●購買の攻防:前編
その日の夕方、購買に更なる異変があった。
「お前ら、俺のクリームパンを食え!」
パンコーナーの隣にある惣菜コーナーを占拠し、野次馬に向かってそう叫ぶのは一人の男子生徒――戦部小次郎(
ja0860)である。
手作り間漂うポップには「からしクリームパン」の文字。
つまり、わさびジャムパンの同類である。
「君、大丈夫か?」
「なんだ、お買い上げか?」
心配して声をかけた生徒もいたが、すぐに後退りして逃げてゆく。
「俺だって女将が倒れたから頑張って盛り上げようと考えたのに、なんで認めてくれないんだー!」
地面を転がりながら抗議する小次郎だが、興味こそあれど買うような客は無い。
ついでに彼の台詞はほとんどが棒読みで、何か思惑があってやっている事は明白である。
だが、その芝居に反応する人物が一人。
「お黙り! 女将さんの意思を注ぐのはこの私よっ!」
ほかでもない、この騒動の元凶である佳理奈その人である。
と言うか、気付けよ鬼道忍軍。
「貴様がクイーン・カリーナか。 我はクリームパン帝国のエンペラーコジロウ也っ! お前にクリームパンのすばらしさを教えてくれる!」
隣のエリアから顔を出してきた佳理奈に、小次郎は練り辛子をつめたパンにしか見えないものを突き出す。
そのパンを受け取ると、佳理奈は不適に笑った。
「面白い。 このクイーン・カリーナに挑戦するつもり? 受けて立つわ!」
そして、食用凶器を口に頬張り……
「ふん。 この私の舌を唸らせた男は始めてよ」
「……え?」
見事な完食である。
「今度は私のジャムパンを食すが良い!」
「ま、まて! なんか違う! お前、俺のやってることを見て何も思わないのかよっ!」
「思ってるわよ! ライバルがいたほうが盛り上がるってね! さぁ、食え!」
「……だが、断るっ!!」
彼の誤算は、佳理奈の驚くべき視野の狭さと人外の味覚オンチ。
顔を引きつらせて逃げる彼に、ジャムパンを手にした佳理奈が飛び掛る。
そして野次馬の見守る中、壮絶な鬼ごっこが幕を開いた。
「……なに逃げてんのよ……あんた、エンペラーでしょ」
「いい加減……気付け」
小次郎と佳理奈の壮絶なチェイスがひと段落した頃、購買を囲む野次馬の壁を押し分けて一人の少女が前に進み出た。
「Frailty,thy name is woman(心弱き者、汝の名は女)……シェイクスピアの名作ハムレットの一説だが、まさに今の貴女のためにあるような言葉だな」
腰下届くストレートの黒髪を揺らしながら、彼女はまるで喧嘩を売っているかのような台詞と共に冷ややかな笑みを佳理奈に向けた。
「戦部の慣れない小芝居を見ても何も感じぬと? それで恥ずかしいと思わないのならば、それこそまさに恥だ」
その言葉に、小次郎がうんうんと深く頷く。
「私の言いたい事は一つ――」
さらに一歩踏み出しながら、御巫 黎那(
ja6230)の名を持つ少女は鉄仮面を思わせる冷ややかさで台詞を吐き捨てた。
「いい年をした大人が、恥を知らぬかの様なこの所業……呆れて私は物も言えん。 仮にも大先輩が、後輩の前で下らない醜態を晒さないで頂きたい」
「なんですって?」
「己の所業を深く省みてはと言うことですよ、先輩」
まさに正論である。
だが、女というものは往々にしてこのような理屈による説得を拒絶する事が多いのだ。
そして佳理奈はまさにその典型であった。
「言わせておけば……」
膨れ上がる殺気に反応し、小次郎は拳を構え、黎那は腰に挿した剣に手を置く。
だが、そこに投げやりな口調で口を挟む者がいた。
「そこまで。御巫の言う事は全くもって正しいけれど、解決には繋がらない」
その言葉に、この場にいる全ての人間の視線が集中する。
