霧のような小雨がぱらつく曇り空。
鬱蒼とした竹林へと続く、道路から伸びる脇道の前に、数人の若者集団がいた。
「子供の安全は大事だし、とっとと退治しないとな」
しなやかな長い黒髪を三つ編みした礼野 智美(
ja3600)が低い声で言った。外套のようなレインコートを着ている彼女は、視界確保の為に付属のフードを外している。
「そうよ! 子供を狙うなんて悪いやつ、あたいがやっつけてやる!」
礼野の言葉に意気揚々と答えたのは、透明なカッパの下にウシャンカ(ロシア帽)と雪の結晶を模したアクセサリを覗かせる雪室 チルル(
ja0220)だ。
その傍には、少し先の竹林へと鋭い視線を向ける金鞍 馬頭鬼(
ja2735)の姿が。
(…覚悟しとけよ妖怪共、長え舌を引き摺り出してイタチは皮を剥いでやる)
外道な相手を前に、彼の心は狼のように猛っていた。
後ろには、先ほどから楽しそうな笑みを浮かべている、銀髪のゴシックドールのような格好の峯月 零那(
jc1554)と、無表情の人形じみた端正な顔立ちの僅(
jb8838)がいる。
「事前に確認したけど、竹林への被害は最低限に、ただ、町の安全にはかえられないから、基本的にはこちらの判断に任せるということだよ」
メンバーに説明するのは、僅かに透明な青いカッパを着た龍崎 海(
ja0565)だ。一応、着替えも用意してきた彼だった。
(撃退士なら、この程度じゃあ風邪はひかないけど)
その手の準備は各々に任されており、個人の裁量であった。
だが、討伐の作戦はそうはいかない。
こちらへ向かうまでに、妖怪退治への打ち合わせは済ませていた。
「じゃあ、作戦通りに突撃ね!」
雪室の元気な声を号令にするようにして、一行は阻霊符を発動させると、舗装されてない脇道を進むのだった。
●
天気の影響か、竹林はうっすら暗く、篭った湿気が肌にじめじめした空気を伝える。
灯りがなければ視認できないというほどではないが、奥の方までの見通しは良くない。
六人は、枯れ落ちた笹が散らばる一本道を慎重に進んでいた。
隊列は先頭から『生命探知』役の龍崎、僅、顔面型に狙われる可能性がある雪室、峯月の順に一列の配置だ。
そして、その先頭の龍崎の少し離れた左右――竹林側にそれぞれ金鞍(左)と礼野(右)がいる。
敵を発見次第、前列で散開、包囲できるような形だ。
厄介なのは、報告にあったイタチ型の三匹。
前回の交戦内容から解析した行動パターンにより、単体攻撃を好み、特定の相手に寄って来るのはわかっていた。
顔面型に対しても、恐らくと推測に近いが、傾向の目途はついていた。
龍崎が周囲に生命探知の合図を手で示す。
竹林に入ってから二度目の使用だった。
後ろの僅も龍崎に続くようにして、生命探知を使う。
それは個人の魔法命中の差を利用した、連係探知である。
(天魔らは一般生物と比べて抵抗力に差がある。それを利用して反応を調べれば――っ!?)
龍崎は四つの生命を探知していた。それは新たな反応だ。
しかし、その四つは高速で動いていた。
明らかに鳥や猫などにしては不自然な動き方。
瞬間、僅も同様に移動する生命を捉えていた。
(これ、は…?)
