●勝利条件:俊敏なる兎の如く! 洋上の大勝負!
――八月某日 神奈川県 横浜市 沖合――
「3、2、1……戦闘開始! 行っくよー!」
大型船舶の甲板に立ち、ダイバーウォッチのデジタル表示に目を落としていた與那城 麻耶(
ja0250)はカウントダウンを刻んだ後、ストップウォッチを始動させた。
0:00のデジタル表示が動き出すと同時、麻耶は甲板から勢い良く跳び下り、水面へと『着地』する。
水上を歩行する術の持続時間は最大で15分。
それが麻耶にとってのタイムリミットだ。
真っ先に海原へと降り立った麻耶を察知したのか、あるいは麻耶の背後に佇む大型船を察知したのか定かではないが、敵は麻耶に向けて一目散に突っ込んでくる。
だが、麻耶は憶すことなく真正面から跳躍し、敵を飛び越すとともに、眼下を通り過ぎる敵へと鎖鎌を投げつける。
ただの鎖鎌ではない。
水中での位置をある程度把握できる様にシグナルフロートを用意して繋げる工夫がなされているのだ。
麻耶が投じた鎖鎌は狙い通り敵へと突き刺さる。
これだけの船が動いててシャチまで暴れていれば、水面はかなり荒れている。
シグナルフロートを付け終えた麻耶は海面を見やり、仲間たちに声をかけた。
「これだけの船が動いててシャチまで暴れてる……水面はかなり荒れてるんじゃないかな。みんな! 揺れにも気を付けてね!」
麻耶からの声に頷き、ついさっきまで麻耶が乗っていた大型船の内部から遠距離攻撃組――蒼波セツナ(
ja1159)とユイ・J・オルフェウス(
ja5137)、そしてカーディス=キャットフィールド(
ja7927)が甲板へと飛び出す。
「この時期に海を荒らされるのは困るわね……ふふ、消し飛ばしてあげるわ」
自分の乗る船に向けて突進してくる敵を油断なく見据えながら、セツナは唇を小さく開き、呪文の詠唱を開始する。
「大変そう、ですけど、がんばる、です」
ユイはシャチの見た目を少しばかり怖がっているようで、察するに怖いから早く終わらせたいようだ。
「た、食べられちゃったりしない、ですよね」
そんなユイの心境とは裏腹に、敵は銛のような鋭い歯が並ぶ大口を開け、速度を更に上げて大型船へと襲いかかってくる。
「海水浴場へオルカ型のディアボロなんて洒落になりませんね。被害者が増える前に一刻も早く討伐しなければ……」
真剣な面持ちで呟き、カーディスは愛用するリボルバーM88の弾倉を開き、残弾を確認する。
敵は凄まじい速度で瞬く間に距離を詰めていくるが、それよりもセツナとユイ、そしてカーディスの術が準備完了する方が早い。
――Ihnen wird nicht ausgewichen(汝、逃れることかなわず)。
呪文の形に唇だけを動かした直後、セツナはもう一つの呪文を声に出して詠唱する。
「Geb Ihnen ein Verbrecher einen Freund(罪人よ、汝に友を与えん)」
セツナが詠唱完了するのに合わせ、ユイも術を発動した。
「おとなしくする、です」
二人に続き、カーディスも敵を捕縛するべく、術を発動する。
「影縛りの術使用いたします! ……影よ呼びかけに応えかの者を縛れ!」
セツナとユイが放った術によって呼び出された『無数の何者かの手』が突如として洋上に出現し、高速で泳ぎ進む敵を絡め取ろうとする。
しかしながら敵の泳ぐスピードはそれより速く、『無数の手』はことごとくすり抜けられ、空を掴むだけに終わった。
その後にはカーディスによる『影縛りの術』も控えているが、敵は凄まじき泳力でそれすらもすり抜けていく。
敵が『無数の手』と『影縛りの術』による波状攻撃をくぐり抜けるのとほぼ同時、三人の乗る大型船が大音響とともに激しく揺れる。
