●熱唱
とある場所のとある小さな個室に数名の男女が集まっている。
やや薄暗い照明とせわしなく鳴り響く音楽。
ふとしたきっかけで、隣に座った男女の手や肩が触れ合うほどの小さな個室……。
「第一回! カラオケ大会―――!」
亀山 淳紅(
ja2261)が声を上げ「まずは自分から〜」と早速その歌声を披露する。
そう、ここはカラオケ店の一室だ。
「よーし、ゆいちゃん俺とデュエットするー?」
立ち上がった百々 清世(
ja3082)が古河ゆいにマイクを差し出す。
「は、はぁ」
曖昧な返事で古河は応える。
「ちょっとぉ、キヨくん次はアタシよ〜」
と光藤 姫乃(
ja5394)が百々の尻を撫でながら甘い声を出した。
「あー、姫ちゃん揉むのはいいとして、なんか酔ってる?」
「真面目にやりましょう。いいですか、カラオケでもきちんとやれば意味があるのです」
袋井 雅人(
jb1469)はカラオケの曲目に表記された消費カロリーを指差した。
「くろいー。真面目だなぁ、こういうのまずは楽しまないとだぜー」
「そうそう、盛り上がっていこー!」
百々と亀山がテンションアゲアゲで立ち上がる。
そもそも、彼らは正月にちょっと増えてしまった体重をちょっと落としたいなという古河の願いを叶えるため、ダイエットに協力、参加していたのだ。
カラオケもその一環として、百々と亀山が提案した事だった。
「私、こういう事あまりしないから……」
飲み物のグラスを両手で包むように持って月乃宮 恋音(
jb1221)が俯く。
「えっと、その。わたしもここまでテンションの高いカラオケは初めてかもしれません」
その隣に座っていた緋流 美咲(
jb8394)もクールな表情のまま、グラスを持ってストローに口をつける。
「でも、盛り上がれば確かにカロリーは消費するよね♪」
木嶋香里(
jb7748)の前向きな発言に、月乃宮と緋流は「おー」と小さく拍手する。
「……何か食べ物注文しよう」
そんなこんなで、最上 憐(
jb1522)がもはや趣旨を忘れたかのような発言をしても、誰も突っ込む事は無かった。
その後、めちゃくちゃ熱唱した。
●激走
「はぁ、ちょっと喉痛い。歌いすぎたかも……」
「でも、思ったよりも減らなかったよ〜」
「まぁ、一朝一夕ではいかないよね♪」
「そう……だね」
「ところで今日、ジョギングだっけ?」
女子更衣室で体操着に着替える少女たち。本日は恒例のジョギングである。
そもそも先日はジョギング中に、百々や光藤、亀山に遭遇し、ナンパまがいのお誘いを受け、上手い事かわしつつもなんだかんだあって、カラオケダイエットとなったのだ。
「でも、恋音さんはダイエット必要なさそうだけど?」
緋流がシャツを脱ぎながら月乃宮に話しかける。
「その……お正月にちょっと増えちゃったから……」
と胸元を押さえた。
「あ、あぁ〜」
一部女子にしてみればむしろ羨ましい悩みだが、本人にとってはそうでもないのだろう。世の中は無情である。
「確かに、お正月にいっぱい食べちゃったしなぁ」
古河も自分の二の腕など摘んでため息を付く。
「‥‥ん。食べたら。動けば良い。動かないから。豚に。なる」
そう言いつつ、最上は何かを口に放り込む。古河がやや批難の目を向けるが気にする事もない。
「ダイエットは体重を減らすという事だけが目的じゃないですから♪」
「そう。香里の言う通り、体つくりは後々も意味があるね」
木嶋に緋流が相槌を打つ。二人はそろそろ着替え終わりそうだ。
古河は隣で着替える木嶋らを見て、「親身になってくれているのだから頑張ろう」と心の中で呟く。
「着替えたらいきましょっ」
ロッカーの扉を閉めた木嶋が声をかけた。