ただ、その反応は一つ。
それは明らかに、こちらを迂回するような動きをしている。
「右前方、敵四体がこっちに向かってきてるよ! 金鞍さん、礼野さん!」
龍崎の緊張を帯びた声に、僅はその一体が魔法抵抗に差のある顔面型ディアボロだと直感した。
●
最初にイタチ型と剣を交えたのは右側にいた礼野だった。
龍崎の声を受け、彼女は接近してきた一匹の元に向かって駆け出していた。
響く金属音。
礼野は黒光りする大太刀で、辻風のように迫ってきた刃を流すように受け止めていた。
その瞬間に添え持っていたスプレー缶を噴射する。
「ギッ!?」
ふゅしゅー、という音と共に赤い霧のような塊が、イタチ型の腕部と体に輪郭のぼやけた線模様をつくる。
護衛役であろうイタチ型をこの一匹だけ残すことで、単独となった顔面型が逃亡する可能性を防ぐ作戦。
これは、その区別をつけるための目印だった。
すでに、礼野の傍を別のイタチ型が駆け抜けている。
そちらは、他の仲間に任せるしかない。
ふいに、スプレー缶を下に落とした礼野の顔と、全身の衣服から覗く肌に赤い紋様が浮かび上がる。
それは『血界』の証、その発現。
(…狙うのは足だな)
神速を冠する戦巫女は、眼前の小麦色の辻風を穿つような、烈風の刺突を繰り出していた。
●
天魔の翼を顕現させ、竹林の間を駆ける金鞍。
光纏した彼は黒煙をまとい、その歯は鋭く尖っていた。
そして、白と黒を反転させた異様な眼は、穿つべき相手――機敏に動くイタチ型を捉える。
それは礼野の傍を通り抜けた二匹のうちの一体。
動きは素早いが、阻霊符によって透過が無効となった今、乱立する竹によって行動に制限がかかっている。
金鞍はトリガーを絞っていた。
瞬間、PDWの銃口が火を噴く。
渇いた発射音と共に、それは一部の緑色の幹を、途中の微かな雨粒を弾き飛ばしながらも、竹の間を移動するイタチ型の片腕を掠める。
「ギギッ…!」
だが、その動きは止まらない。
だからこそ、金鞍は飛翔していた。
相手の刀が届かない場所。その間合いの外の外へ。
「ご自慢の足腰でここまで届くかなッ!」
再び、金鞍のPDWがイタチ型を穿つ為に無味乾燥の音を響かせる。
弾ける地面。
イタチ型の動きは直線的なものから、こちら迂回するような回避の動きへと変わっていた。
「くそっ…ちょこまかと…」
しかし、金鞍はすぐに気付く。
その動きは同時に、こちらを避けて通ろうとするものだと。
彼の判断は早かった。
魔具をネビロスの操糸に切り替え、イタチ型の前へ立ちふさがるように地面に降り立った金鞍は、あっさりと地上戦の構えをとっていた。
仲間の元に向かわせるわけにはいかない。
「…その足ぶった斬る!」
絡めるように動く屍蝋色の魔糸は、イタチ型の認識を超えた速度をもってその片足に巻きついていた。
獣じみた悲鳴と、茶色の皮膚が裂けるのは同時だった。
●
敵の方から向かってきたことに関して、一番の要因は阻霊符を使っていたことだった。
その効果範囲は広い。
索敵範囲より外で、こちらが探知する前に相手の透過を封じていたのだ。常時の透過状態にあるディアボロにとって、それが封じられたら気付かないことはないだろう。
龍崎は一本道に現れた三匹目のイタチ型の相手をしていた。
そして彼の背後の先では、顔面型と交戦している雪室ら三人の姿が。
そちらに行かせるわけにはいかない。
幸い、イタチ型は途中で龍崎に標的を切り替えている。
否、切り替えさせたのだ。
あえて『ライトヒール』を使用することで、剣持ちの後ろ組みからこちらへと注目させたのである。
『洞窟』の名を持つ大柄の白槍が、カマイタチのような剣戟を弾き、重量感のある見た目からは想像できないような速い動きで攻撃をいなす。
一本道の上であることが、彼を立ち回りやすくしていた。
(優先して倒すのは顔面妖怪。時間稼ぎの為に、まずは足を攻撃する)
舞い散る火花。金属音。
龍崎が隙をついて放った鋭い穿刺の一撃が、イタチ型の脚を貫いていた。
●
隊列の背後に回り込むようにして竹林から一本道に現れた顔面型。
それを察知できたのは、僅がその位置を把握していたからだった。
「でたわね妖怪! 今までのようにはいかないんだからね!」
雪室の高らかな声。
