「東風吹かば匂ひをこせよ桃の花、やっけ?」
いや、それは梅の花だ。
紫ノ宮 莉音(
ja6473)の間違いに、目の前の老教師は思わず苦笑を顔に浮かべる。
「先生にお伺いしたいのは、今回私たちの引き受けた事件に関して、授業にあった伝統的な退魔の方法が効果があるか? という話です」
ノートを片手にそう尋ねるのは、笠縫 枸杞(
ja4168)。
彼女達は、今回おこった事件について、事前調査を行っているところだった。
「結論から言えば、今回に関しては効果がある」
「今回に関しては?」
「全ての天魔に対して効果は無いということじゃ。 ただ、今回の敵に関しては、思い込みが激しくてなぁ」
「どういうことでしょうか?」
「催眠術のようなものじゃよ。 目を閉じた相手に煙草の火を押し付けるぞといって何かを押し付けたときに、本当に火傷を負ってしまうのと同じじゃ」
「思い込みで自爆するってことなん?」
莉音の疑問に老教師はゆっくりと頷いた。
「一年前にも、同じ天魔が現れてなぁ。 ワシは同じことを聞かれたよ」
「先生、色々と参考になりました。 じゃあ、莉音くん、次は購買に行こうか」
老教師の言葉をノートに書きとめると、枸杞は莉音を伴ってその部屋を退出した。
老教師の部屋を出て、購買に向かった枸杞と莉音を待っていたのは餐場 海斗(
ja5782) だった。
「よぉ、なんか収穫はあったかい?」
「あ、海斗さんやないですか」
「なかなか重要な事が判明しましたので、あとでみなさんにもご報告します」
「こっちでも一年前の類似事件を調べてみたが、あの天魔、前の事件でさげもんストラップに吸収・封印されたやつで間違いなさそうだ。 少し前にさげもんストラップのリサイクルあっただろ。 あれに例の事件の時に使われたさげもんストラップを、同居人が何も知らずに出しちまったらしい」
海斗の報告に、枸杞と莉音は思わず溜息をつく。
「でだ。 一年前の事件で鍵となったストラップだが、どうもただ持っているだけではダメみたいなんだ」
「えぇ? どないしたらええのん?」
「わからん。 なにせ、封印した本人が他の事件に関わっていて連絡が取れない」
「現場で色々と試さなくてはならないようですね」
そこまで話が終わると、三人は軽く情報収集を済ませてその場を後にした。
●現場
「なんてかさぁ〜食欲なくなる風景だよねぇ〜」
その頃、現場では黒雲の如き羽虫を見ながらリスティア・シェイド(
ja0496)が草餅を頬張っていた。
「あの授業の話が本当だとしたら、これらがあいつに効いたりするのかな?」
リスティアの隣で眉間に皺を寄せ、桃の花や白酒を手に思案しているのは、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)。
「試してみるのも…いいですか」
グラルスの台詞を聞きながら、機嶋 結(
ja0725)は愛用の大太刀に事前に購入した白酒を垂らして清め始める。
冷静さを装いながらも、今にも一人で飛び出してゆきそうな結の不安定さに、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は己の武器である拳の具合を確かめながらひそかに眉をしかめ、心の中で呟く。
――いかなる理不尽も不条理も、ただこの拳で粉砕するのみ。
「気合入ってはるなぁ。 こんな厄介そうな相手、もっと楽しまんと損やと思うけど」
マキナや結の様子を見ながら、穏やかな関西弁で語るのは、宇田川 千鶴(