「はーい」
集まった一同は軽く準備体操を終えた。
「いいですか。ダイエットとともに皆さんの筋力アップも兼ねているのです。しっかりと、酸素を取り入れ、筋肉を意識しながら走りましょう」
袋井が図書室で仕入れてきた知識を早速披露し出す。
「インナーマッスルを鍛える事で、新陳代謝も良くなり、脂肪のつきにくい体を作れますよっ」
木嶋がそれに続いた。
「直ぐには目に見える効果は出ないかもしれないけど、気長に頑張りましょうね」
光藤も体操着に着替えて登場だ。
「よしっ」
古河は気合十分に走り出す。
手足をしっかりと動かし、しっかりと呼吸する。
筋肉に酸素を送り込むのをイメージしながら走る。走る。走る。
「ゆいさん。無理をして体を壊したらダメよ」
「あ、つい……」
木嶋の声にふと我に返る古河。あまり飛ばしすぎても良くないのだ。古河は少しペースを落して木嶋の後ろへついた。
前を走る木嶋のポニーテールがリズミカルに上下に揺れている。
「おー、走ってるねぇ〜」
そこに、ひらひらと手を振る百々の姿が見えた。
「あら、キヨくん。今日もイケメンね〜」
結構なペースで走りこんでいた光藤が、古河の隣に並走するようにペースを落す。
「お〜、姫ちゃんも頑張ってるねー」
「当たり前よ、運動は大事なのよ〜。食事だけじゃどうしたって限界があるものぉ」
仲良く話す二人を横目に、古河はやや不機嫌そうだ。
「なんですか……邪魔しに来たんですか?」
「そんな邪険にするなよ〜。ん、頑張てるみたいだから、この後の食事でもどーだい?」
「やっぱり邪魔しに来たんですね」
少しむっとして睨みつける古河だったが、百々はそんな事はお構い無しである。
「そんなことね〜よ〜。おにいさんとしては、女の子は少しくらい肉付き良いほうが好みだけどな〜」
百々は頬杖を突いたまま、走る古河たちを眺めていた。
「も〜ん、ダメよ? 男の子たちが太ってないって言っても耳を貸しちゃダメよ。あいつら私たちの苦労なんて何も分かってないんだから」
光藤が古河に耳打ちするように顔を近づけた。
「だいたい、オンナは綺麗になろうと努力するから、より綺麗になれるんだから」
「へいへい。ですよね〜、言っても無駄だとは思ってました〜」
と百々は首を横に振った。
「あらぁ、聞こえてた〜?」
光藤が惚けた調子で百々の方を向く。
「――っ」
「サボらないで走る! それとも秘密メニューにしますか?」
古河が口を開きかけた所で、後ろから声が響いた。
見れば、羽を片手に袋井がにこやかな笑顔を浮かべている。
「だって、百々さんが……って居ない!?」
いつの間にか並走していた光藤もペースを上げており、古河がやや皆から遅れる形になっていた。
「さぁ、古河さん。この羽で……」
袋井の妙な圧力に慄きながら「え、遠慮しておきまーす!」と、古河はペースを上げるのだった。
●力泳
「水の中だと……なんだかふわふわするね」
古河は月乃宮は水に浮きやすいんだろうなぁと視線を向ける。
今、女子たちがいるのは温水プールである。月乃宮が上下に頼んで借りていたのだ。
見れば、上下もプールサイドでくつろいでいる。
「でも、歩くと結構辛い……ね」
「えぇ、これなら良いトレーニングになりますね」
早速とばかりに緋流が温水プールの中を歩き始める。
プールでの運動は、陸上と違って水の抵抗がほどよく掛かり、尚且つ浮力によって重力は軽減されるので腰の負担になり難い。
「ねぇ、香里。これって泳いでもいいのよね」
「勿論よ、美咲。泳ぐのも全身運動になるから」
「じゃぁ、ちょっと勝負しましょうよ」
「勝負? いいよ」
そう言うと、二人して飛び込み台の方へと向かっていった。
