●いざ、風の中へ
海上の無人船を、小さな台風が呑み込んだ。見た目の規模に反し、台風の風速は恐ろしく速く、一瞬で船をバラバラに分解してしまった。台風の速度は落ちることなく東京湾へと向かっていたが、船を巻き込んだ際に一瞬だけ止まった。まるで、食事でもしているかのように。
その台風の真上に、撃退士達を乗せたヘリが追いつきつつあった。
小麦色の肌をした少女、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は暴風に備え、服のボタンを真上までしっかりと留めていた。
何故かその様子を、エルレーン・バルハザード(
ja0889)は食い入るように見つめていた。視線の先には、ソフィアの服の上からでもわかる胸の膨らみがあった。彼女に会って、エルレーンにないものである。
「イタリア産……」
自身のコンプレックスからぼそっと呟かれた一言に、周囲の視線が集まる。
「イタリア? 素敵なお国とお聞きしていますワ♪」
ミリオール=アステローザ(
jb2746)が嬉々として反応する。長い紫色の髪と銀の瞳、金属フレームのような骨格の翼にオーロラのような翼膜が張った羽を持つ堕天使だ。
「国の……話じゃない……」
朱色の着物に腕を肘まで袖に通した支倉 英蓮(
jb7524)が呟く。強い風に煽られ、黒髪に紛れたメッシュのような白髪が揺れる。
「国でなければ、なんの話です?」
「夢……詰まってるか……否か……」
「夢?」
「もういー! この話おわりー!」
エルレーンが強引に話題を打ち切る。ソフィアにとっては、何か楽しそうな話をしているようにしか見えなかった。
「ところで、着いたみたいだよ。全く迷惑なディアボロだ。作った悪魔は何を考えてるんだろうね」
白い子犬の顔から人間の肉体が生えているような外見をしたはぐれ悪魔のレイン・ニム・ライエル(
jb2995)が話に首を突っ込む。
彼の言葉に、何人かの撃退士がヘリから下の様子を覗いた。レインはその間に、自分の体に派手な色のペンキを塗りたくる。
真上から臨む台風は、巨大な魔獣が口を開けているかのようだった。台風の上方に、一反木綿が三体確認できた。暴風の顎(あぎと)に、エルレーンは思わず後ずさりする。ミリオールは戦いを予感し、極光の翼を広げた。
天海キッカ(
jb5681)は、怒りに燃える瞳でそれを見下ろした。沖縄の海で育った彼女にとって、海を穢す輩は絶対に許せない存在である。
「わんを本気で怒らせたな、このディアボロ共……!」
その目は真っ直ぐに、台風の中心で浮遊するエリマキに注がれていた。
アイリス・レイバルド(
jb1510)は、台風の様子を頭の中に留めようと観察するように眺めていた。戦いが終わった後、この魔獣じみた風を何らかの形で残せないか、思案しながら。
彼らの乗るヘリの後ろから、もう一台同じものがやってきた。
それに乗っていた静馬 源一(
jb2368)が、大声で彼らを呼ぶ。首には長いマフラーが巻かれており、背中には救命胴衣を背負っている。
「準備できたで御座るかー? そろそろで御座るよー!」
●ダブル・ニンジャヒーロー
「周りからは『囮に定評のある静馬』と呼ばれている自分のワザマエを見せてやるで御座るよ!」
源一が、開け放したヘリのドアの縁に立ち、忍んでいた己が存在を誇示する。
台風の上部にいた二体の一反木綿が、源一の存在感に気づいて近付いてきた。
「へいへーい! ぴっちゃーびびってるー! で御座る!」
手を叩きながら一反木綿を煽る姿はしかし、どこか小型犬を思わせるあどけなさが残っている。
「っ――行くぞ!」
一反木綿が源一に注意を向けている間にキッカが擦れ違うようにして飛び降りた。
「私も!」
キッカを皮切りにソフィアが続いた。
「ううっ、怖いけど…え、エルレーン、いきまーす!」
「長くもたないけど、少しだけ風に乗るのが楽になるかと思いますワっ!」
エルレーンの降下と同時に、ミリオールがスキルを発動した。落下中の味方も含めて、全員の脚を彼女の風が包み込んだ。落下時の風圧や横殴りの風が、僅かに和らぐ。
更に、レイン、英蓮、アイリスも一斉に飛び降りる。
その間に、二体の一反木綿が源一に肉迫する。
源一はヘリから降りずに突進を回避するが、ヘリそのものは回避できない。ケーキでも切るかのように、ヘリの床と天井に切れ込みが入った。これ以上この場に留まることはできない。
慌てて源一はヘリから飛び降りると、折り返してきた一反木綿が彼の落下に合わせて再び向かって来た。
しかし、逆に源一は一反木綿を足場にするかのように一匹、二匹と踏みつけながら擦れ違う。
「これぞ秘技・八艘飛び! で御座るってね!」