まさに魚雷が炸裂したかのような衝撃にセツナとユイは吹っ飛ばされて空中へと打ち上げられ、そのまま船外へと放り出された。
残るカーディスは手すりに激突したことで肋骨に大打撃を負ったものの、そのおかげで船外に吹っ飛ばされずに済んだものの、吹っ飛ばされていくセツナとユイを目の当たりにして焦燥する。
「いけない……っ!」
空中への打ち上げられ方が上方向ではなく斜め方向、それもどちらかといえば横方向に近い軌道で放り出されたセツナとユイは既に船からかなり離れた所まで吹っ飛ばされており、今から飛び出して二人を掴もうにも距離が離れ過ぎていた。
だがカーディスは躊躇なく手すりに飛び乗ると、そこから跳躍せずに、ただ真下に向かって自由落下する。
「間に合えっ!」
気合いとともに全身の力を脚に込めるカーディス。
着水する直前、カーディスは全力を結集した脚力で船体側面を蹴り、横方向の軌道で跳躍する。
砲弾のように飛んでいくカーディスは今まさに着水寸前のセツナとユイへと必死に両手を伸ばす。
その甲斐あって着水まで後十数センチというところで左手にセツナの腕、右手にユイの腕を掴み取ることに成功したカーディスは、力の限り二人の身体を引き寄せ、左右それぞれの腕に抱きかかえると同時に水上歩行の術を発動、水面に『着地』する。
三人はまるで地面を転がるように水面を転がり続けた末、やっとのことで止まった。
「随分と遠くまで来てしまいましたね。さて、効果時間中に走破できるでしょうか……?」
見れば船団は彼方だ。
術の効果が切れて身体が水面下に沈み込むまでの間に、セツナとユイの二人を抱えたまま船まで戻らなくてはならない。
残時間と自分の速度を計算し、カーディスは緊張の色を表情に滲ませる。
成功確率は五分五分だ。
意を決してカーディスが一歩を踏み出そうとした時だった。
駆動音を響かせながら二隻のモーターボートが接近してくる。
二隻のうち一隻に一人で乗った相羽 守矢(
ja9372)は飄々とした口ぶりでカーディスに言う。
「あんた等が吹っ飛ばされたのが見えて良かったよ。その二人は俺に任せな。で、あんた自身はあっちの船だ」
守矢はカーディスに手を差し出しながら、もう一隻のモーターボート――雫(
ja1894)が乗った船を目線で示す。
「相羽さん、それに雫さん、助かりました……!」
カーディスがセツナとユイを守矢の船に乗せようとした時だった。
水面を転がったカーディスを追ってきた敵が、守矢の乗る船に標的を変えて襲ってきたのだ。
二人を船に乗せようとしているところに攻撃を仕掛けられようとした瞬間、凄まじいスピードで突っ込んできたモーターボートがカーディスたちと敵の間に割って入る。
更にはその船に乗っていた礼野 智美(
ja3600)が全長2mにも及ぶ長槍――パルチザンを突き出して敵を正面から抑え込む。
「早く乗ってっ!」
鋼鉄の船に正面から突進するのを常としているだけあり、敵はパルチザンを正面から受けても平然とした様子で、逆に智美を押し戻そうとする。
「助かります!」
それでも智美が必死に敵を押さえている間に、礼を言ってカーディスは雫の船に乗り込む。
「やれやれ、お仲間のフォローも楽じゃないねえ」
一旦離脱していく雫たちの船を見送りながら飄々と呟くと、守矢は自分の乗る船をスタートさせる。
智美一人だけよりも、三人が乗る船の方が標的としての優先度は高いのだろうか。
敵は守矢の船へと標的を変えた。
素早く船をスタートさせたものの、追ってくる敵の速度は到底振り切れない。
あっという間に守矢たちの船は距離を詰められ、もはや数センチ後方まで接近される。
