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(教室で見せたあの速さが撃退士として一つの極みであるのなら、最低限そこへ辿り着かなければこの先戦い抜くことは出来ないという訳か……上等だ。手加減は無し、全力でやらせて貰おう)
スタート地点として設定された校舎前の広場でリョウ(
ja0563)は胸中に呟いた。
彼と同じく猪狩 みなと(
ja0595)も風子を見つめながら、自分に言い聞かせる。
(私よりちょっと年下くらいかなぁ……そんな歳で誰にも負けない取り柄があるって凄いよね。私も誇れるもの、磨いていかないとなぁ)
じっと風子を見つめる、大学部のみなと。
そんな彼女にひとりの女子高生─一条 朝陽(
jb0294)が話しかけた。
「風子先生かぁ〜、面白い先生だね! 速さを求める身としてはとても気になる先生だよ! 良い訓練になればいいね!」
女子生徒ふたりのやりとりに、戸次 隆道(
ja0550)も決意を新たにする。
「極めた速さって尊敬に値すると思います。でも、自分より優れた相手と戦わないと行けない時は必ずあります。そして、やるからには勝たないと。少し……燃えてきました」
既に深呼吸で心身の調子は整っている。準備万端だ。
「あはは。二人ともやる気だね。うん。一生懸命は良いことだ」
みなとが二人に向けて言う横で、桐村 灯子(
ja8321)と山木 初尾(
ja8337)も言葉を交わしていた。
「あの速さについていけるかしら」
「速水風子先生、何で普段はあんなにスローなんだろうな……まあ、速さを極めるっていうのは、尊敬できるな……」
ふと灯子が一人語ごちると、初尾もどこか一人語ごちるように言葉を返す。
その様は二人が会話しているというより、独り言が偶然噛み合っているようだ。
もしかしたら、この二人は思いの外、息が合っているのかもしれない。
少し離れた所で黒夜(
jb0668)と時駆 白兎(
jb0657)も風子を観察しながら話していた。
「リングを絶対に奪取してやる。同時に、速水先生の速さも観察しておきてーな」
意気込むように黒夜が言うと、年齢の割に落ち着いた口調で白兎が相槌を打つ。
「……『一つの事を極めんとする尊さ』ですか。ではボクも自分の執念を一つ、信じてみましょう」
白兎の言葉が火を点けたのか、黒夜は更に意気込んだ様子で言う。
「ま、報酬に釣られた以上、きっちりやるか――!」
各々が見守る中、藤咲千尋(
ja8564)と黒百合(
ja0422)は風子に話しかける。
「鬼ごっこ開始前に提案ー!! この学園すっごく広いから、現在地がココとして、この辺りまでの範囲で限定しておきませんかー??」
スキルを用いてマーキング済のA4用紙にさらさらっと略図を書いて渡す千尋。ちなみに、事前に皆と打ち合わせた2箇所の行き止まりをわざと書いていない。
「あと、先生は変化の術使用不可なんてどうかな??」
地図を渡しながら言う千尋に黒百合も同調する。
「変装された場合、私たちは追跡する事が出来ないしねェ。それに、変装した先生を探すのはもはや『速さ』を鍛える授業とは違うという気もするわァ」
二人から提案され、風子は普段から糸のように細い目を更に細めて考え込んだ後、ほんわかした顔に戻って答えた。
「いいよ〜。キミたちの言ってる通りだしね〜」
風子が快諾してくれたのに千尋は大喜びする。
「わぁい!! 頑張って捕まえますよ!!」
千尋は人懐っこい笑顔で風子に接近すると、スキルの力でマーキングしたビニールテープを風子の服の裾にそっと貼り付ける。
「ん〜? 何か付いたかも〜? まあいいや〜。それじゃ今からスタートにするね〜」
