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ワンルームマンションの一室。
広さこそないが、若者向けの内装は洒落たデザインだ。
内装と同じく洒落たデザインのソファには、楊 玲花(
ja0249)が座っている。
自室と思しき場所ということもあってか、玲花は健康的なショートパンツにTシャツという姿だ。
脚にシェービングクリームを塗り、ムダ毛の処理をしている玲花。
そんな彼女にペットと思しき小型犬がじゃれついてくる。
カミソリを使っていることで、それをかわそうとする玲花だが、じゃれつきは止まらない。
すったもんだの挙句、玲花は小型犬を抱きかかえる。
「‥‥全く悪い子だね、君は。『プロテクションΤ』じゃなかったらケガしているところだったわよ」
胸元で小型犬を抱きしめながら文句を言う玲花。
その表情は微苦笑だが、小型犬への愛情が感じられた。
「――カット! OKです! 表情、良かったですよ!」
数秒後。
佳乃の声とともにカチンコが鳴る。
小型犬をそっと床に下ろすと、玲花も立ち上がった。
「あんな感じでよろしいですか?」
「バッチリです!」
玲花との会話がひと段落するのを待ち、ミハイル・エッカート(
jb0544)が佳乃に話しかけた。
「次のシーンについてだが、ちょっと良いか?」
撮影用コンテのコピーを持って語りかけるミハイル。
「予定では俺が髭を剃っている所で、暴漢が乱入してきてそれを撃退――っていうことになってるが、それだけじゃなくて、撃退士同士での組み手も入れたいんだが。予定としては――」
綿貫 由太郎(
ja3564)とのシーンを淀みなく説明していくミハイル。
以前にもCM撮影に参加しているだけあって、現場にも慣れているようだ。
ややあって提案は了承された。
その後、ミハイルは佳乃に問いかける。
「そうだ……撮影が始まる前にちょっといいか?」
「どうかしましたか?」
不思議そうな顔で問う佳乃に向け、ミハイルは言った。
「電車に乗ってる時もそうだが、降りてからここまで歩いてくる間も、なぜか皆俺を避けていくんだ。そんなに人相悪いか?」
髭剃りのビフォーアフター近影は必要だろうと、前日より髭を剃らずに来たミハイル。
ダークスーツにサングラスといういつもの格好に無精髭のせいで、ミハイルの見た目は殆どマフィアのようだった。
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「おう。早いな。もしかして徹夜明けか?」
「早起きなだけだ」
洗面所で朝の挨拶を交わすミハイルと由太郎。
二人は並んだ状態でそれぞれ髭を剃り始める。
由太郎が髭を剃っていると、ミハイルがふと語りかけた。
「最近、ナマってるんじゃないのか?」
由太郎も髭を剃る手を止めずに応える。
「お前こそどうなんだ?」
「ほう? 言うねえ。なら、試してみるか?」
次の瞬間、由太郎は掌底打ちを放つ。
「おっと!」
ミハイルはそれに素早く反応し、剃刀を持つ手とは反対の手で掌底打ちを払いのける。
更にミハイルは反撃のローキックを繰り出した。
一方の由太郎もそれを片手で受け止める。
「んー、無手の応酬とか何年ぶりだろ昔は……おっと今は関係ない事だな」
何かを思い出しながら呟く由太郎。
そうしている間にも迫力のある組み手は続いていく。
そして、二人は応酬の最中も髭を剃り続けている。
無論、途中で剃刀が横滑りしまくるが、二人の顔には傷一つ無い。
「傷ひとつ無しか」
軽く指を頬に当ててニヒルな笑みを浮かべるミハイル。
さりげなくカメラ目線にしているあたり、やはりこの男、現場に慣れているようだ。
その直後だった。
突然、ガラスの割れる音が響き渡る。
