●氷に潜む闇
地下鉄の駅へと降りる階段は、氷で埋め尽くされていた。その天井からは巨大な氷柱が何本も伸び、行く手を阻む。
仕方なく撃退士たちは、障害物の少ないエスカレータをその足で下る。普段は人を自動で運ぶエスカレータも、今は動くことなく凍り付いていたのだった。
下まで降りると、電灯が消えているため、日中でもとても暗い。そして寒かった。
「灯りが必要であるな」
ラカン・シュトラウス(
jb2603)が、手のひらから炎を出し松明に灯す。暗闇にぼんやりと浮かび上がった猫の着ぐるみ姿は、滑稽を通り越してホラーにも見える。
「あぁ、光源は幾つかあった方がいいでしょう?」
天ヶ瀬 焔(
ja0449)は、携帯していたフラッシュライトのスイッチを入れた。そのまま暗闇へ灯りをむける。どの程度まで照らせるのか確認したのだ。
「これだけ照らせれば良い方かな。いざという時は、≪星の輝き≫で広範囲を照らせることも出来るから」
「そう、それなら安心ですね」
天ヶ瀬に声をかけたのは楊 玲花(
ja0249)だ。彼女はこう続ける。
「私は暗視などは有りませんから、戦闘時に明かりが得られるのは助かります」
「あぁ、そっか。俺は暗闇でも≪夜目≫が利くんですけどね〜」
防寒対策とばかりに着込んだ森林(
ja2378)は、氷のすべり具合を確かめるべく、何度か靴を床に打ち付ける。靴底が氷に軽く刺さる感覚。これならば有る程度は動けるだろう。
「俺もこいつがあるから平気だ……」
皇 夜空(
ja7624)は、コグニショングラスを指で押し上げ、位置を調整する。彼のコグニショングラスは暗視用の装備だ。
「ふふふ、見えなくても、感じたら斬ってしまえばいいんですぅ〜」
ラカンの持つ松明の灯りの端。光が届かない影から、落月 咲(
jb3943)が笑顔で現われた。表情に反して言っている事は過激である。
「ふむ、頼もしいのであるな」
落月の発言にも動じず、ラカンは猫顔で神妙に頷いた。
「……では、作戦通りいくぞ」
皇が暗闇の方へと進む。皆もそれに頷き、作戦通り前衛と後衛に分かれる。囮役となる前衛は天ヶ瀬、皇、ラカンの三名。残る楊、森林、落月が後ろに続き追い討ちをかける事となった。
駅の中は暗闇と冷気が支配していた。とは言え、辛うじて残った非常灯がほんのりと照らしている場所もある。地上と隔絶された地下世界は、静かで寂しさを感じるほどだった。
聞こえるのは靴音と吐く息の音。
一同はホームから地下鉄の線路に降りた。地下鉄のトンネルの先、その線路も役目を果たせぬほどに氷付いている。そして、灯りに照らされたトンネルの天井や壁面には、まるで鱗模様のような氷跡が残っていた。
「これは……でかいな」
白い息が皇の口からもれた。
「皆、警戒して行こう」
天ヶ瀬が横から声をかける。前衛の三人は意を決して、先へ進む。次第に氷はその厚さを増し、トンネルや線路といった物は見えない程、全面びっしりと凍り付いていた。
「……これは」
天ヶ瀬の持つライトが照らした先は――。
「行き止まりであるかっ!?」
ラカンの驚きの声。戸惑いを隠せない一同。
氷の壁は、無常にも完全に道を塞いでいた。
「今、何か聞こえませんでした?」
そんな中、後ろで警戒していた森林は微かな音に気が付いた。
「何かって?」
「いえ、確かに……っ! 気を付けて、奴はその氷の中だっ!」
森林の叫び声と同時に、氷の壁が動き出す。幾重にも氷が割れるような音と、重い何かが地面を這いずるような音が辺りに響き渡り、巨大な氷の蛇が牙を剥いて飛び出した。
●氷牙を砕く
蛇は光源を手にした天ヶ瀬とラカンに、その牙を剥く。
牙をかわしつつ、天ヶ瀬は手にしたナイフを突き立てようと振り下ろした。
「ぐっ、固い!」
不利な体勢から放たれたナイフでは、蛇の身体に刺さる事は無く、氷の鱗によって弾かれた。灯りを結びつけたナイフを刺して、目印にしようとしていた策は失敗に終わった。
そして、今の天ヶ瀬には、それよりも緊急の問題があった。目前に迫る蛇の攻撃をしのがなければならないのだ。
通り過ぎていく蛇の体から、剣のように伸びた鋭い鱗が、天ヶ瀬を襲う。直撃コースだと理解した天ヶ瀬は、ライトを手放す。そして武器を構え衝撃に備えた。
「天ヶ瀬さんっ!」
そこに間一髪、森林が放った矢が割り込み、蛇の鱗の軌道をずらした。
