B村の山宿『蓮』に到着した四人は、荷物を部屋においた後、ウッドハウスのようなロビーにいた。
本格的な捜索の前の小休止だ。
「野生の召喚獣か〜、おるなら会うてみたいやん」
つい先ほど、改めてメンバーに挨拶を済ませた夜爪 朗(
jb0697)は、どこかわくわくとした様子でアーニャ・ベルマン(
jb2896)に言った。
アーニャは、サングラスをかけた黒白の猫のぬいぐるみを、大事そうに抱かかえてソファに腰掛けている。
「私も湯葺さんから召喚獣に関する話を聞いてみたいな〜」
「せやな、僕もテイマーの端くれやし、興味あるわ〜」
一方、ロビーのテラスでは、グィド・ラーメ(
jb8434)が霧に包まれた真っ白な世界を前にして、タバコの煙をのろしのようにふかしていた。
彼は薄っすらとした顎の無精髭を撫でる。
(…この霧じゃまともに見えやしねぇな。全く、探究心もほどほどにしとけってんだよなぁ)
そして、酒守 夜ヱ香(
jb6073)と言えば、『蓮』のオーナーである中年の女性に湯葺のことを尋ねていた。
「この写真の人、どこで見ました、か…?」
まだ穏やかな空気が漂うロビーだったが、そこに外から獣に良く似た鋭い咆哮が響く。
瞬間、微かにその空気が張り詰める。
「な、なんや今の? なんか、ストレイシオンの声に似とるような…」
「近いね。湯葺さんかな」
真剣な顔で立ち上がったのアーニャに、酒守は小首を傾げている。
「その可能性はたけぇな。すぐ近くの湖の方からみたいだぜ」
代わりに答えたのは、いつの間にかテラスから戻っていたグィドだった。
「…ドンパチやらかしてるかもしれねぇ、急いだ方がよさそうだな」
険しい表情のグィドの言葉に、三人は頷くのだった。
●
湖のほとり。深い霧の中で、ぼんやりとした人影が動く。
何度も打ち鳴らされる、硬く鋭い音。
(くっ……もうそろそろ限界か)
息を切らしつつ満身創痍で攻防を展開する湯葺は、ふいに左側から新たな音と気配を感じる。
(まずいっ、村の人間か!?)
だがそれにしては、足音は規則的で、一般人とは違う響きをもっており、尚且つ複数だ。
湯葺は、それが撃退士のものだと直感する。
そして話し声の中に、僅かだが自分の名前を聴き取った。
左を見る。
微かだが、数十メートルほど先に、一点のぼんやりした光。
瞬間、それにかぶさるようにして一つの影が重なる。
彼は咄嗟に叫んでいた。
「それは敵だっ!」
が、その刹那、ふっと右から飛び出した、薙がれるような一撃が湯葺を襲っていた。
●
湖畔までのなだらかな一本道を、四人が慎重に、だが小走り気味に進んでいた。
その形は菱形に近く、先頭に一人だけ懐中電灯で前方を照らすアーニャ、左に酒守、右に夜爪、後尾にグィドという配置だった。
それぞれが、お互いの姿を見えるぎりぎりの位置。
視界の悪い霧の中、接敵しても回避力十分、引きつけて囲んでズドンも出来る即席の陣形だ。
一応、酒守も夜爪も懐中電灯を持ってきているが、この状態で全員がつけるとかえって視界が悪くなってしまう。
それに、アーニャだけに敵の注意を引けるという理由もあった。
「前が全然見えへんやん!」
顔をしかめる夜爪。
横で微かに胸を揺らす酒守も似たような思いだった。
移動しながらだと、その視界の悪さが際立つ。
ふいに、前方で硬い物同士がぶつかりあうような音が鳴り響いた。
先頭のアーニャは、音と同時に何やら薄ぼんやりした影が、一瞬だけ動くのを見た。
「いた! もしかしたら湯葺さんかも!」
瞬間、アーニャの目の前に青白い大きな塊が飛び出しくる。
それはバサランに良く似た大きな角と毛もじゃの生物だった。
「わっ!」
僅かに驚きながらもアーニャは、可愛らしい顔が振り回す凶悪な角を、後ろに下がりながら難なく回避する。
(これって…バサラン? でも、色が…)