「ゆいちゃん……私たちは一緒に歩こ?」
「そうだね、恋音ちゃん」
古河は月乃宮と一緒に水中ウォーキングをはじめる。
「ふぅ……はぁ、はぁ……んっ」
「これ、結構……きつい……かも」
温水プールを何周もすると、流石に息が上がってくる。
「プールの中だから汗に気がつかないけど、ちゃんと水分補給はするのよ〜」
「はーい」
上下の注意に返事をした古河は、プール隅まで来ると手すりに掴まって体を水面に出す。
「はい、恋音ちゃん。掴まって」
振り返って、後ろを歩いていた月乃宮に手を差し出す。
「あり……がと」
月乃宮はその手にとって、プールから引き上げられた。
二人は用意していたボトルを手にする。中身はスポーツドリンクと常温の水だ。
折角、温まっている体を冷やす事は無いと亀山が教えてくれたのだ。
プールから上がって水分補給をしていた二人の前を、浮き輪が流されていくのが見えた。
「……浮かぶ。プカプカ。流れる〜」
マイペースに浮き輪の上で楽な姿勢になって浮いていた最上がプールの流れに乗っていた。いつの間にか、ぐるぐると歩いていた古河たちによって、プールに渦状のゆるい流れが出来ていたのだった。
最上はなんだか楽しそうにそれに流されていた。
一方その頃トレーニングジムでは――。
「あれ〜? 皆は?」
「あらぁん、キヨ君に亀ちゃん」
バタフライマシンの手を止めて光藤が二人の方を向く。
「女性陣は皆、温水プールですよ」
走っていた袋井も汗をぬぐいながら百々の前まで歩いて来た。
「おぉ、プールかぁ」
「ダメよ。それよりもあなた達も少し筋トレしていきなさいな」
プールの方へ足を向けた百々たちに光藤が笑顔を向ける。キラキラとしているが、何だか凄い威圧感だ。
「ももにーさんも早く!」
いつの間にか亀山がサイクルマシーンに乗って走り出していた。
「あれ? 仕方ないなぁ」
そんなわけで結局、女性陣がプールに行っている間、トレーニングに精を出す四人であった。
●制限
程よく運動して、そして程よい食事がダイエットには欠かせない。
欠食するのはむしろ良くないのだ。
「ゆいちゃん……またサラダだけですか?」
弁当を広げた月乃宮が、古河の弁当箱を覗き込む。
「だって〜、野菜食べて痩せるって本にあったから」
「ダメですよ……ちゃんと、必要な栄養素はとらないと……お弁当の計画も立てたのに」
「う〜ん……でも」
心配する月乃宮に古河はかぶりを振る。
「食事制限も立派だけど、サラダだけだと味気ないでしょう?」
隣では緋流が普通に昼食を食べている。彼女はトレーニングに付き合っているだけで、食事制限を必要としているわけではないからだ。
「そうですね、例えばお肉よりはお魚の方が脂肪は少ないですよね。でも、タンパク源としては申し分ありません。もちろん、大豆などの植物性タンパクも良いです」
元気の無い古河に、木嶋が例えばと食事解説を始めた。
「計画では、サラダ以外は低カロリーの食材で、きちんとお弁当を作る予定だったんだよ」
「それはそうだけど……」
月乃宮に言われ、古河はうなだれた。
その日の放課後、奇妙な声が響いてくる。
「ちょっと、ちょっとだけだから……あ、いやいや。だめだめ」
なんのお芝居かと思ったら、教室の机の上に並んだ小さなチョコ菓子を前に古河が葛藤していたのだった。
「あ〜、でも、少しだけなら……」
ジョギング行く前だし、少し食べても大丈夫だよねと。実に甘い考えだチョコだけに。
しかし、そもそも皆の立てた計画ならそこまで、食事制限があったわけではないのだ。古河が勝手に制限を厳しくして、そしてそれに耐え切れなかっただけだった。
