●2012年 3月3日 10:45 東京都 首都高速道路 トンネル内
「ハリネズミですか。随分と物騒な鼠ですね。私の住んでいた集落にはいない種類です」
首都高速のトンネル内にて有刺鉄線を用いた罠を張りながらアレナ・ロート(
ja0092)は呟いた。
「そうなの? ってことは、アレナはハリネズミを見たことが無いんだ? ……あ、ちなみに本物のハリネズミね!」
彼女の呟きに反応したのは、すぐ隣で彼女と同じく阻霊陣と有刺鉄線を用いた罠を張る作業に従事していた雪室 チルル(
ja0220)だ。チルルはアレナの言葉に相槌を打った後、何かが気になったのか難しい顔をして考え込み始めた。
「丸まって移動だなんて変わった敵ね。どうやって前を見てるのかな? ……痛ッ! 「ちょっとー! また指に刺さったわ!」
そう一人ごちた瞬間、チルルは痛みに顔をしかめ、甲高い声を上げた。不器用な彼女は先ほどから罠を設置するのに四苦八苦しているのだった。
「おいおい、大丈夫か? ちょっと見せてみろよ」
有刺鉄線が刺さって血の滴が噴き出た指先を見ながらチルルが顔をしかめていると、近くで有刺鉄線を張っていた末松 龍斗(
ja5652)が心配そうに声をかける。彼は手早くチルルの怪我を確認すると、敵の針対策に用意しておいた救急箱を開けた。
「ちょっとじっとしててくれ」
一言そう言うと、龍斗はそれなりに良い手際でチルルの指先を消毒し、絆創膏を巻いていく。
「ごめん……ディアボロとの殴り合いの為に用意した救急箱なのにさ……」
申し訳なさそうに言うチルルに、龍斗は微笑んでみせる。
「気にすんなって! ほい、これでできあがり!」
チルルの指に絆創膏を巻き終えた龍斗に、今度はエルザェム・シュヴェルトラウテ(
ja6482)が声をかけた。
「別にそんな面倒なことしなくても、舐めておくだけで十分なのに」
すると龍斗は再び笑い、エルザェムに答えた。
「小さな傷だって油断しちゃダメだぜ。バイ菌が入るかもしれないからな」
すると鈴蘭(
ja5235)もそれに同調する。
「そうだよー。怪我を甘く見ちゃいけないんだからー」
育ってきた環境が違うせいか、二人からそう言われてもエルザェムが釈然としない顔でいると、仲間たちとともに罠設置の作業をしながらそれを見ていた花菱 彪臥(
ja4610)も会話に入ってくる。
「そうか? ちょっと切ったくらいなら俺も唾つけてほっとくけど――でも、毒とか持ってるヤツからつけられた傷は別なっ! あの手の場合はほっとくと大っ変なことになるからさっ!」
妙に実感のこもった声で言う彪臥。その隣で有刺鉄線をペンチで切りながら、雨下 鄭理(
ja4779)は何かを思い出そうとしながら独り呟いた。
「何というか、こういったものを見聞きした覚えがあるような……」
思い出せそうで思い出せないもどしかしさを鄭理が感じていると、それを感じ取ったのか、隣で彼と同じペンチを持って有刺鉄線をねじっていたジェイニー・サックストン(
ja3784)が口を開く。
「そういえばこういうキャラの出るゲームありましたね。結構古いシリーズのが。ま、なんにせよ潰し甲斐のありそうな相手ではありますが」
来るべき天使狩りの日のために、強い敵とやり合える機会はジェイニーにとって貴重なものだ。そして、彼女の一言にクラリス・エリオット(
ja3471)も拳を握り、力強い声で賛同する。
「むぅー……確かに一筋縄じゃいかない相手じゃが。でも、先輩方の敵討ちは必ず取るのじゃ!」
仲間たちの会話を聞きながら、鷺谷 明(
ja0776)はただ独り瞑目すると、静かに口を開いた。
