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「……とりあえず、慎重に行こうか――とも言っていられないな。もはや」
自分達の接近に気付き、大挙して押し寄せてくる中型犬サイズの蜂が成す群れ。
常人ならばそれだけで卒倒してしまいそうな光景を前にしても、水無瀬 快晴(
jb0745)は落ち着きを失わない。
「……撃ち落とさせて貰うよ」
淡々と言いながら快晴はリボルバーの銃口を上げ、幾度となくトリガーを引いた。
最大射程で放たれた銃弾は正確な軌道で空中の蜂に命中し、毒針が届く距離まで近づくことすらできずに次々と撃ち落とされていく。
「右方向からの群れはお願いします。左方向は私が」
アウルによって生み出した蒼色の風の刃を飛ばし、ナタリア・シルフィード(
ja8997)も快晴と同じく飛行する蜂を撃ち落としている。
「アンバーハニーをゲットするよっ」
陽気な声とともに放たれるのはクナイだった。
矢継ぎ早に投擲されたクナイは銃弾を避け、風の刃を振り切って旋回直後の蜂へと正確無比に突き刺さっていく。
そのクナイを投げているのは下妻ユーカリ(
ja0593)。
彼女は『巣』にて待ちかまえている『アンバーハニー』を想像して上機嫌なようだ。
「ええ。その為にもここは何としても突破したいところです」
上機嫌なユーカリに相槌を打ったのは、彼女の近くで戦っている黒井明斗(
jb0525)だ。
弓を使う彼も、やはり銃弾と風の刃による迎撃をくぐり抜けてきた蜂たちを撃墜し、撃ち漏らしに対処している。
既に二人の周囲には銃撃で風穴の開いた蜂の死骸と、風の刃で真っ二つに切り裂かれた蜂の死骸が山積みになっていた。
それでも、すべての蜂が撃ち落されているわけではない。
現に、それなりの数の蜂が迎撃をかいくぐって毒針の届く距離まで接近を果たしていた。
「悪いけど、『オシゴト』です。許してね♪」
だが、よしんば快晴とナタリアの迎撃を避けて接近してこれた蜂たちも、今度は諸伏翡翠(
ja5463)が縦横無尽に振るうトライデントによって次から次へと叩き落とされていたのだった。
それだけではない、湖城 雅乃(
jb2079)も穂先が雷のような形状になった槍――雷桜を振るい、押し寄せる無数の蜂を片っぱしから貫き、斬り倒していく。
「私、虫って嫌いなんだよ」
雅乃は口ではぼやきながらも、獅子奮迅の激しさで槍を振りまわし、接近距離まで侵入してきた蜂を無数に返り討ちにしている。
前方の穂先で蜂を貫いたまま槍を横向きに振るい、そのまま穂先で別の蜂を薙ぎ払うという豪快な槍捌きで雅乃は着実に撃破数を上げているようだ。
快晴とナタリアの二人が迎撃し、ユーカリと明斗が撃ち漏らしに対処、そして翡翠と雅乃の二人が防衛ラインを抜けてきた蜂を叩き落とすというコンビネーション。
それが蜂たちによる物量を活かした面の制圧攻撃をかろうじて防いでいる間に、 鍋島 鼎(
jb0949)は体内のアウルを一箇所に集め、精神を集中していた。
「最高のホットケーキ、ですか……ここまで危険を冒して作る物がホットケーキというのもなんというか、釈然としないというか……」
言葉通り、釈然としない顔をしながらも鼎はアウルの力で出現させた炎の球体を蜂の群れへと投げ入れる。
砲弾の如く放たれた火球は群れの中で爆発し、何匹もの蜂を爆殺した。
「二人のおかげで進路が開けた――皆、行くぞ」
静かで力強い声で合図をかけたのは皇 夜空(
ja7624)だ。
合図の声と同時、夜空はアウルを込めた鋼糸を振るう。
殆ど視認できない煌きが空中に光った後、射撃と槍と火球の三段迎撃をくぐり抜けた僅かな蜂たちがすべて輪切りになる。