全員が咄嗟に振り返ると、ベランダのガラス戸を破って、ガラの悪そうな二人の若者が乱入してくる所だった。
見るからに無軌道そうな彼等は手に角材やビール瓶といった武器を持っている。
「オラァ! いてもうたるわゴラァ!」
若者の片割れが角材を構えて大声を出す。
(おいおい、高そうなガラスを惜しげもなく割っちまうとは、実にハリウッド的だな。前回に比べて予算が増えたのか)
はそんな風に考えているミハイルだが、撮影中なので口には出さない。
そうしているうち、若者達はそのまま室内へと殴りこんでくる。
手始めに片方の若者がミハイルの頭部にビール瓶を叩き付けた。
だが、撮影だと思っているミハイルは、あえて避けずに当たりに行く。
本気で叩きつけられたビール瓶は木端微塵に砕けるが、その程度では撃退士であるミハイルに傷一つつかない。
反撃にミハイルは胴回し回転蹴りを繰り出した。
一方、由太郎には角材を持った若者が襲いかかっていた。
「くたばれやゴラァ!」
本気で振り下ろされる角材に対し、由太郎はそれを片腕でガードする。
常人なら骨折するだろうが、この場合は逆に角材が折れて砕ける。
「お前、邪魔」
それだけ告げると、由太郎は裏拳で反撃する。
ミハイルと由太郎はたった一撃で若者を吹っ飛ばす。
吹っ飛ばされた彼等はそれぞれ壁に激突し、その場で気絶する。
「「こんなに激しい運動しながらでも怪我しない。撃退士もイチオシの安心感だ――プロテクションT!」」
若者達を撃退し、剃刀をカメラに向けてキャッチコピーを言うミハイルと由太郎。
「――カットッ!」
それから数秒後。
佳乃の声とカチンコが響く。
それを合図に肩の力を抜いたミハイルと由太郎は若者達へと駆け寄った。
「すまん……こっちも気持ちが入り過ぎちまってな。大丈夫か?」
「とりあえず酷い怪我はしてないみたいで良かったよ」
状態を観察し、ひとまず若者達を寝かせる二人。
その横では佳乃がコンテを確認していた。
「確かガラス破壊は予算の関係でボツにした筈なんだけど、連絡が行ってなかったのかな……。まあでも、良い画も撮れたことだし――」
佳乃が呟いていると、ミハイルと由太郎が言う。
「彼等は新人かい? テレビでは見た事ないが?」
由太郎の言葉にミハイルも続く。
「だが、新人とは思えない凄い演技力だな。なにせ、まるで本当に殺しにかかってきたかと思ったぜ。そのせいで俺もつい気持ちが入りすぎちまったけどな」
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数分後。
今度は九 四郎(
jb4076)が打ち合わせに入っていた。
「髭をそって学校に行ったら女の子にモテた的ストーリーになるってのはどうっすか?」
コンテを片手に提案する四郎。
「そうですね……」
考え込んだ後、佳乃は首を縦に振る。
「良いと思います。九さんのような高校生も販売ターゲットらしいので、そういったアピールも良いと思います」
ミハイルと由太郎の提案を受け入れた結果、良い画が撮れたこともあって、佳乃は提案を積極的に受け入れる気になっているようだ。
「せっかくなんで、佐藤ハルカさんに打診してみますね。ちょうど先日の仕事で彼女とマネージャーさんと繋ぎが取れたんですよ」
「佐藤ハルカ?」
四郎はその名前に聞き覚えがないのか、即座に問い返す。
「最近、売り出し中の女子高生タレントさんですよ。もうすぐ四月スタート枠で、『スマホ警部』シリーズの新弾が始まるんですけど、それに主演で出るって言ってましたね」
「なるほど。それはそれは――」
それを聞いて四郎はがぜんやる気を出したようだ。
このCMが芸能事務所のお偉いさんの目に留まってスカウトとかされちゃったらどうしよー! といった妄想を抱きつつ撮影に参加した四郎。