回避中のアーニャの思考に浮かぶ一瞬の疑問と戸惑い。
(ん、それにこの動きって……)
「それは敵だっ!」
そこに響く、鋭い男の声。
アーニャは動いていた。
艶やか金色の髪と、前髪の赤と緑のメッシュが揺れる。
後ろへと距離を置くようにバックステップした彼女は、着地と同時に、
「影縛りの術!」
アーニャの足元から伸びた無数の黒い触手が、バサラン似の生物の影を縫い付け、動きを封じると同時にダメージを与える。
「ナイスだぜ、アーニャ嬢ちゃん」
「うっきー…、ここなっつ・あたっくー…」
そこへグィドの魔銃フラガラッハと、酒守のパペット・モンキーが魔弾と木の実(のようなアウルの塊)を撃ち込んでいた。
轟音と炸裂音が止み、バサラン似の生物は鳴き声も出さずに崩れ落ちる。
「くっそ、なんなんだ、こいつらはよ」
グィドは溜息まじりに言う
「似てるけど、違う…ね」
「これが野生の召喚獣なのかな。何かディアボロみたいだけど」
前方を警戒していた夜爪が徐に叫ぶ。
「みんな! 誰か襲われとるで! ストレイシオン!」
彼が背に乗った海色の竜は前へと駆け出していた。
●
夜爪は数メートル先の白い靄の中で、転げ倒れる人影を見た。
(はよ、守らんと!)
咄嗟にそう直感した夜爪は飛び出していたのだ。
状況的に湯葺である可能性が高いが、関係ない村の人が襲われてるということもあるかもしれない。
夜爪の騎乗したストレイシオンが、倒れている人影の元に飛び込む。
だが、それとバサラン似の生物が霧から姿を現すのは同時だった。
「ストレイシオン!」
そのまま滑るように、ストレイシオンの体は半回転し、鋭い尻尾の一撃を青白い毛むくじゃらに食らわせる。
弾かれたそれは、鞠のように霧の中へと転がっていく。
「いくで! 防御効果や!」
瞬間、夜爪と背後でよろよろと身を起こした湯葺の体が、青い燐光で包まれる。
夜爪は海色の背中から降りると、その横に並ぶようにして、ホーマロッドを前方へ構えた。
「あんたが、湯葺さんやな。助けにきたで〜!」
「ああ……すまない」
夜爪は後ろをちらっと一瞥する。
湯葺は方膝をつき、地面に突き立てた魔槍によりかかっている。
彼の体はあちこち傷つき、ボロボロで、片腕からは赤黒い血液の跡が見て取れる。
「ほんまは、すぐに応急手当したいんやけど…堪忍な〜」
「…大丈夫だ。それより気をつけろ、あれは召喚獣じゃない」
「せやな、似てるかもしれへんけど――これは違うわ! 」
向かってきた二本の歪んだ矛のような角を受け止めて弾き返しながら、夜爪は鋭く叫んでいた。
●
すぐに夜爪と湯葺の傍へ駆けつけた三人は、同じように青い燐光に包まれていた。
「おじさん大丈夫!? ……酷い状態だね」
湯葺の様子をみたアーニャは、状況の深刻さに顔色を変えていた。
隣のグィドが険しい顔で尋ねる。
「おい、陸の坊主。あいつらについて何か判ってることねぇのか?」
「…あれはディアボロだ。先ほど君達を襲ったのを含めて、バサラン型が四、そして、フェンリル型が一体いる」
「バサランの一体は今さっき、俺たちが始末したぜ」
「そうか、なら計四体だ。バサラン型は大したことない。だが、フェンリル型は気をつけろ。…攻撃パターンは単調だが、基礎能力はヴァニタスを少し弱くした感じだ」
苦しそうな湯葺の言葉に、グィドとアーニャは背筋に冷たいものが走っていた。一介の撃退士として、それがどれほどの強さかというのを理解する。
●
酒守は、湯葺をアーニャとグィドに任せるようにして、夜爪をカバーするように、ストレイシオンの左後方へ立つ。
その手には、シュナイデンサイスが握られていた。
配置としては、湯葺を中心として半円形に守るような形だ。
意識を周りに張り巡らせながらも、海色の竜を一瞥した彼女はふと思う。
(格好良い…ね。テイマーにジョブチェンジしようかな…?)