ja1613)。
「なぁ、そこの人もそう思いひん?」
千鶴からそう問いかけられたのは、珠真 緑(
ja2428)。
「さぁ、どうだか。 それにしても鬱陶しい虫共ね……。 さっさと終わらせましょ」
長い銀髪を掻きあげて気の無い返事をするものの、その口元は好戦的な笑みでVの字に吊りあがっている。
「終わらせるのはいいけど、邪魔はしないでよね! あたいが一番槍を頂くわ!」
そろって好戦的な仲間を見やり、鼻息も荒くそう宣言するのは雪室 チルル(
ja0220)。
「あぁ、もぅ! 敵は目の前に居るってのに!」
ここには居ない仲間の調査結果を待ちわびたチルルが結界の中の敵を見やると、羽虫の雲の狭間から敵の姿がちらりと覗いた。
その足元には色鮮やかなストラップが散乱している。
「あの足元にあるのは…きっとあれがさげもん泥棒ね!」
「正しくは、そのなれの果てかな。 待たせてすまん」
ようやく転移陣によって現場に到着した海斗がチルルに声をかけた。
その後ろに枸杞と莉音が続き、ようやく今回の依頼の面子が一堂に会する。
●突入
神経を逆撫でするような羽音、何かが腐ったかのような異臭、全身があわ立つような瘴気。
「牛さん、といえば天神さんだけど…あれは、なでたら祟られそやなあ…」
「・・・こいつ、この前のヴァンパイアほどじゃないけどかなり嫌な感じだね。だけどここで倒しておかないと・・・、か」
結界に中に入るなり、グラルスは思わず顔を顰めた。
「虫沸かせてるとか、背筋寒くなるくらい嫌いなんですが( 天魔となりゃ、話は別だ。その中の本体までしっかり掃除してやろうか!」
「不本意ながら同意見ね。 群れないと何も出来ないなんて哀れで仕方ないわ。……見てていらいらする」」
全身に鳥肌を立てる綺麗好きな海斗に、頷きもせずに緑が同意を示す。
「とりあえず、周りの迷惑だからさぁ〜退治するよ?」
そしてウンザリとしたリスティアの言葉をきっかけに、それぞれが動き出した。
「……では、作戦通りに」
言葉少なくマキナがそう告げると、リスティア、グラルス、千鶴、枸杞、海斗の5人は敵の背後にまわるべく移動を開始する。
そして枸杞と莉音が持ち帰った情報元に、各自がその使い方を模索しはじめる。
「少しは効果あるのかしら?」
「桃も酒も蓬も厄除けとか、どっかで聞いた話だしな。命に過ぎたる宝なし。迷信験担ぎドンと来い」
緑は結界を作るが如く周囲に白酒の円を描き、海斗は頭から白酒を豪快にかぶった。
「虫の癖に殺虫剤効かないのは…卑怯モノめ!!」
一人憤慨するのは、風上から殺虫剤を撒いていたリスティア。
「敵は虫と言うより瘴気の化身と見るべきかもしれません。 ただの殺虫剤では効果が無いかと」
そういいながら、枸杞が蓬をアルコールに漬け込んだ殺虫剤を霧吹きで噴霧すると、バチバチバチと、火花が散るような音を立てて羽虫の一部が灰となった。
それを宣戦布告の合図と見て取ったのだろう。 羽虫の雲の奥底から、明確な殺意が漂い始める。
「先手必勝! でも、体を覆ってる虫が邪魔で攻撃できないんだっけ? 早くなんとかしてよ!」
体を低くして飛び出す準備をしたチルルだが、いつものように闇雲に飛び出したところで、何も出来る事は理解している。
「やっかいな取り巻きやね。どいてもらおか!」
物騒な笑顔を貼り付けたまま最初に動いたのは千鶴だった。
その手から雷光のように放たれたのは、切りそろえられた桃の枝。
パァン!
