●舞い散る葉は紅く
踏みしめる足が地面を蹴り、身体を前へと押し上げる。
緩やかな坂を上り続けていくと、おのずと息が熱くなった。
それは息苦しいというわけではなく、むしろ清清しく感じ心地よい。
イアン・J・アルビス(
ja0084)は軽く弾んだ息を整えつつ周りを見回した。
隣では、時駆 白兎(
jb0657)がハイキングコースのマップを広げていた。
イアンはこの山道を登るのが、紅葉狩り目的の観光ならいう事は無いのだが……と思いつつ再び視線を木々へと向ける。あたりは一面黄色や赤で美しく染め上げられていた。思わず見とれるほどだ。
「このコースはしばらく一本道ですね」
時駆の声にイアンは我に返る。
少し紅葉に見蕩れてしまったのだなと、内心自嘲する。
登山道は人が歩きやすいように均されているのだが、道を少しでも外れれば藪や草木が視界を塞ぐ。今はその均された道を撃退士6人で隊列を作って歩いているのだ。
「行きましょうか。ここを抜けると少し広い場所に出ます」
時駆はイアンの方を見上げると一度視線を合わせた。
「そこで休憩してから、例の事件現場へ向かいましょう」
イアンが頷くのを確認してから、時駆は後ろを振り返った。
後ろに居た天羽 伊都(
jb2199)と月村 霞(
jb1548)は打ち合わせの時の確認をするかのように左右を指差す。
「分かったよ。一応、周りには警戒だね。僕は右側に注意しながら行くから月村さんは……」
天羽が自分の右手側を指す。
「私は左側担当だよね。大丈夫、任せてねっ」
月村は左手側を指した。
その二人の後ろに居たジェーン・ドゥ(
ja1442)と大炊御門 菫(
ja0436)は後方に注意を向けながらも、二人で何やら話していた。
「菫、なかなか紅葉が綺麗だぞ。もう少し辺りの風景を楽しんだらどうだい」
ジェーンは少し大仰に両手を挙げて山の紅葉を称えた。どこかわざとらしい仕草ではある。
「ジェーン・ドゥ……貴様は少し真面目に警戒はできないのか?」
大炊御門は後方に注意を向けたまま、ジェーンの方には向かない。
ジェーンはなんとかこちらを向かせたいのか話を続けた。
「ふむ……菫、例の猿は何故首を狙うのだと思う?」
少しだけトーンを落として真面目な口調を作ったジェーンに、大炊御門は思わず顔を向けてしまう。しかし、次の瞬間には顔を向けた事を後悔していた。なぜならば、目に映った顔には悪戯染みた笑顔が浮かんでいたからだ。
「……はぁ。猿が首を狙う理由など想像も付かん。貴様の様に”首を狩る”ような趣味が有れば分かるのかもしれんが……」
ジェーンは再び両手を挙げ辺りの紅葉を示す。風に舞い散る葉が視界を赤く染め上げていく。
「──ええ、ええ、こんなにも、こんなにも、こんなにも紅葉が紅いのだもの。首の一つや二つ、刎ねたくなるというものさ」
「……やはり、その感性は理解できんな……故に魔女か」
大炊御門はため息をついた。
しかし、イアンにはその言葉が妙に耳に残った。
見上げた先の紅い木々が、先ほどとは打って変わり、今は何やら恐ろしいものに思えるのだった。
●触れた刃に
「ここが例の事件現場なんだね……」
天羽は登山客たちが命を落としたとされる場所で手を合わせた。
「さ、ここからは本当に気を引き締めないとね」
月村はそんな天羽に優しく声を掛けた。
「……これ以上の被害者がでる前に何とかしましょうか」
月村とイアンの言葉に、天羽は元気良く返事した。
犯人は現場に戻るというのは、人間の場合だけだろうか……そうならば今回のディアボロには適用できない。しかし、猿のディアボロならば縄張りという意識がある可能性は高い。つまり、一度現れた場所がその縄張りではないかと言うことだ。
撃退士たちは少し視線を上げ、木々の枝の間に剣を持つ猿のディアボロ……剣猿が居ないか警戒しながら、山道を進んで行くことになった。
事件現場から先は道が細く、地面も均されておらず起伏多い。足場の悪さはいざと言うときに心もとない。しかも、鬱蒼と茂った蔦や木々で視界も大分狭まっている。頼りになるのは音と風による触覚だろうか。
「流石に、ここまでくると坂道も厳しいですね」
時駆が少し大きめな声で後ろに話しかける。隙だらけだ……わざとらしく後ろ歩きさえしているのだから。
「――っ!!」
天羽の視界の先、木々の間を大きな黒い塊が落下していくのが見えた。
塊は枝を何本も折って、地面へと到達すると何かが潰れたかのような音を立てた。
「……来たかな」
月村がキョロキョロと辺りを見回した。
「……違うっ、アレはっ!」
「鹿の死体だっ!」
大炊御門とジェーンがほぼ同時に叫び、咄嗟に後方に分かれて飛び退いた。二人はその鹿がディアボロがこちらを霍乱するために”放り投げた囮”だと直感したのだ。
次の瞬間。
物音よりも早く鋭い刃が時駆と月村の背後を襲った。
囮を使った剣猿はまさか自分も囮となっていた、二人を標的にしたとは思っていなかった。まさに、撃退士たちの作戦通りであった。剣猿はまんまと罠に掛かった……はずだった。
唯一の誤算はその速度を実際に経験していなかった事だ。
あえて囮となっていた時駆と月村にも油断は無かった。
それでも、二人はその刃を避けきることは出来なかったのだ。想像を超えた速さから繰り出された左右、二つの斬撃をっ!!