「本当に無茶苦茶だなあ……あんなデカい敵を相手にこんな海原でやりあわなきゃなんないなんてさ」
飄々とした口ぶりでぼやくと、守矢はセツナとユイを小脇に抱え、船上を蹴って全力で跳躍する。
それと同時に突進を受けたモータボートが大破し、水面下へと沈んでいく。
間一髪、危機を脱した守矢たちだが、安堵の息をつくにはまだ早い。
遠くに見えていた小型船までは何とか距離が届いたものの、守矢が着地した瞬間とほぼ同時、追い付いてきた敵が突進によってまたも船を破壊する。
再び間一髪での全力跳躍。そして、着地と同時に破壊される船から再度の跳躍。
一連の流れを繰り返しながら何とか切り抜けていた守矢は流石に焦ったように呟く。
「もうこっち側には船が残ってないねえ……」
跳躍したはいいものの、着地する船が無いのを空中から目の当たりにする守矢。
だがその時、丁度良いタイミングで先程まで遠距離攻撃組が乗っていた大型船が最大船速で進んでくる。
「乗ってくださいですの」
大型船のブリッジから月音テトラ(
ja9331)が声を上げる。
遠距離攻撃組の搭乗する大型船を操舵していたテトラが抜群のタイミングで船を回してくれたのだ。
守矢たちは三人は大型船上に着地し、何とか事無きを得る。
一方、雫とカーディスは別方向から敵へと迫っていた。
「操舵、頼みます」
カーディスに操舵を譲ると、雫は船上に立ち、ハンドフリーの通信機で新井司(
ja6034)と連絡を取る。
「タイミングは了解です」
短い打ち合わせの後、雫は静かな闘志とともに呟いた。
「義経の様に八艘飛びをする事になるとは……」
雫からの通信を受け、司も船上に立つ。
「水上戦、か。相手の土俵で戦うのも骨が折れるけれど……まあ、やるしかないわよね」
既に幾隻もの船が破壊されているが、幸いにしてまだ何隻かは残っている。
――戦場は敵の土俵。
――自軍に残された戦力はもうあまりない。
明らかに不利なこの状況。
だが、たとえ明らかに不利な状況であっても、征かねばならない時もある。
司はそう自分に言い聞かせながら、ふと思う。
(これも英雄たる資格の一つ、なのかもしれないわね)
その時、仕掛ける時を待つ司に龍崎海(
ja0565)からの通信が入る。
『最終防衛線、迎撃用意。何としてもここで倒すぞ。これを突破されれば、各個撃破されるだけだ』
通信とともに海の乗ったモーターボートが戦域へと突っ込んでくる。
そのまま突撃してくる海の船を返り討ちにせんと、敵は大顎を開けて噛み砕きにかかる。
鋼鉄の大型船すら噛み砕く敵の大顎が海の船を挟み込んだ。
だが、俄かには信じがたいことに、敵は海の乗る船を噛み砕けずに動きが止まったのだ。
その光景に驚くも、司はすぐに理由を理解する。
見れば、船の一部――噛みつかれた部分が淡く発光していた。
「なるほど。自分ではなく船に『アウルの鎧』をかけたのね。恐れ入ったわ――」
海の作戦に舌を巻き、司は船上から跳躍し、周囲に残った小型船を飛び石のように伝いながら敵へと肉迫する。
司とタイミングを同じくして雫も反対側から、残った小型船を飛び移りながら敵へと距離を詰めていく。
「雫」
「新井さん」
一瞬で息を合わせると、司と雫は左右から同時に渾身の一撃を敵へと叩き込む。
左から司のトンファーが、そして、右からは雫のフランベルジェが渾身の力で敵へと叩きつけられる。
この攻撃には凄まじいタフネスを見せつけてきた敵も大きく怯み、その隙を逃さず海が再び全員に合図を出した。
『今のうちに遠距離攻撃組は一斉攻撃。敵の動きを何としても封じるんだ』
合図が飛んだ直後、テトラの操舵によって仲間たちを全員回収し終えた大型船から次々と遠距離攻撃が放たれる。