舌をなめずる顔だけの化物は、眼前の峯月に襲い掛かってくる。
鞭のように伸びた舌を、彼女は背に現した光の翼を羽ばたかせて飛翔しながら回避する。
瞬間、峯月の持つ魔法書から生み出されたカードのような白い刃が、カウンター気味に顔面妖怪の頭部を切り裂いた。
彼女はそのまま顔面型の向こう側へと回り込む。
その峯月の口元には、気味の悪い化物と相対しているとは思えないような、楽しげな冷笑が浮かんでいた。
(久しぶりの戦闘ですね…笑みが消えません)
峯月にとって最も好きなものが戦いだった。
俗にいうバトルジャンキーというものである。
そしてその戦い方も、敵との攻防を楽しむように、戦闘を咀嚼するようにじわじわとしたものだった。
跳ねるように峯月へと移動を繰り返しながら、執拗に舌を伸ばして攻撃してくる顔面型。
「さぁ、もっと…もっと楽しませて下さい」
峯月は魔具を抜刀星乱に切り替え、舞うようにして触手のようなそれを受け流しつつ回避する。
「えいっ!」
ふいに顔面型の口内から、大剣の刃が飛び出す。
「後ろが隙だらけよ!」
「ウガッ」
雪室が身の丈を軽く越えるその大柄の剣で、顔面型を背後から串刺しにしていた。
そのチャンスを峯月は見逃さない。
狙うのは両目。
飛び上がった状態のまま、間合いをつめて抜刀の構えをとる。
だが、その瞬間、肉色の舌が突進するように峯月へと伸びていた。
「っ」
寸前のところで、峯月は刀の柄でそれを受け止める。
しかし、殺しきれない衝撃が、彼女を背後へと吹き飛ばす。
峯月は回転しながらも、地面へと滑るように着地していた。
ダメージは軽微。
「…大丈夫、か?」
アウルの光が峯月を包む。
彼女の傍には、いつの間にか無表情の僅が佇んでいた。
「つい、不覚をとってしまいました。ありがとうございます」
そう言った峯月の顔には、冷たく愉悦めいた笑み。
沸き立つような高揚が、彼女に久しい戦闘の感覚を思い出させていた。
●
顔面妖怪から剣の刃を引き抜いた雪室は、咄嗟に後ろへと飛び退いていた。
体を迂回するように伸びた舌が、つい今雪室がいた場所を横切る。
「見え見えの攻撃ってやつね!」
雪室は着地に合わせて、再びその長物――ツヴァイハンダーの剣先を顔面型へと向けて突進していた。
だが先ほどと違い、大剣の刃はアウルの光を纏っている。
それは新たな刃となり、長物であるそれの間合いを伸ばすものだった。
「――ならこっちの方が早い!」
到達点の縮んだ突きは、回避させる間も与えず、今度は舌ごと顔面型の頭を貫いていた。
「ウォォン…」
呻くような顔面型の声。
「零那! 今よ!」
そこに雪室の反対側から飛んできた白いカードが、顔面型の眼球へと突き刺さる。
次の瞬間、風のごとく飛来してきた峯月が、抜刀の鋭い一閃で唾液で滴った太い舌の根元を斬っていた。返し刃で、もう一太刀浴びせ、それを完全に断ち切る。
「これでトドメ!」
アウルの刃が消失したことにより自動的に引き抜かれた大剣を掲げ、雪室は全身全霊の一撃を顔面型に向かって振り下ろす。
だが、その刹那、肌色の妖怪は横に飛び退いていた。
「ああっ!」
空を切る剣先。
そのまま顔面型は飛び跳ねて、竹林の中へ飛び込むように逃げ出す。
すでに襲うモードから、襲われるモードになったのだろう。
舌を巻くようなしぶとさだった。
「こらー! あたい達を置いて逃げていくなー!」
峯月と雪室は追いかけようとする。
が、先回りしていた僅の放った、淡い光をまとった鎖が、顔面型をその場へと封じ込めていた。
「逃がすはず、ないだろ、う」
「――本当のトドメ!」
駆けて来た雪室と峯月の交差するような剣閃が、もがき蠢く顔面を幾重にも切り裂いていた。
●
龍崎は竹ごしに横に薙がれた銀色の刃を、白槍の柄で受け止める。
足を削がれ、機動力を奪われたイタチ型は、竹林の中へと逃げ込んでいた。
どうしても、大柄の白槍では戦いづらいところがある。
だが、龍崎は時間稼ぎが目的であり、積極的に仕留めにかかることなく、防御を主体として戦っていたので十分に対応できる範疇だった。
そして、機動力を削いだことも大きい。
竹林に逃げ込んだとしても、イタチ型の不利が覆るわけではなかった。
(っ……みんなは大丈夫かな?)