閃いた剣猿の”左の刃”が月村を襲う。
月村は何とか首にだけは致命傷を喰らわないようにと、上体を逸らしながら後ろへと跳ぶ。
剣は避けた。
だが、剣が通りぬけたあとの風の刃がその身を切り裂いた。
あれだけの速度で繰り出されているのだ、確実にかわすのは難しい。月村はその身に行く筋もの紅い線を浮かべつつも、着地と同時に体勢を整える。
一方、”右の刃”の標的となった時駆はかわすことが出来なかった。
周囲の索敵のために召喚獣との視覚共有を行っていたのが、仇になったのかもしれない。自身に迫る剣の速度に対応出来なかった。
しかし、時駆は少しも焦っては居ない。
なぜならば、剣猿の攻撃は銀色に輝く障壁によって完全に防がれたのだから。
「さて、登山の為に、お早めに退場願いましょうか」
そう、イアンが剣猿と時駆の間に割り込み障壁を作ったのだ。
完全に自らの刃を弾かれた剣猿は、驚いたのだろうか。甲高い鳴き声を上げながら、撃退士たちの間を縫って走り木の上へ跳躍。
「ふぅん……たしかに速い……」
ジェーンは辛うじて木々の枝を飛び回る剣猿を目で追う。
「逃がさんぞ!」
大炊御門が剣猿に向かって跳ぶ。
猿は木の枝を蹴り空中でそれを迎え撃つ。
落下速度も追加された剣猿の剣は速い、しかし大炊御門はそれに恐れず槍を突き出し刃を受けた!
交差する瞬間、炎の障壁が大炊御門の身を包むように守る。
その炎を剣猿の風の刃が散らす。
空中に火の華が舞った。
剣猿は着地と同時に直線上に居た時駆を再び狙う。
しかし、その斬撃もイアンの銀色に輝く障壁で防がれた。
そして剣猿は理解した、この相手は”今までとは違う”と。
そこからの剣猿の行動は素早かった。すぐに身を翻し、撃退したちの攻撃から逃れるように、木々を渡り姿を隠したのだった。
●潜むは狂気
「隠れられているとやはり少し面倒ですね」
イアンが剣猿を追いかけながら呟いた。
「逃げたの?」
天羽が走りながら疑問を口にする。
「どうかな、でも潜まれて頭の上取られるのって笑えないからね……」
月村も走る。
ジェーンと大炊御門は木々の間を跳躍して剣猿を追いかける。
しかし、視界や足場の悪さもあり大分離されてしまった。
「エルナっ!」
時駆は追いかけずに、自分の召喚獣の視界を得ると、剣猿の動きを空から探す。
下からは枝や葉で視界が通らなかったが、上からならば違う。猿が枝と枝を飛び、木々の上へと跳び上がる姿を確認したのだ。
上空を飛ぶ時駆のヒリュウは確実にその姿を捉えた。
「策は二重三重に。これが人間様の策略ですよ」
時駆はエルナに命じた。
エルナは上空から剣猿目掛けて落下した。垂直に超高速で飛ぶ弾丸のような一撃が剣猿の背に当る。剣猿は枝も掴めずに地面へと落下した。
時駆たちは事前に剣猿の逃亡の可能性も考えていたのだ、素早い動きということは逃げ足も速いという事だ。だから、伏兵を潜ませておいた。それも猿が認識出来ないような上空にだ。
「追いついた」
ジェーンは落ちてくる剣猿を視界に捕らえた。
そして、跳躍すると落下する剣猿の頭を目掛けてジェーンは自らの体重を乗せた踵落しを決めた。蹴りにした理由は跳躍した体勢から、手を使った攻撃をするよりも足のほうがリーチが長いからである。ジェーンはただ自らの戦闘センスだけでそれを選択した。
お世辞にもその踵落しは綺麗な体勢ではなかったが、剣猿の脳天を完全に打ち抜いていた。
剣猿は視界が揺れる中、身体を起こす。