敵を捕らえたその一撃は、ダメージこそないものの蟲の結界を弾き飛ばす。
「……まずは」
その直後、桃の枝の効果を疑わなかったかのようなタイミングで飛び出したのはマキナだった。
洗練された動きから苦無が飛び出すが、わずから逸れる。
「……早い。 けど、甘い」
蜚が自らの間合いの外に逃げた事を確認すると、マキナは突然真横に飛んだ。
「醜い…さっさと、消え去りなさい…よ。私の前から…!」
マキナの後ろから飛び出したのは、まばゆい銀色の光を刀に纏った結の姿。
「ちょっと! 一番槍はあたいのモノだって…!」
チルルの叫びを無視し、容赦の無い一撃が蜚の体を断ち切る…だが。
「硬い!?」
切り裂いた敵の体の思わぬ硬さに、結は眉を跳ね上げた。
さすがに無傷とはゆかないようだが…。
結が敵の間合いから離脱しようとした瞬間、敵の口から結めがけて真紅の毒々しい煙が放たれる。
「…結!?」
おそらく、報告にあった腐敗の吐息。 身を守る防具をどんどん侵食してゆく猛毒だ。
だが。
「どうやら、白酒の効果が判明したようですね」
グラルスがそう呟く中、結が無事に霧の中から飛び出してくる。
しかし、刀をぬらしていた神酒は綺麗サッパリ消え去っていた。
「うわ、つまり使い捨てっちゅう事? えげつないわぁ」
その様子を見ていた莉音は、ポーチを開いて買い溜めた白酒や蓬餅を取り出す。
もしもそれらのアイテムを持ってこなかった仲間がいたらカバーに入るつもりのようだ。
背後に回った班でも、枸杞が同じようにカバーに入る準備を始める。
「それにしてもジャッポーネの退魔法は面白いのねぇ」
「こんな手が通じるのは今回限りですよ」
好奇心を隠そうともしない緑に、魔術師たるグラルスがそう釘を刺す。
「しかし……長引きそうやな。 みんな弾薬は十分なん?」
再び羽虫の結界に覆われつつある蜚を尻目に、千鶴は桃の枝の数を確かめた。
それに応えるように、それぞれが懐から桃の枝や草餅を取り出す。
緑に至っては、桃の枝の先端を削って尖らせている念の入れようだ。
「上等や!」
嬉しげにそう叫ぶと、千鶴は嬉しげに叫んで桃の枝を投擲し、蜚の体を守る羽虫を散らす。
「鬱陶しいわ、雑魚の分際で」
緑が魔力の矢を飛ばして敵の注意を引いた敵に、
「歯ー食いしばれぇ!なかせちゃるからさ!!」
リスティアがすかさず接近して拳を叩き込む。
「うん、美少女に殴られるんだ、変な趣味に目覚めるなよぉ?」
そして蜚が反撃のために背中を向ければ、
「とっとと倒れなさーぃっ!」
チルルが勢い良く槍を構えて突撃し、マキナと結が無言で追撃を加えてゆく。
撃退師達のコンビネーションは、時間を経るにつれて息があってきている。 だが。
「いけない! 何か来るよ!」
敵の様子を注意深く観察していたリスティアが警告を放つ中、蜚の体から黒い霧が噴火の如く吹き上がる。
「こ、こっちにこんといて!」
蜚の視線が自分に向いた事に気付いた莉音が悲鳴を上げる。
「――お前の相手はこっちです!」
蜚の注意を引きなおそうと、結が肉薄した瞬間……
「ブオアァァァァァ!」
蜚は突然叫びと共に踵を返し、結に向かってその身を黒い霧の塊に変えて襲い掛かった。
その姿は、黒い疫病の神が舞い踊るが如し。
「きゃあ!」
隣に居たチルルが巻き込まれて悲鳴を上げる。
ポタポタ。 毒素を吸収した草餅が、真っ黒に変色して懐から零れ落ちた。
その瞬間、突如としてマキナが絶叫を上げる。
「――屑が、貴様は誰を傷付けているッ!」
右腕から現れた黒焔が、衣を纏う様に全身を覆った。
「良いだろう、それが望みか。ならば望み通り、終焉(おわり)をくれてやる――!」
まるで鬼神……否、破壊神と化したマキナは、蜚へと一瞬で駆け寄り、その拳を叩き込む。
「草餅の効果は毒素の吸収。 でも、これは……」
蟲と瘴気による多重攻撃。
枸杞が効果を分析する中、霧の中から出てきた結の体には、蟲に噛み付かれたような傷が無数に付いていた。
そして海斗はこの光景を見ながら、頭を悩ませていた。
チルルが懐に入れたさげもんストラップが変色している辺りを見ると、ダメージを軽減しているようだが、完全ではないようだ……
話が違う。 このストラップの意味は?