ふいに、酒守は正面の方から、何かが地を駆ける音を耳にした。
(何、かな)
しかし、その瞬間に夜爪の叫び声。
「ハイブラストや!」
青白い閃光と共に、轟音と炸裂音が響く。
酒守はそれに意識を囚われることなく、移動音の方へと体を構えていた。
それなりの物体が移動している気配。
迂回するような動き。
効果時間が過ぎたのか、彼女をとりまく青い燐光はふっと消失する。
音も気配もぴたりと止まる。
酒守は、こちらへ獣が駆けて来る音を聴いた。
(予測、攻撃…)
音と気配を頼りに、霧からそれが姿を見せるタイミングを計る。
瞬間、死神じみた銀色の一閃が、霧の壁を裂くように走る。
「えっ…」
だが、酒守は両手に感じる手応えの無さに、戸惑いを感じた。
そして、一瞬遅れて理解する。
寸前で、攻撃を避けられたことに。
その刹那、大鎌を振りぬいた彼女へと、暗紫の猛獣が飛び掛っていた。
●
湯葺から話をきいたグィドは、撤退の可能性が脳裏をよぎっていた。
最悪、自分が足止めをするという考えも含んで。
前方で戦う夜爪の叫び声。
青白い閃光が周囲に広がる。轟く炸裂音。
そして、遅れて風を凪ぐような音。
ふいに、グィドは左側面を守る酒守を見た。
思考は一瞬でそれを理解する。
彼は顔を歪め、銃口を酒守の前にある裂けた霧の隙間へと向けていた。
引き金を絞る。轟音。
魔力を帯びた銃弾は、飛び込んできたフェンリル型の片目を穿つ。
悲鳴じみた雄たけびと共に、フェンリル型は衝撃で軽く吹き飛んでいた。
だが、それはすぐに霧の中へと翻す。
「あれはヴァニタス級のディアボロだよ! 気を気引き締めていかないと!」
アーニャが、硬直したままの酒守の前に飛び出す。
片手に懐中電灯、もう片手に影獅子を装備した状態だった。
「大丈夫か、夜ヱ香嬢ちゃん」
「ん…、平気…だよ。ありがとう…」
「なぁに、どうってことねぇさ」
豪快なグィドの笑顔に、酒守は淡々と返す。
すでにストレイシオンは姿を消し、防御効果の燐光もなくなっていた。
「バサランみたいのは、一匹片付けたで!」
夜爪が意気揚々と言った。
「これであと三体だな。陸の坊主、他に何か気付いたことはねぇのか」
「そうだな…これは推測でしかないのだが…」
●
アーニャは少し湯葺達から離れた場所にいた。
グィドと同じく彼女も、最悪、撤退する可能性を考えていた。
しかし、ここで倒せるならそれに越したことはない。
(何か、突破口が見つかれば…それまでは、避けまくって避けまくる!)
その瞬間、バサラン型がアーニャに襲い掛かってくる。
振り回される角を避けながら、アーニャは先ほど感じた時と同じような違和感に気付く。
試しに懐中電灯のライトを消すと、その動きはピタリと止まり、ぐるっと別の方へと向く。
再びライトを点ける。
(あれ、なんでこっちにくるの!?)
手に持っていた懐中電灯を、あっちこっちに移動させてみる。
すると、バサラン型はアーニャに向かってくるというより、その懐中電灯を追っかけるように、体を右に左に揺らしていた。
くりっとした宝石のような瞳も、動く光源をずっと見ている。
そこに、二体目のバサラン型が飛び込んでくる。
彼女はその突進も軽く避けるが、
(っ!)