もはや高速で逃げるような動きは出来ない。逃げることを不可能と悟った剣猿は攻撃に転じた。
「こっちだ!」
イアンは叫ぶと同時に自らのアウルの光りを強くする。
「こっちだぞ!」
大炊御門もイアンとは反対側へと跳躍しつつアウルの光りを強くした。
銀と菫色のアウルに剣猿は飛び掛るのを一瞬迷った。
しかし、直ぐに近い大炊御門の方に跳躍した。
「甘いっ、その剣筋はもう見切っているぞ!」
大炊御門は剣猿の刃の先に自らの槍を当て、あたかも空中で棒高跳びをするかのように跳ねた。剣猿の風の刃が大炊御門の炎を散らす。
剣猿の一瞬の迷いを大炊御門は見逃さなかった。
その結果、彼女の思いも知らぬ動きに、剣猿は戸惑い最大の武器である脚を止めてしまったのだ。
「今だ! 霞っ!」
大炊御門の声に間髪居れず、月村は剣猿の懐へと滑り込む。
「容赦はしないよ。これ以上犠牲なんて出させない。確実に……壊すっ!」
月村はその手の剣を叩き込んだ。
剣猿は大炊御門に弾かれたのとは逆の刃で応戦する。
月村はカウンター気味に剣を叩き込んだ。
両者の剣は凄まじい衝撃と共に弾かれた。
剣猿は思った。
耐え切った! と……脚を止めたのは失敗だった。しかし、この攻撃を受けきれば再び跳躍して頭上から攻撃することが出来る。そうすれば自分の方が速いと。
月村は弾かれた勢いを使い、自らの身体を剣猿の側面へと大きく跳ばした。
その影から飛び出したのは天羽だった。
「今よっ! 天羽くん!」
月村の声に天羽は全身全霊のアウルをその両手に込める。
黒い焔のようなアウルが渦巻き両の刃に宿る。
「うわぁぁぁぁっ!」
完全に意表を突かれた攻撃だった。だが剣猿も動いた。それは生物の本能からの行動だろうか、それともディアボロという存在になったが故か、限界を超えた速度で天羽に両手の剣を振るった。
期せずして、左右両手の剣を持つもの同士がここにぶつかったのだ。
二人の刃が衝突し、互いの腕を弾く。
体重の差もあったのか、勢いの差か天羽の身体が浮く。
剣猿はそれを見逃さなかった。
すぐさま剣猿は反対の刃を下から切り上げるように走らせた。
浮いた天羽は、迫り来る刃に剣を叩き込む。
そのままでは軽い斬撃だっただろう。
それが片腕だけならば――。
天羽は咄嗟に剣を交差させ、落下時に自分の体重とアウルの全てを叩き込んだのだ。
対する剣猿は片腕一本。そして今までの衝撃の蓄積と相まって、剣猿の血塗られた刃を打ち砕いた。
天羽の刃はそのまま剣猿を切り裂いた。
●紅葉に映える
天羽は倒した剣猿に手を合わせていた。
なぜならば、好きでディアボロになっているとは思えない……と言うのが天羽の自論であるからだ。
「結局、なぜ首を狙うかは分からなかったな」
大炊御門が呟く。
「愛おしいから触れ合いたい。愛おしいから刎ねてしまいたい。ええ、ええ、どちらも代わり無いだろう?」
ジェーンは続ける。
それがディアボロならば、”表現が人間的でない事こそが正常”だと。
「まぁ、これで登山客には安心してもらえるのですから、いいじゃないでしょうか?」
イアンが暗くなった空気にポジティブな風を送る。
「そう……ですね」
時駆が頷く。
「そうですよっ!」
月村も笑顔で頷く。
大炊御門とジェーンは一瞬互いの目を見て、ため息を付くと。
「そうだな」
と口を揃えて言った。
祈りを終え天羽は仲間たちを振り返った。
「帰ろうか。僕たちの学園へ」