「諸々の禍事 祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞食せと 恐み恐みも白す。祈願圓満感應成就 無上霊宝 神道加持」
祓詞、そして祈念祝詞の一節を唱える明。あまり知られていないが、彼は神職の家の出。信仰心は少ないが願掛けのつもりなのだろう。
●2012年 3月3日 12:13 東京都 首都高速道路 道路上
「罠設置完了、だそうだ。さて、始めるか」
二人乗りのスポーツカーの運転席に座る烏田仁(
ja4104)は助手席の石田 神楽(
ja4485)に声をかけた。
「了解です。無事、任務を完遂して第一陣や如月さんに安心してもらいたいものですね」
仁に応える神楽は穏やかな微笑みを浮かべていた。傍から見れば、特に緊張しているようには感じられない。仁は神楽の様子を見てとると満足そうに頷き、イグニションキーを回してエンジンをスタートさせた。
車両を貸与してもらえるよう仁たちが学園側と交渉を始めた矢先、敵を監視していた人員たちから現場付近に乗り捨てられた車両を発見したと連絡があり、しかも幸運なことにその車両にはエンジンキーが挿したままになっていたのだ。
「初めての左ハンドル車を堪能するとするか」
再び満足そうに頷くと、仁はアクセルを踏み込んだ。急発進時にかかる慣性を堪能しながら、助手席の神楽も相槌を打つ。
「確かに。この車、欧州製の輸入車ですし」
仁は一度深く深呼吸し、自らを鼓舞する意味も込めて車内に言い放った。
「えー、ご搭乗のみなさん。車掌の烏田だ。本日は針鼠捜索ツアーをご利用いただき誠に有難うございます。尚、本車は全席禁煙、状況により揺れる場合があるから注意してくれ。攻撃は外に向けてする分にはご自由にどうぞ。それでは快適じゃないかもしれない旅を楽しんでくれ……じゃあ、行くぞ!」
●止めよ疾走! 阻め突撃! 激闘! ヘッジホッグディアボロ!
「……アイツか?」
舗装道路とはとても思えない悪路と化した車線をしばらく走り回っていた仁は、たった今通り過ぎた合流車線のから何かが今自分たちの走っている車線へと進入してきたのに気づき、慌ててバックミラーを凝視する。
「そのようですね。さて、第一陣のリベンジと参りましょうか」
応える神楽は仁とは対照的に、いつもの笑顔かつ、いつものペースだ。
「来たぞ!」
気合の入った声で叫びながら仁はアクセルを踏み込み、二人を乗せた車は爆発的な加速を見せたが、それ以上に驚嘆するべきは敵の走行速度だ。丸めた身体をびっしりと覆う針で路面を削り、アスファルトの塵を撒き散らしながら敵は仁たちの車に肉薄する。
ほんの一メートルほどまでに縮まった距離をひしひしと感じながら、仁は更にアクセルを踏み込んだ。しかし、悪路と化した路面は依然敵に有利だ。一メートルの差は今にも消し去られてしまいそうだ。
エンジンの回転数は上昇しても、悪路のせいか走行速度はなかなか上昇しない。歯ぎしりしてタコメーターを見ながらハンドルを握る仁は、半ば叫ぶようにして助手席の神楽に問いかけた。
「敵はついてきてるか!」
やはり仁とは対照的に平静を保ったまま、神楽はサイドミラーに目をやると、ハンドルにかじりつく仁に手早く答えた。
「ええ。窓から攻撃して注意を引こうと思いましたが、その必要もなかったようです」
神楽の答えに耳を傾けながら仁は全体重をアクセルにかけ、再び絶叫同然に問いかける。
「よし! こっから罠を仕掛けたトンネルまでの道筋は――」
すると神楽はいつものペースで微笑みを絶やさないまま、前方に見えてきた行先表示板をゆっくりとした所作で指差した。
「次の分岐を曲がって横浜新道方面に入ってください」
「了解ッ!」