隙を突くような形で、脇から振りぬかれた鋭い爪。
だが、それが裂いたのは、アーニャではなく久遠ヶ原学園指定のスクールジャケットだった。
魔力を纏った五本の爪が、暗紫の脇腹へむかって振り下ろされる。
しかし、寸前の所でそれは空を切る
その速さに、舌を巻きつつも、アーニャはある可能性を閃いていた。
瞬間、グィドの叫び声が響く。
●
「なんや、さっきから敵がこっちにけえへんな」
夜爪と酒守は構えたまま、真っ白な空間を見つめる。
「――今言ったのはあくまで可能性だ。しかし、アーニャという娘が出て行ってから奴らがこないところをみると、もしかしたら…」
「…そうか、ふぅむ、こりゃ試してみる価値はありそうだな」
湯葺の話を聞いたグィドは、徐に懐から複数の携帯用ストラップを取り出す。
それは霧対策のトワイライト用に準備してきていたものだった。
「よぅし、朗の坊主と夜ヱ香嬢ちゃん。あいつらに一泡拭かせてやろうぜ」
そう言ったグィドは不敵な笑みを浮かべていた。
●
「アーニャ嬢ちゃん! ライトを一旦消してくれ! 光纏も光を抑えろ!」
グィドは叫んだ後、球状の光を放つストラップを、
「ほぅら、取って来い! なんつってな!」
数メートル先の視界ぎりぎりの所へと放り投げた。
それから一呼吸。
それはあっさりと釣れる。
瞬間、酒守のアイビーウィップがバサラン型を捕らえ、セルフエンチャント済みの強烈な魔弾が、容赦なくそれを貫いていた。
同じ様にもう一体も倒し、残るは一体。
グィドの放り投げたストラップが、こっ、と微かな音をたてて落ちる。
しばらくして、それは予定通りに現れた。
鋭い牙がストラップを噛み砕く。
先ほどの二体と同じように、魔力の鞭が暗紫の猛獣を捕らえる――はずだった。
あっさりと飛び退き、それは鞭を避けていた。
「さっきのお返しだよ!」
アーニャの声。
触手のような影は、片目のフェンリル型を拘束していた。
あえて合流せず、傍で潜んでいたのだ。
「本物の力、見せたるで〜! ハイブラストや!」
海色の竜から撃ち放たれた雷光が、フェンリル型へ炸裂し、合わせるようにしてグィドの強化魔弾、酒守の木の実弾が集中砲火される。
だが刹那、傷だらけの猛獣は、霧の中へ逃げ込んでいた。
グィドと夜爪が湯葺の傍に立つ。
アーニャがライトを灯し、湯葺達から僅かに離れた位置へと駆ける。
しかし気配と音は、それとは逆に動く。
再び迂回するような動き。
酒守は意識を集中する。
(縄張りを荒らしたとしたら、ごめん、ね…。でも、次は、外さない、よ…)
艶やかな黒髪がなびき、胸が揺れる。
空間を裂くような一閃は、今度こそ飛び込んできた猛獣を捉えていた。
●
夕時。『蓮』のロビーでは、手当てを受けた湯葺と四人がいた。
「よう頑張ったな、ストレイシオン! おおきに!」
「はう〜、私の癒し〜」
夜爪は海色の頭を撫で、アーニャは猫のぬいぐるみをもふもふしていた。グィドはテラスで美味そうに一服中だ。
「召喚獣は、どこから現れるの、かな…?」
小首を傾げる酒守に、湯葺は口を開きかけるが、
「んとね、召還獣は人の内面からやって来ると思うんだ〜 。皆が可愛いと思うもの、強いと思うもの、神話で有名なもの、そんな姿を平均化して具現化されたものじゃないかな〜」
アーニャが笑顔で言う。
「…まあ、それはあるかもしれないな。人の深層は神秘的だ」
湯葺は今回の件で懲りたのか、憑き物が落ちたようにすんなりと納得する。
「できるなら、他に野生の召喚獣の痕跡がないか自分で探しに行きたかったわ〜」
グィドに遭難するから止めとけと言われていた夜爪だった。
その残念そうな様子に、一同から笑みが零れるのであった。