輪切りになった蜂の死骸が地面に落ちた後、夜空は仲間たちと共に全力疾走で蜂の『巣』へと駆け込んだ。
巣に入るまでは慎重に行くという方針を共有できていたおかげで彼等は、巣にある程度まで近付くことはできた。
だが、巣を守ることに全神経を集中し、その上で圧倒的な数の監視員がいるとなれば、いかに撃退士といえども気付かれずに侵入というわけにはいかなかった。
すぐに大挙して出撃してきた防衛部隊――大量の蜂を前に決死の突破作戦を強いられていたのだった。
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「なんて数……! これだけの数のサーバントが群生していたなんて……!」
巣の中を目の当たりにし、鼎は絶句した。
入口にあたる部屋を除けば、それ以外はほぼ360度全方位の壁という壁に巣穴があり、そこにはもれなく蜂が待機している。
しかも床から天井付近まで隙なくびっしと巣穴は重ねられており、中に潜む蜂が壁を埋め尽くしている。
否――もはやこれは壁そのものが蜂といった方が正しいかもしれない。
「蜂の巣って聞いてたから予想はしてたけど……これは想像以上だね」
虫嫌いの雅乃は嫌悪を隠しもせずに言う。
「おしゃべりはそこまでだ……行くぞ」
二人の会話を遮るように割って入ると、快晴は天井に開いた穴を指さした。
彼の意図を察し、すぐさまユーカリが垂直跳びで天井の穴を超え、上階へと移る。
更にユーカリは穴の淵にかがむと、下の階へと向けて手を伸ばした。
待ち構えていたかのように、阿吽の呼吸でユーカリの手を掴んだのは明斗だった。
「よいしょっとっ! まずはわたしたちが上らないとねっ!」
「これはこれは、助かります」
明斗が二階へと上りきると同時、一階で壁の穴に待機していた蜂たちが羽音を立て、一斉に出撃準備へと入る。
「急げ……! 止まるな……!」
仲間たちを叱咤しながら、快晴はいち早く飛び出そうとしていた蜂の一匹を拳銃で射殺する。
銃声が合図となったように、仲間たちは次から次へと上の階へと飛び上がっていく。
仲間たちが全員二階へと上がったのを確認し、快晴も二階へと跳び上がる。
「どうする? ここで迎え討つ? ……といっても、相手にしないといけない蜂は下の階だけではないけど――」
二階の内部をぐるりと見回すナタリア。
彼女の言う通り、二階には一階と同様に壁一面に蜂が待機しており、今まさに動き出そうとしている所だった。
「俺たちが相手にするのは進路上にいる最小限の蜂……正確にはどの蜂とも積極的に交戦しないで、最小限の蜂だけ相手にするんだ。これだけの量、しかもここは敵地の内部だ。まともに相手をしていたら俺たちはジリ貧になる……」
答えるのは快晴だ。
「しかも……『アンバーハニー』を傷つけない為にも……巣の壁や天井を壊すわけにはいかない……つまり、正規ルートを通らざるを得ない……だからなおのこと、まともに交戦していたらこちらが持たない……」
快晴に続き、今度は夜空が鋼糸を振るいながら仲間たちを叱咤する。
「快晴の言う通りだ……ここは一点突破で突っ切るしかない――!」
二人が進路上にいた蜂を殲滅したのと並行して、一階からいち早く上がって来た蜂を槍で突きながら雅乃は返事をする。
「了解だよ――」
槍を蜂から引き抜き、快晴と夜空を振り返った雅乃は巣に朗々と響き渡るような威勢の良い声で言い放った。
「――それじゃ、蜂蜜入手作戦開始だよ!」
雅乃は別の蜂を突き刺すと、そのまま繋がる動きで二階の床に石突を打ちつけ、棒高跳びの要領で三階へと跳び上がる。
三階へと到達した雅乃はすぐさま手を二階へと伸ばして仲間たちが上がるのをサポートする。
「ここは先程と同様に、私が蜂を掃討すべきでしょうか――」