威勢良く返事をして豪快にハンドルを切る仁。だが、分岐に侵入した直後にフロントガラス越しに見えた光景を前に、彼は凍り付いて絶句した。
「マジかよ……」
なんと前方には第一陣が敵と戦闘した際に破壊されたETCレーンの残骸が壁となっていたのだ。しかも、後方からは依然として敵がすぐ近くまで迫っている。それを考えれば止まるに止まれない。だが、なんと仁はブレーキどころか更にアクセルを踏み込み、助手席の神楽に向けて叫ぶ。
「戦闘前だってのに悪いが、レーン手前の防音壁をブチ抜いてくれ! アウル充填最大……しかも六発全部頼むッ!」
それに微笑みとともに頷くと、神楽は窓から出した腕に握った銃の引き金を引く。神楽が意識を集中した瞬間、彼と防音壁の間を結ぶように黒い線が伸びていく。黒い線をまるでレーザーサイトのように駆使した神楽はアウルの銃弾を六発とも同一の着弾点へと正確無比に命中させた。
「クソッ、これじゃどっちがディアボロか解らないな……しっかり掴まっとけ!」
軽口を叩いて自分を鼓舞しながら車体を急カーブさせた仁は更にアクセルを踏み込み、防音壁に開いた穴へと突撃する。被弾で脆くなった防音壁は猛スピードで激突してきた車体に耐えられるはずもなく見事に突き破られる。防音壁を強行突破した仁はそのまま立体交差している下の車線へと着地し、仲間たちの待つトンネルの直前へと強引にショートカットしたのだ。
「懐かしいですね。私は専らシューターなんですが、稀に他ジャンルもプレイすることがありまして。確か、前に首都高をテーマにしたレースゲームをプレイした時にちょうどこんな感じの裏ワザがあって――」
神楽が言うと同時に敵がトンネル内へと突っ込んでくる。どうやら、ETCレーンの残骸を透過してきたようだが、まさかトンネル内に透過できない有刺鉄線が張られているなどとは夢にも思わず、敵は盛大に罠へと突っ込んだ。
「俺達で止めてやろーじゃん!!」
弾かれたように彪臥が動いた。トンネル内に設置されていた消火栓のドアを開け、取り出したホースで敵に放水を浴びせる。それに追い打ちをかけるように鄭理がスプリンクラーを起動させ、更には明と鈴蘭がインスタントカメラでフラッシュを焚いた。ハリネズミと似たような特性を持つゆえか、弱点とする水や強烈な光を立て続けに浴びせられ、敵は丸まりを解くと、四足獣の姿になって苦しげに呻く。心なしか、身体を支える足には力が入っておらず、頭もまるで眩暈に苛まれているかのように揺れていた。
「転がれなくするには1発で十分です。丸まれば、更に突き刺さりますよ? ――とは言いましたが、これで終わりではありません。ダメ押しです」
「これ以上の狼藉、捨て置けぬのじゃ!」
「あはは、何処を撃ち抜いて欲しいのー? いっぱい、いっぱい撃ち抜いてあげるからねー♪ あははは、いっぱいいっぱい撃ち殺してあげるねー!」
まず動いたのはアレナとクラリス、そして鈴蘭だった。二人揃ってロングボウから文字通り矢継ぎ早に矢を放つ。
「これで逃げられやしねーのですよ」
「申し訳ありませんが――撃ち抜かせて頂きます」
次に動いたのはジェイニーと神楽だ。針に覆われていないであろう部位――腹部を狙って銃撃し、敵の腹部へと銃創を刻む。
「弱い所も見た目通りですか。他の敵もこれくらい分かり易ければ助かるのですが」
そう言い捨てながらリロードするジェイニーと入れ替わりに、今度は接近戦主体の面々が動く。
「――『自分』は人形。闇に隠れて思いを出さぬ、衣を纏いし隠蔽の人形」
小さく声に出して掛け、鄭理は打刀を構える。
「来たな、ハリネズミ野郎。残念だがここにリングは転がってないぜ! だからダメージはダイレクトだ……思う存分ボコにしたる!」