その擦れ違いざまに、影を凝縮した棒状の手裏剣をばら撒く。攻撃を躱された直後の一反木綿のうち一体が、その体に幾つもの風穴を穿たれて散り散りに破けていった。
一方、真っ先に降下したキッカは、残る一反木綿が来る前に攻撃を放った。
「海を穢した罪……その身をもって償え!」
キッカが両手を広げると同時、色とりどりの炎が周囲に拡散していった。まるで彼女を中心に花火が上がったかのようにも見えた。だが台風の風に乗って舞う炎の一片が一反木綿に触れた瞬間、爆炎がそれを飲み込むかの如く発生し、消し炭へと変える。
ソフィアの元にも、一反木綿が襲い掛かってくる。
彼女は炎の塊を掌に顕現させ、それを投げつけて応戦しようとするが、強風に煽られて大きく横に逸れてしまう。その隙に、一反木綿が彼女の左腕を舐めるように擦れ違い、深い切り傷を作る。
「っ……でも、大体わかった」
強風の中でどれくらい攻撃がそれ、どれくらい動きが制限されるのか。今の一連の流れで、ソフィアは大まかに把握することができた。
一反木綿を迎撃しつつ、真っ直ぐにエリマキの元へ向かっていこうとするが、このままでは大きく離れた位置に着地してしまう。
そんなソフィアを、翼を広げたミリオールが彼女の手を引き、誘導する。
「とんでけ!私のかわいい┌(┌ ^o^)┐ちゃんたちーッ!」
落下しながら、エルレーンが叫ぶ。使ったスキルは源一の使用したものと同じなのだが、彼女が上空に撒いたのは棒状の影手裏剣ではなく、┌(┌ ^o^)┐である。
(┌ ^o^)┐はかさかさと四本の足を蠢かせながら風に煽られ、一体の一反木綿を"後ろから"、"豪快に"、"突き破った"。
キッカ、ソフィア、ミリオールに続いてエリマキのいる高度までたどり着いたエルレーンは、そこでビシッとポーズを決める。
「このっ!かわいいぷりてぃーえるれーんちゃんがあいてなのっ!こっちだよーっ!」
エリマキの周囲をうろついていた三体の一反木綿が、彼女に反応する。エルレーンが後退すれば、その分以上に距離を詰めてくる。攻撃は、空蝉でスクールジャケットを犠牲にして回避する。
(ついてこいなのっ…さあ、さあっ(・∀・)!)
そのままエルレーンは台風からわざと抜け出し、荒れ狂う海原に着水する。年に一度使う機会があるかどうかのスキル、水上歩行が役に立った。
三匹の一反木綿も、彼女につられて台風の外に出てきた。
●ワイヤー仕掛けのカウントダウン
後続の英蓮、レインがエリマキと同じ高度まで降りてくる。
英蓮は風の障壁を用い、一反木綿を無視して一直線に落下する。
レインは阻霊符を使用し、翼を展開。派手な色の塗料を塗ったデュアルソードで落下中に襲ってくる一反木綿を迎撃しようとするが、刃は全て空振りに終わった。代わりに、剣を振るった際に飛び散った塗料や、攻撃する際にレインの体に塗られた塗料を何体かの一反木綿が浴びた。
「派手な色は狙いをつけやすいね」
塗料を浴びた一反木綿に、今度こそレインのデュアルソードが縦一文字に走った。中心から真っ二つに裂かれた一反木綿は力を失い、台風の風に巻き上げられていった。
「では、鮮やかな血の花を咲かせましょう……」
英蓮が、用意しておいたワイヤーの一端をレインに渡す。レインは血が出るのも構わずに、それを強く握りしめて上昇した。
その間に、ソフィアがエリマキの真上から攻撃を仕掛ける。
「台風の目に当たる部分は風の影響は少ないからね。狙わせてもらうよ」
彼女が雷霆の書を広げると、そこから雷の刃が生まれた。魔力の流れを一層研ぎ澄ませることで、その刃は紫電を激しく迸らせ、落雷のようにエリマキへと落ちていく。
しかし、エリマキとソフィアの間に、一反木綿が割って入った。落雷を受けた一反木綿は一瞬で燃え尽きたかのように焼き焦げたが、その奥からエリマキの舌が伸びてきて、ソフィアを強かに打ち据えた。
「うっ――」
エリマキの舌は鞭のようにしなり、ソフィアをもう一度襲う――が、今度は虹色の刃がエリマキの舌を弾いた。体制を崩したソフィアを、再びミリオールが支える。
エリマキの舌が、虹色の刃を操るアイリスへと向けられる。ソフィアと同じようにエリマキの上空に位置している彼女は、舌をガントレットで防御する。弾き飛ばされないように翼を広げ、自らを盾のように扱う。
「さて、出来るだけ長く遊んでもらおうか」
エリマキがアイリスに気を取られている間も、一反木綿は突進を仕掛けてくる。
「むー、大気の扱いが雑……許しがたいのですワ!」
ミリオールが、アイリスの更に上に陣取り、風を操る。突進してきた一反木綿に、ミリオールが生んだ不可視の触手が振るわれる。触手自体は消滅したものの、追随する暴風が一反木綿を横薙ぎに引き裂く。