風子がそう言い終えた時には既に、その姿はリョウたちの視界内になかった。
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「現在まっすぐ北上中、先回りして追い込むよー!!」
マーキングを頼りに追跡しながら、千尋は携帯電話で仲間に告げた。
鬼ごっこが始まって既に十数分が経っているが、依然として千尋たちは風子を捕えられずにいた。
かろうじて見失わずに済んでいるが、捕まえられるような感触は今のところ持てていない。
純粋な追いかけっこ――即ち正攻法での速さ勝負では、千尋たちは良くて少しの間、風子の姿を目で追い続けられる程度が関の山だった。
おそらく、このままでは風子の一方的な完勝だろう。
しかし、千尋たちに諦めの色はなかった。むしろ、最後の勝負に向けて彼女たちの戦意は凄まじく高まっている。
このまま最後の勝負をかけるべく、千尋たちはとある作戦に則って策を仕掛けた場所まで風子を追いこんでいく。
千尋からの連絡を受け、方々に散っていた仲間たちが続々と集まってくる。
風子を追い込むべく疾走しつつ、隆道は一緒に走る初尾に話しかけた。
「訓練とはいえ、勝負は勝負、勝たなければ。私達に求められるのは勝利ですから。その為にも頑張るとしましょう」
初尾は憂鬱そうな声で返事をするも、決して邪険にすることなく、そのまま言葉を交わし始める。
「頑張る、ね――なあ、こんな俺でも、速さを身につけて戦えば、少しは意味のある人生になるだろうか……?」
「それはまだ何とも言えませんが……少なくとも、その答えを見つける役には立つと思いますよ」
「そうか。随分と熱い男なんだな」
「ただ負けず嫌いなだけですよ」
「不思議な奴だ。この追いかけっこが終わったらもっと話を聞かせてくれ」
「良いですよ。では、気持ち良く話をする為にも勝たせてもらいましょうか――」
疾走しながらの二人の会話に、合流した朝陽も入ってくる。
「お話し中ごめんねー! そろそろ最後の追い込みをかけようと思うんだけど、いいよね?」
朝陽の問いに隆道はしばらく考えた後、小さく頷く。
「大丈夫でしょう。もうすぐ所定の場所に着きますし、私としても潮時だと思います」
「うしっ! じゃあボクが先行して突っ込むよ!」
速度を更に上げた朝陽から、並走する初尾を視線を移しつつ、隆道は二人に問いかけた。
「なら私たちもそれに便乗させてもらいましょう。彼のような例はともかくとして、単独突入では熟練の撃退士である先生に対して威力不足かもしれませんし」
言いながら隆道が横目で見る先には、召喚したスレイプニルに跨った白兎が凄まじいスピードで駆けていく。
白兎から目を戻した隆道、そして初尾と目配せした朝陽は、一気に突撃の姿勢へと入った。
「それじゃ……いっくよー!」
朝陽はサブウェポンにしている打刀をヒヒイロカネから呼び出すと、納刀したままそれを突き出し、全力を両脚へと注ぎ込む。
ラストスパートをかけるかのような全身全霊での力走の甲斐あってか、朝陽は風子との距離をどんどん詰めていく。
「おお〜。速い速い〜」
接近してきた朝陽に気付いて振り返った風子は、疾走の激しさとは裏腹に穏やかな声で言う。
一方、遂に殆ど零距離まで接近することに成功した朝陽は、打刀から手を離し風子へ全力で飛びついた。
「おお〜!」
意表を突く朝陽の攻めに驚いたものの、風子は垂直跳びでそれを避ける。
「……ふぇ!?」
避けられた朝陽は、おいそれとは止まれない。慣性の法則というやつだ。
「……って、おおおぉわぁ!?」
その体が教室のドアに激突する一瞬前──
「あぶない〜」
風子は、垂直跳びから続く動作で壁走りの術を発動し、天井を高速で走り抜けた。