彼にしてみれば、やはりこういう話には惹かれるのだろう。
「それで、自分が髭を剃ってる所にさっきみたいに敵が襲ってくるっすよね? それをかわしつつ、プロテクションTで殴ればいいっすか?」
コンテを見ながら確認を取る四郎に対し、佳乃は慌てた様子だ。
「そ、それはやめてください……! スポンサーさんの商品でそんなことしたら大変な事に……」
慌てながらも佳乃が事情の説明を終えると、四郎は撮影へと入った。
カメラが回るのを待ち、洗面所で髭を剃り始める四郎。
しばらくした後、先程ガラスに開いた穴から柄の悪そうな若者が一人乱入してくる。
彼の手にはナイフが握られており、その切っ先は四郎に向けられている。
「死にさらせェッ!」
ナイフを腰だめに構えて突っ込んでくる若者を前にしても四郎は冷静さを失わない。
落ち着いた様子で鎖鎌を取り出すと、それを振るって若者を捕縛する。
あっというまに縛り上げた若者に手加減した打撃を叩き込む四郎。
それにより若者は一発で気絶する。
「たとえ使用中に喧嘩になっても大丈夫、このカミソリなら誰も傷つかない」
カメラに向けて四郎は語り始める。
「――男の嗜み、プロテクションΤ」
キリッとした表情で四郎が決め台詞を言い終えた直後、小気味の良いカチンコの音が鳴った。
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四郎のシーンが撮り終わり、続いて唯 倫(
jb3717)と森田零菜(
jb4660)がスタンバイに入っていた。
「CMって初めてだからたのしみだなぁ〜♪」
倫が楽しそうに声を弾ませている横で、零菜は剃刀をじっと見つめている。
「これがカミソリ……お父さんや直兄さんがよくヒゲを剃ってたっけ」
声をかけにきた佳乃は零菜の様子から何かを察したようだ。
「森田さん、もしかして……カミソリって初めてですか?」
その問いに頷く零菜。
すると、佳乃はしばし考えて自分の腕を見せる。
「もし良かったら、剃る練習にどうぞ」
佳乃の申し出に頷き、練習を開始する零菜。
「ふむふむ、なるほど。良く剃れるね」
感覚が掴めたのか、零菜はすぐに撮影へと入る。
まずは零菜単独のシーンだ。
女子中学生風の制服を着た零菜はゆっくりと眉を整えていく。
練習のおかげだろうか、その手つきは淀みない。
続いては倫単独のシーン。
どうせなら普段と違うセクシーさを盛ってみたいと考えた倫の提案により、撮影用の衣装はキャミソールにホットパンツという格好だ。
美脚を強調したポーズで脚のムダ毛処理を行っていく倫。
そのシーンも無事に撮影される。
そして、次のシーンは倫の要望により組み手を行うシーンだ。
その相手は女性同士ということで零菜。
場所は洗面所からリビングに移し、零菜はテーブルに置いた鏡で眉の手入れ、倫はソファに座ってムダ毛処理というシチュエーションから始めるようだ。
「それじゃ、本番行きます!」
佳乃の声とともに零菜と倫は剃刀を動かし始める。
「零菜さんって格闘技をやってるんでしょ?」
ソファから語りかける倫に、零菜は眉を整えながら答える。
「ええ。まあ」
「なら、ちょっと見せてよ。零菜さんの技を――」
冗談めかして言いながら倫が立ち上がった時だった。
鈍く大きな音がすると同時、玄関のドアが吹っ飛ばされた。
零菜と倫が弾かれたように振り返ると、その先には柄の悪そうな若者二人と、それを率いる人喰い鬼がいる。
「ブチ壊シタルゾ、コラァ!」
片言の言葉を叫びながら人喰い鬼は若者達とともに零菜と倫に襲いかかった。
これもCMの演出と信じて疑わない零菜は、自ら若者の攻撃を受けにいき、あえて剃刀を横滑りさせる。
「あたしの肌はキレてないけど、あたしの心はキレさせた!」
忘れずに商品をアピールすると、零菜は月面宙返りで若者の背後へと回り込む。