「べ、別に後退しなくても大丈夫よ!」
「ようやく本気っちゅーことかい。 舐めるのも大概にしぃやっ!」
「あは! いいわ、お前、もっと私を楽しませなさい! さぁ、ダンスマカブルを踊るのよ!」
この恐るべき攻撃を見ても怯む者はいなかった。
むしろ一部はさらにテンションを上げ、より激しい戦いを求め、狂喜に打ち震える。
その要望に応えるが如く、蜚はその移動力を生かして戦場を跳ね回り、黒い霧へと変じながら死の舞を踊り続けた。
「そろそろ物資がやばいです!」
枸杞が鞄の中を見て悲鳴を上げる。
どれほどの時間戦いが続いただろうか?
みなズタボロで、傷の無い者など独りも居ない。
そして、一方の蜚はあれほどの攻撃に晒されながらも、まだ倒れる様子が無い。
「あなた、しつこいのよ!」
業を煮やした緑が前に出ようとする。
「あかん! 緑さん、落ち着いて!」
その肩を莉音が掴んで留め様とした瞬間……どてっ。
転んだ緑に巻き込まれるようにして、二人は地面に倒れた。
「……!」
すかさず倒れた二人に攻撃を加えようとした蜚だが、突然その足を止め、何かに怯えるように身を翻す。
「それだ! そいつはそのストラップを嫌がってる!!」
叫んだ海斗の視線の先には、緑の懐から転がったストラップ。
その応えに真っ先に反応したのはマキナだった。
懐からストラップを取り出すと、拳を固めて蜚に肉薄する。
「ここまで頑張ったご褒美に、あたしのもあげるよ!」
その反対側からは、リスティアが同じくストラップを取り出して蜚に向かって叩き付けた。
「プギャアァァァ」
哀れを誘うような声で絶叫すると、蜚の体がみるみる小さくなってゆく。
「ここで仕留めて見せる…! 氷塊よ穿て、クリスタルダスト!」
それを好機と見、すかさずグラルスが氷結の魔法を放つと、蜚の体は見事に凍りついた。
そして……
「――滅びを」
「受け取るがいい!!」
すかさずマキナの拳と結の太刀が、敵の体を粉々に打ち砕く。
かくして、一連の戦いは幕を引いた。
●エンディング
「お疲れ様でした」
死亡を確認した後、草餅を手に、結はマキナに声をかけた。
「あまり……心配させないでください。 あなたの戦い方は無謀すぎる」
「心配しなくても、死にはしません。 この世から悪魔共を消し去るまでは」
その直向さが心配なのです。
マキナの心の声は結に届かない。
――今は。
「…結局、楽しませてくれないのね。 くだらないわ」
戦いの終わった後、砕け散った蜚の残骸の中に一枚の手紙があった。
ハート型のシールで封をされたその中身を全員で一瞥し、その全てを頭の中に記録すると、緑はそれに桜の枝を突き刺す。
「さようなら、お馬鹿さん。 あなた騙されたのよ」
「あぁっ、ちょっと何すんのさ!」
「せっかくの証拠が!」
ストラップ盗難の犯人を捜すチルルと莉音の前で、瘴気を帯びた手紙は桜の枝の霊性に焼かれて黒く炭化してゆく。
「たぶん、これはこうするのが一番なのよ」
憤慨するチルルを千鶴が後ろから羽交い絞めにして不機嫌そうに言い放つ。
魔に取り付かれて死んだ人間の想いなど、誰にとっても有害でしかない。
その光景を見ながら、グラルス、枸杞、海斗はこの事件の黒幕について考えていた。
――ディアボロの封印されたストラップを集めるようにこの男をそそのかしたヤツがいるはずだ。
この事件は終わったのではなく、もしかしたら始まりなのかもしれない。