声の主は、黒い髪を赤いリボンで後ろに束ねた少女だった。
「なぜなら、この事件の原因の全てが理屈ではなく感情に起因するからだ」
その声や表情にはどこか無関心が漂っている。
彼女は自らこの鉄火場に足を踏み入れ、そして一言呟いた。
「そのジャムパンをもらおう」
たった一言の台詞、それだけで世界が凍り付く。
驚愕のあまりしわぶき一つたたない沈黙の中、凪澤 小紅(
ja0266)は人形のように整った顔をわずかに傾け、
「売れない物が並んでいるのではあるまい?」
感情の起伏のまるで感じられない声でそう告げると、佳理奈の足元に落ちていた愛らしいポップで値段を確認し、コインを投げた。
「よ、よせ! それは食べ物じゃな……げぶっ」
ようやく我にかえった小次郎が警告を発するが、その台詞は佳理奈の肘鉄によって止められる。
「何を思ってかは知らないけど売らない道理も無いわね」
「そこにいる奴等と同じく、説得を頼まれた。 それだけだ」
自らの目的を口にしながら、小紅はパンの袋を手に取った。
「なるほど、お前も同じ依頼を受けたというわけか。 ならば、お手並み拝見といこう」
黎那は冷ややかな目で小紅を見ると、手近な壁に背中を預ける。
「問題が食べ物である以上、食せずして語ったところで何の説得力もあるまい」
小紅は何のためらいも無くパンに噛り付いた。
そして……
「――ジャムの甘味で辛みが際立ちすぎてジャムの味が消えている。 これでは売れないな」
「完食しただと!」
「しかも、あの失禁するほど不味いパンにコメントを……」
「彼女、何者だ!!」
驚愕のあまり顎が外れそうな顔をした野次馬たちがその光景を見守る中、小紅はさらに言葉を続けようとした。
だが、そのまま小紅の体がグラリと傾く。
「だ、誰か担架を!」
誰かが叫んだものの、動く者は誰もいない。
彼女がいるのは、ジャムバン王国の領内であるが故に。
「世は無常だな」
この場にいる全ての者の言葉を代表するように、黎那が呟いた。
「これなんかのイベントですか?」
なんともいえない葛藤が支配する中、突如として愛らしい少女の声が響く。
ふたたび野次馬を掻き分けて現れたのは、三神 美佳(
ja1395)……この学園の初等部に所属する生徒だった。
混乱する野次馬たちを尻目に、美佳はせわしない足取りで進み出ると、懐から小銭入れを取り出し、
「あ、あのっ、パンと牛乳ください!」
この場にいる人間が再び肝を冷やす台詞を口にした。
「ダメだ! 食べるとあんな風になるぞ!」
警告を放つ小次郎の示す先には昏睡する小紅の姿。
内気な性格なのか、いきなり声をかけられた事に一瞬驚いたものの、美佳は息を整えてからキッパリと答えを返した。
「それでもいいです、だってお姉ちゃんが女将さんの変わりにがんばって作ったパンだもん変な事言わないですよぉ」
そう告げると、美佳は棚に陳列されたジャムパンを一つ手に取る。
「お子様がここまで頑張ってるんだから、あたしも頑張らないとね!」
そして美佳の頑張りに後押しされるように、さらにこの場に進み出る者が一人。
真紅の光纏を纏いながら進み出たのは、小麦色の肌と真っ白なショートカットが印象的な少女だった。
「そのジャムパン、あたしにも挑戦させてもらおうか」
「たしか高峰 彩香(
ja5000)だったか? 物好きな。 そのパンを食べたら確実に倒れるぞ」
その無謀ともいえる勇気を、黎那が薄く笑う。
「うーん、そうかもしれない。 でも、こういうことを続けても良い事を佳理奈さんに伝えるなら、まずはパンを実際に食べてその感想を伝えなきゃね」
その言葉に反応したのは佳理奈だった。
「……不味いとわかっていて食べるというの?」