手の平にアウルを集中し、早くもソフトボール大の火球を生成している鼎だったが、そんな彼女にナタリアが釘を刺す。
「待って、鍋島さん。このサーバントがミツバチと似た特性を持っているなら、炎は危険だわ」
既にバスケットボール大まで育った火球を保持しながら、鼎はナタリアを振り返る。
「ミツバチの巣の主成分は蜜蝋――引火すれば一大事だわ」
「蜜蝋?」
咄嗟に聞き返した鼎にナタリアは即答する。
「働き蜂が身体から分泌する物質ね。化粧品やクレヨンの原料にも用いられるけど、やっぱり一番の用途はその名の通り蝋燭よ。私にとってゆかりの地――西洋では昔、実際に蜜蝋から蝋燭を作っていたというし」
ナタリアの言わんとしていることを聡く察し、鼎は火球を消すと、代わりにタロットを取り出した。
「蝋燭の原料になるくらい、燃料としては優秀ということですか……ううむ」
「もしかすると、先程の鍋島さんの攻撃で蜂の群れが爆散したのも体内の蜜蝋に引火したのかも。物理の炎と違ってアウルの炎だから実際はどうなるか断言はできないけど……試してみるのは危険かもしれないわ」
風の刃で進路上の蜂を切断しながらナタリアが言うと、鼎は愚痴りつつタロットの力で炎以外のものを生み出して攻撃し始める。
「まったく……特性だけで言えば炎が有効な相手なのに……これじゃまるで炎無効の敵みたい……」
一方、仲間たちを上に行かせるべく奮戦していた夜空は、一瞬の隙を突かれて背後から毒針を刺されかける。
刺されるその瞬間、彼を救ったのは翡翠だった。
「助かった。感謝する」
そのまま翡翠は夜空の背中を守るように立ち、トライデントを構える。
「早く行け」
手短に告げる夜空に対し、翡翠は既に答えは決まっているかのように応えた。
「夜空を置いて先にはいけないから」
彼等の奮戦によって、少しではあるが確実に上階への進路は開けていくのだった。
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その後、同一の手順を繰り返した撃退士たちは遂に九階まで上りつめていた。
九階には蜂はおらず、ただ奥の部屋に続く廊下があるだけだ。
しかし一方で、階下からは今まで振り切って来た都合八階分の蜂たちが迫っている。
もはやその羽音は大音響と化しており、それだけで巣が壊れるのではないかとすら思えてしまう。
「行け、ここは俺たちが食い止める――確保できたらユーカリの能力で外壁を伝い、脱出を優先してくれ」
「だからユーカリさんと明斗さんはこの先に行ってください」
意図を理解した様子の明斗に夜空は言う。
「無事脱出できたら――また会おう」
夜空と翡翠の言葉に頷き、ユーカリと明斗は奥の部屋へと進む。
そして、奥の部屋へと足を踏み入れた瞬間、二人は余りの眩しさに手をかざした。
「これは……」
驚きに声も出ない明斗。
無理はない。
なにせ、その部屋は外から差し込む陽光が壁一面に反射し、琥珀色の輝きで満たされていたのだから。
「まさに『アンバーハニー』っ!」
興奮した様子でユーカリは指ですくって一舐めする。
直後、しばし放心していたものの、すぐに彼女は容器に蜂蜜を詰め始めた。
ほどなくして手持ちの容器をすべて満たした二人は壁へと向き直る。
十字槍で壁に穴を開けた明斗に、ユーカリは手を差し出した。
「ささ、手つなごっ!」
手を繋いだままユーカリは、開いた穴から壁の外へと躊躇なく踏み出した。
「えっ……!?」
足裏を壁面にアウルで吸着できるユーカリに対し、明斗はユーカリが掴んでくれる手だけが頼りであり、足裏の吸着などない。
更には凄まじい速度で迫って来る地面と頬を撫でる空気抵抗で、その顔はすっかり引きつっていた。
「ちょ、ひとまず止ま――」
言いかけた明斗は、背後から聞こえてきた羽音をちらりと振り返り、顔を更に引きらせた。