セツナとユイによる『無数の何者かの手』。
カーディスによる『影縛りの術』。
智美による銃撃。
更にはテトラ自ら甲板に飛び出して影の槍を放つ。
圧倒的な泳力を持つ敵とはいえ、その全てを無傷で避けきれはしない。
今や敵が完全な動きを封じられているのを見計らい、守矢がジャック・ロランド(
ja1045)に合図する。
「どんなにタフでも、弱点さえ狙えば!」
「ああ……次で奴の上に乗る」
ジャックは守矢に返事をした後、今度は自分に結び付けたロープを背後で持っていてくれる麻耶へと静かな声音で語りかける。
「すまん、面倒をかける」
すると麻耶は真剣な面持ちから一転して笑顔を浮かべ、ジャックに言う。
「いいのいいの! 無事に帰ってきてね! 絶対だよ!」
麻耶に向けて深く頷き、ジャックは眼下を泳ぎ回る敵を見据える。
敵の最高速度は200ノット以上、時速に換算すれば約400キロだ。
いかに完全な動きは封じられているとはいえ、その背に跳び乗ろうなど無茶もいい所だ。
だが、ジャックは冷静にタイミングを合わせると、甲板を蹴って敵の背へ向け跳び下りた。
着地は見事成功し、狙い過たずジャックは敵の背中に跳び移り、拳を敵へと叩きつける。
「……ハッ!」
狙うは頭部――メロン器官だ。
頭部への痛烈な打撃を受けたからだろうか。
敵は怒りと危機感から凄まじい力を発揮し、驚異的な泳力で降り注ぐ遠距離攻撃をことごとく回避するとともに、爆発的加速で最高速度に達し急発進する。
振り落とされまいとジャックも必死で敵にしがみつくが、その爆発力のあまりの強さになんとロープが切れてしまう。
ロープを切ったことで自由になった敵は、ジャックを背に乗せたまま猛スピードで沖合に向けて泳ぎ出した。
しかしジャックも負けてはいない。
その間にも拳を叩きつけ続け、敵の頑丈な外皮と骨格を力任せに叩き壊しにかかる。
痛みと怒りで興奮した敵はジャックを振り落とすべく、泳ぎの軌道を蛇行に変え、更にはあちこちに散らばる鋼鉄船の残骸へと凄まじい速度で身体をぶつけ、あるいは擦りつける。
それでも何度目かの攻撃の末、ジャックは外皮と骨格を砕き、遂にメロン器官を叩き潰す。
メロン器官を破壊された上、泡を喰って方向を完全に見失い、敵は今度は岸に向かって高速で泳ぎ出した。
その後、敵は埠頭に乗り上げ、コンテナに激突してやっとのことで止まる。
埠頭に放り出されたジャックはむくりと起き上がると、陸に打ち上げられて動けなくなった敵にとどめの一撃を叩き込んだ。
仲間たちの乗る大型船が港に向かってくるのを遠目に見て一息つきながら、ジャックはふとある可能性に思い至った。
(海水浴場を襲撃するなら、それまでディアボロを潜伏させるべきだ。何故、そうせず自由に襲わせていた? 何かあるはずだ……そう、自由に襲わせていた理由が何か……!)
咄嗟にジャックは埠頭を見回し、不審な人物がいないか探していた。
「……俺の考え過ぎだったか?」
呟き、ジャックは防水ケースから携帯電話を出すと、如月 佳那(jz0057)に電話をかける。
「……考え過ぎだと思うがこの件、お前にも関係あるんじゃないかと思ってな……何故、そう思ったのかは俺にもわからん。もしかしたら、俺がお前の銃を整備したのに関係があるのかもしれない。……最後のは冗談だ。気にするな」
通話を終え、ジャックは大型船から降りてきた仲間たちの元へと歩いて行く。
「海で生計立てている人もやっと安心できる」
港に降り立ちしみじみと呟く智美。
「――これで、いつもの海に戻るかな。やっぱ海は楽しむモノ!」
そして、真夏の太陽のように明るく言う麻耶であった。