背後に回り込まれたのに気付く間も与えず、零菜は若者を当身で気絶させる。
商品アピールに、撮影を意識してのアクロバティックな戦い方――それにしてもこの女、ノリノリである。
その頃、倫も若者に応戦していた。
やはり彼女のCMを意識してか、セクシーさを強調した攻撃を繰り出している。
美脚を高く上げたハイキックで若者のこめかみを痛打し、一撃で気絶させる倫。
見るからに痛そうな攻撃だが、男の中には羨ましがる者がきっと少なくない……はずだ。
二人の活躍により、若者二人はすぐに無力化された。
「ナメンナ……コラァ!」
手勢を片付けられた怒りもあらわに、人喰い鬼は金棒を振り上げる。
人喰い鬼が金棒を振り下ろし、衝撃を伝導させようとした時だった。
その胸板に銃弾が炸裂する。
「グェ……!」
呻き声を上げる人喰い鬼。
それに向けてミハイルと由太郎が銃を構えたまま言い放つ。
二人は既に佳乃達撮影班を下がらせていた。
「これ以上ブッ壊したらマンションどころか佳乃の会社が倒れちまうからな」
「っつか本当に天魔とかどういうタイミングだこれ? ……あー、危ないからもうちょっと下がっててね」
人喰い鬼を見た瞬間、ミハイルはそれが本物だと気付いていた。
そして、一緒にいる若者や先程の若者の様子がおかしいことの理由にも思い至ったようだ。
「またか。分かっているよな? これはチャンスだと思え。今回もいい画が撮れるぜ」
同じく人喰い鬼が『本物』だと気付いた佳乃にウインクしてみせるミハイル。
吹っ切れたように佳乃が頷くと、ミハイル達は戦闘を開始した。
まずはミハイルと由太郎による銃撃だ。
ちなみに、二人はきちんと髭を剃りながら戦闘をしている。
銃撃で人喰い鬼が怯んだ所に、扇を構えた玲花と四郎が追撃をかけた。
「邪魔はさせません!」
「お前程度じゃ屈しねえ、正々堂々正面から笑って勝ってやるよ!」
追撃で更に怯みながらも、人喰い鬼は果敢に反撃を試みる。
怒りに任せて金棒を放り投げる人喰い鬼。
だが、それもアウルの障壁を張った倫によって正面から受け止められてしまう。
耐久力に優れる上、天界の影響を受けている倫。
驚くべきことに、なんと倫は金棒を正面からキャッチングしたのだ。
「零菜さん!」
倫が合図すると同時、零菜は太刀を抜き放つ。
そのまま壁を走って天井へと登り、更に天井を蹴って急降下する零菜。
その勢いを乗せて零菜は人喰い鬼に峰打ちを叩き込んだ。
「峰打ちだからね。こっちもキレてないから!」
フンッと息をならし、零菜は腰に手を当てて自慢げにポーズをとる。
その眼前では、人喰い鬼が見事に気絶していた。
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「えっ 本物だったんだ……」
撮影後に初めて、零菜はディアボロが本物だったことに気付いた。
撮影中にノリノリで動いていたことを思い出し、なんであんなノっていたのかと顔を赤くして後悔する零菜。
そうしていると、外でディアボロを『処理』し終えたミハイルが戻ってくる。
「今回も本物が来たな。ディアボロに愛されているようだが一体どういうわけだ?」
彼は佳乃に問いかけている近くで、由太郎は思慮深げに呟いていた。
「しかし誰がやらかしてくれたんだかこの茶番、偶然ではないよな絶対。少なくとも若者たちを操ってた黒幕はいるはずだ」
その後、撮影は無事完了し、CMは完成した。
やはり今回も『本物としか思えないリアルさとスペクタクルさ』な映像が話題を呼び、プロテクションTは予想を大幅に上回る売り上げを見せたという。
なお、後日の別撮りの際、四郎は佐藤ハルカと無事共演を果たしていた。
もしかすると、今回の件で一番の役得は彼だったのかもしれない。