「きっと、組み合わせとか色々と考えて作ったパンなんだろうね。だけど、こんなやり方で無理やり食べさせても悪評が立つばかりだし、あなた自身の周りからの評判、更には購買部の評判にも関わってきちゃうよ」
何の裏表も無い真摯な言葉を受け、佳理奈の顔がわずかに曇る。
その反応に、黎那と小次郎は目を見合わせて小さく頷いた。
「じゃあ、まずは食べてみないとね」
彩香もまた頷くと横にいる美佳に視線を移し、美佳もまた頷き返す。
――ゴクリ。
誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。
周囲が息を呑んで見守る中、彼女達はその封を開いて口を近づけた。
――これはダメだ。
美佳は心の中で呟いた。
性格や幼き姿に合わず、彼女はこの場にいる誰よりも多くの死線を潜った猛者である。 その経験が彼女に告げるのだ。 これは食べてはいけないものだと。
けど、否定から対話は生まれない。
そう判断すると、美佳は思い切ってかぶりついた。
「変わった味のパンなのですぅ」
奇妙なイチゴ味だと思ったのは一瞬だった。 直後に襲い掛かる脳髄を内側から突き刺されたような感覚と、裸で雪の中に放り込まれたかのような悪寒。
「――うぷっ!」
横を見た美佳の目に映ったのは、吐き出さないように口を押さえたまま洗面所にダッシュする彩香の姿だった。
誰もいない洗面所――パンを吐き出し、口の中を念入りに洗浄した後に彩香が呟く。
「うん、これは……無理」
●購買の攻防:間幕
「つまり、佳理奈さんはほとんど味覚が無いと?」
ジャムパンの犠牲者たちが担ぎこまれた保健室で、麻怜奈と向かい合っているのは、楠 侑紗(
ja3231)だった。
彼女は依頼にあたって、まずは身内からの事情徴収を念入りに行っていたのである。
「はい。 毒物に体を慣らす修行の過程でほとんど味覚がなくなってしまって……今ではワサビや辛子ぐらいしか味として感じ取れないんです」
「つまり、レシピどおりに作れば普通の料理を作れないわけではないんですね?」
「ええ。 でも、本人は自分だけの味を作るんだって夢を抱えてしまって。 本来ならばとても器用な人で、コロッケの揚げ時間なんか女将さんから任されるほどなんです。 ただ、味付けだけが……」
麻怜奈の答えを聞いた侑紗は、不安げな麻怜奈に向かってニッコリと微笑んだ。
「わかりました。 貴女のおかげで、私たちが何をすべきかわかったような気がします。 ただ、それには貴女の協力が不可欠かと」
「私ですか?」
●購買の攻防:後編
「ワサビを使ったパンはあるらしいから、組み合わせとか配分とかに気を使えば良いんだろうけど、これはちょっと破壊力が高すぎるよ……」
帰ってきた彩香は、開口一番そう呟いた。
「と、ところでお姉ちゃん。 このパン、女将さんの許可もらったの?」
やや傷ついた顔する佳理奈に、不穏な雰囲気を感じた美佳が別の話題を持ちかける。
「まさか。 女将さんがいないからこんなことしてるんでしょ」
「えぇっ!? さすがに女将さんのお店だもん。 女将さんに無断で出したら女将さんの迷惑だと思うよ? それに過激な事やりすぎちゃうと女将さんの居場所なくなっちゃうよ?」
「理屈ではそうね。 でも、それだけじゃ踏みとどまる事が出来なかったのよ」
「では、この状況は貴女の本意と言うわけではないということですね?」
不意に会話に割り込んできたのは、麻怜奈を伴った侑紗だった。
「誰? あなた」
「綺麗でかわいいPOPですね。 器用で行動力もある。 その技術……もう一度、誰かを助けることの為に、振るってみてはいかがでしょうか」
「悪いけど、それをしようとしてこの結果よ?」