「助かりました」
攻撃をなんとかかわした天ヶ瀬は、森林に礼を言う。
一方、狙われたラカンは――。
「むむむ、流石に直撃はまずいのであるな」
松明を宙に放り投げると、手にした槍で勢いを受け流す。そして、その反動を生かし、背の翼で滑空。さらに飛び退き際に、落下する松明に合わせ、油を蛇に投げた……。
しかし、残念ながら炎は燃え広がる事無く、あっという間に冷気でかき消された。
「やはり、小手先の知恵ではダメであったな……」
ラカンは思わず呟いた。
一瞬の邂逅で、二人の手から光源は失われた。
闇の中、夜目が利く森林は、蛇の動きを阻害するために矢を放つ。蛇は身体をくねらせてそれを弾いた。皇は矢に気を取られた蛇に向けて跳んだ。床に張った氷をへし折るほどの力で、皇の体が宙を舞う。
「喰らえっ」
薄青い光纏を輝かせ、皇は大剣を振り下ろした。その剣は蛇の鱗をへし折り、脳天を揺らす。衝撃を受けた蛇は、巨体を氷の壁に透過しようとする……が、阻霊符の力で弾かれてしまった。暗闇の中、楊が機転を利かせ、氷壁に貼ったのだ。
蛇は自らの身体を壁面にこすり付けながら、身体の向きを変える。鱗と壁がこすれる度に、氷の欠片が辺りに降り注いだ。
天ヶ瀬は再び蛇に狙われるのも構わず光りを放つ。
「鈴がつけられないのは仕方ない。それならば、お前を照らすだけだ!」
声と共にアウルの力で生み出された光が闇を祓った。
蛇はその光に一瞬、身震いをしたが、獲物を見つけたとばかりに巨体をくねらせる。
その時、闇に潜んでいた楊と落月が飛び出した。
追い討ちとばかりに落月が刃を閃かせる。
「どんな死に方をするかなァ、ふふふ」
落月の刃で切り落とされた氷の鱗が、床に落下しガラスが割れるような音を立て、粉々に砕け散った。
楊はすかさず、落月と皇が砕いた鱗の隙間に、棒手手裏剣を放つ。そして再び物陰へと身を潜ませる。自分は後衛、追い討ちが役目なのだ。前に出すぎるのは危険である。そう、一撃離脱が肝心なのだ。
遠巻きから攻撃をし、そして物陰へと歩を進める。さらには蛇に気づかれない位置から飛び出し脚撃。また、物陰へと渡り、遠巻きから手裏剣を放つ。
楊の攻撃は再生し始めた鱗を砕いて、蛇の体に突き刺さった。
「鱗が剥がれた場所は、だいぶ脆いみたいね」
数度の攻撃から楊は蛇の防御力を測る。
周りの冷気を取り込み、再生するはずの鱗が砕かれ、蛇は思わず身を震わせた。
Gururururuuuuuaaaaaaaaaaa……!!
氷蛇が咆えたのだ。
それはまさに、逆鱗に触れた瞬間だった。
●氷蛇の逆鱗
蛇の口から放たれた凄まじい冷気が、吹雪となって落月を襲った。
咄嗟に、天ヶ瀬が前に出て盾となる。足元から螺旋を描き、炎のような光が天ヶ瀬を包んだ。もし、天ヶ瀬がアウルの力を持っていなければ、この巣穴を取材に来ていた人間同様、氷漬けになる所だったろう。
「蛇の尾にも気をつけるのである!」
ラカンの叫びも構わず、トンネル内部の氷柱や氷の塊をなぎ払いながら蛇の尾が迫る。大質量の攻撃を皇は跳躍し、ラカンは受け流して飛ぶ。
しかし、天ヶ瀬と落月は反応が遅れてしまった。
(もう一度、受け切れるだろうか?)
天ヶ瀬が再び、落月を自らの後ろに庇う。
「……」
落月の顔から笑みが消えた。
迫る尾に何本もの矢が突き刺さり、僅かに軌道が反れた。天ヶ瀬と落月の頭上を通りすぎ、強烈な風と氷の粒が舞う。
「無茶しすぎですよ、天ヶ瀬さん」
再び天ヶ瀬を助けたのは、森林が放ったものだ。森林は天ヶ瀬に駆け寄ると、所々に出来た傷にアウルの力で作った葉を当てる。葉は天ヶ瀬の傷を覆うと癒しの力を発揮した。
蛇は敵が未だに存在している事を認識すると、巨体を唸らせとぐろを巻く。トンネル内の冷気を吸収し、その身体をさらに強固するためだ。
皇はさっきの一撃に手ごたえを感じていたのだが、蛇はまだ余力を残しているようだ。確実にダメージを与えるためには、一か八かの賭けにでるしか無い。と、叫び声を上げ蛇の頭目掛けて跳躍した。
「我ここに在り!」
しかし、蛇は慎重だった。自らに最も大きな傷を与えた固体だと理解していたからだ。もし、これが今まで通りの人間だったなら、蛇は警戒もせず大口を開けて丸呑みにしていただろう。しかし、蛇は学習した。本能的に『コレ』を呑み込むのは危険であると――っ!!