龍崎がそう思った瞬間、
「待たせたわね、妖怪退治は終わったわ! あたいが援護に来たからもう安心よ!」
声と激しい足音が響き、竹林の間を走ってきた雪室が側面からイタチ型へと牙突じみた突撃をかける。
「ギッ」
それは腕の刀によって受け流すようにそらされてしまう。
すべるような金属音。
しかし、その合間に龍崎はイタチ型の死角へと移動していた。
(ここだっ)
研ぎ澄ました突きの一閃は、風圧と共に雨粒を弾きながら、イタチ型の汚れた着物を破って胴体ごと突き上げる。
●
龍崎と同様に、顔面退治を済ませた峯月と僅の援護を受け、金鞍はイタチ型の首へと魔糸を絡めさせていた。
「これで終いだッ!」
「ギギッ…」
クンッと力を込めると同時に、その頭が胴体から切り離される。
どさりと言う鈍い音と共に、それは無血状態で地面へと崩れ落ちるのだった。
●
辺りから響く声(特に雪室の)から、礼野は顔面妖怪と他のイタチ型が駆逐されたのがわかった。
「どうやら、お前で最後だな」
黒髪を湿らせた礼野が、玉鋼の切っ先を傷だらけのイタチ型へと向ける。片腕は切り落とされ、片足もなくなっていた。
すでに虫の息に近い。
あとは引導を渡してやるだけだった。
解放された激しい闘気は、礼野をより凛々しくする。
次の瞬間には、イタチ型の体躯へと黒く鈍い光が走っていた。
●
無事に討伐を終えた一行は、他にディアボロがいないか念の為に捜索を済ませた後、妖怪どもの亡骸を竹林の出口へと運んでいた。
「…もう終了かの? 物足りないのじゃ…」
不満げに呟いた峯月だったが、雰囲気は子供っぽく、口調も戦闘時とはまったく違っていた。
「あたいもさいきょーだから、まだまだ戦えるわね」
それを余力があるという意味に勘違いした雪室が、えっへんという感じに胸をはって頷きながら言う。
礼野はかすり傷を自分で治療しつつ、
(小雨でも雨だったからな…あー髪が水吸って重たい…)
と少し湿っぽい気分だった。
龍崎は学園への連絡を終え、僅は何気なしに積みあがったディアボロの亡骸を見ている。
そこに竹林から現れた金鞍がイタチ型の亡骸を新たに積み上げた。
「天魔の舌や皮なんざ一文にもなりゃしない…殺るもの殺ったし帰りましょう」
瞳の色も、歯も元に戻った金鞍の言葉を締めにして、外道なあやかし退治は幕を下ろしたのだった。
「そういえば…前の人達は阻霊符を使い忘れていたのかな?」
「あたい聞いたよ! うっかり誰も持ってなくて、誰かしら持ってきてると思ったんだって」
帰り際の龍崎のふとした疑問に、雪室が答える。
なぜ前回の撃退士たちが撤退させられたのか、何となく理由がわかった面々であった。
入院した子供達はその後順調に回復し、最初の二人もカウンセリングを受けて、数ヶ月後には元の精神状態に戻ったという。