今まで夜空たちを襲っていたすべての蜂が、蜂蜜を持つ二人へと標的を変更し、全戦力をもって追い掛けてきたのだ。
空を埋め尽くさんばかりに大挙して襲ってくるそれは、もはや蜂の群れというよりは黄色と黒の幕といった方が正しい。
しかも、それだけに留まらず、今もなお巨大な巣からは増援の蜂が吐き出され続けている。
「――やっぱり止まらないでください!」
なんとか着地は無事に成功した二人だが、安心するにはまだ早い。
もう倍以上になっている蜂の群れを背に、二人は全身全霊で疾走した。
どれだけ走り続けただろうか。
既に心身ともに限界を超えて走り続けていたせいか、明斗はつまずいてしまう。
それでも半ば本能的にアウルの防壁で容器を守り、盛大に転がる明斗。
そんな彼に膨大な数の蜂が迫る。
逃げようにも間に合わない――明斗が覚悟を決めた瞬間、蜂たちは直前で踵を返して去って行った。
「まさにここが縄張りのラインだったんですね……」
盛大に転がったことで縄張りの外へ出られたのを理解し、明斗はほっと息を吐いた。
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数日後。
三輪さんから感謝の印として、『アンバーハニー』の入手に向かった撃退士たちと佳耶は料理専門学校の創立五十周年記念パーティに招待されていた。
料理学校のパーティということもあり、ならんでいるのは素晴らしい料理ばかりだ。
「皆さんには心より感謝しています。おかげで恩師にささやかながら恩返しができました。これも皆さんが命懸けで『アンバーハニー』を手に入れてくださったおかげです……本当にありがとうございました!」
深々と低頭する三輪さんに恐縮しつつも、ドレス姿の鼎は彼が去ってから、彼より直々に手渡された『最高のホットケーキ』に目を落としていた。
「最高のホットケーキ、ですか……あれほどの危険を冒して作る物がホットケーキというのもなんというか、釈然としないというか……とも思っていましたが、案外、悪くないものですね」
静かに呟く鼎に対し、近くではドレスを着たユーカリが三輪さんの監修した料理ドラマのプロデューサーにハイテンションで自己紹介している。
それらをテラスから微笑ましげに見ていた佳耶に、ふと夜空が声をかける。
やはり佳耶もドレス姿であり、夜空のほうはタキシード姿だ。
「佳耶――」
「あ、皇さん……どうしたっスか?」
夜空の表情がいつになく真剣なのを察した佳耶が問いかけると、夜空は意を決したように告げた。
「……佳耶……俺は……お前が好きだ、佳耶が好きだ。好いてしまった、あの時ゲーセンで遊んだ時、教会で話した時――胸が高鳴った、俺は、皇 夜空は、ナイトヘーレ・ファブニールは、如月 佳耶を好きになった」
突然の告白に佳耶は驚愕し、恥ずかしさで耳まで真っ赤になる。
しばし俯くも、やがて顔を上げた佳耶は意を決したように口を開き、そして告げた。
「あたしも……あたしも好きっス。皇さんが大好きっスよ。だから……凄く嬉しいっス。でも、皇さんにはあたしなんかより、相応しい人が――」
佳耶が言いかけるのを遮るように夜空は言う。
「相応しいのはお前なんだ、佳耶。この世界で俺に相応しい人がいるとすれば、それは佳耶しかいないんだ」
「で、でも……」
ただ一つの迷いも無く宣言すると夜空は、佳耶が何かを言おうとする前に唇を重ねた。
唇で口を封じられて驚くも、佳耶は瞳を閉じ、それを受け入れる。
しばらくして夜空は唇を離す。
瞳を開いた佳耶は微笑みを浮かべた後、弾けるような笑顔になって言う。
「こんなにもあたしのコトを好きになってくれて――本当にありがとうっス」
そして、二人は互いに見つめ合い、再びゆっくりと唇を重ねた。