「くっ!」
皇は蛇の口の中から破壊しようと賭けに出たのだが、その思惑は失敗してしまった。蛇は呑み込まずに噛み付く事を選んだのだ。
空中で皇の右肩から先が蛇の口に飲み込まれる。
「っ……いいだろう! 地獄にはお前も道連れだ!」
噛み付かれた皇はそのまま、蛇の口の中で武器に溜めた、エネルギーを爆発させた。蛇の口内で迸った黒い光の衝撃波は蛇の長い体の中を一直線に貫いた。
体中の氷の鱗が剥がれ、皇を噛んでいた口が緩む。滑り落ちた皇をラカンが空中で受け止め着地する。
「まったく、なんと無茶な人間であるか」
ラカンがため息を付く。しかし、彼は思う。仲間のために、たとえ無茶でもその力を振るう。それが人間の良い所であると……。
「無茶しすぎだ」
駆け寄った天ヶ瀬が、小さなアウルの光を皇の傷口に送る。淡い光は皇の身体に吸い込まれ、傷口を塞いでいく。
「……コロス」
天ヶ瀬に守られ、少女は光源の端に佇んでいた。その少女の口から零れた言葉は、氷壁よりも冷え切っていた。少女は静かに腰を落し、手にした刀を構える。
息を吸う。
力を溜める。
(初仕事で味方さんやウチが怪我するのも後味悪いですし、そこも気をつけますぅ)
仕事に着く前に、皆と話した言葉が脳内にリフレインした。
(本当に後味が悪い……。
どう潰そうか。どう切り刻もうか。どう甚振ろうか。それとも、もう殺そうか ――。)
激痛に身を震わせ、蛇は暴れ出す。なりふり構わず打ち付けた尾や体が、氷壁や氷柱を砕き、トンネルを揺らした。
楊は気配を絶って、蛇に気づかれない位置まで移動する。揺れる氷上の足場の悪さも、彼女の前には意味を成さなかった。そして、棒手裏剣を蛇目掛けて放つ。
「あまり、暴れないでね!」
手裏剣は蛇には当らずに、その脇をすり抜けた。外したかと思われたそれは、蛇の影を縫いとめたのだ。そう、天ヶ瀬を中心に広がる光によって、壁面に黒々と映し出された蛇の影に!
影を縫いとめられた蛇は、身動きがとれずに全身を怒りで震わせる。蛇の体から剥がれ落ちた氷の鱗が、徐々に再生を始める。
何度、打ち砕こうとも、この凍った『巣穴』では、何度でも再生可能な氷の鎧。
そう、ここは氷の蛇のテリトリーなのだ。
「ふむ、まだあの鱗は健在であるか」
ラカンは、急速に再生し始めた鱗に気づくと、目を細めた。
「なら再生出来ないよう、うちが確実に殺しますぅ」
落月のアウルが武器を覆う。その光はやがて禍々しいほどの力となる。
リフレインしていた言葉は消えた。
落月は、抑えきれない衝動が溢れないよう、笑顔を作る。
力を溜める。
息を吐く――っ!
体内で燃焼されたアウルが、落月の体を加速させる。弾丸のように飛び出した体は、身動きの取れなくなった蛇の頭に一直線にのびて行く。
その手に必殺の念を込め。
その手の殺戮の刃を一閃。
皇が打ち砕いた傷跡に斬撃を合わせる。もろくなった蛇の体に一筋の裂傷が浮かぶ。
着地した落月は刃を収める。
影が二つに別れ、その巨体は氷床に崩れ落ちたのだった。
●氷邪は消え
主を失った氷の巣穴は、雪のように砕け散り、次第に溶けて消えていった。
「あの時は一瞬冷やりとしましたよ〜」
地上に戻った森林は、冷えた体をほぐすように背伸びをする。
「あぁ、本当だ。俺たちが回復に間に合わなかったら、どうするつもりだったんだよ」
天ヶ瀬が皇の肩に手を置く。
すっかり、傷も癒えた皇は、大して気にした風も無い。
「それを言うなら、天ヶ瀬さんもですよ。只でさえ、光っていて目立つのに、あんなに敵の前に出て……」
楊が困った人たちだと、ため息を付いた。
「守ってもらって難ですがぁ、うちもちょっと心配しましたぁ」
笑顔の落月が、楊の言葉に続く。
「そうよね」
「えぇ」
頷きあう楊と落月に、何故か矛先が自分に向いたと、天ヶ瀬は皇の方を向く。天ヶ瀬の視線を受け、皇は淡々と話す事にした。
「賭けだったが、勝算はあった。……硬い鱗よりも、内側から破壊するのが得策だと。それに癒し手が二人居たからな……」
「ははは、多少の無茶もおぬしらの特権であろう。仲間のために無茶を通してしまうのがおぬしら人間だ」
腕組みをした猫が何か偉そうにしている。ラカンだ。
ラカンの言葉に、皆が一瞬あっけに取られた。上からの発言だ。しかし、その言葉はどこか優しい響きを持っていた。誰とも無く、その言葉を胸に刻む。
撃退士たちは氷邪が去った巣穴をあとにする。
「さぁ、帰りましょうか。学園に」
天ヶ瀬の声は、澄み渡った冬の空へと吸い込まれていった。