ゲーマーらしい気合の入れ方で、龍斗も同じく打刀を構えた。
「無駄に刺々しいわね!あたいが丸くしてやるわ!」
チルルが雄叫びを上げる。真正面からの殴り合いはテンションが上がるようだ。
「ストレス発散なのか、高速降りられないのか知んねーけど、これ以上好き勝手はさせないぜっ!!」
彪臥もショートソードを構えながら、負けず劣らずの威勢で雄たけびを上げた。
「ガルルゥッ!」
エルザェムはというと、四つん這いになった状態で唸り声を上げる。その様はあたかも狼のようだ。
「喰らっとけ!」
仁も闘争心を全開にしてショートソードを構える。
「小細工を弄する訳でも無く単純に速い、か。面倒くさいな」
一方、四人とは対照的に明は冷静に敵を観察しながらケーンを握りしめた。
阿吽の呼吸でタイミングを合わせ、六人は同時に敵へと近接攻撃を叩き込んだ。
鄭理と龍斗の打刀が、チルルと彪臥、仁のショートソードが、そして明のケーンとエルザェムの鉤爪が一斉に敵へと襲い掛かり、針に守られていない急所へと致命打を次々に叩き込んでいく。撃退士たちの猛攻を受けて、敵はうつ伏せになって動きを止めた。
「やった……のか?」
誰にともなく問いかけるように龍斗が呟いた瞬間だった。なんと、いきなり敵が立ち上がると、生傷だらけの身体をもろともせずに丸まり、転がってきたのだ。一瞬でトップスピードに達した敵はトンネル内を縦横無尽に駆け回る。いかに撃退士といえど、近距離から時速100キロ以上の速度で繰り出されては避けようがない。龍斗たちは一人残らず吹っ飛ばされ、あるいは轢き潰されて、トンネル内に叩き伏せられる。
「どう……して……? 腹部があれだけ傷ついて、もう丸まれないはず……なのに」
無数の針が刺さり、あちこちで打撲と骨折が多発する身体を起こしながら、アレナは苦しげに呟いた。
「精神が肉体を凌駕してやがるんでごぜーますよ」
同じく傷だらけの身体で立ち上ったジェイニーがアレナの疑問に答える。だが、今度はチルルから疑問を問いかけられた。
「どういう意味? 難しい言葉でよくわかんないんだけど」
幸いにも愛用のメガネは無事だったのに安堵して息を吐くと、ジェイニーはチルルにも答えた。
「要は、痛みや苦しみが吹っ飛ぶほどブチ切れてやがるっつーことです」
彼女たちが言葉を交わしている間にも、敵は再び突進を繰り出す。ただでさえ近距離な上に重傷を負った彼女たちでは、もやは直撃は避けられない。彼女たちの心を諦念が過った瞬間、眼前に明が飛び出した。既に十分重傷であるにも関わらず、彼は更なる重傷すらも厭わずに、なんと敵を正面から止めにかかったのだ。
武器を鉤爪に持ち替えた彼は左手の鉤爪を敵に突き刺し、右手の鉤爪を路面に突き立て、強引にブレーキをかける。路面と鉤爪の間に火花を散らせながら、遂に彼は敵を受け止める。
「行くぞ! エルザェム!」
「ガルルゥッ!」
龍斗とエルザェムは目配せ一つでタイミングを合わせると、動きの止まった敵へと渾身の一撃を繰り出した。龍斗が敵の胴体を斬り裂き、そしてエルザェムがその太刀傷から鉤爪を突っ込み、敵の心臓を抉り出す。
「アオォォォォォン!」
狼のような咆哮を上げ、彼女が心臓を握り潰すと、遂に敵は絶命して完全に動きを止めた。
安心してその場にへたり込んでいた龍斗に、救急箱を持ったチルルが駆け寄る。戦闘終了後、彼女は仲間を手当して回っていたのだ。チルルの取り出したピンセットを見て、アレナはしみじみと呟いた。
「外の世界には便利なものが多いですね」
不器用なりに頑張って龍斗に刺さった針を無事に抜き終えたチルルは満面の笑みとともに言った。
「さっきはありがと。今度はあたいの番だね!」