。
弱まった拘束をヒビキは引きちぎるように羽を広げ、飛立った。
獲物を逃したシャドウ・バインドは再び、影の帯を身に纏い姿を消す。
「ハハッ、俺の目から逃げ切れると思うなよー?」
鋭い眼光が消えたはずのシャドウ・バインドを射抜く。
弾丸に込められていたのは、その者を追跡する力。
麻生に気付かれた事を察知したシャドウ・バインドは、黒い帯を解き。再び、麻生を拘束するためにその影を伸ばした。
影は麻生を捕らえたが……。
「今だぜ、麻夜!」
麻生が叫ぶ。
「姿を隠せるのは貴方だけじゃないの」
麻生の影から姿を現した来崎は、無防備なシャドウ・バインドに向けて影よりも漆黒の力を放つ。
「全部、黒く染まればいい……ボクより黒く、真っ黒に」
来崎の笑いと共に、シャドウ・バインドは闇の刃に切り裂かれた。
●怯まぬ姿勢は勇気となるか
天より振る雨の如く。
幾重にも形成された矢。
ファイア・フィアーは一気に勝負に出たようだ。
全てを巻き込み、炎の矢は降り注ぐ。
シャドウ・バインドが敵を拘束していれば、それごと周囲をなぎ払うつもりだった。
「手が届く範囲は俺の守るべき場所だッ」
浪風は怯む事無く、その攻撃に耐え切った。
「たいした事ねぇな。さっさと下りてきやがれ!」
向坂は肩の煤を払いのけ、ファイア・フィアーを睨みつける。
シャドウ・バインドの戒めを振りほどいたヒビキは再びファイア・フィアーへと迫る。
「貴方は私を、見てればいいの、余所見なんて、させてあげない!」
その猛攻はファイア・フィアーの動きを確かに止めたのだ。
「空にいるなら落すまで!」
浪風のアウルが天使を繋ぐ鎖となる。多くの炎を失い、ヒビキに攻められるファイア・フィアーはその戒めを振りほどくことができなかった。
鎖に秘められた霊的な力が、ファイア・フィアーを地面へと引きずり落す。
再び冥府の風を纏った向坂が、ファイア・フィアーへと迫る。
ファイア・フィアーも向坂を迎え撃つために、炎の刃を生み出す。もう、その影には自分を援護するサーバントは居ない。
残るのは純粋な力の比べあい。
激突する二つの力。
「俺相手に削り合い挑むたぁ、いい度胸してるじゃねぇか!」
怯まず、向坂は炎の刃に飛び込む。
それは無謀な突貫ではない。
渾身のカウンターだ!
向坂の体を刃が切り裂くと同時に、ファイア・フィアーの体を向坂の攻撃が貫く。
「いいぜ、まだまだ!」
血を飛び散らせながら、向坂が咆えた。
アウルの力がその身を駆け巡り、向坂の体を動かす。
しかし、ファイア・フィアーは動けない。
そして向坂の次の一撃は、ファイア・フィアーの体の真芯を捕らえたのだ!
滅びをもたらす炎の灯火は、遂に消え去った。
●その心に炎は灯るか
「ユーヤ」
「先輩!」
「よくやったなお前たち」
麻生は駆け寄って来たヒビキと来崎の頭を撫でる。
戦いを終え、家族の絆を再確認しているようだ。
「まぁ、ざっとこんなもんか」
額から流れる血を舐め取りながら歩く向坂に、浪風は呆れている。
「まったく、無茶しすぎだよ。玲治」
「でも、思ったよりも歯ごたえなかったな……」
向坂がゲートの消えた空を見上げ、呟いた。
「ゲートの守りがあんなに薄いなんてな」
(サーバントを倒した後、ゲートを破壊するのにはそれほど時間は掛からなかった。それは不自然すぎるほどに……。)
龍崎の頭から、その違和感はどうしても去らなかった。
(しかし、今は脅威が消え、人々の顔にようやく精気が戻り始めただけでも良しとするしかない)
龍崎は進んで、人々に気遣いの声を掛けて回った。
「大丈夫ですか、怪我があれば治しますよ」
その呼びかけに安心した住民たちは、元の生活に戻るために動き出す。
撃退士という力のある存在。
そんな者たちの手で、町は救われた。
その戦いを少年はじっと見ていた。
「つまらない世界」
少年がそう断じたものを必死に守る者たちが居た。
恐怖に立ち向かい、痛みに耐え、血を流し……。
それでも立ち続ける姿。
力ない身で、彼らのように振舞うことは難しい。
しかし、それでも逃げない姿は少年の心に、小さな勇気を灯したのだった。
●天使の苛立ち
「へぇ、悪魔にちょっかいついでのつもりが、面白い奴らがひっかかったなぁ」
星の煌きを放つような金の髪を持つ少年天使は、地方に残したサーバントと小さなゲートの消滅までの一部始終をじっと見ていた。
その瞳は喜びの色を放つ。
「これなら……暫く遊び相手にはなるかなぁ。クスクスクス」
幼い顔に浮かんだのは無邪気な笑顔だった。
彼の天使の名はエスティエル。
そして、彼の気まぐれは、やがて久遠ヶ原の撃退士たちへと向かうのだ。