侑紗の言葉にも、佳理奈は拗ねたように肩をすくめる。
「それは仕方が無いです。 だって、貴女は自分ひとりでやろうとしているから。 味がわからないなら、妹さんに助言をもらおうとは考えなかったのですか?」
日の沈んだ購買の一角に、しばしの沈黙が訪れた。
「だって、そんなこと相談できるわけ……」
「そんなこと無いよ! お姉ちゃんが新しい料理を作りたいって言うなら、私も協力するから! わさびジャムパンだって、調整次第ではおいしくなるかもしれないじゃない」
佳理奈の台詞を遮ったのは、それまでずっと背後で話を聞いていた麻怜奈だった。
「そのとおり。 先ほども言ったが、ジャムの甘味で辛みが際立ちすぎてジャムの味が消えている。これでは売れないな。ジャバラという柑橘類の果汁を使えば、ワサビの風味だけを残して辛みを消せるだろう。改良してからの再販売を求む」
その言葉を受け継いだのは、三途の川の向こうから舞い戻ってきた小紅である。
状況を好機と見て取った小次郎は、ちらりと黎那をみやって何か言えよと視線で促す。
小次郎の視線に溜息をつくと、黎那は仕方ないといわんばかりに口を開いた。
「……ワサビに拘るならまずは風味を活かすべきだ。生地のうちから熱り込むことで風味が活きる。 また、ワサビの辛みは細胞が破壊されることで生まれる。 もし生のワサビがあるのならある程度形を残して切り、ツナパンに加えることでピリ辛と風味を活かした味になるのではないか?」
「でも、ちゃんとしたレシピがあるのを参考にした方が上手くいきそうだよね! まずはそっちを試してみたらいいんじゃない?」
「それでは、調理の出来る人でいくつか佳理奈さんのアイディアを活かした試作品を作って、そのレシピを元に佳理奈が作るという流れではいかがでしょう?」
彩香がそう提案し、侑紗が意見を纏めると、他の面子も参加を表明する。
「あ、それいいかもですぅ」
「協力が必要ならば手を貸そう」
「あ、あたしは調理はパス! 試食も遠慮するわ」
だが、次々と意見を出してくる後輩たちに対し、佳理奈はなぜか俯いていた。
「おねぇちゃん、どっか具合悪いのぉ?」
「な、なんでもないから! あ……ちょっと外の空気吸ってくる」
●そして平穏な日々へ
嵐のような出来事の翌日、購買はすでに営業を開始していた。
「おおっ、購買が再開している! パンだ! パンをくれ!」
そう言ってレジに近寄ってきたのは、依頼人の一人である購買戦士代表の男である。
だが、彼の前に立つのは……
「げっ、佳理奈っ!?」
「問答無用!」
その台詞と共に、佳理奈は手にしたパンを男の口に投げ込んだ。
「むぐわぁっ! マズ……くない。 普通だ」
「私だって、やれば出来るのよ。 もう、二度と罰ゲームだなんて言わせないから」
「な、なんだよ! そんなこと気にしていたのかよ!!」
「アンタにとってはその程度でも、私にとっては大事なことだったのよ! ……あんたが、料理の出来る女の子が好きだなんて言うから……でもいいわ。 あんたより、ずーっと素敵な男の子見つけたから」
そう言うなり、佳理奈は横で見物していた小次郎をすばやく抱き寄せた。
「うわぁっ、なんで僕が!?」
その様子を見て、残りの女性人が深々と頷く。
「なるほどね」
「そう言うことか」
「Usus magister est optimus. 経験は最良の教師である。この経験を活かすことだね……なにせ、私たちはお世辞にも素直とは言いがたいから」
珍しい黎那の苦笑いと小次郎の悲鳴を聞きながら、撃退師達は購買のレジを後にした。
気が付けば外は暖かな日差しが降り注いでいる。
冬来たりなば、春遠からじ。
どうやら、この言葉は人の心にも当てはまるらしい。