言わば、今の状況は自業自得でもある。
「そうだよ、一つだけなら……」
古河が机の上のチョコ菓子に手を伸ばす。
指先がチョコを掴もうとする。
「あれ?」
思わず、古河の口から間抜けな声が上がる。
「……ん。大丈夫。間食する前に。全て。私が。飲み込む」
いつの間にか現れた、最上が古河のチョコを摘んでいたのだ。
「……ん。私の。眼が黒い。内は。ゆいに。無駄な。食べ物は。一欠片でも。胃に。入れさせないよ」
そして、そのままあっという間に食べつくす。
「う、うわぁぁあっ! 最上ちゃん」
「何? どうしたのよ」
騒ぎを聞きつけた緋流たちが教室に顔を出す。今日のジョギングのために呼びに来ていたのだ。
「私のチョコ〜!」
教室では古河が涙ぐんで叫んでいた。
「……ん。コレも。全て。ゆいの。為。決して。私の。食い意地が。張っている。訳では。無い」
なんだか誇らしげに最上が胸をはる。
「あぁ、そういう事ですかぁ」
緋流と一緒に来た木嶋が困ったような顔を見せる。
「ゆいさん、計画以上に食事制限してたんですね。いけませんよ、無理は」
木嶋は泣き出す古河の頭を撫でる。
「そうだよ……木嶋さんが、ゆいちゃんにって計画にもちゃんと……オヤツを用意してくれてたのに」
「えっ?」
驚いた古河が顔をあげると、月乃宮がお菓子の箱を手にしていた。
「そうだよ。ダイエットは楽しんでやらなきゃね」
緋流も古河の頭を撫でるように、笑顔を見せる。
「そ、そうだったの……。皆が色々、考えてくれてたのに私……私っ」
古河は再び泣き出したが、今度の涙は温かい涙だった。
●到達
そんなこんなで、古河は今まで以上に皆と供に頑張った。
頑張ったと言っても、そこには無理なくダイエットを楽しもうという気持ちが溢れていた。
そして遂に――。
「やったー! 目標体重になったー!」
相談室にて古河の目標達成報告がなされたのだ。
「結果的に満足みたいだからな。裏メニューはお披露目なしだったなぁ」
「なんで、そんなに残念そうなん」
袋井が羽を鞄にしまうのを見て、思わず亀山が突っ込みを入れる。
「あはは、それにしても水中バレーの時は結構、体力つかいましたねー」
「私は昨日のヨガの方がきつかったかも体固くて……」
「えっと、私……エステの方が……恥ずかしかった……」
「えぇ〜、あれは気持ちよかったよぉ。ねぇ、姫乃さん」
「ウフフ、楽しんでもらえたなら満足よ」
「自分、なんだかこの数日で体が引き締まったような気がします」
「んー、おにーさんはそんなに変わらないかなぁ」
などと、それぞれが楽しそうにダイエットを思い出しながら喋っている。
そんな光景に、古河は少し目を潤ませて
「皆のお陰です。本当に、本当にありがとー!」
と頭を下げる。
「本当に……良かった……」
古河を中心にその努力を称える。それは美しい友情の輪だ。
「これで、心置きなく先輩とバレンタインを楽しめるよ〜!」
目元に浮かんだ涙をぬぐって、古河が笑顔になる。
「えっ……ゆいちゃんカレシいたの?」
突然の発言に、百々が驚きの声を上げた。他の数名も驚きが隠せない。
「はいっ!」
そんな事とも知らずに、古河は元気良く答え、「皆、本当にありがとねー!」と相談室を去っていった。
「……上下センセー、デートしよ。デート」
力の抜けた百々は机に突っ伏した。
「大丈夫よ。キヨくん。私がいるわぁ!」
光藤が隣に座って慰めるように頭を撫でている。
「……うん、姫ちゃん。どさくさで尻揉むのはやめてね」
そんなコントのような遣り取りに、周りの皆は笑い合う。
それが一時のことでも、その笑顔は皆の心に色あせる事無く残るだろう。
その光景に上下は口元を綻ばせた。