そのまま教室のドアを開け、室内に先回りして朝陽の身体を抱きとめる。
「気を付けてね〜。でも焦ったよ〜。もう少し速かったらピンチになってたかも〜」
受け止めた朝陽をそっと座らせると、風子はリングを奪われないうちに距離を取った。
「お言葉ですが速水先生。既にあなたは『ピンチ』といえる状態にあります――あながち一条さんの行動は無駄ではなかったようですよ。開始からずっとあなたを補足し続けて、この部屋に追い込むことができたのですから」
「ふぇ〜?」
「純粋な速さでは敵わずとも、あなたには『マーカー』が付いていましたからね」
教室に待ち伏せていたみなとに言われ、風子は気の抜けた声で聞き返す。
「あー、あのビニテそういうことだったのかあ〜」
「気付いてたんですか……?」
少しばかり驚いてみなとは風子に問うた。
「うん〜。でも〜怪我したり死んだりするわけじゃないから〜まあいいかな〜って」
「そこは「まあいいかな〜」で済ましていいんですか、先生」
天然ボケっぷりを見せつけた風子に、みなとは呆れ顔でツッコミを入れる。
呆れかえったみなとに代わり、合流したリョウが風子に告げた。
「この部屋は貴方を包囲する為に十重二十重に罠を仕掛けてある。速さに自信が有るのでしょう? 俺達の罠程度、切り抜けてみせて頂きたい」
彼の言う通り、それほど広くないこの教室はみなとたち『待ち伏せ班』によってロープなどの道具を使った罠が所狭しと張り巡らされ、窓も念入りに封鎖、入り口も今入ってきた所を除いて厳重にバリケードが施されている。
しかも、残る入口も、近くにいた朝陽がすかさず封鎖していた。
「この場所ならば他の場所のように走ったり跳んだりはできない――即ち、貴方の誇る圧倒的な機動力も100%発揮できないということです」
高らかに宣言するように言うリョウ。彼の言葉に呼応するように、残りの仲間もすべて合流し、罠を設置していた『待ち伏せ班』と合せてすべての仲間がここに揃った。
リョウが腕時計に目を向けると、丁度『11』の文字上を長針が過ぎ去った所だ。
「残り259秒……速水教師、残り時間はもう後がない……これが貴方からリングを奪取するラストチャンスだ。では、最後の勝負です――皆、行くぞ!」
リョウからの合図を受け、仲間たちは一斉に動き出した。
「さァ、鬼から逃れないと、鬼に捕まるとォ……美味しく食べられちゃうんだからねェ♪」
にんまりと笑いながら、黒百合は嬉々として風子に跳びかかる。
壁走りの術と天性のバトルセンスを駆使した、その立体的な攻勢は並みの天魔であれば十分な反応もできずに制圧されてしまうだろう。
全く同時に壁走りの術を駆使して初尾も風子に肉薄する。
この教室内に僅かに残る移動可能なスペースに進入することで、それをすべて押さえてしまう作戦だ。
「俺は早く死にたいと思う……おかしいか……? 天魔だの紛争だの政治だの……人間の世界ってのは何でこうも混沌としてるんだろうな……生き急いででも突っ切って、天魔もろともさっさと消滅したいよ……まかり間違って、あと百年も脅かされて老いていくなんて、正気の沙汰じゃない……」
にんまりと笑う黒百合と憂鬱な顔で問いかける初尾、そして二人に続いて跳びかかる仲間たち――風子に迫る手は彼等だけではない。
「さっきは挨拶しそびれたもんで。それじゃ改めて先生、よろしくお願いしますねぇ」
スキルの力で闇に潜み、待ち伏せていた待ち伏せていた黒夜は潜んでいた闇から一気に飛び出して風子を後ろから掴みにかかる。
ほぼ全方位からの一斉攻勢。
加えて、縦横無尽に駆け回ることも、教室の外に脱出することも難しい状況。
「なッ……!」
だが、リョウは驚愕の声を上げた。