そこで、エリマキが突如奇声を上げた。まるで何かに苦しむかのような絶叫。
英蓮とレインが、それぞれワイヤーの端を持ち、回転するエリマキのエリを桂剥きの要領で削っているのだ。
「さぁ……ふふっ、お前の命のカウントダウンが始まったよ……?」
エリマキはたまらず、標的を英蓮に変更した。しかしその攻撃すら、アイリスが盾となり阻む。
「あがいて結……そのほう……面白い!!」
「容赦がないね」
妖艶な、しかし狂気を湛えた笑みを浮かべる英蓮に、レインも思わず声を漏らす。
「今度こそっ!」
「お手本、見せて差し上げますワ……っ!」
ソフィアの雷撃がエリマキの脳天を穿ち、そこにミリオールのバンカーが鉄杭で追い打ちをかける。
エリマキの更なる絶叫――
「五月蠅いぞ」
そのすぐ横に、姿を隠していたキッカが突然現れた。エリの付け根を狙い、漆黒の大鎌――デビルブリンガーを突き立てる。
外側からのワイヤーと、内側からのデビルブリンガーによって、エリマキのエリは完全に引き剥がされた。
瞬間、周囲を渦巻いていた風が、止んだ。
●ニンジャヒーロー・アゲイン
「紙でも布でも、濡れたら重くなっちゃうもんだよっ!」
海が波立ち、一反木綿を濡らす。水中に潜らずとも、勝手に動きを鈍くさせていく一反木綿を、エルレーンは確実に薙刀で蹴散らしていった。
二体を倒したところで、台風が消失した。上空から、もう一匹の一反木綿と共に源一が降ってくる。
「わ、わうあー! 人間頑張れば何でも出来るので御座るぞー!?」
源一は古びた刃にアウルの力を宿した刀、八岐大蛇で一反木綿を切り裂きつつ、水面を転がっていく。波の水圧が、源一を強かに打つ。
残る一反木綿は二体。源一とエルレーンは、同時にポーズを決め、敵を煽る。エリマキはまだ、生きている。┌(┌ ^o^)┐もまだ、空中をふわふわとしている。
「お主達の敵は自分で御座る!自分が戦闘不能にならない限り、一匹たりともココを抜けさせないで御座るぞ!」
「そのとーり!」
エルレーンと源一は、同時に影の手裏剣と┌(┌ ^o^)┐を大量に投げつけた。一反木綿は躱そうともせず特攻を仕掛けてくる。
大量の影手裏剣と┌(┌ ^o^)┐を抜けて、源一とエルレーンも僅かに傷を負った。うち一体はそれ以上動けなかったが、もう一体がぼろぼろの状態で源一に巻きついた。
「『囮に定評のある静馬』と呼ばれた自分、これしきのことで……!」
しかし、身をよじればよじるほど、一反木綿に体を切りつけられていく。
そこに、颯爽と飛んでくる白い何かがいた。
「巻きつくという行為は、隙にも繋がるのさ」
白い着ぐるみのような姿をしたレインが、巻きついていない一反木綿の先端を切りつけた。源一に巻きついていた紙が力なく垂れ下がり、海の底へ沈んでいった。
●紅い花火
エリを失ったエリマキはなおも抵抗を続けた。舌を巧みに操り、目先にいたキッカを弾き飛ばすと、自在に宙を舞い始める。
しかし、一反木綿ほどの速さはない。ソフィアはパラシュートを広げながら、雷撃を見舞う。
「動きやすくはなったけど、慎重にね」
英蓮がそれに続く。武器をヒヒイロノカネから出す前に、アウルによって抜刀を予め終わらせておく。
ヒヒイロノカネが光った瞬間、二本の小太刀がエリマキの舌を切り裂いていた。鮮血が飛び散り、英蓮の顔を紅色に染め上げる。
「咲いた……綺麗な花……」
英蓮はそのまま、海中に落下した。
「風は無暗に吹かせるものではありませんワよ?」
ぎりぎりのところで繋がっていたエリマキの舌を、ミリオールの風が完全に引き裂く。
上空から緩やかに下降していたアイリスが、更なる追い打ちをかける。彼女の瞳がエリマキのそれと交差した瞬間、アウルによる波動が視線を通して注ぎ込まれる。
「逸らせぬ瞳で深淵を覗け」
この時点で、エリマキは既に絶命していた。
だが、キッカは許さなかった。弾かれたと思われていた彼女は、突き立てた大鎌にしがみついていたのだ。
「お前の血など、一滴たりとも海にくれてやるものか」
大鎌の刃の先端から、色鮮やかな炎が放射状に放たれた。
エリマキを中心に打ち上がった花火は、エリマキが失ったエリよりもずっと大きく広がり、エリマキ自身をも爆発に巻き込んだ。
キッカは消し炭になったエリマキの残骸に、なおも鎌を振るい続けた。
ミリオールはヘリが来るまでの間、無人船の瓦礫を拾い集めた。撤去する際に、学園側の負担を少しでも減らしてやりたかったからだ。
海中からエリマキの花火を眺めながら、英蓮は思う。
(寒空の夢幻の如き……冬桜……。季節に合ってな……爬虫類が、冬に動こうなんて……。まあ、もう塵芥……。詮無いはなし、だ……それじゃぁね。サヨナラ)