一斉に飛びかかった自分と仲間たちは確かに風子に触れた筈。
しかし、まるで立体映像を掴んだように、自分たちの手がすり抜けていくのだ。
(この動き……彼女は俺たちの攻撃を避け続けているのか? いやまさか、そんなことが──)
リョウは自分の仮説が未だ信じられない。
とはいえ、風子の表情からも余裕の色は失せていた。
「う〜んとね〜わたしは別に人それぞれの考え方があっても良いと思うな〜」
それでも初尾の問いかけに応じるあたりが、教師というべきか。
「うん〜頑張れ少年〜。若さっていうのは振り向かないことだからね〜」
攻防に視線をとどめたまま、黒夜は白兎に語りかけた。
「見た所、先生の速さは『無駄な動きがない』『反射神経・動体視力が優れてる』ってとこだね。凄まじい知覚力と体捌きの組み合わせ――それがあの速さの秘密だと思う」
「なるほど。なら『彼』に『こちらの世界へ来てもらう』ことでなんとかできそうです――」
一方、時計の針は『45』の上を過ぎた。
残り15秒。
リョウは咆哮の如し雄叫びを上げる。
「その速さが一つを極めることで得たものならば、俺は俺の全てを以て凌駕しよう。他の全てを手放さず、万象遍く抱えたままその高みを超えてみせる!」
残り10秒。
リョウは全アウルを速度の向上に注ぎ込み、最後の瞬間まで追いすがる。
残り5秒。
しかし風子はリョウの突貫をかわす。
だが、先回りするように仲間たちが風子に殺到する。
やむなく風子は残り5秒間を逃げ切る為、横へと跳び退ろうとした。
風子が跳んだ瞬間、突如として彼女の跳躍軌道上に2m以上はある幻獣が現れる。
その幻獣こそ、白兎が召喚した『スレイプニル』だ。
「わあ〜〜!?」
さしもの風子も反応しきれず、異界の幻獣に激突。反動で吹っ飛ばされた。
生じた一瞬の、そして最後のチャンスを捕まえようとリョウが床を蹴る。
机のバリケードに激突する寸前、リョウが風子を『お姫様抱っこ』の体勢で受け止めた。
「痛たたた……びっくりしたよぉ……」
思わず風子が呟くと同時、リョウにしっかりと保持された風子の腕から隆道がリングを抜き取った。
そして、その瞬間、風子がリングとは逆の腕にはめた腕時計がアラーム音を鳴らし、タイムリミットが来たことを告げる。
「俺達の勝ちのようですね」
「やられちゃったよ〜でもどうして〜?」
お姫様抱っこをしたまま言うリョウに問い返す風子に答えたのは、白兎だった。
「召喚術にいくらか慣れた者なら、召喚状態を解除後、即座に別の場所へと高速召喚――つまり現出させることができます。これを応用すればある程度『消したり出したり』が可能となるわけです」
白兎の言葉を引き継ぐように、今度は黒夜が言う。
「で、召喚獣ってのは普段、こことは別の世界にいるらしいですからねぇ。だから、術者が喚ぶまではこの世に存在しないわけですよぉ。いかに知覚力や体捌きが凄かろうと認識の外からの攻撃……いわば、発生のまさにその瞬間まで認識できない攻撃――そもそもこの世に存在してない攻撃には反応できないですからねぇ。そこを突いたというわけですよぉ。知覚力も体捌きも、認識すべき対象があって初めて効果を発揮しますからねぇ」
降ろしてもらった風子に、今度は灯子が語りかける。
「この人数でようやくいい勝負なのですね――上には上がいる。それを実感しました」
灯子が話している、やおら千尋が横から風子に抱きついた。
「風子先生すごい!! これからよろしくお願いしまーす!!」
抱きついたまま、風子に頭を撫でられながら、千尋は自問自答するのだった。
(わたし、まだ自分の戦闘スタイルを模索中だし、速さを極めた風子先生を尊敬しちゃう――わたしは何を極めていこうかな……)
(2012年、1月11日修正)